23:修正
女王は何もできない。
今、目の前では青黒い瘴気が渦巻いている。
展開が早すぎて脳が追い付かない。
どうしてこうなったのだろう……。
「わたくしが臆してしまったから……」
そう漏れた呟きを、シャルノイラスは逃さない。
「女王様、貴方はあの人間族なんかに与えるにはもったいないくらい、色々なことに尽力してるんですよ、ご自分を卑下なさらないでください!!」
「……シャルノイラス……ありがとうございます」
視線を戻すとそこには青黒い靄…瘴気が凄まじい勢いで広がりを見せていた。覚悟を決めるしかない。
「彼を取り巻く空間を固定、隔離します。シャルノイラス、少しわたくしから離れてください!」
ここは瘴気で汚していい場所ではない。
瘴気の空間を彼ごと固定して隔離。
そのまま妖属に渡す……それしか……。
「はい、わかりました!」
シャルノイラスは指示に従い、少し離れようとする。が、
「あ…女王様、瘴気の様子が変です。何だか急速に……え? あ、ああ!!?」
シャルノイラスの戸惑いも頷ける。
広がり続ける瘴気は竜巻に吸われるように姿を消していく。
そうしてその中央には大剣に貫かれ立ち尽くす彼の姿があったのだから。
「一体…何がどうなって……」
戸惑うシャルノイラスが釘付けになっている先は、大剣に貫かれた少年の姿だ。大剣は、動揺を隠せいないシャルノイラスの見ている前で音もなく消滅すると、それを支えにしてたユウタはその場に崩れ落ちる。
瘴気の中でどれだけ自虐行為に走ったのだろう。
倒れた先には大量の血だまりが出来ていた。
「え?…一体どういう……」
その光景を確認して更にシャルノイラスが驚く。
「血だまりが……赤い……?」
先ほどまで瘴気を放っていた青い血はそこにはなく、彼が倒れた場所には赤い血だまりが出来ていたのだ。
いよいよ混乱してきたシャルノイラスは近くの女王に状況を確認してもらおうとするが、女王もまた現状が理解できずにいた。
◇
女王は見た。
見だけれど、その光景をどう理解すればよいのか分からない。
瘴気を隔離しようとした。
少年を助けることを諦めた。
だが、それは起こったのだ。
風もないのに突然の竜巻に瘴気が掻き消され、そこに現れた大剣にくし刺しにされた少年。大剣は瘴気の消滅とともにすぐに姿を消してしまった。
消えてしまったが、どう考えても瘴気を消し去ることが出来るのは妖属の扱う魔器ぐらいだ。そして、妖属の長は人間族を絶対に助けないと言った。妖属の姿はどこにもない。だったらこの光景は何だというのだろうか……。
だから今見た物が信じられない。
瘴気を吸収したのは間違いなく妖属の魔器だろう。妖属は誕生と同時に武器を体に宿す。だから魔器は妖属の一部。妖属が居なければ存在しないモノ。なのにそこに妖属の姿はなく、魔器もまた消滅してしまった。
「一体……何が……」
◇
黒い空間、白い空間。
混ざり合った変な空間。
『来たな』
そこにはユウタがいた。
「ここは……」
戸惑いを見せるのもまたユウタだ。
「…ぁ……」
思い出す。
現実世界では一切思い出せないのに、ここに来ると思い出す。
もう何回も来ている。そして来るたびに……。
「…ぃやだ……」
恐怖が蘇る。
言うことを聞かなかった、自分のやりたいようにした。
必要ないことを思い出してしまった。
その報いが来る。修正される。
「俺は…助けたいんだ…エミルを、あの子は…だって……」
2人のユウタは目と鼻の先にいる。
『どうしてあのまま終わらなかった? 処分するんじゃなかったのか? そうするのが俺の役目だろ? 望んだことだろ? 忘れたのか?』
ユウタは冷静だ。
「…忘れてない。でも、俺だって助けたくて…」
『忘れてないなら助けたいなんて思わないだろ? そんな一端の人間みたいな台詞、どうして俺が吐ける? 俺に心なんていらない、感情なんていらない、俺は甚振られるだけの使い捨ての玩具だ、そうだろ?』
「……」
『確かに見た目は人間かもしれない。でも魂は造り物だ、器だって造り物だ。全部全部偽物なんだよ、立場分かれよ、俺』
ユウタはユウタに容赦しない。
ただただあるべき姿を言葉にする。
「……どちらにしろ死ぬんだったら、最後くらい…」
ユウタの精一杯の抵抗。
でも、その力は弱い。
それ程に目の前の人物は脅威。
『最後くらい? 俺はただの玩具だ。いいか、俺が決めていいことなんて一つもないんだよ、忘れんな』
「…あ……あぁ…嫌だ、いやだ……もう、戻りたく…せっかく……俺は…ッ」
消される。
エミルが教えてくれた温かさ、守りたいと思う気持ち、感情が。
膝を折り蹲ってしまう。
頭を抱えて今を否定する。
だが現実は無情だ。
『残念。お前は俺で、俺はお前だ。そして俺は強い。《支配》ってのはそういうもんだ』
消えていく、再度芽生えることができた気持ちが感情が、造り物へと塗り替えられていく。
『守りたい、なんて思い俺には不相応なんだよ。俺は灰色の部屋を出た。そして血は青くなった。だったらあとやることは一つだろ?』
忘れたくない、消したくないのに、ユウタはそれに抵抗できない。大切にしたいと思ったこと、守りたいと思ったことが何故そう思ったのかわからなくなる。耳元で囁かれる。
