庭師見習いは花の健やかな生育を願っています(三十と一夜の短篇第61回)
屋敷の庭の松の木のしたで親方が落とした緑芽を集めていると、涼やかな声が耳に届いた。
「行ってまいります」
澄んだ、けれど柔らかさはない声の主は屋敷の主人の末娘。
その声音に似合いの整った造作は近隣では有名らしく、表に進む足音に続いて通りからざわめきが聞こえた。
「まあ、末のお嬢さまよ。今日もおきれいねぇ」
「見て、御髪なんて射干玉のように艶やかで、あんなに豊かで。うらやましいわあ」
「あれでもうすこし、かわいげがあればねえ」
好き勝手に喋る声は、お嬢さまが乗る馬車の蹄の音が遠ざかるほどに大きくなる。
「もうすぐ異国人のお嫁に行くんだろ? もったいねえよなあ、あんな美人を取られちまうなんて」
「馬鹿だな、美人だからもらわれてくんだろ。どっちみち異国人の嫁にならなくてもお前のもんにゃあならんしなあ」
「そりゃそうだ。花音蔵の主人の自慢の品なんだから、俺たちにゃ手が出んよ」
あはは、わははと笑いながら去る足音を見送って、俺はかき集めた松葉を袋に詰めていく。
よくもまあ、屋敷の周りでうわさ話をできるものだと呆れてしまう。たぶん、町人たちにとっては度胸試しも兼ねた遊びなのだろうけれど。
屋敷の主人も「どんな噂だろうとひとのくちに話題が登るのなら、名を広める好機よ」と止める気がないのだから、口さがない連中はどんどん調子に乗るのだ。
「……いて」
手元への注意がおろそかになっていたせいで、尖った枝が指に刺さった。
切り落とされた枝の先には、萌え出たばかりのやわらかな緑の芽が伸びている。
空を目指して伸びあがっていた芽は、松の形を損なうからと切られてしまえば、あとはもう枯れるだけ。
「いたいな……」
じんわりとにじむ血を無視して、散らばる枝芽をかき集める。
屋敷の主の手中の珠がどうこう言われようと、屋敷の庭に出入りするだけの下っ端庭師見習いには関係がない。
噂のお嬢さまと会うどころか、姿を見ることすら叶わないのだから。
*****
「あなた、年は?」
見ることすら叶わないと思っていたお嬢さまに声をかけられたのは、数日後のこと。
庭の苔に生える草の芽を抜いている今の時刻は、薄ら明るいとはいえまだ陽も登らない。ようやくかまどから煙があがりはじめたばかりで、家人は寝ていると思っていたのに。
「……十六、です」
声の位置からして、お嬢さまは庭に面する縁側に立っているのだろう。
答えるべきか、聞こえなかったふりをするべきか。すこし悩んだが、まあいい。別に知られて困ることでもない。
見上げて「無礼な」と言われてはたまらないので、手元に視線を落としたままそう答えた。
けれど、お嬢さまはそれが気に食わなかったらしい。
「ふぅん、わたしと同い年ね。顔を見せなさい」
「はあ……」
面倒は避けたい。
ならば無駄に抗うこともない、と顔をあげた視界が、きらめいた。
昇ったばかりの陽光に照らされたお嬢さまは眩しかった。
噂に聞くばかりだった射干玉の黒髪は、まさにあの実のような艶やかさを閉じ込めて黒々と流れている。
きらめく漆黒と対照的な白い肌はしみひとつなく透き通るようで、ちいさな顎とまろやかな頬が生み出す曲線は贅を凝らした陶器の盆栽鉢よりよほど優美に見えた。
小作りな顔は人形めいて、けれど長いまつげに縁どられた黒目勝ちな瞳の光の強さが、お嬢さまを人間たらしめている。
ちいさく、けれど目を引く赤い唇が動いて、への字に曲がる。
「ふつうの顔ね」
「……」
投げられたことばに何か返すべきなのか。判断に困って、濡れたような瞳と見つめ合う。
