47:地獄
「馬鹿は認めるよ。でも帰すわけないって何さ。俺がここにいて、これ以上何をすればいいんだ? 治療する必要なんてないって。治療したってやること一緒だし」
まずユウタは想いを素直に伝えることにした。
治療が無意味なことだと分かればきっと解放してくれるだろう。だから今はこの癒したがりを説得させないといけない。
『一緒とはどういうことじゃ?』
「ここじゃないところで同じことするだけってこと。だから無駄なことはする必要はないってこと」
『同じこと…なるほどのう…だから治療は不要と……』
「そういうこと。わかったらどいてくんない? 体調良いうちにここから消えるからさ」
『同意できんのぉ……その理由では』
「なんでさ! 治療しても無意味なのは説明しただろ? なのに何で解放しないんだよ!」
なんだか無性にイラつく。
藻掻いてみてもビクともしないからやっぱり逃がす気はないのだろう。
だったら……考えを変える。そうすれば心は落ち着いていく。
「わかったよ…降参。お前らの治療を受けるよ」
そう、受ける。拒まない。
そうしてこの癒したがりの望む言葉を贈ろう。
そうして治療が終わり解放されたらもっともっと森の奥へ行って、今度こそ……。
『ほう…急に意見を変えてきたのぉ……何故じゃ?』
確かにその通りだ。急に受け入れるのは違和感があるだろう。
だが、その答えもちゃんと用意している。こいつらを騙すために……。
「気づいたんだよ。今までずっとあった頭痛が消えてるんだ。倦怠感も殆どないし……。これ、お前らが何かしたってことなにかしたってことなんだろ?」
これは本当。実際今まであったはずの体の不調は感じられない。クロが掛けてくれた魔法は解けているから本来なら意識保てない程の痛みがあるはずだろうに……。
『そうじゃ。まだ『治療』はしておらんが、ある程度の修復は今も続けておる。
お主中々奇異な体験をしたんじゃのぉ。体内検査をした個は、ある程度の魔法での修復ヶ所をを確認したが、それ以上の多くの毒物を確認した故、破壊され壊死した細胞を一部修復し、毒物を吸い取ったんじゃ。それにお主が食したという個は…生きたままだったようじゃの、お主の中に取り込まれた時に出来た傷をその身をもって治療しておるようじゃった。今は意識を放棄しお主の一部として定着しているようじゃな』
「ごめん…ちょっと理解を超えた。えっと……生きたままって何? 俺が『ごはん』として与えられていた物は、液状だった。粘度は多いけど個体じゃない。なのに生きてる?」
滑稽だ。生きた魔物が定着している?
もうそれ、自分は人間って名乗っていいのかもわからない。
この得体の知れない世界でのユウタの大半の食事は、この世界にしかいない『魔物』と分類される生物を生きたままですり潰したものに何かの植物を混ぜたもの。
灰色の部屋で与えられたそれは、実は生きたままの魔物で今は自分の一部……。
(やっば…笑えてくる。マジ死ねよ、化け物)
『儂らは個の形を有してはおるが、もとは流動体故、そこに意識があり命があるんじゃよ』
「体液や血液そのものがギルだから切り裂かれても死んではいないってこと?」
『まぁ、長期間空気に晒されれば儂らとて命を落とす。じゃが、お主はその前に個を取り込んじゃよ』
「猛毒だって言われたんだ。それでも拒否する権利も理由もなくて、俺はそれをずっと摂取してたんだ」
『そうじゃのぉ…儂らの個を食すなど正気の沙汰ではないよ。お主の言う通り猛毒じゃ。それは儂らが唯一の防御手段としている瘴気の沼の水を溜め込んでいるからでもあり、『治療』で摂取した毒がまだ分解出来ていないからでもある』
「そっか……。体内の瘴気の毒、治療のために吸い取ったいろんな種類の毒が混ざって、お前らの体内組織って毒まみれってことなんだ。それを俺は食していた、と」
