2:ゴブリンって強い
村から歩いたところに鬱蒼と茂る大森林がある。
この大森林は遠くに見える大きな山の麓まで続いているらしい。
らしいというのはそこまで歩いたこともなければ、歩いて確かめに行く気もないからだった。
そんな大森林からゴブリンなどの魔物が時折降りてくる。
ゴブリンは意外と知性があり言葉も解すが基本的に行動が短絡的だ。
物々交換に来る賢いゴブリンもいるが、大抵は人間を襲いに来た連中である。
狩人からの連絡を受けてヒトを襲いに来た魔物を討伐するために金髪の青年は走り出した。
柄はすり減り、鞘も解れたぼろぼろの剣を抜き草原を走って森に向かう。
いるのは3匹のゴブリンと一匹の毛深い豚(イノシシより格段に大人しいがゴブリンはなぜかこの生き物を好んで連れまわしている)。矮躯で襤褸切れを纏い、太い木の枝を棍棒の様に持つ姿は滑稽に見えるが侮れない相手だ。敵意を持って攻撃してくるのはそれだけで脅威なのだから。
村には武器が少ない上に資産もない。当然持っている剣はへこみがあったり切れ味の悪い剣の様な鈍器と化しているが素手で挑むよりはよっぽど安心できる。
遮蔽物も背の高い草も生えていない草原で奇襲をかける意味はないのでお互い視認した距離で息を詰める。
背後では狩人数人が控えて援護してくれるが前衛となる戦士は今は自分だけなのだから気を引き締めていなかねばならない。
青年は剣の様な鈍器を正眼に構えて精神を落ち着かせる。
ゴブリンが騒ぎ立てて走ってくるのを見て狙うべき獲物を見定めた。
一番早いゴブリンの棍棒を避けるとその首に剣を叩きつけ、次の獲物を睨む。
最初のゴブリンがあっけなく首を折られて沈むのを後ろのゴブリンは見ていたはずだが何も考えていないのか前進を続けた。
焼き増しの様に芸もなく棍棒を振り上げる二匹目を躱して三匹目を窺う。毛深い豚は草を食んでいる。
三匹目もまた、棍棒を振り上げていた。
それらを危なげなく躱すと隙を突いて首に目がけて剣を振る。
骨の砕ける感触を厭う間もなくやっと逃げそうと考えだした哀れなゴブリンの首を砕いた。
魔法使い、いや、ドルイドの家に歩を速めた。
平和な村で獲物を片手に顔見知りの村人たちとあいさつを交わす。
「今日もアンジェラの家か?熱心だな」
「ああそうだよ、おっちゃん。アンジェラ姉さんは美人だからな」
そう言って笑いあって手を振ると真っ直ぐにドルイドの家に向かう。
戸を数度叩き許可を得て中に入ると彼女は微笑んだ。
すらりとした長身、皴の刻まれた愛らしい顔と魅力的な微笑み。
豊かな白髪を背に流した女性はティーポットを片手に持っていた。
「丁度お茶が入ったところだよ、カーク」
「嬉しい、姉さんのお茶は特別美味しいから」
アンジェラの家は天井から薬草が吊り下げられ、戸棚にはいくつかの魔物の素材が並べられている。
どの農民の家よりも広く調度品もある家だが、様々な素材たちのせいで酷く手狭だった。
ボロボロの剣を壁に立てかけて剥いだばかりの革、頼まれていた薬草を渡し、椅子に座る。
見た目は木の枝で出来たような椅子だったが村のどの椅子よりも頑丈だ。
「はい、言っていた薬草。革はおまけです」
代わりとばかりにお茶を受け取ると思い出して付け加える。
「肉が欲しかったら、ペートーのおっちゃんに言ってください」
「いやだわ、あの人は私を調味料入れみたいに扱うんだもの」
いたずらっぽくそう笑うと向かいに座って古めかしい本を取り出して見せてくれた。
金の文字で『炎の魔法から見る歴史』と書かれた革で装丁された本は何度か読んだものだった。
「・・・あんた、18歳になって成人でしょ。あげるわ、その本」
咄嗟に言葉が出なかった。
確かに18歳になった。この世界では成人と見なされる。
しかし、何かを貰うとは思わなかったし貰うつもりもなかった。
彼女からは知識を貰いっぱなしだったのだし、村は貧しい。
「いや、せっかくだけど・・・必要ありません」
断るとアンジェラは馬鹿にした笑みを浮かべて鼻で笑ってみせた。
「ふん。街で無一文じゃ可哀そうだと思って、施してあげたのに」
「は!?少しは貯えがあるよ!」
「銅貨何枚っていうのは貯えとは言えないんじゃないかしら?」
「・・・ぐっ」
言葉に詰まったカークにアンジェラは柔らかく微笑んで見せた。
「どうせ読み飽きた本だし、足しにしなさい。あんたが大成したら新しい本をくれればいいから」
優しさだ。分かってる、彼女はカークの味方だ。
両親と喧嘩しても味方してくれた。
同年代の子どもと喧嘩しても味方してくれた。
優しく見守ってくれる人がいてくれるだけでどれ程嬉しいかアンジェラに伝わるだろうか?
アンジェラは優しく微笑んでくれた。
アンジェラの家から出ると幼馴染の少女が待ち構えていた。
彼女は朝焼けのように眩しい赤い髪を腰まで伸ばした美少女だが、勝ち気で少しエラそうな性格だ。
「準備は済んでるの?」
親切さの欠片もないような声色にカークは苦笑する。
街に行く準備を問うているのだが、その準備はひと月以上前から始めており、十分に出来るだけの準備はしてあるのを彼女は知っているはずだからだ。
「出来ているよ、イナンナ」
「本当に?忘れ物しても私は引き返さないから」
小馬鹿にしたようにそう笑うものの彼女は親切心から声を掛けてくれたのだと分かっている。
素直に他者へ親切な言葉を掛ける事が出来ないのは何かの呪いかと疑ったりもしたが、慣れればどうということもなくなった。
「イナンナは大丈夫か?」
この大丈夫か?は荷物に関しての事ではなく、彼女の両親についてだった。
イナンナは僅かに顔を顰めて息を吐く。
「いいの、大丈夫。私、折角魔法を使えるんですもの、街に行って色んな魔法に触れたいのよ。父さんも母さんもその内納得するわ」
どうだろうか、とカークは思う。
魔法の素養を持つものは少ない。その貴重な魔法の素養を持つものが村を出ていくのは村にとって損失だ。
だが彼女は気にしないと言う。自分以外にも魔法を使える村人がいるのを理由に挙げているが一番の理由はやはり自身が言った“魔法に触れたい”だろう。
彼女の両親は村長の娘夫婦だ。村長の血縁者としては魔法使いを1人でも多く確保しておきたいがために彼女が村を出ることに反対していたが、結局のところひとり娘に甘い。
口ではとやかく言うものの、準備を手伝っていたのを知ってる。
「そうかもね」
「あら、含みがあるわね。まあいいわ、あと1時間したら出発しましょう」
「分かった」