「何か言いなさいな」
返すべきだったらしい。
催促するわりに苛立ちは感じられないお嬢さまの声に、俺はすこし考えてくちを開く。
「……おはようございます」
朝だからな。会ったらあいさつだろう。
そう思って言ったことばに、どうしてかお嬢さまの目が大きく見開かれた。もともと大きいのにそんなに開いたら、こぼれてしまうのではないかとすこし気になる。
けれど、こぼれ落ちる前に彼女はその目をにまりと細めた。
「おはよう。あなた、なかなか見どころがあるわね」
「はあ……?」
わけがわからない。朝のあいさつをして見どころがあるとはどういうことか。
わからないけどいま気になるのは、俺はまだ彼女に付き合わなければいけないのか、ということだ。
そろそろ草取りに戻りたい。日が高く昇るまでに終わらせなければ、親方にどやされる。
そんな俺の胸中など知らぬとばかりに、お嬢さまは続ける。
「わたしに会って開口一番、賛辞をくちにしなかった人間ははじめてよ」
赤子は除くけれど。
そう言うお嬢さまの目はひどく楽し気で、なるほど活き活きと目を輝かせる彼女は新緑の季節のような美しさがある、かもしれない。
「あー、お嬢さまは萌え出た若芽のようですね」
俺なりのほめことばをひねり出したのだが、返ってきたのは怪訝そうにしかめられた顔。
「……それはどういう意味かしら」
「どういう……? 萌え出たばかりの若芽のように瑞々しくて、なんていうか、目にはいるとつい顔がほころぶ、みたいな……?」
お嬢さまの求めることばがわからず、自分なりに伝えれば、次第に彼女の眉間のしわが消えていく。
万両のように赤々とした唇の端がきゅうっと上を向いた。
「やっぱりあなた、見どころがあるわ」
「はあ……あの、仕事中なんで」
お嬢さまの笑顔は開いたばかりの花のようで眺めていたいとも思うけれど、見つめていたところで庭に生える草が減るわけじゃない。
それに、草木の姿をいつまでも見つめていられないのはいつものことだ。名残を惜しむ心にふたをして、返事を待たずにさっさと仕事に戻る。
「あなた……わたしが褒めているというのに『光栄です』くらい言えないの?」
縁側から降ってきた彼女の声がむっとした声をあげたとき。
屋敷の奥でぱたぱたと早足に歩く誰かの足音が聞こえて来た。日が昇ったから、女中が本格的に動き出したのだろう。
「……また来るわ」
そう告げる声に顔をあげ、翻った着物のすそを見送った。
きっとこれきりだろう、と思って見送ったというのに。
「今日はそっちの木にいたのね」
初めて会話を交わしてからというもの、明朝に仕事をしている俺の元へお嬢さまがやってくる。
このところ縁側に近いあたりの草むしりをしていたから、姿が見えるたび暇つぶしに声をかけてくるのだと思っていたのだが。
「屋敷のなかから見えるところにいないのだもの。探してしまったわ」
今日の彼女は下駄を履いて庭を歩き回り、俺を探していたらしい。
春を過ぎたとはいえ寒い早朝だというのに、彼女の頬はわずかに赤く色づいている。
「……おはようございます。仕事の内容は親方が決めるんで」
言い訳がましいかもしれないが、事実だ。
俺がお嬢さまのおしゃべりから逃れようとして、屋敷の庭のすみにいるわけではない。
答えながらも手は止めない。何度目かの遭遇で、手を止めて相手をしなくても怒らないひとだと判断したからだ。
ぷつん、ぷつんと枯れかけた花を摘んでいく。
花がらを摘みながら、枝の状態をよく見ていく。
褐変しかけた花びらを見つけるたびぷつん、と摘んでいた俺はふと、すぐそばに立つひとがひどく静かなことに気が付いた。
