18:“水獄の君”
「その女、何?」
宿屋の食堂で夕食をとっているとそう声を掛けられて、カークは顔を上げた。
目の前にはイナンナが豆のスープと黒パンを持っており、顔は隣に座るルリに向けられ、不快気にゆがめられている。
「イナンナ。初対面の人にいきなりそんな言い方は無いだろ」
窘める声を無視してイナンナはルリの目の前に座るとスープを食べ始めた。
カークはその様子を見て、イナンナに愛想を求めることを諦めて肩を落とす。
「・・・・・・彼女はルリ。チームを組むことになったんだ。ルリ、前チームを組んでいたイナンナだ」
「よろしくお願いします」
「・・・・・・」
ルリの事務的な言葉に対してイナンナは胡乱気な目を向けただけだった。
なにが気に食わないのか。誰と組もうが、すでにチームではないイナンナには一切関係のない事だろう。
硬い黒パンを味の薄いスープに浸しながらぼんやりと考える。
ルリは優秀だ。カークよりも強くて優れている。チームを組めるのが嘘みたいだ。そんな人物に何故、文句を言うのか。いや、ルリの優秀さはイナンナは知らないのか。
何が気に食わないのか全く分からず、水分を十分に含んだ黒パンを口に運ぶ。
水に浸した味のする黒パンが口に消えていく中で誰もしゃべらない。イナンナも無言で食べているしルリも同じだ。じゃあ、話しかけてくるなよと思うがそれを口に出せるほど肝は座ってない。
そうやって時間がすぎて、イナンナは食べ終わると酷く不機嫌な顔で食堂を出て行った。
「なんなんだ?」
カーク思わず誰ともなくそう呟いた。
食堂で謎の態度をとられた後に意味を知って呻いたのは部屋に戻ってからだった。
「あんた!さっさと村に戻りなさいよ!!」
この怒鳴り声にカークは肩を落として、無視をした。
だから村に戻るなら、金を稼いでからだし、夢を諦めるつもりは無い。
もう日も暮れ、安い魔法光の頼りない明りで薄暗く狭い部屋は6人部屋だ。開いてるベッドは2つなので、ルリはカークの隣の壁際のベッドで寝ることになった。
ルリの荷物は無いことにカークは気づくと、ベッドに対してひとつある鍵付きの箱を指す。
「荷物があるときはその箱に入れるんだ。その内、服とかも買えるよ」
「服は着ているこれがあれば十分です」
なんとも言えない言葉に曖昧に笑い返してカークは自分の箱を開けた。
鍵は森で失くした。その為、宿屋の主人に鍵代を支払う羽目になったのは悲しい思い出だ。消耗品を鞄から取り出してポーチに入れて補充する。言っても襤褸切れみたいな布と油の小瓶、炭くらいだ。“生き返った時”水の入った革袋と僅かな携行食以外無くなってポーチの中身は空っぽだった。その為の補充だ。
だがよく考えれば何故何も準備しないまま迷宮に潜ったのだろうか?カークは背筋が凍る思いをする。
迷宮は基本的に危険というのが冒険者の共通認識だ。いや、一般人ですら知っているだろう。なのにロクな準備もせずに、カークは迷宮に足を運んだ。勿論あの迷宮は初心者向けであり、難易度は低かった。しかし、カークの実力では死んでもおかしくなかったのだ。
やはり、エルデン・グライプになって死のハードルが下がってしまい、正常な判断ができていないのかもしれない。
いや、もしかしたらとルリがベッドに座ってこちらを見るのを見つめ返した。
(呼ばれた可能性・・・・・・)
そんなことは妄想か。カークは首を振ってベッドに腰かけようとして、般若の形相のイナンナと目が合う。
「私を無視するなんて何様!?」
「・・・・・・イナンナ。俺は村に戻らない。以上だ、おやすみ」
そう言いきって鞄から砥石と分厚い布を取り出すとベッドを背にして剣を抜く。
油脂まみれ血塗れの剣を布で拭う。あらかた拭ったら砥石を合わせた。
剣にゆがみは無い。見切り品だったので覚悟はしていたが、油脂で切れ味が悪くなっていた程度で済んだのは僥倖だ。この剣を打った職人は見習いの中では相当の腕前だろう。
剣をひっくり返して様子を見る。研ぎ過ぎは厳禁だ。そもそも、剣は完成品として売りに出される。手入れは必須だが、過剰はお呼びでない。