説明された内容を自分なりに理解し言葉にしてみる。
成程、それは確かに猛毒だ、と。
『そうじゃ。故に儂らはそれを無効化するする術がある。それ故、儂らはこの地で生きることが出来るんじゃよ』
「…俺の中に定着したギルっていうのは…毒を持っているのか?」
生きたままで取り入れたのだ。どう考えたって普通じゃない。
『ふぉっふぉ、安心せい。毒などありはせんよ。寧ろ、お主の身体強化に役立っておる』
「………へ?」
役立つ? 何で? 理解不能だ。
『考えてもみるがよい。お主はひと月近く儂ら個を摂取し続け、その度に体と心を破壊された。それなのに毎度毎度完治に近い状況で目覚め、そうして思考も…まぁ完全ではないが…自我が崩壊し己を完全に見失うこともなかったはずじゃ』
「魔法だけじゃそうはならないってこと?」
『そうじゃ。治癒魔法はあくまでも身体の自然治癒力を高め、言うなれば修復ヶ所のみ自己修復力を大幅に活性化させるようなものじゃ。代償として激しい倦怠感、そして精神力をもって行かれる。お主ほどの怪我じゃと、いかに高度な治癒術とて2.3日は意識を失うじゃろな』
「……じゃあ、目覚めてすぐごはんを食べるのって、その後に体を破壊してもある程度は生きてるギルが修復してくれるから? あ、なんかそんなこと言われたかも……」
灰色の部屋の出来事を思い出す。確かそんなことを言っていた。
治癒魔法を最大限にするために……寿命を代償に、とも言っていた……。
『それも、目的の一つじゃろうなぁ……』
「一つって……どういうことだ?」
『儂ら個の摂取の目的は、青血症の発病も含まれておるのじゃろ? その際に一般許容量を遥かに超える瘴気を長時間溜めていられるように、瘴気に耐性があり、尚且つ体内に瘴気を有する儂らを狩り、お主に与えたのじゃろうなぁ』
「なるほど。……でもいろいろあって瘴気はなくなったんだ。だから生き延びた。でも俺は…自分が分からなくなって…怖くなって……気づいたらここにいたんだ。
瘴気も支配もなくなった。でも、灰色の部屋の出来事が消えたわけじゃないから、暗くなる度、眠る度に怖くなるんだ……」
『……』
「頭痛だって消えないし、眩暈だってしょっちゅうあるし、また耳長が襲ってくるかもわからない。だって耳長は問答無用で俺を憎んでいるんだ。俺はそれに抗う術がない」
『じゃから死を望んだ、と』
「別に望んだわけじゃない…と思う。でも……望んでいたとも思う」
『そうか……』
「でも、ここに来てお前らの真相を知って、痛みもなくなって……揺らいだんだ。さっきも言ったけど、頭痛くないんだ、眩暈もない。それにお前らの仲間だって俺の中で俺の一部として守ってくれてんだろ? それってまだ……俺は……」
『…そうか。ならば、儂らがお主を『治療』し、解放したらどこへ行く?』
「あぁ…っと…まだはっきりとは決めてないけど…耳長のいないところ。人間族の住む町に行く。そこだったら…俺はたとえ一人でも静かに生きていけると思う。もう厄介ごとには二度と係わりたくないから、平民になりたいかもな」
ユウタは笑う。
「まぁ…予定は未定だけど…もう少し頑張ってみるよ」
『そうかそうか…ならば新しい道を歩むがいい』
ユウタは笑う。
「じゃあ、さっさと治療してくれよ。早く自由に動きたいし」
『うむ……それは出来ん相談じゃ』
「……ぇ? ………なんで」
『ふぉっふぉ、お主が心にもないことを並べ立てるからじゃよ』
「ちょ。どういうことだよ、俺は」
『お主の話には嘘がある。最初に言うたではないか恐怖はない、と。それなのに眠る度に怖くなるのか?』
「それは…ちょっとした言葉の綾というか…」
最初に恐怖がないことを言ったことを失念した。どうにかごまかさないとならない。
だが色黒のギルはそれを知っているかのように続ける。
