5:迷宮は無理
「迷宮に行きましょうよ」
次の日の朝に宿屋から出て街を歩いている時にかけられた気軽な声に盛大にため息を零した。
昨日の説明を聞いていなかったのだろうか?満足な装備もない自分たちに迷宮はまだ早い。
カークは咎めるようにじっとりと睨みながら口を開く。
「・・・・・・イナンナ。防具を買うためにしばらくは難易度の低い依頼を受けよう。死んでしまっては元も子もない」
「でも、私は魔法を使えるし」
確かに魔法は使える。しかしそれが安全に繋がる訳でも、確実性が増すわけでもない。
ましてイナンナの使う魔法は風か炎で敵を攻撃するような、ゴブリン相手ならなんとか倒せる程度の技術や練度しかないのだから。
「世の中にはな、ゴブリン以外の魔物や魔獣がごまんといるんだ。慎重になって然るべきだ」
「・・・・・・はいはい、分かったわ」
ギルドに向かいながらあれこれと注意をしてもイナンナはどこ吹く風だ。
村では魔法使いは貴重で、イナンナはちやほやされて育った。
そのせいで魔法剣士を自称するなど自信過剰なところがある。これは非常に不安だが口うるさく注意するしかないかもしれないと諦めた。
重厚なギルドの扉を開けてすり抜け、掲示板の前の人だかりの後ろから張り出された依頼を探す。
弱い魔獣や近くの森での薬草採取などが安全でそれなりの金が得られる。それを目を皿にして探す。
「うーん、花ネズミは20匹か射手がいないと難しいし・・・・・・岩イノシシ12匹武器がなあ・・・・・・ゴブリン討伐・・・・・・ゴブリンかな」
「ええ!?アラリオントルネークの討伐をしましょうよ!」
「紙の色を見て無いのか?黄色だろ。D級向けの依頼だ」
不満気な声をあげるイナンナを無視して人だかりを掻き分けてゴブリン退治の依頼表(この依頼は常に張り出されている依頼なので紙ではなく木の板だ)をフックから取って握りしめ、また人だかりを掻き分けて戻る。
イナンナは渋面を作り今にも癇癪を起しそうな顔をしていたが完全に無視して受付に並ぶ。
5分ほどで順番は周ってきて、受付の山羊の耳と角を持つ獣人の女性は愛らしく微笑むと依頼表を受け取って書類にいくつか書き込みのんびりと話し始める。
「ゴブリンの討伐は~耳をどちらか~切り落として持って来てくださ~い。素材の~買い取りも~こちらで出来ますので~安心してくださ~い。それと~5匹を超えても~大丈夫です~」
頭を下げてお礼を言うと出口に向かう。不満顔のイナンナに溜息をつき、外へ促す。
「地理の把握ついでに丁度いいだろ?森までは少し歩かないといけない、さあ行こう」
「・・・・・・」
「イナンナ。俺達の装備じゃあ無理なんだ。今はとにかく依頼をこなして金をためないと」
「はいはい」
つんと唇を尖らせてイナンナはカークを置いて外に向かった。
彼女の言い分も分かる。アラリオントルネークという苔むした羊のような魔獣はそれ程強い訳ではないし村では狩人と共に何度か討伐しているから一応2人でも倒せるだろう。
だがここは村じゃない。深手を負っても誰も助けてくれないかもしれない。アラリオントルネークは“爆発炎上羊”という意味の古代語で、名前の通り火気があればすぐさま炎上する“ご機嫌な”羊だ。おかげで一握りの毛で一晩過ごせるほどの延々と燃え続ける炎上能力を持つ毛は燃料として上質だし高く売れるが、そもそもあの依頼はD級以上に向けた物であり、万一受けられたとしても討伐出来ずに失敗したら依頼主にもギルドにも迷惑が掛かる。
気を重くしながら扉をくぐった。
村に降りてきたゴブリンを狩ることはあっても森の中を探してゴブリンを狩ったことは無かった。獣道に沿って歩きながらカークは周囲を窺う。
村の近くの森とは違い人の手が入り、木漏れ日の零れる明るい森は歩きやすく周囲の状況が見える。
少し離れたところにいるゴブリンを見つけて背後のイナンナに合図すると頷き返されて、カークは飛び出した。
剣を振って不意の一撃で、1匹。
「燃えろ!【火炎】」
狙いをすましても当たらなかったイナンナの魔法で怯んだゴブリンを沈めて2匹。
静かに周囲を見渡して他にはいないことを確認してから声を出す。
「村に出てくるゴブリンと同じくらいの強さかな」
「そうね。もう少し強くても、私なら大丈夫だけど」
自信たっぷりにそう言われて苦笑いを零しながら腰に下げた短剣を抜いて絶命し倒れるゴブリンの耳を片方削ぎ落すとそれを革袋に詰める。
イナンナが周囲を警戒している内にもう一つ大きめの革袋を取り出すとゴブリンの胸を裂いて立ち上がる内臓の悪臭と血の匂いに鼻にしわを寄せながらも骨を掻き分け心臓を抉りだし、大きい方の革袋に放り込む。
同じ様にもう一匹も解体してから立ち上がる。ゴブリンは体が小さく出血量も大したものではないが匂いが強烈だ。
「できた?」
「うん。これで6匹だけど、あと1匹狩って帰ろう。宿代と飯代を稼がないと」
お互い頷きあってゴブリンの死体は獣道から離れた草むらに動かして放置し、先に進む。
イナンナは集中力を上げなくては駄目だ。カークは思わず顔を顰めてそう考えた。
先ほどの魔法がほんの数メートルで当たらないようではいつかカークが危険な目に合う。
しかし言ったところで直るなら村でアンジェラに師事している時に直っているから今苦労している。そう思うとため息しか出ない。
結局は自業自得なのだ。子どもの頃からイナンナを妹のように可愛がり、大人たちも自分も強く注意をしてこなかった。
意を決して振り返り、イナンナの顔を見る。
「イナンナ。さっきの魔法だけど」
「・・・・・・次は当てるわ。それで良いでしょ」
ああ、だめだろう。反省の色なく平然とそう言い返すイナンナに肩を落として溜息を吐く。
「気を付けてくれ」
何とかその言葉を絞り出すと悪びれる様子もなくイナンナは肩を竦めた。
「もちろん」