4:出会いと別れと
「いい人なんだよ、気さくで、大胆で……」
細マッチョさんは何かを伝えようとしてくれている。
今は、身振り手振りまで付けてくれるので、取り敢えず、あのきのこがヤバイというのはわかった。
「言葉が通じないのは、ここが日本じゃないと理解した時から感じたけど……」
こうもコミュニケーションが取れないとは……。
「ヘルプミー!」
片言英語で頭を抱えていると、細マッチョさんは悠太の頭をなでたあと、とある方向を指さす。
「…ここを進めって…ことなのか……?」
「skdfjナrb」
「うん、さっぱりわかんよ、細マッチョさん」
「mfrジsbsfgt」
「そうだね、うん、そうしてみる」
会話になっていない会話をして悠太は細マッチョさんの指さす方向に少し進んでみた。
すると細マッチョさんはこくこく頷く。
「ぇ…こっちに進めばいい…ってこと…か?」
言葉は通じないままだが、細マッチョさんは再度こくこくと頷いた。
「この先に人がいる場所があるってこと?」
細マッチョは親指をぐっと突き出した。
それを自分の問いかけの答えと理解した悠太は、お辞儀をして感謝を示すと、細マッチョさんに倣《なら》って親指をぐっと突き出した。細マッチョさんは、屈託ない笑顔で手を振る。
「jhvfrhskbレグルス!」
「えっと…レグルス……。だけ聞きとれたけど……名前?? 単語? 主語、述語??」
耳に残ったその単語が意味するものを悠太は知らない。でも唯一聞き取れた言葉だ。取り敢えず、細マッチョさんの名前って解釈にしておこう。
だってまだ自己紹介をしていない。
「とりあえずこっちに進んでみるよ。レグルスさん、ありがとう! あ、そうそう俺は、新島悠…うぉ!?」
「〇jkgf!!!」
「ふぇ!? ちょ、どうしたんだよ、レグルスさん!!」
突然悠太の元へと駆け寄り、真剣な表情になるレグルス。その視線は鋭く、森の気配を探っている。
「…レグルス、さん??」
状況を把握できないまま囁くと、レグルスはまた人差し指を口元に充てる仕草をした。静かにしてということだろう。悠太は逆らうことなく指示に従う。
「……」
レグルスさんはにっこり微笑みまた頭を撫でると、悠太の顔に向けてその手を翳す。大きな手だ。で、何を? と不思議がっていると、その右腕に嵌められた赤い宝石のようなものが埋め込まれた腕輪が小さな光を灯した。
光に反応するように掌が赤く輝き、それを見ていた悠太は急激な睡魔に襲われる。
「…何…ぇ…レグ、ル……」
全てを伝える前に悠太はレグルスの手の中で眠りに落ちた。
レグルスは木の根元に悠太を寄掛からせると、先程悠太に示した方向とは逆を睨みつけ、そしてその方向へ消えて行ったのだった。
◇
翌朝、悠太は体の痛みによって無理やり覚醒した。
森での野宿なものだから、なかなか思うように動けない。取り敢えずゆっくりと視界を広げていく。
「…ん……あれ、俺、何……」
今だ覚醒には遠い脳を無理やり起こして、とにかく現状把握を優先させる。
「……森…? 夢…………違ッ!!」
靄のかかる視界と思考が次第に晴れて行けば、ようやく現状を脳が理解した。
レグルスは何かを感じて自分を眠らせた。そしていなくなったのだ。
「一体何が……」
考えても答えは出てこない。
焦るな、焦るな……。
こういう時は、大きく伸びをして、ゆっくり深呼吸。
「まずはこれからの行動だな」
立ち上がって森を見まわす。昨日と変わらない360度霧の森。
昨日レグルスが示した方向は……残念ながら今となってはよく思い出せない。
「だったら…」
最初はきのこの場所にいて、レグルスに会って、そこから少し動いて指さされた方向に動いて……と眠る前の行動を模写してみると、先程よりは何となく方向が分かった気がする。
でも……確証はない。