『たとえ言葉の綾だとしても、嘘には変わらんよ。儂らには目がない故に音に敏感なんじゃ。お主の言葉は嘘の音が含まれておるよ』
「なんだよ……嘘の音って」
納得できない説明にユウタはまたイライラする。
「もうめんどくせぇな。お前らが治療したがるからちょっと合わせただけだろ。何だよ、治療は受けるっていってんだ。これ以上俺に何させたいわけ?」
『ほうほう…そっちが素じゃのぉ』
「そうだよ。悪い? 今までだって惰性で生きてただけ。空っぽのまま上っ面だけ整えて生きてた。でもさぁ、こっち来て、フルボッコされて、恐怖も憎悪も消えた。しかも今は頭痛も倦怠感も眩暈もない。本当にすっげぇ気分いいんだよねぇ。だから、さくっと死にたいわけ。この世界でいっちばん大嫌いな『ニイジマユウタ』ってやつをさ、なかったことにしたいわけ。だからもう邪魔すんなよ。治療したいってんならすればいい。その後は何をしようが俺の勝手だろ」
ユウタは笑う。ニコニコニコニコ。
それは突然ピタリとやみ、表情は一瞬で無くなる。
「マジどうしたいわけ。何でもいいからさっさとしろよ」
『では再度問おう。儂らの治療を終えたらどこへ行くんじゃ』
「どこだっていいだろ。お前らに関係ない」
いい加減この無駄な会話にも飽きてきたユウタはどうにか強引にこのギルの座椅子から抜け出そうとするが、両足と両腕はギルが密着しているから動かせない。最弱な魔物だと言われているのに、やはり振り解くことすらできない。
本当に非力で役立たず。こんなんでエミルやアシリッドの力になるなんて言ってた少し前の自分が本当に馬鹿だと思う。そりゃ契約も解除するだろう。
「はははは…」
何か笑っている。楽しくもないのに……笑いが出る。
無性に灰色の部屋が恋しくなる。あそこには自由がなかったけど、ただ苦痛しかなかったけど、『必要』としてもらえた。たとえ使い捨てだと言われても、《支配》によって創られた感情だったとしても、ただの憂さ晴らしの対象だとしても、自分を求めてくれた。だから……。
「……もういい…」
脱力する。
ギルは治療するのが生きる目的らしいから、多分ユウタはまた癒される。でもギルはユウタを求めているわけではない。耳長だって結局はユウタを嫌悪している。
今までこの世界に来て、どうだった?
この世界はニイジマユウタを排除したいのだろう。異物である異世界人を。だから体も心も壊そうとしてくる。死を誘ってくる。それがいいのだと思わせてくる。誰かがそれを癒しても結局はまた……。
だとすると、結局自分の意思はいらないということだろう。どんなに足掻いたって、抵抗したって変わらない、思いは届かない。でも死は認めないということはそういうことなのだろう……苦しめと。
理解する、ここがどこなのかと。
「ここはやっぱり地獄だったんだ……」
そう理解する。
閻魔様はいないけど、鬼もいないけど、ドッペルゲンガーに連れさられて『新島悠太』は死んだのだ。だからここは死後の世界。罰の世界。だから全て甘んじて受けなければならない。そうして何も感じなくなった時……それがきっと終わりの時だ。
「転生なんて望まない。ここで、この地獄で消滅すればいいんだ……」
黒い瞳から生気が消えていく。
ギルが拘束したいと思うならそうすればいい。
離したいと思ったら離せばいい。
それらを全て受け入れよう。何一つ拒絶せず、相手の思うように。
『ネルナネルナ』
『シコウヲタモテ』
頭に乗っかってるギルが煩い。
でも、『受け入れる』と決めたから無下にはしない。
「寝ないよ。お前らが飽きるまで抵抗はしない」
『お主……加護…いや、まさかのぉ……。じゃからこそ魔王様は……』
「さて…俺を治療したいというなら俺は何をしたらいいんだ?」
静かに紡がれる言葉に感情は伴わない。