気になるところを研ぎ終わると鞘に戻す。その際にイナンナがまだこちらを酷い顔で見ていた。
「なんだ?」
そう問うても彼女は鼻を鳴らし、勢いよくそっぽを向くとベッドに潜り込んだ。
「・・・・・・なんなんだ」
小声でそう嘆息して、ルリを見ると彼女もまたこちらを見ている。
「槍の手入れとかはしなくていいのか?」
「必要ありません」
相当頑丈なのか、そう言う魔法がかかっているのかは知らないが純粋に羨ましく思いながらカークは頷く。
「そうか。そろそろ寝た方が良い。日の出ぐらいに起きるから」
「分かりました。おやすみなさいませ、カーク」
「ああ、おやすみ。ルリ」
ぱちり、と目を開けるとそこは知らない空間だった。
真っ白な壁、真っ白な床、真っ白なテーブル、真っ白な椅子。天井だけが抜けているように海を見せてくれた。
大きなテーブルを挟んで目の前には男が座っている。口の大きな海色の髪の男。
カークはぼんやりとした頭でその男を見る。どうしてここにいるんだったか。
「あの仔は使えるだろう」
男は嗤ってそう言う。何のことかと首を傾げようとして、気付く。ルリの事だ。
そうだ、彼女はこの男に創造されたのだったか。
「人間にしては頑丈に作ったし、しばらくは持つ」
物のような言いように腹を立ててカークは口を開く。
「彼女は優秀です。そんな言い方は無いんじゃないですか」
苛立ったカークの言葉に男はきょとんとした。まるで、そんなことを言われるとは思っても見なかったような顔だ。
「僕に信仰を抱いたりしないのか」
「はあ?」
意味の分からない言葉にカークは思わず冷たく言い放つ。
「彼女に関して信仰を抱くとすれば、それは彼女自身へです。貴方じゃない」
「・・・・・・面白い見解だ。確かに人間はそう言ったことを考えるんだったか」
男は大きな口を笑みに象ると目を細める。その瞬間僅かに寒気を覚えた。強大な何かの感情を動かしてしまったような感覚。
「じゃ、この場で何か授けようか」
「結構です」
男の提案をにべもなく断る。この瞬発力は感嘆に価しただろう。
そもそもこの男に何かを貰うことは非常にまずい事だと本能が語るのだ。
なおも言い募ろうとする男にカークは先手を打つ。
「必要ありません」
ため息交じりに男は視線を逸らした。海を見上げて、首を傾げる。
「僕を信仰すればか弱い人間が力を持つことも、想像を絶する恵を授かる事も出来る。なのに断るのかい」
「必要ありません。分不相応です」
「・・・・・・つまらない人間だ。野心がないのかい?人間だろう?」
首を振ってカークは答えた。
「野心の無い人間もいます」
その時、男の金の目が怪しく煌く。アレは何かを見通すような邪悪な目だった。
「違うな。違う。お前は、怖いんだろ?僕が」
誰だって怖いだろ。口を突いて出そうになる言葉を辛うじて飲み込んで曖昧に笑った。
ぽんとヒトを創り出しておいて恐れるなというほうが無理だ。
例えばそんな人物の力とやらを得て、その対価はいかほどか。カークには想像できなかった。
信仰だけで万事解決したら、世の中もっと平和か地獄の様相だろう。
男は多分、優しく微笑んだ。
「僕には弟がいる。昔はよく遊んだものだ。ほら、親近感がわくだろう」
「・・・・・・その弟さんは今どこに?」
周囲を見渡しても壁だけだ。一緒に暮らしているわけではないなら、お互い何かしらの事情か問題を抱えているはずだ。そこを突いたつもりだったが男は嘆息した。
「遠くで暮らしているよ。いやはや、気難しい性格でね、気性も荒い」
「ええ・・・・・・?」
「お前が思うほど怖くないだろ?人間と同じ様に兄弟がいるんだから」
兄弟がいるから仲よくしようとはその理屈は通らんだろう。カークは笑顔の下でその言葉を噛み砕き、首をかしげた。
「それでも、自分より強い存在は怖いものです。人間の性ですよ」
「そういうものかい?」
「そういうものです」
一瞬迷い目を彷徨わせ、男はピンと何か閃いた様子だった。もう諦めてくれとカークはひとり息を零す。
