95:やばい人
「愚か者」
鮮烈で残酷で冷酷な言葉に屈強な軍人たちはいっせいに膝を折った。
ただ頭を下げ、彼女の機嫌が直る事を祈るしかない。
いや、それは不可能か。この失態を演じた以上、一般的な軍人では彼女の怒りを抑えることなどできようはずもない。
跪く男たちの中でひとり勇敢にも――違う。彼はただ、義務で口を開いたのだ。
「誠に申し訳ございません、将軍閣下」
恐怖と畏怖に彩られくすんだ声を出す男に彼女は目を向ける。
冷酷だった。路端に積まれたゴミにたかる蛆でも見るかのような冷酷で無関心な目。
赤い瞳を向けられた男は幸い頭を下げていたためその冷たい目を見ずに済んだ。
「貴様らは簡単な任務すらままならんか」
「誠に申し訳ございません」
繰り返す男に彼女は軍靴を鳴らして男を蹴り上げる。
おぞましい光景だった。
到底剣など振るえそうもない華奢で上品な赤い軍服姿の女が細い脚で分厚く屈強な大男を蹴り飛ばし壁にぶつけたのだから。
壁にぶつけられ負傷した男は必死の思いで床に這いつくばり土下座をする。
命を乞うているのだ。もはやこれは命乞いである。
「申し訳、ございません」
必死の言葉に彼女はため息を零す。明らかに怒りを抑えようと努力する息の吐き方であり、彼女も努力をしているのだと伺えた。
深緑の長い髪を揺らし、彼女は冷たく見下ろす。
「一行を私が来るまでの1日、この街に留まらせることがそれほど困難であったか」
「申し開きのしようもございません」
「貴様、この失態をどうする」
「考えも付きません、閣下」
男が次に聞いた音は骨の軋む音と、耳鳴り。それから、音が戻り苦痛が全身を支配した。
蹴られたのだ。ボールでも蹴るように頭を蹴られた。
崩れた体勢をよろぼうように土下座に戻して男は卑屈に許しを乞う。
「なにとぞ、お許しを」
「許す?私が、貴様らを許すと思うか?」
「なにとぞ、なにとぞ!」
許しを乞うだけの姿を見て、もしかすると誰かは情けないとそう思うかもしれない。
だが、ことこの将軍に関してはこれが正解である。
彼女は極めて性格が苛烈で冷酷無比。
「機会をいただければ必ずや、ご期待に沿えます」
「すでに沿っていないクズにどうして機会をやれる」
「――先の一行を先回りして、捕まえます」
男の言葉に彼女は冷淡な嘲笑を浮かべる。
「ほう。出来るか?やれるか?このクズが」
「やらせてください、閣下!」
縋るような勢いで叩頭し床に頭を叩きつける。
今乞うているのは命だ。自分だけではない。部下の命もだ。
「気概は買おう。提案するということは行先に見当はついているという事だな?」
「はい。次はトヴェンセに向かうと聞いております」
「だが、未知の魔法で消えたというではないか。捕まえられるか?」
頭を床に擦り付け脂汗を垂らしながら男は叫ぶように言う。
「捕まえます」
「ふむ・・・・・・私もトヴェンセに向かう。丁度アーヴェルニアに用事がある」
彼女は笑い、床に頭を擦り付ける男の肩に足をかけた。
「愚息を追って直ぐに立つぞ。戻ってくるアゼランサスにぶつかっては元も子もない。殿下はアゼランサスと一緒のはずだ」
「は!」
彼女が去った後の部屋の空気は一瞬弛緩し、それから皆が一様に動き出す。
「次はない」
立ち上がった男の言葉に全員が頷いた。
「あーもう、ほんと、いやね」
イナンナは肩こりが酷いとばかりに肩を回し、大男を見上げた。
「屈んでよ」
「・・・・・・」
さも当然のようにそう言われて大男、ヴェノテシアはため息を吐いてイナンナを見下ろすにとどめた。
「何か言いたいことが?」
あるのかと問えば彼女は鼻をふんと鳴らして見上げてくる。
「宿場街があるんでしょ?そこは良いとこ?」
「世間話か」
ここまで2日で踏破した。単純にヴェノテシアの足が速く、イナンナを担いで走ったお陰だが、彼女は完全に楽しんでいるのでヴェノテシアとしても少し複雑だった。
――ことの重要さを知らせてないとはいえ、楽観が過ぎる
「世間話くらいいじゃない」
彼女は、ヴェノテシアの身の上を話を聞こうとはしなった。一切だ。怪しい依頼を受けてこの方、一度も踏み入ったことを聞こうともしない。
不思議と彼女はヴェノテシアとの間に一線を引いてそれを踏み越えようとはしなった。
だから、世間話は彼女にとって踏み込んだことではない。ヴェノテシアにとってもそうだ。
「この宿場街はまあ、普通だ。賑わっているが少し不便な街だ」
「ふーん。美味しいものあるの?」
「ああ、それは保証しよう。大抵の酒場は美味いものを置いている。ここを通らないとロージニアに行けないから、そういう点では貿易が盛んなんだ」
「へー」
気の無い返事に苦笑しながらも宿場街に足を踏み入れ、直ぐに顔を歪めた。
イナンナの肩を掴み、マントのフードを直ぐに被せた。
突然目深にフードを被せられたイナンナが抗議するように声を上げる。
「わっなに?」
「黙ってついてこい。軍人がいる」
それから、ヴェノテシアは少し悩んだように、イナンナに告げる。
「何があっても、喋るな」
「はいはい」
呆れたようにイナンナはそう言い、大股で歩き出したヴェノテシアについて行く。
街を歩き、賑わう中で軍の施設を通り過ぎた時、ヴェノテシアは背後から声を掛けられた。
「これはこれは、アゼランサス将軍。愚息はどうした」
「・・・・・・」
ヴェノテシアは振り返り、彼女を見た。深緑の髪を靡かせた人間で言えば30代後半の美女。
冷たい目はヴェノテシアを射抜きそれから、傍らのイナンナを見る。
「別行動をしている。コユヒニア将軍」
「そうか。そちらは――」
「今忙しい。特段用事がなければ、このまま行くが」
ヴェノテシアの言葉に彼女は顔を顰め冷たい目を容赦なくフードを被った人物に刺すと吐き捨てるように言う。
「行け」
「それは、どうも」
ヴェノテシアはそれだけ言ってフードの人物と共に去る。
その背中を彼女は酷く毒々しく睨んでいた。