変わり者のお嬢さまは庭仕事を眺めるのが楽しいと言っていたことがあったけれど、いつだって何やらおしゃべりをしていたはず。
気の利いた返事などできるはずもないが「はあ」とか「へえ」などとつぶやきながら聞いていた俺は、いつもとは違う沈黙が気になって顔をあげた。
「お嬢さま?」
「……その花、ツツジね」
見上げた顔は黒髪の影になってうかがえない。
だから、返ってきた声に「ああ」と頷く。
「ですね。きれいな花です」
植物が相手なら気持ちをくちにするのも容易い。
単純な賛辞は誰にでも受け入れられやすく、軽い同意が返ってくるものと思っていたのに、耳に届いたのは嘲笑うような吐息の音。
「はっ。きれいだなんて言いながら、枯れてくれば摘んで捨てるのね、あなたも」
艶やかな唇が吐きだすように言ったことばに、俺はつい首をかしげてしまった。
「当然です」
「そうよね。誰だってきれいなものが好きだもの。若くてきれいなうちに高く買われて、盛りを過ぎれば捨てられるんだわ」
植物の話のつもりで相槌を打てば、彼女はきれいな顔をひどく歪ませる。
自己嫌悪に塗れたその表情と、吐き捨てられた内容を合わせてようやく気が付いた。
ああ、彼女は己の境遇を嘲笑っているのだと。
何も言わない俺に焦れたのか、それとも胸に巣くう思いを押さえておけなくなったのか。
人形めいた顔を感情のままに強張らせて彼女は続ける。
「あなたも知っているんでしょう? わたしは近いうちに、異国のひとのお嫁に行くの。いいえ、お金で買われるのよ。誰よりも高い支度金を用意してくれたって、父さまが笑っていたもの。若くてきれいなうちに売られて、枯れてきたら捨てられるのよ」
そう言って笑うお嬢さまは唇を吊り上げているのに、笑ってはいないように見えて。
なにより、噛みしめられた唇が破れてしまいそうで、思わず立ち上がり手を伸ばしていた。
はじけてしまいそうな瑞々しい赤い唇に手を伸ばし、触れそうになった指先が汚れているのを思い出して、手を止めた。
俺の武骨な指と、熟れた木の実のようなお嬢さまの唇との間の距離は一寸もない。
「……」
「……」
驚いたように目を丸める彼女と見つめ合って、ふいに俺の頬に熱がのぼる。
下駄をはいたお嬢さまと立ち上がった俺の視線が、ひどく近い。
そう言えば、庭に降りた彼女と向かい合うのははじめてだ、とそのときになって気が付いた。
「……唇が、傷つくから」
どうにかそれだけ言って、そっと手を下ろす。これ以上お嬢さまの顔を見つめていられなくて、視線も下がる。
「そうよね。わたしは美しいから価値があるのだもの。傷なんてつけたら、価値が下がるものね」
自嘲めいた同意に、はじかれるように顔をあげた。
「そうじゃない」
「ならばなんだと言うの? 下手な同情ならやめてちょうだい。相手の方はわたしより三十も年上だそうよ。国に残してきた奥方もいらっしゃる方に嫁ぐ意味なんて、妾以外にあるわけがないでしょう」
射抜く瞳の暗さ。ことばの鋭さに、あげたばかりの顔がずるずると下がっていく。
くちのうまくない自分が情けない。植物ばかり相手にしてきたつけだろうか。
けれど足元に向けた視線に映るツツジの鮮やかな色に力をもらい、ことばを探す。
「……そうじゃなくて」
屋敷の主人はとうに、相手からの金を受け取っているらしい。
けれどお嬢さまがまだ屋敷に居られるのは、女学校に通うため。相手方のご厚意で、女学校を卒業するまでは待ってくれているのだと、お喋り好きな女中が言っていた。
