42:ヨウハ侯爵ガデュ家
嫌な予感と言うものは往々にして当たる。
それなりの貴族の屋敷であれば必ずと言っていい程あるサロンで男はワイングラスを傾けていた手を休めて唐突にノックされた扉を見据える。
「旦那様、夜分申し訳ございません。お、お客様がお見えです」
男は目の前のソファに座る長い黒髪で上品に顎髭を蓄えた男を見て、首を傾げた。
「・・・・・・知り合いか?」
黒髪の男の知り合いが訪れたのかと思いそう聞くも彼もまた心当たりがないのか首を傾げた。
「さあ?」
「・・・・・・こんな夜分に緊急か?」
主人の声に扉の向こうの人物は縋りつくような声で言う。
「緊急です!エメディリル様と言う御方で・・・・・・夜分なのでお断りしようとしたら、屋敷を破壊すると言い出されまして」
「ああ!?嘘だろ!」
思わず漏れた声に黒髪の男はワイングラスを置き、ソファを立ちあがった。
「・・・・・・急用を思い出したので、私はこれで・・・・・・」
「いや!いやダメだ、ヴェノ!ここにいてくれ、ひとりにしないでくれ・・・・・・花竜帝国には無理でもノイバシッセ家に支援を送るからっ!」
涙も零しそうな必死の形相で本気になって懇願する声に花竜帝国にその人ありと言われるほどの軍人である百戦錬磨の将軍ヴェノテシアは狼狽え、嫌な顔をしてそれから口を開こうとしたが、叶わなかった。
扉は無情にも開き、執事の悲鳴じみた声を無視した絶世の美少女と見紛うあまりにも美しすぎて現実感の無い美少年が満面の笑みで現れたのだ。
「アルバート、元気?僕は元気だよ」
「ひぇっ・・・・・・んん。エメディリル様わざわざお越しいただき誠にありがとうございます」
ソファから立ち上がり青い髪の壮年の男、アルバートは先ほどまでの懇願が嘘のように上品な微笑を浮かべて会釈をする。
ヴェノテシアは友人を見捨てて出来る限り気配を消し、ソファから離れたが、その魔の手からは逃れられなかった。
「お、ヴェノテシア!久しぶりだね、元気?」
「く・・・・・・おかげさまでつつがなく過ごしております」
「そりゃよかった」
にこにことエメディリルは笑顔を浮かべたままに我が物顔で部屋を歩くと勝手にソファに座り、目を細める。
「ほら、座って座って。話したいことがあってさあ、いきなり来たのは謝るよ」
さも自分が家の主であるかのような態度に普通であれば誇り高い貴族は不快感を示すだろう。だが、この場にいる2人はこの光景を見て、その少年の態度を見て、決して不快感など微塵も見せなかった。アルバートは何処かあきらめにも似た表情を浮かべ、彼の対面に腰かける。
「は、お気になさらず。我が家の門はあなた様のためにいつでも開かれております」
張り付けられた優し気な微笑にエメディリルは機嫌よくうなずく。
「うん、ありがと。それでさ、待たせてるからさっさと本題に入らせてもらうね。シノア子爵ペーハケク家の当主が僕の友達の村にすっごい重税を強いててさあー・・・・・・酷いと思わない?酷いよね!」
「はい、人道に悖る非道な行いかと存じます」
一瞬で話の流れを理解してしまい、根回しや権力抗争を考えて処刑台の順番を待つ囚人の様な顔をしたアルバートの返事を満足気にうんうんと頷いて聞くと、エメディリルは続ける。
「それを止めるように言って欲しいんだよ。もちろん、ただじゃないよ。そんなことして兄ちゃんにバレたら怒られちゃうし・・・・・・君が欲しがってた、テヘレジェイ煌金の100gインゴットを1個あげちゃう」
「・・・・・・は・・・・・・よ、よろしいのでしょうか?あまりにも、その、貰いすぎてしまうと、思うのですが」
