28:記憶の部屋
「だぁぁぁ!! 何だ、何なんだ!! 少しだけ…いや、それなりに我、焦っているぞ!!」
「……」
アシリッドは『新島悠太』の人生を追体験した。
精神世界の出来事なのだから、実際の時間はそれほど経ってはいないが、とにかく、『最初から現在まで』を体験したのだ。
日本の静岡県で生まれ暮らし、色々あって東京に越してきて、おじさんと暮らした。悪霊に追い回され、時には憑りつかれ、善霊と仲良くなり、成仏させ…とまぁ、一般的な日本人の生活とは程遠いものを体験し、この世界に飛ばされてからは、このエル属の里でまぁ、思い出すのも憚れる凄惨なことをされた。もし《同調回避の加護》がなければ、いかに強靭な精神を持つアシリッドとて、正常でいられる自信はない。それ程に危険な人生追体験。
「小指あるよね? あるある。我、きちんと話せてるのか? ん? そこんとこどうなのだ、小僧!」
「……」
白い空間にいた。
上下左右何もない。
ただただ真っ白な空間だ。
「……」
立っているのか浮いているのかもわからない何もない空間でユウタは無感情に首をかしげる。
「………誰?」
「我はアシリッド」
「………アシリッド……」
「…そうだ。貴様と我は《契約》をした。忘れたか?」
コミカルな姿は一瞬で姿を隠し、アシリッドは問う。
「知らない。もう…殆ど知らない。…サイシャのいないこの世界に意味はない」
黒瞳は何も映していない。
正直、何も憶えていなかった。
自分の名前も過去も、何も。
あるのは灰色の部屋での記憶。
サイシャから貰った言葉。
でも、もういない。
どこにもいない。
だったら自分が自分である意味はあるのだろうか。
もう…血を青くしてくれないのだろうか…玩具にも餌にもなれないのだろうか……答えが欲しい。自分には何もないから、選ぶ権利も自由も拒否権も何もない。だから与えて欲しい、支配して欲しい。何も考えなくて済むように……。
「それは《支配》の影響だ。貴様の思考は歪んでいるのだ。我は貴様を体験したからこそ、それを示すことが出来る」
「……サイシャに会いたい…」
そうしてまた自分を必要として欲しい。
それがどんな理不尽なことでも構わない。
だって自分の全てはサイシャのものだ。
「会いたい……」
どうしてそう思ってしまうのだろう。何もわからないのにそれだけは確実な思い。
きっとこういうのが壊れてると言われるのだろう。
もう戻る気もない。
だってもう何もない。
何も……。
「……重症だな。支配者であったサイシャが死したが為、貴様は《支配》を自ら強めている。貴様の全てを記録する魂でさえも支配領域に入る勢いだな。それはもう魔法でどうこうできるものではなくなる魂の記憶を書き換える《絶対服従》だ。支配者の喪失にはそういった効果があるのか……どうにも度し難いな」
少年はアシリッドの言葉を理解しているのかいないのか、首を傾げていた。
「小僧、また名まで喪失したな? 名の喪失は記憶を喪失させる。これ以上無くすな、廃人になるぞ。『新島悠太』」
「…ィジマ…ユウ…タ?」
やはり少年は首を傾げる。
が、突然何かを思い出したのか、突然アシリッドに敵意を向ける。
「……アシリッド。お前…そうだ、サイシャを助けなかった奴だ」
抑えきれない怒りが突然沸いて出る。
この場所に来る少し前を思い出す。
目の前の男が憎い。
サイシャを助けなったこいつが憎い。
自分が憎い。
死ね死ね、消えろ。
見当違いな憎悪だが、そんなの関係ない。
なかったはずの感情が記憶が…暴れだす。
「お前に用はない! 今すぐ消えろッ!!」
突然ユウタの周りに沢山の凶器が現れる。
ハサミ、針、釘に、鎖、ハンマー、ナイフ…それらは全て灰色の部屋にあったものだ。ユウタがその身に受けた凶器が今、ユウタの意識下で武器として具現化された。
「お前は敵だ。サイシャを助けなかった敵だ!! ここで死ねッ!!!」
感情の見えない黒瞳を敵に向け、憎悪の叫びと共に凶器の群れは一斉にアシリッドを襲う。
