1:終わり
とにかく倦んでいた。
人生何をするにも金がかかるからだ。
その男は肩を落としゆっくりと夜道を歩く。
家賃5万のそこそこいい部屋に住み、月給は20万。ここから税金やら保証金やらで消えていき、手もとに残るのはいつも家賃を除いて雀の涙ほどの手取り。
勿論、これは恵まれている方だと男は知っていた。
日本は前例のない好景気の渦にいるがその恩恵を受けられるのは上層の選ばれた“貴族”のような奴らだけで、中層以下に住む者はお零れを預かる生活が続く。
当然のように男よりも苦しい立場に置かれている人々は多い。
税金の大抵はコロニー開発と地球化計画の費用に消え、政府は国民の声も聴いてなけりゃ、顔色も見ちゃいない。
億劫そうに足を前に出してはもう片方の足が引きずられるようにして前に出ていく。
人生に倦んだ男はため息を零す。
待てど暮らせど給料の上がらないバイト先で客からいわれのない事で罵られ、後輩から「その年でまだバイト?」とさんざん煽られ、上司からは仕事が遅いと罵声が飛ぶ。
財布に金は乏しく、貯金も皆無。
「うちはキャバクラじゃねぇし、文句言うなら代替え案をだせよ」
深々とため息を吐くと唸るように声を出した。
「だいたい手前がしろっつった手順で仕事してんのに・・・なーーーーにが「そのやり方は見てて気持ち悪い」だ!!手前でやれ!」
叫んでから力強く歯軋りをした。
いつもそうだ。文句を言われ、否定され、面倒を押し付けられては非難される。
誰が好き好んであんなバイトをするものか。
そうだ、逃げてしまおうか?
そう考えて夜空を見上げた。
どんよりとした雲は月を隠しているが、それでも月はなお美しい光を見せている。
月の光に勇気を貰うが肩を落とす。
それが出来ればとっくにやっている。
自販機の前で立ち止まるとジュースを買おうと思いつく。
コンビニで買うのも自販機で買うのも出費となるが特別感があって自分は好きなのだ。
ちょっと笑いながら鞄から意気揚々と財布を取り出して小銭をつまむ。
「自販機ってなんか楽しいんだよな」
小銭を投入して目的のジュースのボタンを押す。
だが、ジュースは出てこない。
「ん?故障か?」
しゃがんでジュースをいじらしく待っても落ちてくる音はしなかった。
「・・・はぁ」
今日一番のため息を零して空を見上げると満月だった。
雲は何処に行ってしまったのかよく晴れた夜空が目に飛び込んでくる。
「おお、きれいだな」
倦んだ男は突然晴れた空に疑問を抱かなかった。
満月に目を奪われていたのは不幸だっただろう。
突然自分の胸に剣が生えたのだから。
「は」
胸が熱くなり喉が灼ける様に熱くなり、そして血は止めどなくあふれた。
満月に照らされてその剣は正しく背後から刺されているのだと理解してしまう。
激痛と混乱。
その中でも剣を眺めていた。
急激に体温が失われていき、なのに体は熱くて恐ろしい中でもおかしな剣の切っ先を見つめた。
昔博物館で見たようなロングソードだ。だが凶器になるのがおかしな程に刃こぼれが酷いぼろぼろの剣。
そう考えて男は自嘲した。
意味の分からない状況で自分は何を考えているのだろうか。
痛くて叫びたかったが意外と声は出ないものだ。多分出血が多すぎるのだろうし、肺を刺されている。
疲れて痛くて寒くて、もう横になりたい。
そう思って膝を付くと剣を抜かれて、あっという間に横になる。
地面に寝転がって犯人の方を見ようと考えて頭を動かすと誰もいなかった。
自分の身体には穴が開いたままなのに。
雲った夜空を茫然と眺めて、倦んだ男は自販機のジュースが出てくる音を聞きながら目を閉じ、ひとり笑った。
目を開けた時に男はため息を吐くと、今はもう寝なれた藁のベッドから起き上がり、軽く身体をほぐす為にストレッチを始める。
(死んだときの夢は久しぶりだ)
転生したての頃は結構な頻度で見ていてうんざりしたほどだったが、最近は見ていなかった。
何か法則でもあるのかと考えつつも考えても仕方のない事だと割り切る。
法則が分かっても出来ることは無いのだ。
そんなことよりもまだ寝ている弟を叩き起こす。
「起きろ」
「・・・おはよう、兄ちゃん」
寝ぼけ眼で弟たちはもごもごと朝の挨拶を済ましてベッドから起き上がった。
弟は此方を見上げて何度も瞬きをしてからぽつりと呟く。
「今日、街に行くんだよね」
泣きそうな、寂しそうな、そんな笑顔を向ける弟にひとつ笑う。
自分は冒険者になりに村から離れた街に行く。簡単には帰ってこれない。
「安定したら帰って来るから」
前世では得られなかった温かい家庭。家族がどれ程に尊いか教えてくれた家庭。
何処の世界も幸せに暮らすにも、大好きで大切な愛しい家族の為にも金が要る。
例え危険と隣り合わせだとしても冒険者は学の無い農民でもなれる数少ない、金の得られる職業だ。
平和な国からすると考えられない事だったが、寒村ではお腹いっぱいに食べることすら難しい。それでも、この村はまだましな方だという。
ドルイドがいて十分な狩人もいる。肉が食卓に並ぶ日もあるのだから。
瞬きを繰り返す今にも泣きそうな弟の頭を撫でて居間へと促す。
居間というか土間のその空間では母親が火を起こして、昨日貰った肉を湯引きしていた。
「母さん、おはよう」
弟もそれに習っておはようと挨拶をする。
「おはよう、坊やたち」
少し寂しそうな母親はそれでも笑顔を向けてくれた。
良い母親だ。優しくて強く、寛大な母親。
ひと月前に街へ行きたいと言ったら、分かっていたと笑ってくれた。
のそりと外から現れた父親も同じように頷いてくれた。
「父さん、おはよう」
父は頷くと土間の椅子に腰かけて食事を待つ。
自分と弟も席に着いた。この壊れかけの椅子に座るのもしばらくお預けだ。
母は茹でた肉を皿に盛って、硬いパンを傍らの箱から取り出すとそれを机に並べる。
「はい、おあがり」
いただきます。4人は一斉にそう言いパンを手に取った。