6:否定したい現実
世界が突然逆さまになった。傲慢な男の子は上から自分を見下ろしている。
(あぁ、あの廊下から落ちたんだっけな……あっけないな)
ぼんやりとした思考のままそんなことを思った。別にあの男の子を捲くし立てたことに後悔はない。だが同時に、ただでは殺されてなんかやらない。絶対にこいつら祟ってやる……など、歪な感情が沸き上がり、不思議な高揚感があった。
そこで彼の思考は止まった。
思考が止まってどれくらいの時間が経ったのだろうか……再び現れた思考で考え出し、そろそろ地面に落下してもいいと思うのだが…まだその感覚はない。もしかしたらもう落下したあとで死んだことに気づいていないだけだろうか……。悪霊になれなかった? そんな考えが浮かぶが何も見えないし何も聞こえない。そして何も感じることもなかった。
『…さい、もう……』
聞こえないのに何かが聞こえた。これは幻聴なのだろうか…。
『目覚めなさい……ですよ』
また声が聞こえた。
「う……」
また声が…。でもこれは誰かの声ではない自分の声だ。どうやらあの状況を生き延びることが出来たらしい…が。あまり嬉しくもないのが本音だ。
『いつまで寝てるんだとっとと起きろッ!!』
それは聞きたくない男の子の声もセットで聞こえたからだろう…。
「おやめなさい、シャルノイラス」
「でも、こいつ人間族です。姉様たちを裏切って、僕たちに害しかもたらさない憎き人間族です!!」
日本語ではない何かが声が聞こえたと思ったら突然顔に冷たさを感じた。どうやら床に突っ伏しているらしい。痛みはないが、なんとも思考がぼんやりしていてくらくらする。
『さぁ、目覚めなさい、もう心配はないのですよ』
今度ははっきりと聞こえた。優しい女性の声だ。その声に誘われるように、悠太はゆっくりと目を開いた。
横たわった視界には横になった世界が映る。ここも入り口の水晶のような透明感と蒼の世界のようだった。
くらくらする頭を押さえゆっくりと起き上がると一つの異変に気づいた。
「あれ、手が使える」
『拘束はわたくしが解かせました。大丈夫ですか? 身体に異変はございませんか?』
戸惑う悠太に女性の声はそう説明してくれる。
見れば、その女性は翠の細身のドレスのようなものに薄い何枚もの透き通った服を身に纏い、壇の上の椅子に座りこちらを心配そうな顔で見つめていた。その髪はどこまでも蒼く長く、見つめる瞳も深い海の底を思わせる蒼だ。年齢は20代後半か30代始め…といったところだろうか、そして彼女も例に漏れず耳が長く尖っており……何というか美しい。
「異変は…ないです、問題ないと思います」
くらくらする頭をどうにか稼働させて今の状態を伝えた。
先程までの憎悪の感情が収まり、妙に鼓動が速いのはきっとこの女性を見たからだろう。つい言葉が丁寧になってしまうのは彼女の威厳の高さ…のようなものだろうか。悠太だけではなく、誰だってこうなるだろうという確信が持てるほど、女性は魅力的で畏怖の対象だった。
『そうですか、安心いたしました』
ほっとしたように微笑むと彼女は瞳をそっと閉じる。
『擬似通路でのシャルノイラスの行ったこと、本当に申し訳ありませんでした』
「擬似通路?」
『はい、貴方は見ましたでしょう? そして感じて触れて、落下した先ほどの空間のことです』
「あぁ、あれは擬似…ってことは偽物ってことですか?」
確かに外見は扉だけなのに、中に入った途端別空間だった。それはきっとスクリーン投影した感じなのだろう。そういうアトラクションをどこかの遊園地で体験したことあるな…と思い出していた。
『それは少し違います。例え擬似であれ偽物ではないのです。この館に入った者は例外なく、わたくしの作り出す幻影に囚われます。
本来この館はさほど広い空間ではありませんが、擬似空間を作り出すことによって、これらの空間は本物と何ら変わりなくなるのです。ですからその空間で起こる現象はそのまま現実へと影響されます』
女性は仕組みを語ってくれたが、悠太はいまいち理解できないでいた。もともと空間は決まっているのだから触れればわかるはずだ、偽者だと。
そんな彼の心を読んだのか。女性は微笑を浮かべ
『ならばお見せしましょう。わたくしの擬似能力を』
そう言って女性は何かを唱えた。
「うわっ!!!」
するとどうだろう。悠太は先ほど落とされた廊下の中央に立っていた。あたりを見回してみるが、さっきまでいたはずの女性はどこにもいない。
「一体どういう…!!?」
おまけに30センチほどだった道幅は10センチ程度になっており、気づいた途端バランスを崩しそうになる。