「…やれやれ…死者を蘇らせるなど出来るわけなかろうが…それは『日本』でも同じだと思うが…あぁ、渡り人であることすら今の貴様は忘れているのか……」
面倒くさそうにため息をつきつつも、襲い来る凶器を魔剣アネスティアで薙ぎ払う。
「この程度の攻撃に後れを取るような我はないぞ」
にたりと笑みを浮かべユウタを挑発する。
「……強いな。だったら……」
ユウタはさらに大量の凶器を具現化する。
「…ここは凄いところだな。思ったものが呼び出せる、創り出せる」
「それはそうだろう。ここは『記憶の部屋』。記憶にあるものを再生し、具現化が出来る場所だからな」
「あぁ、成程。だから思ったものが創れるのか」
「だが、どれほど創り出そうが我には通用せんよ。我、最強だからな」
「成程。目の前の馬鹿は自分を『最強』とか言うような痛いヤツなのか」
ユウタもまたにたりと歪んだ笑みを浮かべる。
両手を広げて、沢山の凶器を円状に広げていく。
やばい、タノシイ。
突然そんな気分になった。
誰かを傷つけること、殺そうとすることが楽しいなんて…いよいよ救えない。
でも、救いなんていらないのだから関係ない。
楽しもう、今を。
「通用するかどうか、やってみないとわかんねぇよッ!!!」
作り上げた凶器を目標目掛けて解き放つ。
「なッ!!?」
その行動に、流石のアシリッドも焦りを見せた。
「馬鹿か貴様はッ!!!!」
アネスティアを通してユウタの周りに結界魔法を発動。
ユウタを目掛けて降り注いだ沢山の凶器たちが結界に止められ、落下する。
「………チッ」
ユウタ自身への攻撃を阻止されて、反射的に舌打ちしてしまった。
「……何で邪魔すんの? ……あぁ、迷ってここに来た感じ? だったら」
ユウタは何かを理解したいのか、想像の力で一つの扉を創った。
「出口はそちら。どうやら俺にはお前を殺せそうにないから、そこから出てけよ。1人になったら続きやるから」
「……続きとは自殺行為か」
ユウタは微笑む。
「そう。こいつらは全部俺の一部何だよ。全部この身に受けた。だから俺はこれで俺を殺す」
自分に向けて放ったのに、結界によって防がれた灰色の部屋での凶器たちを無感情で見つめる。
「さぁ、出てけよ。お前は必要ない」
「貴様になくとも我にはある。我と貴様は《契約》しているのだ。それを忘れてもらっては困るな。その為に貴様の記憶を体験し、そして《支配》を解く術を見つけてきたのだからな」
「あぁ、『表』でもそんなこと言われたことあったっけ。《支配》、大いに結構だよ。そのお陰で殆ど何も憶えてねぇのに、俺はサイシャの言葉はすべて憶えているんだ。それだけが大切だから、それ以外はいらないから。それが《支配》の影響だっていうんなら、俺はそれで構わない」
「その思考こそが《支配》の影響なのだがな…それさえ気づけなくなるほど、《支配》の影響は強まっているということか」
突然ユウタが嗤いだした。
「お前さぁ、こんなとこまで来て何がしたいわけ? 俺を助けたいとか言っちゃう感じ? それって凄くすごく迷惑なんですけど?」
アシリッドもまた嗤う。
「随分と舐めた態度を取ってくれるな、小僧。我とて《契約》を反故にする貴様が迷惑でならんよ。《契約》は互いの魂を縛るものだ、安易に忘れらるのは少々腹立たしいな」
「わ、怒ってんの? 知らねぇしそんなの。殺したいなら殺せば? あぁ、確か《契約》破ったら死ぬんだっけ? だったら破る、今すぐ破る。だから殺せよ、さっさと殺せエェェッ!!!!」
そしてまた嗤う。
それは狂気の嗤い。
楽しいわけでも嬉しいわけでもない。
ただ嗤いたいから嗤う。
もうずっと自分が何なのかがわからない。
感情すらわからない。
狂ったように嗤うユウタを見てアシリッドはやれやれ…とでも言うように大きくため息をついた。
「……はぁ…そんなに泣くな。我とて、そういうのは……弱い」
「………は?」
ユウタには目の前の男の言葉が理解できない。
『泣くな』とは?
今自分は何をした?