「そうだ。僕のシンセイをあげよう。あの仔も僕のシンセイを持っているし、話が合うはずさ」
その金の瞳を見つめ返してカークは呻くように言う。
「シンセイと言うものが分かりません」
素直な疑問は果たして男に届いたのか、男は瞬き、それから眉根を寄せる。
不快に思ったのか?カークは身構える。どう足掻いたってヒトを創れるような相手の機嫌を損ねて無事でいられるとは思えないからだ。
「・・・・・・ああ、ああー・・・・・・そうか、途切れて久しいものね。知らないか。シンセイは神性だよ。神の性質やさがを指し示す。乱暴に分かりやすく言えば、神の一部さ」
喉が鳴り、息が苦しくなる。何を言っているのか分からない。理解しようと頭は働くのに、何の言葉も思考もまとまらず、ただ通り過ぎていく。
「まあ、一部を持つと言ってもそれほど強大じゃない。神性を深めるかどうか・・・・・・そればっかりは本人の努力次第さ。僕としてはあの仔には神性を深めてより貢献して欲しいものだよ」
「え?あ・・・・・・?え??」
ぱくぱくと口が勝手に開き意味のない音を吐き出す。
混乱の極みとはこの事だろう。つまり目の前の男は“神”を自称するらしい。
何を言っている?神など存在したのか?前世でも今世でもそんなのはおとぎ話のはずだ。
混乱に放り込まれて心臓が早鐘を打つ。そんな中で男は呑気に話を続けた。
「お前はあの泥の神性を持っているけど、あの泥の神性はほぼ無意味だ。恩恵も薄いし。少々壊れるかもしれないけど、お前の器なら後ふたつみっつの神性は入るだろう。人間にしては頑丈だね。僕の神性を受け入れるといい」
にこやかにそう言われて釣られてカークも笑う。笑う以外にどうすればいい?
引き攣る口角を感じながら必死に声を絞り出した。
「いいえ・・・・・・!結構ですっ」
男は目に見えて落胆した様子だった。
「なんだ、残念」
その声と水に落とされるような音ともに気付くとカークは早朝、硬いベッドの上で汗をぐっしょりかいて目を覚ました。
「君はあの男の神性を受け入れて大丈夫なのか?」
朝食の席でルリに問う。全く前後関係のない問いだったが、ルリは眉一つ動かさずに答えた。
「問題ありません。それに恩恵を下賜されております」
「恩恵?」
再びの問いに気を悪くした風もなく、ルリは真っ直ぐにカークを見つめて言葉を紡いだ。
「異能と身体能力の向上です」
淡々とした言葉にカークは息詰める。あの異能はそう言う事だったのかと。
異能に対する羨望はあるが、神性というよく分からないものを受け入れられない。
首を傾げてみせた。
「・・・・・・対価はないのか?例えば、あの男の命令には逆らえないとか」
「命令に逆らえないということはありません。水獄の君は私の創造主ではありますが、主人ではありませんので。ただし、対価は存在します」
ほら美味いだけの話は無いのだ。対価とは何か問うと彼女は曖昧な顔をする。
「・・・・・・極めて説明が困難です。まず、生きとし生けるものには魂が存在することをご承知ください。その上で、魂とは個人によって大きさが異なるのです」
「へぇ」
小さく呟き先を促す。ルリは相変わらず曖昧な顔をしている。
「対価は魂の幾ばくかを賜った神性に割くということです」
「それで何か困るのか?」
「いいえ。普通に生活する分には、何の問題も起きないようです」
カークは数度口を動かし周囲を見渡した。賑やかな食堂だ。誰か聞き耳を立てていてもまともに聞こえないだろう。聞こえたとしてこれを真正面から信じる者はまったくいないだろうが。
それでもカークは声を落として聞く。
「それは、その、言いにくいんだが・・・・・・あの男に何の得があるんだ?」
「申し訳ございません。私には分からないのです」
そうか。とカークは呟いてお礼を言うと食事に戻る。
ジャガイモを潰して食べながらごくわずかな肉入りの豆スープを啜る。
――何の得があるんだ?
ぐるぐるとそれを考えながら、味の薄いスープを飲み干した。




