35:“最上最下の王”
吐き戻した透明な水が床にじくじくと吸い込まれていくのを気持ち悪く思いながらも2人の話は続いた。
「そうそう泥の神性を知らないって話だったっけ」
「あぁぁあぁあぁあぁあかわいそおおおおな“エルデン・グライプ”。泥の神性も知らないなんてぇ!」
ムカつく物言いにもカークはぐったりと何も言い返せない。
“時虹公”は反応を見せないカークに不満気な視線をやったが誰も気に留めなかった。
関わるとろくなことが無いと分かっているからだろう。
「“最上最下の王”のどちらかの神性を持っているって事さ」
「・・・・・・それ、なんですか。“最上最下の王”って」
にっこりと“水獄の君”は笑う。小さな子どもに玩具の使い方を教えるような慎重で悪戯心の強い笑みだ。
「世界を構成する存在さ。1柱は混沌の中心であり盲目にして白痴の王“夢白泥の王”。1柱は生命の中心であり生命と知識を冒涜する王“知灰泥の王”。このどちらかの『根源』の神性が“泥の神性”であり、お前はどちらかを持っている」
「どっちかは分からないんですか?」
分かったところでカークに何ができるとは思わないが。
ただ、得体のしれないものがこの体を浸していると思うと言い知れぬ恐怖と言うか単純に気持ち悪い。
「分からないし、その“泥の神性”を賜る条件も分からない。神性は通常であれば、神に直接会って下賜されるものだが、かの“王たち”は違う」
ため息を零し“水獄の君”は3席はなれたところに座り椅子を絶えず鳴らし続ける煩い“時虹公”を呆れたように見てから続けた。
「知性のあるものが“王”に会えば死ぬ。良くても相当壊れる。だから、“泥の神性”は貴重なんだ。条件は分からず、ただ訪れるのを待つしかないのだから・・・・・・もし、万が一“王たち”に謁見できたとしても、頭を上げずにただそこを去る事だけを考えるんだ。いいね」
「は、はあ・・・・・・」
訳も分からずただ頷く。
何とかの根源だとかもうそんな想像もできないような存在にお目にかかる日が来るとは到底思わないが、心に留めておこう。少なくとも“時虹公”には心を折られた。
「それじゃあ、また」
そう言われてカークは自身の身体が椅子ごと床に沈むのを感じた。
「親切だねえ。“水獄の君”」
にこり、にこり。
笑う顔のなんと白々しい事か。
“水獄の君”は金の瞳を瞬かせ海色の髪をかき上げた。
「お互いさまでは?“時虹公”」
「あっはっは!違いない」
あれがいた先ほどまでの口調は無い。正気も狂気も彼の気紛れだろう。
だが、瞳が。満月の様な金色の煌びやかですべてを見通すような瞳が狂気まみれのおぞましい右の瞳がこちらを見ていた。
「親愛なる君主にしておぞましき父上が見つけたらその時は、あれはお終いだろうに。ちょっと気に入ってるんだ?」
「まあ、久しぶりに僕の所に来てくれたし、気に入りもするさ」
「ふんふん・・・・・・君って意外と玩具は大切にするタイプだよね」
その言葉にそうだったかと首を傾げた。
目を開けると、心配そうな顔をしたオニキスとルリの顔が目に飛び込んできた。
「ど、どうした?」
安堵してルリは言う。
「カーク!貴方の息が止まっていたのです!」
「そうなんですよ!僕たちどうしたらいいか分からなくて・・・・・・」
息が止まっていた?
カークは首を傾げそうになったが、瞬時に思い出す。
あの拷問、狂気に当てられて現実で死んだのだろう。
顔を引き攣らせてカークは言う。
「気にしないでくれ。夢で死んだんだ」
「・・・・・・?夢で死んだら現実でも死んじゃうんですか?」
オニキスの言葉にどう答えたらいいか分からない。
狂気に当てられて死んだと言って果たして理解してもらえるだろうか?