『おやおや……何やら雰囲気が大分変わったのぉ……』
「そう? あぁ、そうかもな。地獄って場所を勘違いして無駄に足掻いてたからな。でももう大丈夫だ。受け入れたよ」
そう受け入れた。
だってもう死んでいるんだ。だから今までだって瀕死でありながら死は訪れなかった。納得してしまえば簡単なことだ。死という安らぎはそう簡単には与え貰えない。
笑えてくる。
実のない人生だ。
幼少期はぼんやりとした記憶だがただ何もしないこと、何も感じないようにすることで多分生きていた。そうして10歳の時に…両親を殺した。
その後おじさんに拾われて…生きた。生きるために霊から逃げて、他者との係わりを避ける。目立たない様にするために、一般的な学生の在り方を学んでそれに合わせた。個を出来るだけ排除して、平均的な学生を演じて、穏やかであるように、と生きた。
そうして、死んだ。
ドッペルゲンガーは死神だ。多分魂を狩られた。そうして地獄へ落ちた。親殺しの罪を償えと、罰を受けろということなのだろう。
流石地獄だ。頭おかしくなる苦痛を味わった。思考もおかしくなった。死を望んだはずなのに死ねなかった。当たり前だ、もう死んでいるのだ。
そうだ、もう死んでいる。
どくん、と心臓が鳴った。
死後の世界でも臓器は動いているようだ。深くは考えない。そういうものだと思えば心は楽だ。
そう楽だ。
「どうした? 治療したいんだろ? 言われたことは何でもするぞ」
ユウタはニコニコ笑う。
『何でも…のぉ。……お主、時間が経つにつれ心を壊しておるのか?』
「壊す? どうやってそんなことするのさ。俺はただ現実を認めただけだ。そうしたら楽になった。だから今すっげぇ楽。久しぶりにこんな気分になったよ」
『うむ……成程のぉ…確かに魔王様の仰る通り』
「……さっきも言ったよな、それ。なんとなく聞き流してたけど……」
『ほほぉ…聞こえてはおったのじゃな』
「聞こえてはいたさ。聞いてないだけ。で、『魔王様』がなんだって?」
『お主に『生きろ』…と仰っていた。やがてここに来るだろう人間族がいる。その者は生きることを望んではいない。故に生きろ、と』
「魔王様? 魔王様って何人もいるんだろ? 誰だよ、そいつ」
ユウタはあの尊大な態度がデフォルトの、でも気さくな魔王様を思い出すが、彼はもう関係ない。
『知り合いじゃないのか? 魔王アシリッド様じゃよ』
「は? ……アシリッドが……何で……」
今更そんなことを? 役立たずだと言って捨てたくせに……。
『こうも言っておった。『貴様は今を生きていない。ならば今より生きろ』、と』
「……?」
言ってる意味が分からない。……あ、わかった。
「あぁ……お前嘘ついてるだろ? アシリッドは死んでるんだ。3年前に亡くなった。それは誰もが知る事実で、覆せない事実だ」
そう。この世界で魔王アシリッドは死んでいる。
幽体であることは自分と一部の耳長しか知らないことだ。
だったら治療するのが大好きなギルは、どうにかしてユウタを生かそうとしているのだ。もう死んでいるのに、だ。滑稽な話だ。
「お前ら知らないだけだろ、こんなところで隠れて住んで外の情報とか知らなさそうだし」
『知っておるよ。ここにはいろんな人や魔物が来る。まぁ、狩られることも多いが治療の際には色々と情報も頂いておるからのぉ……確かに魔王アシリッド様は3年前に亡くなっておるよ』
「だったらなんでさっきアシ…魔王様が俺に対し何か言ったみたいなこと言ったんだ? 死んでるやつがどうして………ぇ…ちょっと待て…だったら何で知ってるんだ…」
『ほぉ、気づいたかの?』
会話の違和感。
何で知ってる?
どうして疑問に思わない?
「……何で灰色の部屋でのことをお前が知ってるんだ?」
『それは聞いたからじゃよ、魔王アシリッド様本人に』
流石魔王様!