アルバートの謙虚な姿勢にエメディリルは微笑みを浮かべた。
その微笑みはあまりにも優しく慈愛に満ち、また同時に、どう見ても他者を玩具と認識しているような無邪気で無慈悲な微笑みだった。
「その代わり、面倒事は君に任せるからね」
粛々とアルバートは頭を下げた。
この方からの願いを断れるはずがない。理由もなく断った後に何が待っているのか、自分の目で見たことがあるのだから。
「お任せください。卑小な身ではありますが、誠心誠意努めさせていただきます」
「うんうん、頼んだよ」
彼の細く小さな手でかたり、とテーブルに置かれたのは黄金と言う言葉が霞むほど美しい金と赤の輝きを放つインゴットだ。
――テヘレジェイ煌金。伝説に謳われる魔法物質。この物質が使われた武器は神すら砕くと言われ、錬金術師が扱えば不老不死の薬を作る事すら可能だと言う。
伝説の存在が今目の前にあるという事実は貴族社会で培ってきた豪胆さをもってしてもアルバートの喉を鳴らすのには十分だった。
「お慈悲を賜り、感謝の言葉もございません。誠に、誠にありがとうございます」
その万感籠った言葉にエメディリルが返事をするより前に扉が激しく叩かれる。
扉を叩く勢いは非常事態であることをすぐに知らせてくれる。
ひとつ断りを入れるとアルバートは扉をあけ放つ。
「なんだ!?」
執事が真っ青な顔をして、主人に報告する。
「襲撃です!魔物と魔獣の混成軍団に――街が襲われております!!」
このサロンは数多のその建築とは裏腹に窓が無い。
舌打ちした街の主たる男は直ぐに飛び出していき、窓を覗き込む。
街の東の城門から火の手が上がり、耳をすませば人々の悲鳴や騒音が聞こえてくるようだった。
警備を任せていたその長が駆け足でアルバートの元にやってくると膝を付く。
「報告を」
「は!東門から報告が上がった時には既に襲われておりました。中にはその・・・・・・飛竜、地竜の姿を確認した者もおります・・・・・・我々では守るのが精いっぱいであります、閣下」
お逃げ下さい。言外に、警備隊長はそう言い放った。
飛竜や地竜に勝てるものなど軍人でもトップクラスの人物しかいない。A級冒険者やS級冒険者でも僅か。とてもじゃないが、この都市カノカノスには探したところで太刀打ちできる人物はいないだろう。
しかし、アルバートは思い立ち、警備隊長と執事を置いてサロンに戻ると談笑していた2人に向かって言う。
「手を貸していただきたい!」
2人は青い顔のアルバートを見た。口を動かしたのは、ヴェノテシアだ。
「出来る範囲なら構わないが、どうした」
「飛竜と地竜が現れた!このままじゃ街が危うい・・・・・・礼はする、手を貸してくれ!」
ヴェノテシアは苦悶の表情を浮かべた。
飛竜や地竜と一口に言ってもぴんきりだ。古竜に匹敵するものもいれば、若くて大した実力を持たないものもいる。ヴェノテシアは確かに竜を相手取るのに苦労しないくらいには強い。だがそれは花竜帝国の軍人としての強さであり、また、上には上がいる。
「飛竜の種類は?」
エメディリルから飛んできた最もな質問に、はっとしたのかアルバートは取って返して警備隊長を連れてくる。
再び同じ質問をしたエメディリルに、警備隊長はあまりにも美しすぎる少年に目を白黒させながら答える。
「月明りで見た限りは赤い鱗で、飛んでいる姿は・・・・・・東門から離れていた私にもはっきり見えるほどの大きさでした」
うーんと少年はうなり、それから、渋い顔をする。
「赤い鱗の飛竜はいくつかいる。でもそこまで大きいのは4種類だ。ケーゲンガースのローアモーア種とルユオ種、ルロンセのパハクェークナ種あと最悪なのが一種類・・・・・・角は?大きな角が無けりゃいいけど」
