97:地哭の君
とんとんとんとん
何の音だろうか。
カークは目を開けた。だが広がるのは闇ばかり。
パニックには陥らなかったが訝しんだ。
何故だろうか、不安が胸に募り、辺りには腐臭が立ち込める。
生臭い匂いは、何処か腐敗した果実のようであり枯れ果てた花のようだった。
鼻を鳴らし、息を吸うと不意に声がする。
「静かに」
静かな声だ。静かで、冷淡な声。
けれど、情が滲む。何故この人物は優しさをにじませた?
「見つからないように。折角の“泥の神性”だ。こんな事で無くしたくはない」
思えば、その人物がカークの目を塞いでいるようだった。
気付いてしまえばどうと言うことは無い。
カークは静かに話す。
「何ですか、ここ」
「夢。いや、玉座か?世界の中心とも呼べる。“知るべきでない”」
彼の言葉にカークは頷く。
――ああ、なるほど。ここは“奴ら”の領域なのだ
とんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとん
とんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとん
耳につく耳障りな音。なんだこれは気持ちが悪い。ただ、音を聞いているだけだ。
なのに酷く、気分が悪い。気が、くる い う っ た。
「しっかり。ここで死ぬのは、正気を失うのは止めた方が良い。深まる」
「ふ、か、 る ?」
声が滲むように消えいき、霧散する。喉が溶けたようだった。いや、違う。頭がぼうっとして体の感覚が鈍い。
震える手で咄嗟に胸元に手を当てた。心臓は、ある。確認できる。
生々しく、現実味の無い夢にカークは困惑し、耳を塞ぐ。
だが何の効果も得られなかった。
「そのほうがいい。君はどうやってここに来た?帰り道は分かるかい」
彼は極めて親切にそう言う。
しかしカークはただ、そこにあるだけの存在だった。帰り道など分からない。
何故ここにいるかなど到底、分からないのだ。
小さく首を振ったカークに彼は苦笑した様だった。
「なら、無理に帰そう。少し痛むよ。何があっても起きるまでは目を開けてはいけない」
そう言うと彼はカークの目を覆ったまま踵を鳴らしたようだ。
すると、カークは何処かに落ちる。
だがその間も音が響く。何か、そうだ、これは。
――楽器の音。音楽か
ざばんという何かに落ちる音を最後に聞いた。
ぱちんと目が覚めると深夜だった。汗をたっぷりとかき、寝苦しく感じ、ベッドから降りるとカークは窓の外の3つの月を見上げた。
何の夢だったのだろうか?
考えるべきだろうか。いや、答えなど瞬時に出る。
考えない方が身のためだ。
思えばあの音は【門の創造】を使ったときに聞こえていた音に似ていた。
いや、考えるべきではない。
カークはサイドテーブルからコップを取り上げ、水差しから水を入れて飲む。
ぬるい水がカークに実感を与えた。
――ああ、生きている
「無事そうだ」
ぎょっとして目を見開き振り返ると壁にもたれかかる、恐ろしい程美しい男がそこにいた。
煌びやかな闇色の髪、褐色の艶やかな肌、黄金も霞むような金色の瞳。
息を呑んだ。あの声だ。彼だ。
「あな、た、ですか」
「さっき君を助けたのは僕だとも」
彼はにこやかに笑うと黒い手袋に包まれた手を差し出す。
「“地哭の君”だ。危なかったね」
「あ、カークです」
手を握り返すと彼は、“地哭の君”は酷く不安を煽るような笑い方をして強く手を握りしめる。
「新しい“泥の神性”の話題は僕たちの中でももちきりだよ。もしかしたら、誰かの悪ふざけであそこに行ったのかもね」
嗤う顔の愉しそうな事。
カークはゾッとした。あそこは“危険”だった。本当に危険だったのだと今やっと理解した。何故か?
彼の笑顔は決して安いものじゃない。ただの親切でやったことだとは言えない笑みだった。
価値の高いものを見せつける商人のような顔なのだ。
あり得ない程の価値を持つものをカークは得た。得てしまったのだ。
この恐ろしい男から。
青褪め視線を逸らすカークを見て一層笑みを深めると男はカークの手を離す。
「あは!勘が良いね?そうだとも、その交渉にきた。君の正気を保った、保たせてやったその交渉にね」
「も、勿論です、“地哭の君”。助けていただいて感謝しています。ですが、その、俺はしがない人間にすぎません。対価は出来る限り・・・・・・」
値引き交渉などできる立場ではない。
しかし、あの場で何を奪われるかカークには到底理解できないのだから、多少の値引きも認めて欲しいものだ。
彼は一瞬考えてカークの目を見た。
「ふーん・・・・・・目が欲しい」
「はい?」
「目が欲しい。“時虹公”は沢山持ってるけど、僕には分けてくれないし、欲しいんだよね。君の目」
喉を引きつらせ、カークは悲鳴を押し殺す。
しがない人間の目など手に入れてどうするつもりだ。
――しかし、あした、ルリに治してもらえばいいのだから、目玉くらい・・・・・・?
「・・・・・・っ喜んで、差し出します」
「いいね!じゃあ、ぽっと貰ってくね。痛いのやでしょ?」
「ええ、まあ」
「治せば治る系の取り方するから目を閉じて」
言われるがまま目を閉じると瞬間視界情報が一切遮断される。月の明りも得られず、驚いて目を開けても暗闇が広がるだけだった。
「じゃ、良い夢を」
「ありがとうございました、“地哭の君”」
「ふふ・・・・・・面白いや。目玉とられて平気なの?泣き叫ばないの?」
そう言われてもカークは微妙な顔をするほかなかった。
だって、欲しいと言ったのは貴方だろう。
「治癒能力のある仲間がいますので」
「そっか。君、意外と・・・・・・もう」
「え?」
聞き返したが彼はきっと笑った。
暗い闇の中で彼は口を開く。
「それじゃ、今度こそ良い夢を」
「はい、ありがとうございました」
彼の気配が消えると同時にカークは空洞の目に触れた。
血は出ていない。ぽっかりと穴が開いているだけ。不気味で気持ちが悪いが、他に提示できる対価もない。仕方のない事だ。
手探りでベッドまでたどり着き――そもそもそれほど離れていなかったが――もぞもぞと潜り込む。
「もうちょっと寝よう」
悪夢を見ようとも、カークは朝までぐっすりと寝るのだった。




