9:森の中
いつもの通りにゴブリンの討伐依頼を受けて森へ向かう。
森は街の南の山脈に沿って広大な面積を誇っている。これを開拓しないのは単純に広すぎるのと、森の深くは危険で手に負えないからだろう。
アンジェラの本で学んだことを反芻しながら歩き、森に差し掛かる。
森に入って10分ほどは気楽だがそれより深くは気を張って進まねばならない。
今までは2人だったのがいまではひとりだ。一層警戒して周囲を見回す。
広い獣道から細い獣道に入るとしゃがんで草むらに身を隠した。
地面を注意深く見て、ゴブリンの足跡を探す。
有能な指導者がいない限りゴブリンの脳みそには警戒の言葉は無く安易に足跡を残して痕跡をも残すため探すの容易だ。
足跡を探しながらしゃがんで前進する。背を低くすることで遠くからの発見を遅らせる狙いがあるが森の浅い所に住むような魔物や魔獣に必要な事なのかはいまいちわからない。
だが警戒するに越したことは無い。無駄でも警戒は怠るべきではないのだから。
5分ほどゆっくり進むとヒトが2,3人立てるような僅かに広い場所に出る。
鼻を鳴らし、耳をそばだて、目を凝らす。
周囲には誰もいないようだったのでその広くなっている場所に歩を進めた。
低木や草が無理に倒されて広がった場所の様で、踏み荒らしたような跡がある。
近くの木から落ちた枝を拾って広くなった場所をつつくも罠は無いのか反応は得られ無い。
罠でないのならば何故広げてあったのかという疑問が残る。
草を観察して地面を見やる。
草は根元から倒され低木は上から潰されている。そして地面には靴の痕。
「誰かがここを広げた」
靴の痕はたたらを踏んだような跡を残して奥に消えて行っている。
広がっている場所とは反対側から別の足跡。
この足跡は小さく肉球が見えた。
「ん?コボルトか?」
なら靴の足跡の人物はコボルトに襲われたことになる。
この森の浅い所で狩りをする者は冒険者の駆け出しと特殊な狩人くらいだからこの人物は冒険者だと仮定していいだろう。
しかし、わざわざ此処を広げていてコボルトに襲われて逃げたのだとしたら不思議なことになる。
広げる時間があったなら逃げればよかったはずだ。
では不意打ちか。
靴の足跡を数えて、それからコボルトの足跡を数える。
「120から140cmが4体。靴は・・・・・・2人分か?ひとりは大柄だが身長体重不明」
人間の検分は苦手なので潔く諦めて獣道の奥を覗き込む。
剣戟が聞こえないので争っているわけではないのか、それとも終わっているのか。
コボルトは強い魔物ではない。ゴブリンと同程度の強さだ。
不意に背後から草を掻き分ける音がして振り返り、剣を抜く。
コボルトが残っていたのか?
剣に込める力が増す中、突如草の中から現れたのは桃色の長すぎる髪を三つ編みにしてゆらしリンゴのように瑞々しく甘やかな赤の瞳を見開く、白皙の美青年だった。
一目見て高価だと分かる革の手袋と革鎧。佩いた剣は細身で繊細な意匠が凝らされており、美術品にしか見えない。マントは森の中なのに少しの解れも見いだせず、それが非常に高価な魔法の一品であることは明白だった。
だがそれよりも最も目を引いたのは、その耳だ。尖って横に伸びた耳。エルフの耳の特徴を持ちつつも、エルフの耳ほど長さがないのは“ハーフエルフ”の証だ。
ハーフエルフは非常に珍しい。エルフと人間では子に恵まれないのが普通で絶対数が少ない。出会うことは極稀だ。
高級品に身を包むハーフエルフの青年は此方を見て胸元の冒険者登録票に目を向けて僅かに安堵したそぶりを見せると一瞬迷ってから口を開く。
「野盗の類じゃない。ほら、冒険者登録票も持ってる」
首から下げた鎖をひっぱり白の登録票を取り出してそう言う青年に警戒心を解き剣を鞘に戻した。そもそもコボルトを警戒していたのだ、野盗の話は聞いていない。
「失礼しました。コボルトの足跡があったので」
「・・・・・・ああ、コボルトか。それなら私の・・・・・・うーん・・・・・・仲間?が相手していたよ。それで足音がしたから帰って来たのかと思って、見に来たんだ」
仲間かどうかを言いよどむ様に少し違和感を覚えたがそれはどうしようもない。何か深い事情があるのだろう。
