31:見える悦び
次にユウタが目覚めたのは翌深夜だった。
今度は目覚めた途端に暴れだしたが、両足に嵌められた枷のせいで立ち上がることさえできない。暴れる自由さえ封じられ、ユウタは更に叫び暴れ続けた。枷に血を滲ませていたが、立ち上がることもできないまま叫び狂うことをやめなかった。
何度も長老を説得し、座敷牢の中に入ることを許可されたシャルノイラスは彼の近くで何度も何度も語り掛けるがユウタは聞く耳を持たない。その黒い瞳は狂気に染まっていた。
騒ぎに気付いた大人たちが座敷牢へ来ると、また魔法で強引に麻痺状態にさせたうえで、今度は何かを服用させていた。その後しばらくすると、どこか虚ろな目をしたユウタが全身の力を抜いて、大人たちに身を預ける。
「質問だ答えろ……」
「……こ、たえ…」
ベッドの上でユウタを無理やり起き上がらせ、勝手に質問するとか言い出した。
「あの大剣はどこで手に入れた? 今どこにある?」
「…ぃ………なぃ」
「ない? ないとはどういうことだ、貴様あれが一体どんなものなのかわかっているのか、答えろッ!!」
首輪の鎖を強く引かれた。
反動で前のめりになるが別の大人に支えられ態勢を崩すことはなかった。
ユウタはケタケタと嗤いだす。
「おい、エリット、やり過ぎだ。薬でこいつの意識は昏倒しているが、強い刺激は狂気を呼び起こすぞ」
「…あぁ、すまん。こいつが抵抗するからつい、な」
「少しの我慢だ。情報さえ引き出せば、こんなひ弱な人間族を介抱する意味なんてないんだから」
「あぁ、そうだな。『今は』優しく、だな」
「どうせ《支配》されてるんだ。今更何追加したって大差ないだろ? まぁ引き出すのが難しいなら『学習』させればいい」
「言えてる」
「早く女王様に視てもらいものだ…」
「まったくだ」
大人は3人いた。
シャルノイラスは悟る。
彼らはこの人間族を…ユウタを助ける気なんてこれっぽちもないんだと。だったら……。
今は何もできないが、きっと隙はあるはず。
シャルノイラスはもう大人を信じることが出来なかった。
◇
翌朝。
『だーーーー!!! 何だ、何なのだ!! また急に来たぞ! 我、目あるよね、失明してないよね?? どう、そこんとこどうなの!!』
とある部屋でアシリッドが喚いている。
魔剣アネスティアを通じてユウタの《記憶介入》を果たし、追体験してきた結果だ。
今回は強引に許可なく行ったものだから、人生丸々追体験コースだ。
おかげで、彼がどうして幽体を認識できるのか、とか日本という場所でどんな体験をし、そしてこの世界へ来てどうやって《支配》されたのかを理解した。恐らく《同調回避の加護》を持つアシリッドだからこそ、こんな無謀なことを出来るわけであるが…少し早まった感も否めない。
実際アシリッドがユウタの意識化から離れた時に、本来の幽体に戻らず目視不可の光となってしまった。焦った。このまま…ただの光のまま消滅とかありえないと思った。
そんな不安と恐怖の中、どうにか幽体に戻ったのはユウタへの《記憶介入》の魔法を解いてから3日後だった。
再度幽体に戻れたことを確認したアシリッドは安堵した。
喜んだ。
本当に喜んで、そして幽体で無許可のまま《記憶介入》なんてもう絶対しない、と心に誓った。
アシリッドはこの人間族が《支配》を受けていることは知っていた。だがどんな経緯で《支配》に至ったのか…その記憶を覗いたら…同調はしてないはずなのに何とも頭がおかしくなるようなことをされた。
アシリッドもまた、中々の体験をしていると思うが、彼のソレは同等とも言えなくもないだろう。だが一般市民…しかも渡り人と魔王だ。立場が違い過ぎる。心構えが違いすぎる。だからこうして突然その時の光景がフラッシュバックしてくる。
初期よりは大分落ち着いたが、まだ完全には消えない。
疑似体験しただけでこの状況だ。
実際に体験したこの人間族は、無事《支配》を抜けることが出来るのか。魔言は突き止めたし、精神内ではあるが、彼と接触も果たし、おそらく現在の《支配》は最弱になっている…と思う。だが抜けてはいない。《支配》を抜けるには本人の意思が必要なのだ。
『大丈夫ですよ。目もありますし、私が見えているなら失明もしてませんよ。というか、幽体で失明とかするんですか?』
よしよし、と宥めているのはエミューテイネルだ。彼女を蝕んでいた瘴気はすっかりその姿を消し、現在はアシリッドとともに、とある部屋にいた。
『そうか…そうなのか…そうだよね、我、エミル見えてる』
この部屋には何人かの人がいた。はた目から見たらイチャイチャしていて注目をかっさらいそうな光景だが、まぁ、誰にも見えていないので気にするところでもない。
