51:リンゴは美味しい
「殺したらよかったのに。つまんないなあ」
冷たく無邪気な声が暗闇の中、白く穢れた虹色から聞こえる。
「ボクちゃんさんなら殺した。だってあの程度じゃ、生きてる価値もないでしょ」
自分勝手な奴だ。眼帯をつけた白髪の男を幻視しながら、カークは目を閉じたままで口開く。
「俺が、決めた事だ」
「・・・・・・でも、でも、でもぉ・・・・・・あーあ、ボクさんさまも泥の神性持ち欲しいなあ」
耳元で聞こえるような、遠くで聞こえるような不思議な声にカークは息を吐く。
「俺はものじゃない」
その言葉にそれは嗤った。心底ウジ虫を侮蔑するような、それでいて美しい宝石でも見つけたかのような酷く不安定な笑い方だった。
「そうだ、神性を分けてあげてもいい。そう、ボクさまくんの神性を」
「要らない。必要ない」
冷たい返事に白く穢れた虹色はまた哂う。
「本当に必要ないかなあ・・・・・・?」
不穏な空気を持つ声に固く閉ざされた瞼をこじ開けて相手を見た。
ここはいつもの夢の中の真っ白い部屋だ。ただ、天井には海はなく、青空が広がっていた。
眼帯をつけた白髪の男“時虹公”はにやにやと笑いながらこちらを見ている。
「ああ、必要ない」
「君が欲しいと言うまで拷問してもいいけど・・・・・・怒られちゃうしなあ」
拷問と言う言葉に以前受けた凄惨な行為を思い出す。いや、一瞬で思い出すのを止めたまた吐きそうだ。
「必要、ない」
頑なな言葉に“時虹公”は肩を竦めてそっぽを向くと白く穢れた虹色のシャボン玉の様なものを浮かばせた。
「まあ、いいさ。その内、その内ね」
揺り起こされてカークは目を覚ます。
「うなされていました。大丈夫ですか」
ニティスクアナの顔には心配の色が強い。真実彼女は心配して起こしてくれたのだろう。
「うん。大丈夫、ありがとう」
「感謝など必要ありません。御身は私共の主人であらせられます」
ニティスクアナの言葉にカークは顔を引き攣らせて、体を起こそうとしたが思うように体は動かなかった。頭が重く動きづらいが、足元の方に険しい顔のショズヘネラがいるのも見える。
「・・・・・・俺は君たちの主人じゃない」
「ですが、命を救っていただきました。何より、この尊い“感情”を賜りました。何故、主人でいてはくださらないのですか」
「そうだ、お前・・・・・・貴方は私たちの主であるべきだ」
溜息をつき、カークは話を遮った。
「いいか。俺は君たちに何もしてあげられない。君たちの命を救ったのはこの街の市民権を得て、街の復興の手伝いをしてもらうためだ。それだって君たちの償いの一環だし」
何かを言おうとしたニティスクアナを遮って続ける。
「“主従”があればそれは双方にメリットが無いとダメなんだ。俺は君たちの生活の保障すらできない、F級冒険者に過ぎない。君たちは強く賢い。十分な褒章も与えられないのに・・・・・・分不相応だ」
「感情を」
「ニティスクアナ、ショズヘネラ。それは視野が広がったんだよ。感情の揺れが大きくなって視野が広がったから、少し戸惑っているだけさ。大丈夫、直ぐに慣れる」
2人はカークの言葉に曖昧な表情を見せた。
“感情”は知性のある生き物は皆有しているはずだ。いや、全員に確認したわけではないが、少なくとも、前世で幼少期飼っていたねずみはかくれんぼが好きで、しょっちゅう隠れてはちらちらと此方を窺っては見つかると嬉しそうに飛び跳ねて回っていたものだし、好物以外は口にしない偏食家でもあった。
可愛かったなあと思い出していると扉がノックされる。
ニティスクアナが扉を開けると、振り返る。
「ルレア様です」
「入って貰ってくれ」
入って来たルレアは片手のバスケットいっぱいに焼きたてのパンを突っ込み、もう片手には切り分けられた果物を乗せた皿を持っていた。
「食事を持ってきました。どれなら食べられそうですか?」
机に置かれた二つを見て、カークは苦笑する。
「ルレアさん、すみません。腹は減っているんですが・・・・・・体が思うように動かなくて・・・・・・」
「あら、気軽に話してください。そうですね・・・・・・果物の方が消化には良いでしょうし、リンゴを・・・・・・」
バスケットの中から小皿とフォークを取り出すとリンゴを数切れ小皿に乗せ、カークの枕元にやってくる。
サイドテーブルに皿を置き、難なくカークの上体を起こし、装飾の施されたヘッドボードに上体を預けさせると、リンゴをひとつ突き刺しカークの口に運んできた。
「いや、あの・・・・・・ルレアさん?」
「ルレアと呼び捨てで構いません。エメディリル様に愛称で呼んで構わないと言われた方にそんな無礼は働けませんから」
「それなら、ルレアさ・・・・・・ルレアも呼び捨てで良いし畏まった話し方でなくていいよ」
まあ、この状況で話す事じゃないけどな!
リンゴをカークの口に向けたままでルレアは嬉しそうに微笑み、頷く。美女の微笑みはそれだけで魅力的だ。
「ありがとうございます。さ、今は食事を、カーク」
リンゴが口元まで運ばれカークは戸惑う。そんなことをされたのは幼少期だけだ。
「はい、あーん」
「・・・・・・ありがとう」
無言の圧に負けて結局カークは口を開き、一口サイズのリンゴが口の中に放り込まれる。
甘みと酸味のバランスがちょうどいい、上品なリンゴだった。
「お、美味しいです」
「それは良かった。はい、どうぞ」
「いや、あの・・・・・・」
もごもごと何を言っても誰も助けてはくれなかった。
ルレアのこの、何とも言えない背中から発されている冷たいオーラを察したのか2人は僅かに離れているし、誰訪ねてくる予定もないのだ。
カークは涙を飲みながらこの恥ずかしい“はい、あーん”を妙齢の女性に繰り返される苦行に出たのだった。