言葉を探しあぐねているとルリが口を開く。
「御方のお力に触れたのですか?」
「・・・・・・そう、そうだ。“時虹公”とか言う奴にやられた」
「“時虹公”ですか?詳しくは知りませんが、カーク大丈夫ですか?」
カークは青い顔を誤魔化す様に笑顔を向ける。
「大丈夫さ。さあ、朝食をとろう」
そういうと、ルリとオニキスは心配そうにしながらも部屋から出る。
カークと三人で食堂に着くと食事をとった。
ギルドに向かう前にオニキスに言う。
「防具・・・・・・いや、魔法使いだからローブとかがいいのか?」
「僕、そんな、お世話になる訳には」
オニキスの黒の髪をクシャリと撫でてカークは笑った。
「俺の為に買うんだ。俺が安心するために」
「・・・・・・僕それなら、マントで十分です」
マント。カークは唸った。良いマント屋など知らない。
マントは道具屋に売っているだろうかと、考えたところで思い立つ。
「ラナンティアさんの店に行こう。良いマントがあるかもしれない」
寂れた通りから大通りに向かいそこからラナンティアの店を目指す。
あの店は大抵の物を置いている。きっといい物があるだろう。
20分程度でたどり着いた店の扉を開ける。
落ち着いた店内の奥。カウンターに立っていたのは紛れもなく店主のラナンティアその人だったのでカークは安堵して息を零した。
「いらっしゃいませ。カークさん、ルリさん・・・・・・そちらの方は?」
「オニキスと申します。よろしくお願いします」
オニキスはそう言って会釈をし、ラナンティアも丁寧にお辞儀をした。
「本日のご用件は?」
「オニキスにいいマントを買ってあげたくて。金貨3枚以内で良いものはありますか」
カークの直球な物言いにラナンティアは少しも気分を害した様子もなく、落ち着いた動作で「少々お待ちください」といい、奥に引っ込んだ。
その間にルリはオニキスから目を離さない。
(・・・・・・仔猫に興味を持ってるような目だけど、大丈夫か・・・・・・?)
いや、やっぱりどちらかと言うと、弟から目を離せないお姉ちゃんみたいな目か?
うーんとカークが唸って数分でラナンティアは一抱えの箱を持って帰って来た。
「大変お待たせいたしました。こちらなどいかがでしょうか」
カウンターに置かれた箱から取り出されたのは深い緑色のショートマントだった。
ただ、大人が使えば尻までしかないマントだが、子どものオニキスが使えば十分なマントだろう。
「着させてみても?」
「どうぞ」
そう言って受け取ると、見た目より随分と軽いマントだった。マントと言うのは意外と重い。それは、防寒具であるからと言うのが理由だし、冒険者にとっては防具の一種だからだ。
「ほら、着てみてくれ」
「はい」
オニキスはカークから受け取ったマントの軽さに驚いてからそれを軽々と着こなす。
まるでマントを着慣れているかのような堂々とした着方だった。
マントの装飾は美しく、質素な銀色の留め金は着脱に支障がなさそうだ。
「どうだ?違和感はないか?」
くるりとその場で一回転したオニキスは笑顔で返す。
「ありません。とても着心地がいいです」
「そりゃいい。ラナンティアさん、これをいただけますか」
礼儀正しくラナンティアは丁寧にお辞儀をしてから笑顔で言う。
「お買い上げありがとうございます。金貨3枚です」
カークは胸元の財布から金貨3枚を取り出しそれをカウンターに置く。
彼はそれを数えて、微笑んだ。
「ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそありがとうございます。それではまた」
「はい。またのご来店お待ちいたしております」
穏やかな店主の優しい声色を背に店から出るとルリは徐に口を開く。
「よく似合っています。オニキス」
「え!?あっ!!ありがとうございます、ルリさん」
オニキスはルリにそう言われて顔を真っ赤にし、満面の笑みを浮かべてそれから、ちょっと恥ずかしそうにもじもじとした。
その姿を微笑ましく思いながらカークは冒険者ギルドへと急かした。
「早く行かないと、食べちゃうぞー!」
「・・・・・・カーク。僕、15歳なんですってば」
「子どもは皆、ちょっと背伸びしちゃうよな」
ちょっとでもよく見せようとして歳を誤魔化すって俺もやってたからよく分かるぞ。そんな事を言いながら釈然としない顔をしたオニキスの頭を撫でた。
平和な朝だったのにそれがこれだ。
ギルド施設の広い空間、色とりどりの登録票を首から下げた冒険者たちにとうまきに見られながらもその中心で釈然としない顔のままカークは目の前の男を見た。
昨日カークをチームに誘って来た、A級チーム“蒼天の杯”のメンバーの1人がカークに絡んできたのだ。
「黙ってんじゃねーぞ!平民の分際でよぉ!“蒼天の杯”の看板に泥を塗りやがって!」
『平民の分際で』という言葉に幾人かの冒険者は顔を苦くした。当然だ。大半の冒険者は平民。それを見下す発言はそれこそ、浅薄狭量だと自身の看板に泥を塗る。
だがそれをわかっていない男は続ける。