「そうですか。狩りの邪魔をして、すみませんでした。それでは失礼いたします」
狩場が被るのはよくある事だ。大抵は後から来た者が別の場所に移る。
会釈をしてそう言い、去ろうとすると青年は慌てて声をあげる。
「いや!待ってくれ。彼が、仲間が戻ってくるまで居てくれないか?森の中でひとりいるのは暇なんだ」
青年は所在無さげに剣の柄を弄う。カークは彼がまつ毛まで桃色なので驚いてから考えた。
コボルト4匹をFかE級の冒険者がひとりで相手するのは少々不安だ。助太刀をしに行くべきではないだろうか?しかし、彼の装備を見て思いなおす。
よほどの事がない限り同じチームの人物が大きな隔たりがあるような装備をすることは無い。つまり、彼の言う仲間もまた高価な装備を身につけてコボルトに挑んでいるだろう。
それならば大した心配もなくのんびりと待っていればいい。実際彼もそうしているのだ。
自分だって急ぐような狩りじゃない。ゴブリンは探せば――不思議な事に――いくらでもいる。
「その方が戻ってくるまでの間であれば、喜んで」
「助かるよ」
彼は草や低木が踏まれて少し広くなった場所へ無造作に座ると向かい側を指し示す。
「どうぞ」
「じゃあ、失礼して」
言われた通りに向かいに座る。木々の隙間から陽が射しこみ、暗いということは無い。
そよ風が二人の間を通り抜けてから彼は少し笑って口を開く。
「私はクェルム。君は?」
「カークといいます」
「カーク?同じ名前の強い剣士を知っている。いい名前だね・・・・・・ああ、畏まらなくていいよ、私と仲間は同じ駆け出しの冒険者だし」
彼はクェルムは肩を竦めてそう言うのでありがたくそうすることにした。
「ありがとう。丁寧に喋るのは難しいんだ。俺は育ちは農民だから」
素直にそう言うとクェルムは目を見開いて驚く。
「農民?十分丁寧な言葉遣いだったから気付かなかった。て・・・・・・王都でもやっていけるほどさ」
お世辞だろうか?曖昧に頷くと彼は気にした風もなく言葉をかける。
「どんな村?」
その質問にやはりと思う。
高価な装備品なのに駆け出しの冒険者でただの村に興味を持つ。ならば彼は貴族の出身なのだろう。それも領地が王都に近いか、宮廷貴族のような大貴族。
そう考えてはたと正気に戻った。関係ないのだ。そう関係ない。
彼は冒険者で、自分もまた冒険者であれば身分など意味がない。
必要なのは実力だけ。
それを思い出して苦笑すると不思議そうな顔をした彼に村の事を話す。
「特産品もない、しがない村だ。特別なものは何も」
それでもクェルムは顔を明るくして瑞々しい赤い瞳を一層美しく煌かせて笑いかける。
「羊は飼ってた?アラリオントルネークを?」
「アラリオントルネークを?悪い冗談だ」
奴らは隙さえあれば炎上する。ヒトのいる村で飼おうと思ったら、牧場全体に定期的にメンテナンスが必要な馬鹿でかい魔法陣を敷かなくてはならない。
この国でそう言った産業が得意なのは南の山脈側ではなく、どの国境からも遠く、かつ、王都に近いここから北西の海側だ。
「俺がいたのは本当に小さな村だったんだ。魔獣を飼育なんてできない」
「魔獣はどの村にもいるものだと思ってた」
ぎょっと目を見開く。相当な都会の出身か?経費を考えればわざわざ魔獣を飼うのは無駄が多いことは周知の事実だ。
まず、金がかかる。
一頭が金貨十何枚と結構な値を付けられる。農民の年収がだいたい銀貨30枚でこの出費は現実的じゃない。領主だってそんな高額な博打はいやだろう。
次に知識が必要。
これはただの獣だろうと必要だが更に魔獣を扱いたかったら相応の能力値と魔法の知識が必要になってくる。魔獣だって生き物だから、正しい知識が必要だ。
とはいえ、メリットもある。
頑丈で生命力が強く、病気にかかりにくい。
昔ある村で豚が一斉に病気になって全滅した際にその村の魔獣だけ無事だった事件がある程だ。
何かの幸運で飼いならせるなら青鹿など良い資金源になるだろう。
あのでかい角は本当によく売れるから。
「いや、いない。海側なら飼ってることもあるだろうけど、少なくとも俺のいた村や周辺の村では飼っていなかった」
興味深そうに彼は頷きそれから突然顔を青ざめさせた。
どうしたのかと問う前にクェルムは鋭く叫ぶ。
「違う!」