聞いてもいないのによく喋る女中は、日に焼けて肌にしみのひとつもできてはいけないからと、お嬢さまは学校以外の時間のほとんどを屋敷の奥で過ごしていることも教えてくれた。
「お嬢さまのためって言うけど、あんなのただの軟禁よ。おかわいそうに」そう言う女中の目に好奇の光が見えた気がしたけれど、俺は「そうですか」と言うことしかできなかった。あのときも、自分のくち下手さを憎んだのだ。
「そうじゃなくて、花がきれいに咲くために摘んでるんです」
「ええ。だからそう言っているじゃない。花は盛りに散ってこそ。しがみついて散り残り、無様に枯れ落ちるなんて冗談じゃないわ。そのためにもせいぜい高く買ってもらって……」
「花は来年も咲くんだ!」
苛立たし気な彼女の声を遮って叫ぶ。
くち下手でも、黙ってはいられなかった。
「枯れかけた花を摘むのは、来年もきれいに咲いてもらうため。花がらを摘みながら刈り込みの時期を確認してるんだ。今この瞬間の花が終わったって、ツツジが終わるわけじゃない。夏には色濃い葉が涼やかに庭を彩る。冬の寒さに耐えて赤らむ葉先も趣がある。春先のやわらかな緑の美しさは格別だ。そうやって季節を巡って、花は何度でも咲く。ツツジはずっと先まできれいなままだ!」
口下手な俺だが、植物を称えることばは人並に知っている。
衝動のままに叫んで正面を見れば、お嬢さまの顔がじわじわと赤く染まっていく。
見開かれた大きな瞳がうるりと揺れて、けれどお嬢さまが着物の袖を顔にかざしたせいで、隠れてしまった。
「あ、あなた……」
袖の向こうから、震える声が届く。
「あなた、もしかして、知らないの……?」
お嬢さまのことばはしばしば俺にはよくわからない。それは俺に学が無いせいだろうし、お嬢さまがことばを省くせいだろう。
でも、今はわかる。
「いいえ、知ってます。ツツジお嬢さま」
「っ!?」
袖越しにのぞく目元が瞬時に色づく。
盛りを迎えたツツジより鮮やかな赤色が、磁器のような肌を染めた。
羞恥に潤んだ大きな瞳はこれまでに見たどんな木の実よりきらめいて、俺を惹きつける。
そのきらめきに、俺は調子にのる。
「花は、また咲きます。ちゃんと手入れを続ければ、何度でも、ずっときれいに」
このことばがお嬢さまの慰めになるかなんてわからない。
だけど、摘まれて捨てられる一輪で終わって欲しくないと思ってしまった俺は、言わずにいられなかった。
ほろり、とこぼれた雫を隠す袖はいつの間にか無くなって、お嬢さまの身体の脇で心細げに揺れていた。
寝巻だろうに、そうとは思えない豪奢な袖から白く華奢な腕がちらりとのぞく。か弱い拳を胸に押し当て、震わせながらお嬢さまはほろほろと涙をこぼす。
「咲ける……かしら。意に添わぬ相手に散らされても、また咲けるかしら」
「枯れなければ、きっと。ツツジは百年、千年生きるものもあると聞いたことがあるので、何度でも咲けます」
「まあ……そんなに長生きなのね」
お嬢さまがころころと鈴を転がすように笑った。
その笑顔があまりにもきれいで見とれてしまう。
まつげに残る雫は朝露のように輝き、ほころんだ花びらのような笑顔をいっそう彩る。
いつまでだって見ていたくなる。
「あなた、笑って……」
驚いたようにつぶやいたお嬢さまが、くすりと笑う。
はかなげな笑顔から一転、いたずらっぽい笑顔もまた、彼女によく似合う。
「千年あるのなら、そうね。きっとなんだってできるわよね」
きゅ、と閉じた瞼を開けば、雫を振り払い自信に満ちた笑顔が咲き誇る。