『それにしても……我がここまでやったというのに、また我を無視するようになって……またアネスティアさえも接触できなくなくなったではないか。小僧は《契約》の重要性を理解してないな、まったく』
腕を組んでアシリッドは憤慨する。
エミューテイネルもまた、その視線の先に眠る人間族の少年を見つめた。
『こんなことになるなんて、わたしも思ってませんでした。時間はかかるかもしれません。でもユウタならきっと戻ってくれます。だって私と一緒に行こうって言ってくれましたもん』
『我は《契約》したぞ。契約対象であるエミルを蝕んでいた瘴気も除去して完全復帰させたし、これからは問答無用で小僧を連れまわす権利を得たのだ。だからいい加減に、我を見ろ、エミルを見ろ。そうすれば貴様を縛る《支配》を解いてやる』
エミルが眠るユウタをつんつんするが、すり抜けるだけで反応はない。やはりユウタ自身が接触を求めない限り幽体は幽体であり、誰にも認識されないようだ。
『見守りましょう今は……』
『見守る…か……』
アシリッドは契約者であるユウタを見下ろす。
『『害あるものには粛清を、害なき者には施しを』…我は皆にそう『約束』したはずだがな……小僧は害ある人間族なのか? 我が観てきた限りではそのようなことはなかった…こともなかったが……まぁ、あれだ、……結局は『人』。人の持つ業は同じ、とういうことなのだろうな……』
◇
暗い暗い場所…頭がぼーっとして、ふわふわして…でもぐるぐるして、音がぐにゃぐにゃ…気持ち悪い。少しずつ薄暗くなって自分が起きようとしているのがわかる。
起きる?
何故そんなことをしないといけない?
もういないのに…必要ないのに……。
何で必要ないんだっけ…えっとえっと……。
何かを…忘れてる……何だっけ…えっとえっと……。
「いい加減起きろッ!」
緩やかな微睡の中に小さな痛みが走った。
頬を叩かれたようだ。
「……ぅ…」
小さな呻きと共に目覚め、視界に映るものを確認するとそこには人がいた。
「……ぁ……」
いたのは耳長。
でもサイシャじゃない。
灰色の部屋にいた人たちじゃない。
誰?
サイシャはどこ?
あ、死んだんだっけ。
あ、俺もういらないじゃん。
処分しなきゃ…あれ、でも、えっと……。
何か忘れている気がする。
でもどうでもいいような気もする。
だって今、動けない。
灰色の部屋じゃ無いけど、ごつごつの椅子じゃないけど、動けない。
じゃらじゃら聞こえる。
じゃらじゃらじゃらじゃら…。
「あはは……」
何だ、何も変わってない。
何か変な夢でも見ていたのかな。
「…どうぞ……」
目の前の耳長を見た。
ぼやぼやしてるけどサイシャではない。
でも、別の人でもいいや。
だって自分はそういう存在。
遊びたいなら遊べばいい、壊したいなら壊せばいい。
だからユウタは笑った。ニコニコニコニコ。
「…気持ち悪ッ、こいつこの状況で笑いだしたぞ」
「まぁ《支配》状態なうえで、薬入れてるからな。大方、元いた地下でも思い出していてるんじゃないのか?」
「あぁ…話によると魅了の魔言を掛け続けながら毒投与して発狂するまで痛めつけた後に癒して…って繰り返したんだっけ? ……確かにこいつの目イっちゃってんな」
何か聞こえるがユウタは聞き取ろうとは思わない。
耳長の好きにすればいいのだ。
自由にすればいい。
だから気持ち悪いし、頭痛いし、苦しいし、涙も流しているみたいだったけど、気にしない。
「貴様に聞きたいことがある」
耳長は何かを聞きたいようだった。
だったら教えよう。
たいした知識はないけど、記憶も殆どなくて…自分が何かもよくわかってないけど……。
「……どうぞ……」
ユウタは笑う。ニコニコニコニコ。
◇
目覚めては暴れ、大人たちに抑えられて薬を飲まされ、よくわからない尋問をされる……そんな日が7日も続いたころ、彼に変化が起きた。
「あ、目が覚めるみたい。シャル、シャル…起きて」
シャルノイラスはユウタの看病のほぼすべてを一人で続けていた。それを心配したユノカが今回、寝ずの番を代わってくれた。
大人たちは基本的にユウタが目覚め暴れ始めたらここに来て、魔法でユウタの自由を強制的に封じ、何かを飲ませてシャルノイラスを退室させる。その間は大人たちが何をしているのかシャルノイラスはわからない。再びユウタのいる座敷牢に入れるのはすぐの時もあるし、半日近く経った後のこともあった。分かるのはこの場に戻って来る時、ユウタはいつも眠っている、ということ。
だから、ユウタがここに来て最初にした会話以外、何も話せてはいない。何も…伝えられない。
基本的にこの座敷牢の中に大人はいないが、いたとしても牢の外側に見張りが一人だけだ。そして今は一人いる。エリットだ。
シャルノイラスはしばらくぶりにゆっくりと眠った気もするが、緊張は全然ほぐれていない気もした。ユノカの声と揺さぶりに反応しシャルノイラスは緩やかに覚醒してき、そして見張り役のエリットもまたユノカの声に反応しているようだった。