嗤った。そう嗤ったはずだ。
理解できない理解できない…理解しない。
「……邪魔だな、お前。やっぱ死ねよ…」
だからまた具現の力を利用する。
まだあるはずだ、目の前の脅威を排除する術が。
今のユウタには記憶が殆どない。
だが、それは憶えていないだけで生まれてから今までの記憶は全てここに記録され保存され存在するものだ。それが『記憶の部屋』
「へぇ…中々面白いもんが作れたな。これも俺に関わったものだって? ははっ、いよいよ化け物だな俺は」
創造したのは沢山の『悪霊』。
その中にはユウタが成仏させたはずの悪霊リーマンもいた。
つまりは記憶はないままに、記録にある、悪霊だけを創ったということだ。
「…厄介なものを…」
自称最強のアシリッドでも、戦ったことのない悪霊にどう対処すればいいのかわからない。
「…おい小僧。それがどういうものか理解しているのか?」
「知るわけねぇだろ。お前を殺す力を望んだら、この部屋の『記録』? が勝手に作り出したんだよ。この部屋が俺の記憶で出来ていて、こいつらも俺の記憶の中にいたってことなら、何かの関わりがあったんだろうな」
ユウタはぼんやりと悪霊を見る。
頭部が血だらけだったり腹が裂けていたり、片目がなかったり…グロテスクなものが黒い靄で覆われていた。声にならない声を上げ、苦痛を訴えているようで恨んでいるようで……。
「…もしかしてサイシャの玩具になる前はこいつらの玩具だったのかな? ははっ、だったら本当…もう死ねよ、俺」
自分の価値が見出せない。
消える願望だけが強くなる。
悪霊はそれを察したのか、一斉にユウタを襲った。
「だから、どうして貴様はッ!!!」
アシリッドは再度結界をユウタの周りに張るが、元々触れることのできない存在なのだ、あまり効果はない。
「だろうな。我が観た貴様の記憶では『悪霊』は実体を持たない。だがッ!!」
魔剣アネスティアを高く掲げ魔法を発動。
「無に帰せ、《虚光》」
瞬間、ユウタを包む結界の外が淡く光り、そのまま強い光を発する。光に包まれた悪霊たちは叫びながら霧散していった。
「ふぅ…やはり原理は同じようだな。まったく手こずらせてくれる」
使ったのは瘴気を微精霊に戻すための魔法。妖族は瘴気が必要な為、ほとんど使うことはないが、憶えるのはタダなので憶えておいた魔法だ。
「……ほんっと…ムカつく奴だ、お前…」
だがユウタもそんなことでは諦めない。
元々勝ちたいわけじゃない。
邪魔だから殺したいだけだ。
今のユウタはここで消えることを本気で望んでいる。
それが歪められた想いだとしても、今は《支配》だけが真実。
「……砕けろ」
アシリッドが作った結界を言葉で破壊する。
やはりここはユウタの思いが力になる場所だ。
だったら……。
「武器、凶器、悪霊、全部来い…」
瞬間、ユウタの手には包丁、頭上に沢山の凶器、そして悪霊が現れる。
「……仕組みが理解出来てきたようだな…小僧」
「お陰様で。だからもう死ねよ。俺の邪魔すんな」
言葉が合図になり、ユウタから創り出された悪霊が一斉にアシリッドへ向かう。同時に凶器を弧を描くように旋回させるとユウタ自身は包丁を握りしめアシリッドを殺すために駆け出す。
「死ね、死ねェッ!!!」
別に格闘技を習った記憶なんてない。あったとしても今は知らない。だから物量で押し切る、勢いで押し切る。相手にかなわなくてもいいのだ、隙さえあればいつでも殺せるはずだ。
ユウタは頭上に大量の凶器と悪霊を携え、右手に包丁を握りしめ、直線状で敵に向かう。
「…はぁ…こんなところで蓄えたアネスティアの魔力を解放したくはないのだがな……」
げんなりしつつも、悪霊を消し去り、凶器を叩き落とし、アシリッドはユウタの創り上げた凶器たちを切り裁き消滅させていく。
そもそも相手は素人なのだ。どれだけ強力な力を得たとしても、それを使いこなせなければ意味がない。
「これならどうだッ!!」
ユウタは握りしめた包丁をアシリッド目掛けて突き出す。同時に凶器をアシリッドの後後方に展開し、左右に悪霊を配置。
「…よくもまぁ次から次へと…」
呆れつつも、アシリッドはアネスティアを構え結界を展開。襲い掛かる凶器たちは結界に阻まれ
「無に帰せ、《虚光》」
続き、先ほどと同じく魔法で消滅させていった。
「学習能力はないのか?」
嫌味を含めユウタに視線を戻すと
「お前こそ」
結界まで来たユウタはその手前で止まり、包丁を突き出し嫌味を込めた笑みを送る。
「この世界は、俺の自由なんだろ、だったらこんなものッ!!」
突き出した包丁を結界へ。
「《砕けろッ》そして《突き刺せ》」
言葉に反応するように、アシリッドを覆う結界にひびが入り砕けていく。そのまま包丁をアシリッドの首元狙い突き刺そうとしたが、大剣アネスティアによって防がれた。
だがユウタは止まらない。
だってここは自分の世界だ。
自分が一番強い。
「《突き抜けろ!!》《ぶっ壊せ》《死ね死ね死ねッ!!!》」
呪詛のように声に出す。
願いを乗せ、呪いを乗せ。
「な!!?」
再度大量にアシリッドを覆う凶器と悪霊。それらが全てアシリッド目掛けて襲い掛かる。慌てたアシリッドは同時に結界を再構築する。
「ちょ!!?」
再構築できない。
目の前の素人は、封印術を突然覚えたのか?
