7:否定できない現実
「知らない天井だ……」
次に意識を取り戻したのは前回とは別の木造の部屋だった。
今回は体にまとわりつく蔓もなく、簡素な寝具で寝ていたみたいだ。
「あぁ、そうか俺……」
覚醒してきた頭で、状況を確認すれば、思い出すのは先程の不可思議現象だ。
「いやいや、突拍子もなさすぎるだろ…この展開…」
上半身だけ起こして頭を抱える。
『やっと起きたか…ウスノロ』
今となっては顔を見なくてもわかるその声の主は、ごちゃごちゃになった頭を整理させてくれる時間も与えてくれない。
「…やっと起きましたよ、ウスノロは」
だから皮肉を込めてそう言うと、シャルノイラスは睨んでくる。
「そう睨むなよ…俺だって混乱してんだから…。とにかく状況は理解してくれたんだろ? 何だったら改めて自己紹介しても構わないぜ、俺は」
起き上がり扉の前にいるシャルノイラスに告げると、やはりその瞳には憎しみが宿っていた。まったく、何でこんなに憎まれるかと、悠太はげんなりだ。
『やっぱりお前気に入らないな。お前の素性なんてどーでもいいんだよ。だからさっさとここから出ていけ。そして薄汚い人間族の世界で薄汚く生きて死ね』
過激な言葉とは裏腹の解放宣言。これには少し戸惑う。
「え、出で行ってもいいのか? 処刑回避成功?」
だからこんな素っ頓狂な質問をしてしまう。
『女王様の決定だ。僕は決して人間族を許しはない。お前は女王様に救われたんだよ、頭を垂れて感謝しろ。いいか、同行者は僕だ。出発は明日の朝だから、たたき起こしに来てやる』
「…え、ど、同行者? どゆこと」
シャルノイラスはいかにも不本意とでも言うように大きなため息を吐いた。
『森の外までは連れて行ってやると言ったんだよ。女王様に聞いたよ、お前結界に惑わされて3日も森をうろついたんだってな……ウスノロ』
「あれ、彷徨ってたこと俺お前に言ったっけ?」
思い出してみるがここに来てからの説明をした記憶は…ない。
シャルノイラスは小馬鹿にしたように笑う。
『女王様が視たんだよ。あの方には嘘や隠し事は通用しない』
「俺の知らぬ間に、そんなことまでバレていたとは……」
女王様は真実を視る。知らぬ間にいろいろと調べられたようだ……。
「流石…異世界」
今までのトンデモ展開はその一言で片付いた。
便利な言葉だ、これは。
『とにかくだ。そういうことだから、今日はここから出るな。この里の情報をお前に教える気はないんだ。間違っても探索とかするんじゃないぞ。出たら僕はお前を殺す!』
人差し指を突き出しシャルノイラスは悠太に断言する。
悠太は降参するように両手を顔の横に上げ、笑みを浮かべた。
「わかった。約束するよ。俺はこの家を出ない。探索もしない。そして明日の朝にお前が来て、俺はここから去るってことでいいんだよな」
『……不本意だがそうだ。だから約束は絶対破るなよ』
「わかってるって。元の世界…に帰れないのはアレだけど、取り敢えずは生きてるんだ。そのうち何とかなるかもしれない。無駄死にも無駄な苦痛もゴメンだ。それにここには俺の嫌いな悪霊の気配もないし、好奇心は抑えてここで大人しくするよ」
『……』
やけに素直で穏やか。相手の対応にどう反応していいのか分からず、シャルノイラスは戸惑う。
「ありがとな、助けてくれて」
『なッ!!?』
だからそう聞こえた感謝の言葉は、シャルノイラスを紅潮させるのに十分だった。
『う、己惚れるなよッ!! 全部女王様が判断したことなんだ、僕は嫌々ながら従ってるだけなんだからな!!』
「何だ、ツンデレかよ」
日本独自の言葉で悠太はシャルノイラスを表す。言葉の意味が理解できないシャルノイラスは
『とにかくじっとしてるんだッ!!』
怒鳴り、部屋を後にしたのだった。
◇
調子狂う、調子狂う、調子狂う!!