「わたし、美しいだけではなくって女学校での成績も一等良いのよ。父さまはできるだけ早く嫁がせたいようだけれど、わたしがあんまり優秀なものだから相手の方が卒業まで待つ、っておっしゃるくらい」
「はあ」
唐突にはじまった自慢話についていけない。
俺は女学校を知らないから、なんと言ったものかもわからない。文字の読み書きは近所の寺で習ったけれど、他に知っていることなんて庭木のことくらいだから。
「あなた、こういうときは『すごいですね』だとか『さすがです』くらい言うものよ?」
むう、とむくれた頬は色づく前の桃のようだ。すべらかな果実につい手がのびるより早く、お嬢さまはいつもの顔に戻って肩をすくめた。
「なんてね。あなたは今のままでいいの」
言って、お嬢さまはくるりと背を向ける。
「わたしを称賛する声はどこでも、いくらでも聞けるもの。外国に行ったって、誰もが褒め称えずにいられないわたしでいてみせるわ。百年先、いいえ。千年先までわたしの美しさ、素晴らしさを伝えさせてあげましょう」
「はい、待ってます」
素直にうなずいて答えれば、お嬢さまの頭がすこしうつむく。
背を向けているせいで表情はわからない。けれど、ほとりと降る雫が彼女の足元の草の葉にはじけるのが見えた。
「……こんなときだけ、きちんと返事をするのね」
ずるいわ。
そう言ったように聞こえたのは、気のせいだろうか。
問い返す間もなくお嬢さまは俺の元を去り、屋敷のなかへ消えていく。
それきり、お嬢さまは庭に姿を見せることはなくなった。
町人のうわさやお喋りな女中の話でいっそう女学校での勉学に打ち込み、異国のことばの習得にも励んでいると聞くばかり。
婚姻を一年後に控えてお嬢さまも心を決めたのね、と同情するかのような声に「そうですか」と返すことしかできなかった。
ただの庭師見習いの俺は、これまで通り庭木を手入れするだけだ。
*****
屋敷の庭の松の木のしたで落とした緑芽を集めていると、涼やかな声が耳に届いた。
『行ってまいります』
澄んだ、明るくはずむ声の主は屋敷の主人の娘のもの。
その声音に似合いの整った造作は近隣で有名らしく、表に進む足音に続いて通りからざわめきが聞こえた。
『まあ、お嬢さまよ。今日もおきれいねぇ』
『見て、御髪なんて黒曜石のように艶やかで、あんなに豊かで。うらやましいものねえ』
『そのうえ学問も優秀だなんて、すてきねえ』
好き勝手に喋る声は、ご近所のご婦人がただろう。
『こちらの主人も異国で養子をもらうなんて、と思ったものだけれど。本当に良い娘さんを見つけてきたものだね』
『奥方も主人も実の娘のように溺愛していると聞くよ。下手な男は声もかけられないとね』
『それはそうさ。異国で見つけた主人の自慢の娘なんだから。でも、一度でいいから微笑みかけてもらいたいものだね』
はははと笑いながら去る足音を見送って、俺はかき集めた松葉を袋に詰めていく。
どこの国でも、屋敷の周りでうわさ話をするのは変わらないものなのだと呆れてしまう。こちらで聞こえるうわさは、お嬢さまに好意的なものだから別に構わないけれど。
屋敷の主人も「ツツジは素晴らしい子だから、皆が関心を持つのは仕方のないことだよ」と止める気がないし、当のお嬢さま自身もうわさを聞いて得意げにするのだから、似たもの親子と言えるのかもしれない。
「……いて」
手元への注意がおろそかになっていたせいで、尖った枝が指に刺さった。
切り落とされた枝の先には、萌え出たばかりのやわらかな緑の芽が伸びている。
適切に芽を切れば、植物の生育の助けになる。異国に運ばれた庭木を見目良く、生育にも良いように手を加えるのが俺の仕事だ。
「いたいな……」