自分の意識世界とはいえ、この想像力は一体どこから……。
深く考えたいがそれをする時間はない。
この無限に湧いて出るような凶器たちを消し去らねばいけないのだから。
ユウタの包丁をアネスティアは弾き、そして再度魔力を言葉に乗せる。
「無に帰せ、《虚光》ッ!!!」
結界はない。
つまり凶器の勢いを失くし一か所に完全に集めることはできないが、連続すれば……。
「させるかよ。どんどん来いッ《凶器》《悪霊》ッ!!!」
「おまッ…!!?」
消した傍から新しいのを追加され、流石に焦りを見せる。
「どうしたよ。消し去れよ、《自称最強》さん」
やっぱりタノシイ。
強い力で甚振るのはなんとタノシイのだろう。
サイシャの気持ちが良くわかる。
楽しい、タノシイ。
「ヒヒ、ヒッハハハッ…」
つい笑いが出てしまう。
「…また《支配》を強めたな……。魂を壊す気か、貴様はッ!!」
迫りくる凶器や悪霊をアネスティアにて切り刻み、振り払い、それでも少しずつ傷を増やしていくアシリッド。ユウタはアシリッドに包丁を突き刺すことだけを…楽しんだ。
「知らねぇよッ!! 意識の世界でも血は出るんだな、赤いんだな。いいねイイネ、ヒハハハッ!!」
支配を強めるたびに攻撃に勢いが増し、能力値が上がっていくのがアシリッドにはわかる。だからこそ躱しきれない部分もあり、せっかく瘴気を大量に得て元気になったアネスティアにも勢いがなくなってくるのが分かった。
「…まったく、我もどうしてこんなことをしているのやらだ…」
正直、ここまでしてこの人間族を助ける意味はないと思う。確かにエミルの頼みもあるし、契約もあるわけだが……。
まぁ、実際翌日には『契約』を忘れているから少し頭に来てここまで来たが、もうここまで来てしまったら、契約破棄してここから去るのが得策だと思った。
だがそれはしない。
アシリッドは関わった者を投げ出したりはしない。
「…中々面白い追体験だったしな……」
「………そ、…ょか…った…」
瞬間全ての動きが止まる。
それはアシリッドがユウタに魔剣を突き刺したから。
「…っと、隙…できた……」
ユウタはこの時を狙っていた。
物量でアシリッドを追い詰めて、出来れば殺せればいいけど、出来ないとしても自分の身を守るために発生源であるユウタに攻撃を仕掛けてくるこの瞬間を。
アシリッドの狙い通りに凶器も悪霊もぴたりと動きを止めた。
命令者が命令をやめたからだろう。
「…まったく貴様は…どうしてそうまでして」
「…さぁ…こぃ…ッ!!」
アシリッドの言葉などどうでもいいというように、ユウタは意識が途切れそうなのを堪え、創り上げた凶器たちに命令する。
「だからどうして貴様はッ!!」
同時に凶器たちは再度ユウタ自身に標的を変えた。
もうアシリッドに結界は使えない。
魔法の源でもある魔剣もユウタ自身に突き刺すことで封じた。
これで心置きなく……。
ユウタはようやく全身の力を抜いて目を閉じた。
――やっと眠れる――
穏やかな時間が訪れた。
凄く凄く眠い。
だからその誘惑に従った。
でも、いつになっても凶器も悪霊も襲い掛かってはこなかった。
何か抱えられているような感覚、そして動いている感覚はあるが、もう目が開かない。やっぱりあいつを殺さないと死ねないのかな……ぼんやりと思った。
でも、もういいや。
好きにすればいい。
肉体がいくら活動できる状態でも心が死んでいればそれはただの……ゴミだ。
初かもしれないバトルシーン?




