63:新しい魔法っていいよね
ちらちらと見える黒の仔山羊にを見て剣に手をかけるかカークは一瞬悩み、止めた。
“あいつら”と同じなら相手の機嫌を損ねるだけで何の解決にもならないからだ。
絶世の美女は妖艶な空気を纏い、けれども、表情は慈母のように優しくやわらかだった。
煽情的なドレスを身に纏いこぼれんばかりの豊満な胸を揺らし、彼女はカークの目の前に立つと一層優しく微笑んだ。
「ようこそ、人間。私の空間へ」
「え、あの、お邪魔します・・・・・・」
穏やかな声は母のようであり、恋人のようであり、友のようだ。
威圧的な態度を取られなかったことに混乱しながらカークはぎこちなく返す。
「あなた、名前は?」
「カークと申します」
彼女は金の目を細めて笑ったようだった。
「わたくしは“纏穣公”。覚えていてくれるととても、そう、とても嬉しいわ」
「勿論です、“纏穣公”」
何が待ち受けているのか、何が起こっているのか分からずただカークは顔を引き攣らせて頷く。
カークの混乱を理解したのか、彼女“纏穣公”は瞬いてそれから、安堵させるようにカークの手を握った。
「大丈夫。とって食べたりはしない」
「あ、はは・・・・・・ありがとうございます」
緊張がほぐれることは無かった。この空間は異常だし、カークは“あいつら”関係では痛い目を見っぱなしだ。特に、“時虹公”に関しては。
「“風刻の君”はご存じ?」
「ええ、はい。ご謦咳に接する機会に恵まれました」
「彼が、言っていたの。あなたが、“泥の神性”が現れたと」
“泥の神性”。カークは顔を引き攣らせ無理に笑顔を作った。
もしかしたらまた、拷問かと身を竦ませていると“纏穣公”はカークの右手をもみながら続ける。
「・・・・・・わたくし、頼みたいことがあって」
ああ、碌なもんじゃないだろうなとカークは思ったが、一切口には出さなかった。精神力の賜物だ。
「以前、見かけた人間が困っているみたいで、わたくしの仔山羊から連絡があったの。けど、わたくし、そこまでの力は無くて繋がっていないからそこに行けなくて。あなたが行って、これを渡して欲しいの」
右手を握っていた手を離し彼女は左手に手のひらサイズの像を取り出した。
雲のようだ。積み重なる黒い雲のような体で山羊の足が6本生えている。角はねじくれて、それが上の方に9本も生えていた。
名状しがたい小さな像に小さく悲鳴を零して、一歩下がった。
「あら大丈夫、大丈夫よ。安心して。危険な物じゃないの」
安堵させるような声が一層恐ろしく、パニックになりかけるもカークは何とかつばを飲み込み、喉を震わせた。
「し、失礼しました。どちらまで、お持ちすればいいのでしょうか」
「・・・・・・うーん・・・・・・何処だったかしら?ベリスクエ?」
「・・・・・・え?ど、どこですか?」
聞き返すも、彼女も知らないのか首を横に振った。
「花竜帝国の何処かと聞いているけれど、人間の事情には疎くて」
ため息交じりの言葉にカークはごくりと唾を飲み込んで、頷いた。
「こちらで調べます。心安くお待ちください」
「そう?頼むわ・・・・・・それで、お礼をしなくてはね」
彼女は微笑んだ。壮絶に美しく蠱惑的で香り立つ色気を感じるが、カークはさらに一歩下がった。これは異常事態の次に移行したと判断したのだ。
「なん、何でしょうか!?」
“纏穣公”はカークの怯える顔にさらりと掌で触れると豊満な胸をカークの腕に押し付けて耳元でささやく。
「お礼に、子作りしましょう。あなたの子どもを孕むわ」
「ひぇ」
漏れ出た悲鳴に彼女は気を悪くした風は無かったがそれはそれで問題だ。
カークは“纏穣公”の拘束を振りほどき、数歩離れた。
「け、結構です!」
「あら?“水獄の君”には報酬を要求していたじゃない?わたくしもそれに倣わなくては」
「だからって、こ、こ、づっ!?・・・・・・そ、それ以外で!それ以外でお願いします!!」
チェンジを要求すると彼女は幾らか不満そうにしつつも、頷く。
聞き入れて貰えてカークは安堵した。
いや、興味がない訳じゃない。だって、そりゃ人間だし、生きてるし、人並みに欲求はあるが、見ず知らずの相手だし、しかも相手が恐ろしいものだと知っていればなおのこと無理だ。
いや、彼女の色気は本物だ。街に居れば誰もが声を掛けるだろうことは想像に難くない。誘ってもらうだなんてカークには身に余る光栄だろう。けど、無理だ。どうしても無理だ。
許してくれ誘われなかった全世界の者たちよ。
「何がいいかしら。わたくし、疎くて」
本当だろうか。胡乱気な目を真っ赤な顔でしても無様が過ぎる。カークは顔の熱を冷ますように手で仰ぎながら言う。
「“水獄の君”からは異能を賜りました。あとは司教の才も」
「あら、わたくしも何か・・・・・・才がよろしい?」
「・・・・・・失礼ながら、内容をお聞きしても?」
魚と話す異能以外が良いなあと思いながら言うと彼女はちょっと悩んで、微笑む。
「わたくし、地母神、豊穣神ですから信仰は足りているの。でも、恥ずかしいけれどね、漏れてしまうせいでやっぱりちからは少なくて。出来る事と言えば、異能や技能か才」
彼女は桜色の頬に手を当てて考えて、それから、カークを見つめた。
「正直、剣士としての才は欲しいです」
「ごめんなさい。剣士の才はわたくしの領分ではないの。代わりに、そうね、魔法を教えてあげられる」
「魔法ですか」
魔法は大好きだ。カークにとって魔法と言うのは夢のシステムであり、ロマンである。
「【門の創造】よ」
手を差し出されて、カークは戸惑った。
――門を作るからなんだ?それは鍛冶師か大工の仕事だろう
口を突いて出そうになった言葉を何とか飲み込み曖昧に笑いながら彼女を手握った。
耳元で、山羊の声が聞こえる。すると、脳に焼き付くように魔法が開示され【門の創造】の魔法を得たのだ。
雲が。黒く積み重なる大きな雲が、目の前に現れた。
それは3対の山羊の足を持ち、雲のような身体にある口のような場所から絶えず、涎が零れ、雲のような体は泡立ち触手を生やしては霧散する。
上部にある9本のねじくれた角はゆらりゆらりと揺れながら獲物を探しているようにしか見えなかった。
不可思議な体験に背筋を凍らせ、冷や汗をドバっとかいても彼女は気に留めずカークの手を離し、微笑む。
「では、よろしくね」
瞬くとそこはオニキスと一緒に来たあの場所で
「“静かで”・・・・・・何だか不気味じゃありませんか」
オニキスはそう言ってこちらを見上げた。
カークは青い顔で、その場に座り込む。
左手にはあの不気味な像が確かに握られていた。