天井近くにある小さな窓から陽の光が射しこんでいる。もう昼近くだと思う。昨日は一日中眠っていたから、どんな反応を見せるのか、緊張が走る。
「ん…ぁ、ありがとう、ユノカ。お前もう帰っていいぞ。こいつ、暴れると半端ないから、ユノカは見ないほうがいい」
「うんん、私もお手伝いする。出来ることは少ないけど、シャルが、大嫌いな人間族をこんなにも守りたいって思ってるんだもん。それって凄いことだと思うから、私もね、周りの意見じゃなくて自分がやりたいって思うことをしようと思うの」
「守りたいってわけじゃ……僕はただ、何もできなかったから…」
「それでも、今はこうして自分のことを後回しにしてまで看病してるじゃない。そ、それってやっぱり凄いと思う」
大人たちに人間族は悪だ、殺すべき相手だ、里に来る者はみんな魔狩りを狙っている。だから人間族は憎むべき相手なのだ、と教えられてきた。確かに時々里に来るし、実際魔狩りの関係者だったことが殆どなのだから、ユノカはそういうものだと思っていた。
でも、実際はどうなのだろう。この人間族に最初に会ったときは怖い、というより不思議な人だと思った。それに悪意は感じなかった気がした。
自分の尊敬するシャルが、あんなにも人間族に触れることさえ忌避するようなシャルがこんなにも守ろうとしている。
「私も言われたからではなくて自分で考えてみようと思うの。きっと自分で考えて答えを見つけることが必要だと思うから。……へ…変かな?」
「変じゃない。僕もユノカを見習わないとな。その為にはこの里は狭いな。もっともっと広い世界を見て、そして自分がどうしたいのか、僕はその答えを見つけたい」
「うん、シャルならきっと見つけられるよ、自分だけの答えが」
そうして視線を再度眠る彼に移すと、ゆっくりと覚醒を始めているようだった。
目覚めたらまた暴れだす。そう思って皆態勢を整えるが……それは起こらなかった。
「……お、おいウスノ…ユウタ。僕のことが分かるか」
ベッドの上で黒の瞳を天井に向けて微動だにしない。
先日まで暴れ叫んでいたのが嘘のような静けさだ。
「……」
ユウタは反応しない。
感情の見えないその瞳は何も映してはいないようだ。
「はぁ…やっと落ち着いたみたいだな。薬の効果かもな…。とにかく、私は長老に報告してくる。勝手なことはするなよ」
エリットは言葉少なく告げて部屋を出ていく。
取り残されたシャルノイラスとユノカはこの状況を見守ることしかできなかった。
「……本当に、落ち着いたのかな……そうしたらわたし、ご飯温めてくる。何か食べないと元気にならないと思うから」
ユノカもまた部屋を去った。
ユウタと2人きりになったシャルノイラス。
「ごめん…まだ助けられる方法がわからないんだ。もう少しだから待ってろよ」
「……」
「…まったく、さっさと元に戻れ、ウスノロ…」
ユウタの上体を起こし、起き上がらせた。されるがままに起き上がるが、支えがなくても倒れることはしないので起き上がろうとする意志はあるらしい。いつものように暴れる気配はない。
「ユノカが食べ物持ってくるから、おとなしくしてろよ。じゃないとまた大人が僕たちを追い出すかもしれない」
人間族には触れたくもない…いつの間にかそんな忌避感は消えていた。
罪悪感なのかもしれない。
別の何かの感情なのかもしれない。
どうして自分がここまでの看病をしているのか、シャルノイラス自身もわからなかったが、今はなんの忌避感も嫌悪感もなく接することが出来た。正直、今でも何でこんなことが出来るようになったのか信じられないが、当たり前に人間族を看病している自分は嫌いではなかった。
ユウタは虚空をぼんやりと見つめている。
そうして突然目の前の壁に向かってゆっくりと右手を差し出した。
「…あぁ…ァ…」
「おい、どうした。そこに何かあるか??」
シャルノイラスの声は届かない。
ユウタはただそこに触れようと手を伸ばす。
「…よかった…エミル……そこにいたんだな……お前も……いろいろ…ご、めん……」
小さく微笑んでユウタは会話を続ける。
「あぁ…だいぶやばい。……そう。記憶がまた……うん。……え? わかった『許可』する。あぁ……気持ち悪いんだ……ふわふわして…あ、エミルそんな心配すんなよ……あ、でも今は……ごめん、やっぱ……げ、ん…かぃ……」
会話らしい何かをして、脱力し気を失ってしまった。
「え……? ちょ、おい、ウスノ…ユウタ。おい、どうしたんだ、今のは…今のは一体何なんだよ!」
シャルノイラスに支えられたままユウタは意識を放棄する。何度も何度も揺らされたが白髪が揺れるだけで目を覚ますことはなかった。
あ、見えた。