「大きな角・・・・・・ありました。ねじくれた大きな角と真っ直ぐな巨大な角が1対ずつ」
一斉にエメディリルとヴェノテシアは渋面を作る。その表情に何かを察したアルバートと警備隊長は顔を青くする。
「まさか」
「視認できるほど大きな角はそのまさかだよ。レフェニエッテのプクィカ種。このままの姿じゃ僕でも倒せない」
他の飛竜であれば倒せるかのようなエメディリルの言葉に警備隊長は戸惑う。
そして、ヴェノテシアはため息を零して額に手を当てた。
「・・・・・・クェーゲルニルムに声を掛けてみるか?奴なら倒せる」
「ロージニアにいるんだろ?今から行って、彼の最速でも1日かかる。間に合うわけない」
2人のやり取りにエメディリルは首を傾け思案し口を開く。
「あの子は僕が連れてくる。ただし、地竜だっている。一緒に行動しているなら飛竜と同クラスだろうし、クェーゲルニルムに2匹は荷が重い。兄ちゃんの手を借りるのは駄目だし・・・・・・地竜の種類は分かる?」
「いえ、見ていないので」
「・・・・・・・・・・・・」
黙りこむエメディリル。こうしている間にも街の固く閉ざされた門を魔物や魔獣が叩く音がし、どこからか巨大なものが羽ばたく音すらする。あの声は果たして住人の物か、それとも魔物たちの物か。
街が危うい。アルバートは歯を食いしばってから、少年と友人の男を見据える。
「直ぐにお逃げください。ここはもう、駄目でしょう。目的は分かりませんがここが落ちればそのまま西進するのが定石。私には王都に着く前に、奴らが討伐されることを祈るしか出来ません」
アルバートが血を吐くように伝えても、エメディリルもヴェノテシアも互いを見ただけだった。
「・・・・・・カノカノスはロイノーネ陽王国東の大都市。ここで止めなくては、国が崩壊しかねんぞ」
「なら、止められるのか?」
「時間稼ぎなら出来るよ。君の娘がさっき言った村に滞在してる。あのチームは・・・・・・君の娘は素直に強いから、ヴェノテシアと一緒なら倒せるってことは無いけど時間稼ぎは可能だ。クェーゲルニルムが一匹を相手している間を任せるくらいは出来るんじゃない?」
娘の話を聞いたアルバートは一瞬嫌な顔をしたがそれでも頷く。
「確かに、あれなら出来るでしょう」
「じゃあ、行ってくる。10分で帰って来るから死なないように気を付けて」
彼はサロンから出ていくとそのまま廊下の窓から飛び降りて夜闇に消えて行った。
3階の窓から投身した少年に戸惑う警備隊長と執事を無視してアルバートはため息を零し、警備隊長に向き直る。
「前線を守りに行ってくれ。飛竜は今はまだ攻撃してこないがそれがいつまで続くか分からん・・・・・・とにかく守りに徹しろ」
「は!」
今できるのは守りに徹する事だけ。それを理解した者は足早にその場を去った。
「一体何故」
その言葉は部屋に滲みそして、消えていく。
「分からん。とにかく私も前線に行く。私の素性は周りには隠しておけよ」
「ああ、すまない・・・・・・いや、ありがとう」
男の言葉はこの国の貴族として住人としての責務にかられた言葉だった。
ヴェノテシアはそれを受けてひとつ頷く。
「お前は住人の避難を進めておけよ?私が出来るのは時間稼ぎだけ。それを忘れるな」
それを言い残してヴェノテシアもサロンの扉の前の窓から身を乗り出し屋根から屋根へと飛んで行った。
窓の外では時折閃光が見える。もしかしたら地竜か飛竜のどちらかが火を吐いているのかもしれない。
非力な身を嘆き拳を強く握りしめると思わず口から言葉が零れた。
「ああ、ああ・・・・・・神よ!」