「何なんだ…これは…これが擬似能力…なのか」
確かにこれは…偽物には見えない。彼女の言いたいことはそういうことなのだろう。
『おわかりいただけましたか?』
女性の声が聞こえたと思うと、空間はまた戻り先ほどまでいた広間と移動する。
『先ほどは貴方が落下した擬似通路をこの本来あるべき広間へと戻しました』
「本来? するとこの広間が実際の…現実の空間ってこと、ですか?」
『えぇ。あの通路はこの空間を歪曲させ作り出しています。見えたままの世界が現実となるのです』
「あのままだと底なしの空間に落ち続けてたわけだ……」
『そう、ですから落下する最中に移動させました。あの空間に底は設定しておりませんので、錯乱し、脳が死を理解する前に移動出来て本当によかった』
とんでもないことを告げて彼女は優しく微笑んだ。またも鼓動が高鳴り顔を紅くするが、それでも悠太には気になることがある。
「でも…どうして助けたんですか? 俺が…憎いんですよね……」
目を合わすことが出来ず呟いた。
なぜ憎まれているのかわからない、なぜ処刑される未来しかないのか…わからない……。
『決まってるだろ、お前が持っている情報を女王様が視るためだ! 嘘つきな人間族! お前の処刑は決まってる。狂うまで痛めつけて、狂ったら癒してまた狂わせて、魂が限界を迎えたら消滅しろッ!!』
わざわざ、こちらに理解できるように頭に直接怒鳴り込んでくる。明らかに憎悪の光を宿し、男の子…シャルノイラスは睨んだ。一点の優しさもないそれは、本当に目の前の人物が憎いという証拠なのだろう。
悠太にはこの男の子に恨まれる覚えはないが……あるとすれば…きのこか……。しかしシャルノイラスの言葉は悠太の存在そのものを否定するのだ。何もしてないのに…ますますわからない。
だってここがどこかすら未だ理解していないわけであり……。
『おやめなさい、シャルノイラス。わたくしはまだ彼を視ておりませんよ。先日の方も無関係でした。最近はわたくしたちを守ろうとしてくれる人間族もいるのですから、言葉を慎みない』
「でも、絶対こいつはッ!」
また理解できない言葉に変わった。コロコロとよく使い分けるもんだと、悠太は混乱。
女性は悠太を見ると小さく微笑んだ。
『来ていただけますか? これからきちんと貴方を視ます。ここに連れて来た時に勝手ながら大まかには視させていただきました。ですが、きちんと『許可』を得たうえで触れることで視る以外の情報を得る必要があるのです。
人間族は表向き本心を語ると見せて深層心理では別の意思を持つ者。ですからわたくしはしっかりと視なければいけないのです』
「えっと、それって心が読めるってことです? 俺が今何を考えてどうしたいかってことが分かるって…そういうこと、ですか?」
『えぇ、そのとおりです。表面上でも、奥深くでも読み解くことが出来ます』
「…なるほど」
悠太は言いながらまた非現実性を感じている。さっきから現実離れを見せつけられ、一体どこの国に放り出されたのだと混乱するばかりだ。
ドッペルゲンガーが連れてきた先は宗教国家、しかも植物に干渉できるみたいな魔術に特化した場所で、VRみたいな最新技術設備もあり、自動翻訳とか、精神関与…的な占い? 医療にも精通している……。しかも森の中の奥深くで、だ。未来とか過去とか…そういう時間を飛び越えた感じなのだろうか……。
とりあえず、考えれば考えるほど頭痛くなるので、一旦はやめることにする。
「貴方に視てもらって無実が証明されれば、その…処刑とか、そういうのはなしってことでいいんですよね?」
まずは処刑回避。これをしないことには先に進めない。
『もちろんです』
「……わかりました」
先に進まなければならない。生きて日本に…自宅に帰るために。沢山の情報を集めて帰らなければならない。悠太は意を決して大きく深呼吸。
そして彼女の鎮座する玉座へと向かった。
(…ってあれ、この人が女王様って勝手に思い込んでるけど、合ってる…よな? まぁ、威厳あるっぽいし、あの椅子玉座っぽいし)
『その考えであっていますよ』
「!!?」
言葉にしていないそれの答えを脳内で回答され悠太は鳥肌が立った。
「なるほど、なんかもう色々凄いな……」
ゆっくりと、しかり確実に玉座に近づき、悠太は女性の目の前まで来た。
「来ましたよ。それで、次はどうすればいいです?」
平静を装っているつもりではあるが、心臓バクバク、呼吸は乱れまくり、小心者丸出し状態だ。
『そんなに緊張なさらず。もう少しお近くに。奥までは潜りませんから貴方に害はありません』