シャルノイラスは嫌立ちを隠すことなく、人間族を軟禁した家を後にした。
女王様の館で人間族が意識を失い、連れ出して小さな家に軟禁した。以前はここにも住人がいたが、今ここは空き家だ。
この空き家に人間族が軟禁されている状況を知るのは、この人間族の少年を拘束した時、取り囲んだ里の者たちだ。シャルノイラスが人間族を連れ込んだ時には誰もいなかったが、再び扉を開けた時、彼らは件の少年が軟禁された家の前に集まっていた。
「シャル、今回はどうだったんだ?」
背の高い男がシャルノイラスがまだ扉を閉める前に言葉をかける。ゆっくりと扉を閉めて鍵を掛けると、シャルノイラスはふぅと大きなため息をついた。
「…話す。場所を変えてからな」
それだけ告げると、人間を軟禁した家から少し離れた木の根元で立ち止まった。
「あいつは渡り人だ。里から出すことを女王様は決定された」
開口一番告げられたその言葉は、里の者が待ち望んだものではない。
「渡り…人、だと。このタイミングでか」
「先日は私たちに移住を進める魔人族の擁護派の人間族だった。その前は魔狩りの調査員だ。最近は敵なのか味方なのかわからなくなるな……」
「何であろうと人間族は人間族だ。無傷で帰すなど虫が良すぎる!!」
「でも、私たちのことを認めてくれる人間族もいるんだから、やっぱりそれは認めていかないと……」
シャルノイラスの言葉に、皆、様々な意見を出す。
それも当然だ。捕らえた人間族は『約束』に従い必ず女王様に審問され、そこで、決を下される。嘘が通じないのだがら、どんなに言葉巧みに、自分に害はない、たまたま来てしまった。迷い人だ、と装うとも、真の目的はあっけなく晒されるのだ。
今まで何人も来た。里にたどり着いた者もいる。罠のきのこを食し、捕らえた者も少なくない。そしてそのすべては女王によって処遇を決定される。
こんな森の奥深く。魔物も多く住むこの地に、何のために人間族が来るのだろうか。
運よく結界にたどり着けたとしても、結界は森の真実を隠し、目的地の里を幻影で惑わし、唯一食料になる植物は眠りへと誘うきのこのみだ。
これほどの悪条件を越えなければ、人間族がこのエル属の隠れ里へたどり着くことはできない。
今までその殆どは、魔狩りのための場所確認の調査員だった。だから処刑をしていたが、ここ最近は、その魔狩りを避けるために移住を提案する人間族が訪れ始めた。彼らは女王様により解放を宣言され、里を去っていった。だが、その後里に訪れることはなく、話しはうやむやになっていた。
女王様が視間違えるはずがない。帰って心境が変化したのだろうか、魔物に殺されたのだろうか……考えたところで答えは出ず、里の者は不信感のみを募らせていく。
そんな中で先日久しぶりに友好的な人間族が来た。そしてその数日後に渡り人……。
混乱するのも無理はない。
「みんなの疑問もわかる。でも、女王様はあいつを渡り人と言ったんだ」
続くシャルノイラスの言葉に、先程までの不満の合唱は止まり、一瞬の静寂が訪れた。
彼らは人間族にただならぬ憎しみを抱いている者だ。女王の決定が絶対のものだとしても、目と鼻の先にいる人間族に裁きを与えられないことは苦痛でしかない。
実際のところ、彼の素性など里の者にとってはどうでもいいことなのだ。ただ彼が人間族であり、憎悪の対象であり、嬲り殺したい対象なのだ。
処刑が命じられた場合、翌日に処刑場にて必ず処刑される。
翌日であるのは、あくまで処罰であるからだ。執行日を伸ばすと、内に持つ憎しみが溢れ甚振る者が出てしまう。楽しむ者が出てしまう。決してそこに快楽を得てはいけない、甚振ることを楽しんではいけない。これは刑であり、罰であり、楽であってはならないのだ。
自分たちに害成す者たちならば容赦せず、害なく、友好的であるのならば客人として扱う。
――害あるものには粛清を、害なき者には施しを――
エル属はその『約束』を守り、森の奥深くで暮らしているのだ。
「……逃がすのか?」
囁くような声。でも怒りを含んだことが誰でもわかるようなそんな声がシャルノイラスに注がれる。
「…あぁ。ただし条件を付けた。あいつはこの里の情報を見ていない。そしてこの後も見ることを禁じた。だから、里の秘密は絶対に漏れることはないはずだ。人間族の町の手前まで送り届ける。僕が同行人だ。」
「何時だ」
「明日の朝」
「……そうか…」
短い言葉が続く。それ以上声が上がることはなかった。
どうにか処刑回避…したかな。