この森は針葉樹が多い。そして落ち葉がぎっしりと敷き詰められ、足跡は残らない。高低差もない。つまり、レグルスが向かった方向もわからない。追うこともできないのだ。
「詰んだ……」
でも、まだ諦める時ではない。言葉は通じなくても人はいる。町もある(多分)。まだ進める。深く深呼吸。不安や恐怖の感情を殺していく。まだ、大丈夫。
「うっし、取り敢えず歩いてみるか!」
食事はないが、まだ体力には余裕がある。
何となくでも割り当てたレグルスの示した方向。
そこを目指して、森を抜けて前に進もう。
簡単には帰れないとは思う。町に着いても言葉は通じないし、行くべき方向もわからない。でもまだ諦めない。まだ、大丈夫だ。だから進む。
とりあえず、荷物になるコートはきのこの群生地に置いておくことにする。布団にするのも有りかとも思ったが、荷物になるし、今からの人里探索に必要なものが持てなくなるのは痛い。というか、カバンがあれば筆箱の中にカッターがあったし、スマホもあったし、他にも役に立ちそうなものがあっただろうにここにないのが痛すぎる。文明の利器に何も頼れないのだ…現代人なのに…シクシク。
ここはどこまで続くかわからない薄霧の晴れない森だ。策なしではきっと迷ってしまうだろう。
だから背丈の長い草をあらかじめ用意して、通った森の細めの木に括り付ける。単純だが、道具を持たない自分にとって実に効率的策だと思った。
幸い葉は多くあったので、そこまで多くを持ち歩かなくても現地補充でき、目印をつけていくことは可能だった。
「うっし」
まずは出発点に木の葉を巻き付ける。
これで気づいたら同じ場所をぐるぐる、なんておバカはしないはずだ。
「今日中には森を抜けたいなぁ」
レグルスからのヒントを頼りにできるだけ下山する感覚で歩いてみる。ここが山かどうかはわからないが、もし山だったのならそのうち傾斜があって下山ができるはずだ。チャンスがあるなら乗っかる。
日本に帰れるのは無理でも、生き残れる。その可能性があるならまだ諦め時ではない。
「しっかし、こんな状況なのにやっぱり静かだなぁ…ここって何もいないのか?」
昨日から続くこの奇妙な状況。自分の作り出す音以外、何も聞こえない。
「やるしかないよな」
この状況自体が普通のことではないのだ。些細なことに気にしている余裕はない。世界は広いのだ。そんなミステリースポットがあったっておかしくないはずだ。だったら、可能性はあるはずだ。
どっかの国の極秘な兵器なのか、霊的干渉物なのかはわからないが、今悠太は未知の森で生きている。未知の森ってなんだってことになるのだが、そのことに関してはちょっと非現実的な、もしそうだとしたら絶対に思考回路がショートする自信がある可能性がある考えが一つだけあるが、それは眠ってもらうことにする。
神社にいた。日本にいた。もし何かの組織とかに連れ去られたのなら西もここにいるはずだ。いないということはここに来たのは自分だけであり、多分霊的干渉のある場所なのだと思う。そう考えると、ドッペルゲンガーはポルターガイスト現象で悠太をどこかに連れ去った…ということになるが…だからと言ってここがどこだかわかるはずもなく……。
思考があらぬほうへと加速する。考えれば考えるほど沼にはまる。
だからまた深呼吸。そして気持ちを切り替える。不安や疑問は消えてもらおう。
今はとにかく、場所の把握。
大丈夫。進める。まだ諦めない……。
とにかく歩いた。進んだ。針葉樹に木の葉を結び付け、過去に結び付けた個所を見比べて直線を確認して、そうしてあるいて歩いて、休んで歩いて、日が暮れたら寝て。次の日になっても繰り返しその単純作業を続けて……、流石に飲まず食わずだったから限界は近くなっていた。
