166:対ハノリアト円王国戦争
「止めた方が良いのではないでしょうか」
ルリの言葉にカークは首を振る。
「体調が悪いわけじゃないんだ。平気だよ」
そう、体調が悪い訳ではない。
ただ先ほどの感覚が気を抜くと戻って来そうで恐ろしくはあったが、普段どおりに行動は出来る。
なら仕事をしない手はない。
大通りを歩き、冒険者ギルドへと到着した5人は相変わらずの喧騒の中で依頼が張り出されているボードへと向かった。
「何かいい物はないかな」
いつも通り依頼ボードは依頼の色とりどりの紙で埋め尽くされていた。
左上に行くほど難易度が高く、右下程難易度は低い。
左上にある黒い紙に白いインクで書かれた一枚の紙を見ながらカークは呟く。
「S級冒険者って本当にいるのか?」
あの紙はカークがこの街に冒険者になりに来た時から張り出されている。
つまり、それを受ける人物がロージニア近辺にはいないという事になるだろう。
「ロイノーネ陽王国には2つのS級冒険者チームが居るはずだが・・・・・・どちらも顔は知らないな」
クォーツはそう言い肩を竦める。
元軍人のクォーツが言うのだから信ぴょう性は高い。そこまで希少なS級に依頼を紙で張り出して置くのはどういうことなのかというと、実力のあるA級であればS級の依頼を受けられることがあるからだった。
A級であれば何チームかがロージニアに滞在している。が、前述の通りにあの依頼が張り出しっぱなしということは結局のところそう言う事だ。
それに次いで、差し迫った危険もないのだろう。よほど危険な迷宮か何処かの素材が欲しいとかその程度の内容であれば張り出しっぱなしも頷ける。
でなければ、その2つのS級チームのどちらかに要請が行くはずだから。
自分には全く関係のない事を考えながらカークは目の前の黄色の紙で張り出された依頼を順繰りとみていく。
「南の森で薬草採取か・・・・・・悪くない――ん、何の騒ぎだ?」
薬草採取の依頼の紙を取ろうとした瞬間、背後で悲鳴じみた声が響きギルド内が騒然となる。
誰もが声のした方、入り口付近に目を向けていた。
「カーク!」
悲鳴じみた声の主はA級冒険者チーム“蒼天の杯”のリーダー、ルレアの物だった。
冒険者ギルドの応接室にカーク達は呼ばれソファに座っていると、ルレアともう一人男がが憔悴した顔で部屋に入ってくる。
「こんなふうに呼んだりしてごめんなさい、カーク」
「いや、いいよ。どうかしたのか?」
ルレアの憔悴しきった顔なんて初めて見たし、“蒼天の杯”の他のメンバーが何も言ってこない事を考えるだに、何かが起こっているのだろう。
だからカークは努めて冷静にルレアから話を聞こうと試みた。
ルレアは何度も息を吸い、吐き、目を閉じて――――やっと決心が言ったように口を開いた。
「戦争です」
「は?」
“戦争”その言葉自体は知っている。
だが、実感がなく、言われている意味が解らない。
「2週間前にハノリアト円王国がロイノーネ陽王国に一方的に宣戦布告。現在――カノカノス近郊まで侵攻されています」
「カノカノスまでの都市や村は猛攻撃を受け陥落。援軍も間に合わず、斥候部隊も翻弄されている状態だ」
ルレアのか細い声と男の冷静な声にカークは2人を交互に見る。
「え?え?そんな話はロージニアじゃ聞いてないぞ?どういうことだ」
その質問に答えたのは目の前の2人ではなく、背後に立っていたクォーツだった。
「ノイバシッセ候の軍隊は歴史的にも立地的にもかなりでかい。食い破るには時間も労力もかかる。それなら、国境沿いで最も軍人の数が少なく手薄な真ん中から破る事にしたんだろう・・・・・・上からノイバシッセと花竜帝国に圧力をかけられるから一石二鳥だ」
それにしたって開戦したなんて話は聞いたこともない。
街の光景を思い出しても難民が流れてくることだってなかったように思う。
「――ああ、違う!侵攻が早すぎる!」
どんな愚者でも分かる。軍隊というのは数の暴力でもあるのだ。
ハノリアト円王国の王都から直接攻め入っているとは思わないが、それでも国境からカノカノスまでは結構な距離だ。
想定ではあるが何万と数を抱えるのにもかかわらず、たった2週間でカノカノス近郊まで攻め入るのは不可能に近い。
速度の問題もあるし、何より兵站はどうしているのだ?