じんわりとにじむ血を無視して、散らばる枝芽をかき集める。
屋敷の主の手中の珠がどうこう言われようと、屋敷の庭に出入りするだけの下っ端庭師見習いには関係がない……なんてことはない。
「あら、怪我したの? ぼんやりしているからよ」
手入れの行き届いた生垣を回り込んでやってきたお嬢さまが、俺の手元をのぞきこむ。
「お嬢さま……出かけたんじゃなかったんですか」
「出かけるわ。日本にいるお姉さまたちにプレゼントを選びに行くの。だから、あなたも来るのよ」
ふふん、と笑うお嬢さまが身に着けているのはクリーム色のドレスだ。布が大量に使ってあって、芙蓉の花びらのようにひらひらしていて、大輪の花のような彼女によく似合う。
「はあ……いや、俺は庭を」
「あなたのご両親にも贈り物を探すのよ! あなたどうせ手紙なんて書きやしないんだから、贈り物くらい選びなさい。わたしのわがままであなたまで異国に連れてきてしまったのだもの。定期連絡くらいしないと、わたしの気が済まないのよ」
むすりとしたお嬢さまが言うとおり、俺はいま、異国にいる。
異国の、お嬢さまを養女に迎えた主人の屋敷で日本庭園を造っている。
そう、養女だ。
嫁というのは花音蔵の主人の早とちりで、異国の主人はお嬢さまの優秀さを気に入り「娘に」と願っていたらしい。
それが判明したのは嫁入りの日で、白無垢を着たお嬢さまと迎えに来た異国の主人たちの間でけっこうな騒動があったようだが、それは俺には関係ない。
「俺もついて来たかったんで、別にいいんじゃ……」
しゃべる機会の減った日本語だからか、つい思ったことをそのままことばにすれば、お嬢さまの顔が赤くなる。
今度、バラの育て方を調べてみよう。あんな風な淡い赤色の薔薇が咲いたら楽しそうだ。
「あなた、こちらに来てから妙に素直ね」
どこか悔しそうなお嬢さまに、俺は衣服についた枝葉を払ってくすりと笑う。
「そうでもないですよ」
相変わらずお嬢さまと庭師という関係だけれど、日本とは違ってここでは主人の目を気にする必要がない。
その分、気楽に接しているのは認めるけれど、お嬢さまに言っていないことなど山ほどある。
お嬢さまの義父はやさしいひとで、俺のような庭師見習いを船に乗せてくれた。「ツツジが寂しくないよう、日本の庭を用意したいと思っていたんだ」と。
お嬢さまはその話を信じている。
出港の前日の早朝、俺の元へ来て泣きながらお別れを告げた翌朝、船に乗る人員のひとりとして紹介されたときに目がこぼれそうに見開いたのを俺は見ていたから。
お嬢さまのための日本庭園を手入れするために雇ったのだと、紹介してもらえたのだから、本当に新しい主人はやさしいひとだと思う。
けれどその実、俺が土下座して頼み込んだというのは、お嬢さまには言わなくていいことだ。
いまは、まだ。
「お嬢さま、行きましょう」
エスコートの仕方はこちらに来てすぐ、覚えた。
ことばより先に覚えたのは、エスコートしたい相手がいたからだ、というのもお嬢さまにはまだ伝えていない。
「……なんだか、生意気だわ」
「光栄です」
笑って応えれば、お嬢さまはむっとしながらも俺の肘に腕を絡めてくる。
「本当に、生意気ね!」
そう言いながらもお嬢さまの顔には、はじけるような笑みが咲いている。
庭に植えたツツジも、異国の地に根を張った。
お嬢さまの笑顔も再び、花開いた。
俺は願う。
この花が、ツツジが長く、咲き続けますように、と。
そして、そのためにツツジを気に掛けるのは俺でありますように、と。
これは、ただの庭師見習いに過ぎない俺のささやかな願いだ。