3回目の夜が明けたとき、流石に体は限界を迎えていた。森の木は葉しかない。本来ならあるはずの花も、実があるわけでもない。川も、水溜りもない。ずっと霧で雨も降らない。草や木の葉はいくらでもあるのに食べられそうなものが見当たらない。2日目に試しに木の葉を食べようとしたが渋みが強くとても手が出せるものではなかった。
「餓死とか…勘弁……」
口を出る言葉も覇気がない。
だが、諦めなかったのだ、進んだのだ。日本に帰るのは一旦諦めた。でも森は抜ける。町は見つける。そのたった一つの目標に向かって亀の歩みを続けた。
だから変化を見つけたとき嬉しかった。そろそろ日も暮れようかという時間。音のない奇妙な森。そこで見つけた小さな変化。
「あれ…きのこ??」
近づくとやはりきのこだった。数日前に見た。食べようとして食べなかった謎のきのこ。
「やっばい…今これ見せられると食いたくなる。オレ、ハラ、もうゲンカイ……。」
思わぬ食料が目の前に飛び込み、誘惑は最大となる。それはもう片言になるくらいに。
でもこれは危険だということをレグルスさんから教わっている。だから、これはダメ。でも、きのこがあるのだったら他の食材…木の実とかあるかもしれない。
希望を胸に、近くの捜索を開始。そして…見た。
「ぉい…マジこれ…何の冗談……」
乾いた…引きつった笑顔が無意識に形作られる。
「…なんで…コート……」
◇
無駄だった。それが分かった途端、悠太は瞬時に思考を変化させる。
あぁ、どうやらこの森は自分を生かす気が無いようだ。
出発時に結んだ葉はその姿を今は見せない。振り返ってみるとついさっき結んだばかりの葉っぱさえその姿を確認することができなかった。
この森は全力で異物を排除しようとしている……。
それを理解してしまったのだから、笑うしかないだろう。
「だったら……」
空腹だった。飲みたい、食べたい。そんな欲求を何度も何度も堪えて歩いた、進んだ。
だがすべては無駄だった。
「……諦めるな…」
それは魔法の言葉。それでも可能性はある、どこかに、何か……
「大丈夫……俺は、……諦めない……」
何度も言い聞かせるようにその言葉を呟く。考える。この現状を覆す策を。どうにかして新たな道を……。
「……生きなきゃ、……生きるんだ……」
でも浮かばない。こんな限界の状態で思考は働かない。体は動いてくれない。
ただただ、渇きを潤し、食料を取り込み休みたい。そんな本能のみが脳を支配する。
……思考が変換する。
「……死ななきゃいいや……」
それはどういう意味なのか……。
悠太の思考は変化した。形だけで生き残ればいい…歪んだ思考がそう答えを出す。
このぼんやりとした世界は、思考を惑わす効果でもあるのだろうか……。
あんなに危険だったはずの目の前のきのこはとても美味しそうに見えた。レグルスはその危険を身振り手振りで必死に伝えてくれた。だからきっとこれは危険なものなのだろう。
でも人は食べなければ生きていけない。それに食欲をそそるその香りは、心身ともに限界に近い悠太に甘い誘惑を与えてくる。
だからそれに手を出した。あとのことより、今のこの誘惑が一番強い。一つ取ってみて匂いを嗅いで見るとやはりそれは椎茸の匂い。
「焼いて醤油を垂らして食べると最高なんなんだけど…」
なんて暢気なこと言って、躊躇いなくそれを口にした。
思ったより弾力を感じたが、椎茸っぽいものはとても美味しい。躊躇いなく2本目もぱくぱくと食べる。もしこれが毒キノコだったらあとで食中毒だろうが…痛いのは勘弁だが…今がよければあとはいいや、と思う。深く考える気力はなくなっていたから心は軽くなっていた。
幾つかきのこを食べると満足したようにそのまま目を閉じた。寄り掛かっていた木からずるりと落ち、地面に倒れても気づくことなく眠っていた。もう何も聞こえない。
そうして眠る。眠り茸の多量摂取で昏々と……。
そんな彼にシャルが躓いたのはそれから2日後の出来事だった。
素人のキノコ狩りは危険です