兵站の構築を行いながら攻め入る電撃戦など高等技術だ。
そんな天才的な指揮力を持つ指揮官が相手では防衛戦すら不利になりかねない。
「そう、そうなの。しかも5万もの軍勢でカノカノスに一直線に向かっているの・・・・・・ニティスクアナやショズヘネラがいたとしても・・・・・・」
「ご、5万!?」
「それに対してカノカノスに集められる兵力は2万」
5万もの軍人が全て戦うと言う訳ではない。中には管理官も混ざっているだろうが、それでも、暴力的な数字だ。
5万もの軍勢がどうやって僅か2週間でカノカノス近郊まで攻め入る事が可能だったのか――言い様の無い不安と焦燥感にカークは駆られた。
“普通じゃあない”
“普通ではありえない”
その言葉がどうしても喉から先に出てこなかった。
「それを俺達に聞かせて、どうするつもりなんだ」
クォーツは顔を俯かせたカークの代わりに聞いた。
ルレアは頭を深く下げた。
「たすけて欲しいの」
無理だ。
「おねがい――ティユレイを倒したのよね?あの時、竜からカノカノスだって救ってくれた・・・・・・もう一度、助けて」
ルレアは涙ながらに震える声でそう訴えた。
だが、カークの答えは決まっている。
「無理だ」
何もかもが幸運だからこそ、カークは勝利してきた。
そこに必然性はなく、カークの実力でもない。
ルレアは顔を上げてぽろぽろと泣き出す。
「たすけて」
カークはルレアの泣き顔に驚きながらも冷静に考える。
例えば1対1を繰り返して【時虹公のこぶし】で潰していくという手が許されるのであれば、カークでも役に立つだろう。
だが、戦場でそんなきれいごとは通らないことは知っている。
5万対2万の戦いに参加した所で負けは濃厚。冷酷なようだが、カーク達が行ったところで何ができると言う訳でもない。
でも、覆せる何かがあったとしたら?
それは、冒涜的な力だ。カークの魂を削るものだ。
ルレアを見捨てたくはなかった。カノカノスを見捨てたくはなかった。
しかし、カークにはその力が無い。守れるだけの力が。
「俺だけ行こう」
「カーク?」
咎めるようなルリの声に振り返り、苦笑を見せる。
「俺に力はない。死んで生き返る以外は能無しだ――だが、裏を返せば、継戦能力は高いと言えるんじゃないだろうか」
「私も一緒に行きます!」
「だめだ」
ルリの言葉に冷たく突き放す。けれど彼女はめげずに言い募った。
「私は神官のクラスをもっているんですよ!?治癒能力が高い事を御存じでしょう」
確かにそうだ。治癒能力が高い人物を戦場に連れて行くことは正しいかもしれない。
だが、仲間を危険に晒したくない。
カークが否定の意見を述べようとする前にクォーツが冷淡に言い切った。
「断るなら勝手についてくまでだ。分かっているのか?カノカノスが落ちればロージニアは目の前・・・・・・東側はすでに後がないんだよ」
クォーツの冷静な意見にはっとなる。
そうか、そう言われてみればその通りだ。
ロージニアが落ちれば、花竜帝国からのあるかもしれない援軍も期待できない。
カノカノス以西である王都方面はロージニアが抑えられた時点で物資が滞り遅滞戦術を使われればそれで終了だ。
となれば後ろに下げたからと言って4人の仲間たちの安全も確保できているとは言い辛い。
なにより、家族の住むカサヤ村が危ない。
「死地に向かうつもりは無い。戦場に勝利を掴みに行くのだろう」
シンジュの冷淡な言葉にカークは笑ってしまう。あまりにも無謀だ。
「死なせたくないんだ」
「それは、僕たちもですよ。カーク」
オニキスの優しい言葉に微笑みを浮かべ、息を吐く。
何処にいても危険があとか先かの違いしかない。
なら、少しでも勝率を上げる方に賭けよう。
「ルレア。少しでも力になるよう努力するよ」
ルレアはそれを聞いて立ち上がり頭を深く下げて、号泣した。