「そ、そうですか」
女性の母性を感じるような穏やかな笑みと仕草に悠太の緊張は少し解消した。
目の前に美しい女性。緊張は解けたはずなのに、またぶり返す。
『では、これから貴方の記憶を視ます。《記憶検証》の『許可』をいただいてもよろしいでしょうか』
「あ、はい。よろしいですよ」
緊張しているので変な返しだ。
『では、わたくしの手に貴方の手を乗せてください』
「手? あ、はい」
差し出された右手に悠太は震えた右手を乗せる。
「こ、こんな感じでいいです……か……。ぁ……」
すべての言葉を発する前に悠太の意識は消えた。
あんなに緊張していたのに、今は規則的に呼吸をしてただじっと目の前の女性を見ている。いや、見ていない、その瞳には何も映ってはいなかった。
生きる人形となった悠太に女性は優しく質問を開始する。
『貴方は誰ですか』
「新島悠太」
『どこから来ましたか』
「東京、鈴音町…帰宅途中のカタバミ神社」
『トウキョウ? それはコーザ大陸にありますか』
「コーザ大陸? それは世界地図で見たいことない。俺は知らない」
『では質問を変えます。貴方は魔狩りの関係者ですか』
「まがり? 部屋を借りてるってこと? だとしたら借りてる。借りて住んでる」
『貴方の言う間借り、に対する質問ではありません。魔人族を狩る、その魔狩りです』
「まじん…魔人? 属、族?? 意味が分からない」
『では質問を変えます。エミューテイネルを知っていますか』
「知らない」
『質問は終了です。ご協力ありがとうございます。もう手を放していいですよ』
「わかった……」
悠太は言われるがままに手を離す。しばらくぼんやりとした世界が悠太を覆っていたが、突然現実が戻った。
「あれ? 俺さっき手を乗せて…あれ乗せてない? ってあれ? もしかして…色々終わった感じ??」
『えぇ、全て終わりました』
微笑まれた。悠太は、と言えばその目の前でおろおろしている。なんとも滑稽な状態だと凄く恥ずかしくなって気づけば両手で顔を覆っていた。
『シャルノイラス、今の会話しっかり聞いていましたね』
「……はい」
悠太には何の実感もないが、本当にどうやら質問タイムは終了しているらしい。
あの生意気な子はすっかりおとなしくなっている。
『この方はエミューテイネルの所在は知りませんよ。そして魔狩りの関係者でもありません。
『渡り人』なのです。貴方が焦るのもわかります。しかし我々は敵意のない人間族を無意味に傷つけたりはしません。それが『約束』ですから』
「今さら、『約束』ですか…人間族は何一つ守っていないくせに、それでも女王様は人間族を信じろと? 助けろというのですか?」
『もちろんです。彼は無関係ですよ。『渡り人』です。先程行った質問もすべて《念想》による直接干渉によるものです。言語を理解できないほどこの世界に来て間もない彼が、この世界の常識を知るはずない。それが先程の会話で貴方にも理解できたはずですよ、シャルノイラス』
「渡り人…」
呟きシャルノイラスは悠太を睨む。
「だから…姉様のことも、魔狩りも知らないってのか…ッ また…手掛かりがッ!!」
知らない言語で話されて、悠太は焦る。どうにもこうにも話が見えてこない。
だが、女王様の話は基本的にこちらにもわかるように《念想》で変換? してくれてるから言語の理解が出来る。しかし言語として理解できるからこそ、気になる単語が多すぎる。
「えっと…なに、『渡り人』って…この…世界に来て間もないって…ぉい、、、ちょっと待って……」
漫画やアニメや小説の世界では結構常識だし、冒険譚は面白いし興味をそそる。まぁ、もっと幼いときはそういう世界に憧れたこともなくはない。
だが、それは憧れや夢であって現実ではありえない。あり得るはずがない。
ドッペルゲンガーっていうのはそんな不可思議現象を引き起こすのか?
確かにおかしかった。季節感も、言語も、服も、彼らの容姿も。
そして、薄水色の男の子にしろ、目の前の女性にしろ、今、頭に直接話しかけている……。
そんな能力者、あの世界にいたか?
妄想の中で超新人類的なものを作り上げてはいたが、はやりその発想には無理があったのか。時を超えるまでは想像出来た……だってそこまで飛躍するのは現実で気じゃない。
普通宇宙を超えるか? 次元を超えるか? でもこれは……。
「……地球じゃ……ないって…ことなのか」
あぁ、無理。
思考回路ショート。
悠太は猛烈な眩暈に襲われ倒れた。もう何も考えられなかった。
まぁ、夢だと思うよね。