瞬間、カークに寒気が襲い背筋が凍り、全身に冷や汗が噴き出て全力疾走をしたよりももっと息が荒くなる。
微かな風が通るとその首筋にぴったりと鈍色の刀が付きつけられていた。
カークが微動だに出来ないうちにいつの間にか居た背後の人物は、その冷徹な刃をカークの首から離して飾り気のない鞘に戻したようだった。
恐る恐る振り返るとそこには少し跳ねた黒髪の大柄な美丈夫がこちらをその冷たい赤い目で見下ろしている。
身につけているものは全て精緻な細工が施され、一目で高級品だと分かる。
カークが生唾を飲み込み額の冷や汗を拭っているとクェルムが口を開く。
「ごめんよ、カーク。彼は警戒心が強くって」
「あ、ああ、だい、大丈夫」
凍りついた表情筋を叱咤して笑顔を作ると頷く。
絶対にこの背後に立っていた男は自分を殺すつもりだった。
クェルムが気づくのが遅れたら死んでた。
警戒心が強いのは良いが殺そうとするか?普通じゃない。
渋面を作って振り返り、文句を言うより早くその美丈夫は重々しく言葉を紡いだ。
「名乗れ」
重厚な声だ。例えば人を平伏させることを当然とするような、重く無視できない声。
思わず頭を下げて口を開く。
「カークと申します」
「カーク、先の非礼は詫びる」
「あ、いえ・・・・・・驚いただけですので、お気になさらず」
カークは咄嗟にそう言って言葉を待つ。重厚な空気の中、自分から話しかけるのは憚られたからだ。
僅かな沈黙を破ったのはクェルムだった。
「カーク。彼はアレス」
軽くアレスは会釈して銀の毛皮をあしらった黒いマントを払う。
周囲を見渡してそれから口を開いた。
「・・・・・・どうするんだ」
傍らにいたクェルムは何がおかしいのか小さく笑って、頷く。
「少し奥まで見に行こう」
「え?危険だぞ。西の森や南の森よりは安全だが、こっちの奥はゴブリンの上位種やオークだっている」
その言葉に否を唱えたのはカークだけだった。
森の奥、ヒトの手の入っていない森は鬱蒼としており進んだ道も分からなくなる迷宮といえる。
安易に足を踏み入れていい領域じゃない。
しかし、ふたりはだからどうしたとばかりにこちらを見て、クェルムが曖昧に笑ってごまかした。
「ああー・・・・・・いいんだ。少し見てすぐに戻るつもりだから」
そう言って彼は手を振る。
「また話を聞かせてくれると嬉しいね。それじゃあ、また」
クェルムはあっさりと踵を返して森の奥へと進み、アレスはその背を無言で追っていく。
ぽかんと二人を見送って、カークは頭を掻いた。
「・・・・・・まあ、大丈夫だろう」
自分はゴブリン狩りに忙しい事を思い出して森の浅い方へと歩き出す。
マントを揺らし、森を行く。
桃色の髪の青年は機嫌よく道なき道を突き進んだ。
その背後で黒髪の美丈夫はやや警戒して静かに声を掛ける。
「・・・・・・本当に違うのか」
「うん、違うね。私を見て何も言わなかったし反応もしなかった。彼は違う」
この問いに意味はないだろう。カークという青年はゴブリンの上位種やオークがいるからとふたりを止めようとしてくれた。
森の奥は何があってもF級の冒険者が足を踏み入れていい場所じゃない、警告するということは此方の実力を一切知らない善良一般人の証だろう。
そして無為に食い下がったりもしない、冷静さも持っている。
「コボルトがいると思ったと言っていたけれど、面白かったよ」
「コボルト?・・・・・・ああ、まあ、間違ってはいないな」
アレスは自身が倒した敵を思い出して皮肉気に鼻で笑う。
「足跡でコボルトだと思ったのだろうね。ただの農民にしては凄い事さ」
足跡で種族を判別するのは困難だが彼はそれを一応は出来ていてた。
十分な経験と知識があるのだろう。
“学ぶ”機会が少ないはずの農民だという話を信じるのであれは相当優秀な人物である。
「もしかしてこの国じゃあ、あれくらいが普通なのかな」
「以前来た時はそんなことは無かったが」
「なら優秀な若人か。いいね、優秀な人物とのつながりはあるに越したことは無い」
クェルムのその様子に呆れた顔をしたアレスはその背中に声を投げた。
「職業病だ」
心外そうに前を歩いていたクェルムは振り返って目を細める。
「そういう君もね」
ふたりはたがいに苦笑して森の奥に消えていった。