「平民如きにA級チーム様が声を掛けてやったってのに、断りやがって・・・・・・断るんなら冒険者もやめるべきだろうが!!」
「はあ?」
訳の分からない言説にカークは肩の力を抜き、額に手を当てた。
こいつ、あれだ。モンスタークレーマーだ。
自分の気に食わないことは存在しない。あったとしても許容できない。だから否定する。の三段論法を用いて相手を暴論か物理でぶん殴るタイプだ。
兎に角カークは相手の理性に訴えかける方法を試す。
「まず、貴方方がA級だとしても違ったとしても、その誘いを断るのは俺個人の自由であり、自己責任の範疇です。それなのに冒険者を止める様にギルド職員でもない――だとしても問題――いや、とにかく外部から言うのはパワハラ・・・・・・モラハラ違うな。あー・・・・・・」
言葉に詰まったのを咳払いで誤魔化して続ける。
「んー・・・・・・あ、越権行為です。なので冒険者は辞めませんし、貴方方のチームにも入りません」
「ふざけるな!F級の分際で、平民の分際で!!拒否権があると思ってんのか!?」
「ギルドに通報してもいいんですよ・・・・・・」
言って不安になり、振り返ってカウンターの向こうの職員たちを見たが一斉に目逸らされた。なるほど、普通に考えれば実力のあるA級ほどの上位であれば多少の我儘が通るだろう。しかもそれがF級の冒険者の首なら安いかもしれない。・・・・・・だめだ。不安しかない。
ギルド職員内で漂う空気は確かにこの男に伝わったのだろう。鼻先で笑い、男は優越感に浸った顔で言う。
「A級様にギルドがいちゃもんつけられると思うのか。いいからテメエはうちのチームに入って盾になればいいんだよ!」
怒鳴る相手に何を言うべきか必死になって頭を回転させる。言いたいことは山ほどあるが、理路整然と相手に伝えなくてはならない。たとえ相手がクレーマーだとしてもだ。
「お断りします」
はっきりと正面切ってそう言うと男は顔を斑に染めて喚き散らす。
「F級如きが!舐めてんならA級様の実力見せてやる!」
何でそうなるのか。カークはため息を吐いた。
こっちはF級で相手はA級どう考えてもフェアじゃない。それで実力を見せて満足するならこいつもA級もたかが知れる。浅薄だとこうも気づかないものか。
人垣の中から加勢しようとするルリとオニキスを押しとどめたカークがその顔を戻した時には男は剣を抜きこちらに向かってくる最中だった。
顔は怒りと加虐的な笑みで彩られ、醜悪そのものだ。
「おら、死ね!」
――こっちを殺す気なら仕方ない
悪魔が、邪神が、何かが耳元でささやいたきがした。
カークは頭が妙に冷静なままそう考えて魔法を放つ。
「【時虹公のこぶし】」
魔量10を使用し造られた魔法の不可視の一撃は間違いなく男を捉え、そして、無慈悲に打ち返した。
「げぶぅっ!?」
しん、と空間が静まり返った。
冒険者達が戸惑い気味に身じろぐ衣擦れの音が聞こえるだけの空間で男は起き上がり、呻く。
「ふ、ふざけるな!何をした!?」
「魔法ですよ。魔法をご存じない?」
カークが流石に呆れてそう言うと男は羞恥と怒りの感情をないまぜにして叫ぶ。
「F級の分際で!この俺に通用する魔法を使えるわけねえだろ!!」
仰々しくカークはお辞儀をして見せ、丁寧な言葉を使う。
「F級の分際で申し訳ございません。A級様に通用する魔法を使ってしまって」
「このっ!このっ!!ぶ、ぶっ殺してやる、ぶっ殺してやる!!」
完全に馬鹿にしていた先ほどとは全く違う速度のある、A級に相応しい動きで剣を振るい、殺意に塗れた剣がカークを狙う。
確かにA級だ。カークには到底、目で追いきれるものではない。
だが、それでも。
カークは冷たく前を見据え、青い顔で此方を見るA級チーム“蒼天の杯”のチームリーダーの顔を見て冷酷に笑った。
「“無知蒙昧なものよ。刮目せよ。怒り狂え。嗤い踊れ。太鼓の音が聞こえるか”【■グ=■とー■のこぶし】」
ずどん、とカークの誰よりも冷たい背後で重い音がする。
ゆっくりと振り返ってカークは目を細めてほほ笑んだ。まるで、慈父のように、暴君のように。威厳ある重厚な笑みを見て誰もが息を呑む。
足元に伏せる男をみて、囁くように言う。
「ボクを殺すとそう言ったよなぁ。なら、なら、なら、ぉお俺がお前を、お前を殺す気でもいいんだよなぁ?ボクちゃんにはお前を殺す権利があるよねえ?」
笑みは、裂けていた。純粋に加虐に暴虐に別離に羞恥に悦楽に富富裂けて零れて落ちてくる。左目が、どろどろと、白く穢れた虹色が お ぞまし く。見 ている。
伏せた男はそれを見上げ屈辱にゆがめていた顔から顔色を失い、悲鳴を漏らす。
周囲には何も見えない。分かっているのは異常が、おぞましい冒涜的な何かが見えているのはそいつだけ。
「お、俺が悪かった。なあ、俺が悪かった・・・・・・」
それは、目を離さなかった。そいつから、獲物から。
瞬きもせずに、じっとそいつを見て、それから、それから、それから、嗤った。
が、そこでカークは自我を取り戻した。
見下ろすと這いつくばった男が顔色を失いこちらを静かに見上げてくる。
はて、カークは何をしていたのか首を傾げた。