『殺せ、俺を』
震えるユウタがピクリとする。
『何こんな場所で勝手なことしてんだよ。大切なあの人の言葉、忘れるわけないよな??』
そうして、塗り替えられる、修正される。
抜け出すことが出来ない。
髪を乱暴に掴まれた。
無理やり立たされた。
目と目が合う。力強い視線が怖い。
『いい加減諦めろよ、俺が俺に勝てるわけねぇだろ。同じなんだから。そして強いのは俺なんだから。さぁ、そろそろいいだろ? 自分がどんな立場か思い出しただろ? ニイジマユウタの紛い物』
どんなに足掻いたって変わらない。
だってこれは使い捨ての創られた命なのだ。
認めてしまえば、震えは止まるし、心も穏やかになる。
「………あぁ、ありがとう。おかげで思い出した」
だからユウタはそれを受け入れる。
もう、自分で立てる。
『………だったら行けよ。俺はいつでもここにいる。俺が間違ったときに何度でも修正してやる』
「あぁ…女王様が余計なことしてくれたから最近の俺は忘れやすいし流されやすい。またなったら、頼む」
もうユウタに恐怖はない。
修正は完了したようだ。
「あ、そうだ。行けってことは、俺まだ生きてんの?」
『残念ながらな』
「そっか。んじゃ、できるだけ妖属の住処に行けるよう頑張ってみる。駄目だったら……処分するよ」
『あぁ、そうしろ』
「わかった。なら、死んでくる」
『あぁ、それでいい。他は忘れろ』
「確かに、これから俺は俺を殺すんだもんな。ここでのことって基本表じゃ憶えてないけど、でも、サイシャの言葉を忘れないように、いらない記憶はできるだけ捨てるよ。じゃあ、行ってくる。ありがとな、いつも俺を正してくれて」
ユウタは微笑む。
そこに恐怖に怯える姿はない。
そうしてこの歪な空間から1人のユウタが消えた。
1人残るユウタ。
『馬鹿が。いい加減俺より強くなれよ』
◇
再びユウタが目覚めた時、水色の空間ではなく、ユウタが灰色の部屋から目覚めたときにいた木製の部屋だった。まぁ、だからと言ってなにをどうするわけでもないが。
「あれ?」
目覚めの良いユウタは、上体を起こすと、なんか場違いな大剣が立てかけてあることに気づくが、興味はない。
さて、眠る前のことを思い出そう。
毎度毎度の状況確認だ。
自分が憶えているのは、めでたく血が青くなったので、サイシャに報告しようとして、いなくて、女王様のいる水色の広間へ行ったこと。そこで自殺行為をはじめたこと。
青い血は瘴気を発生させて、自分もその中にいて、意識失って……。
違和感。
「ん? 何で治ってんの? 何で生きてんの?」
骨が見えるくらい左腕を削ったはずだ。
確か、女王様の治癒の魔法も効果なかった。
それなのに左腕は癒されていた。
疑問。だったら……。
ガリガリガリガリ
ガリガリガリガリ
「ちょ、お前、起きざまになにやってんだよッ!!」
突然この部屋に現れたシャルノイラスに止められた。
でも言葉だけでユウタには触れてはこない。
だからユウタはやめない。血が確認できるまで掻きむしる。
何やら体が軽かった。
頭痛いし、倦怠感もあるけど、今までで一番力が入る。
だからそれは比較的あっさりと確認できた。
「何で…赤……?」
青になったはずだ。
終わったはずだ。
それなのに血は再び赤くなって生きている。
どういうことだろうか……女王様が癒した?
でも癒せないって言っていたはずだ。
「妖属…だっけか、それが来たってことか?」
確か女王様は言っていた。
妖属なら瘴気を消せると、だから交渉していると。
だとすると、どうして自分が生きているか納得いく。
まったく、余計なことをしてくれたものだ。
「おい、ウスノロ!! 僕を無視するなッ!!」
「…あ、悪い」
ガッツリ無視していた。
今のユウタには興味がないから仕方ないのだ。
だから目の前の餓鬼を無視してしまっていた。
でも無視はいけないな、だから素直に謝ろう。
「お前またそんなことして…僕は治癒術使えないんだぞッ!」
怒っているようだが、彼女はユウタを嫌っていたはず。
何故? とも思ったが深くは考えない。
別に治癒なんて望んでいない。気にしなければいいのに、と思う。
「いやいや、お前に害はないだろ? 寧ろさっさとくたばっれって思ってんだろ? 今更隠すなよ」
ユウタは立ち上がると部屋を出ようとする。
止められた。
「何?」
「どこ行くつもりだ」
「ここじゃないところ」
「だからそれはどこだって聞いてるんだ」
「……別にどこだっていいだろ?」
「よくない! 僕は女王様からお前の監視を任されてるんだ」
「監視? 何の?」
「それは、…お前が変な行動起こさないようにだ」
「ははっ、変な行動ってなんだよ。俺はただ、血が青くないないからこの里の外で自分を処分しようと思ってるだけだぜ? ほらここだと色々後片付けとか面倒だろ?」
「……は? 処分? それ自体が変な行動だろ! いいか、お前はサイシャたちの言葉に支配されてるんだよ! 魔法だ、《魅了》の魔言を何度も何度も受けて《支配》されてんだ。本当のウスノロなら、そんなこと思いもしないはずだ。ここで大人しくしてろ。女王様はお前を助けるために尽力してくださってんだ。それを無下にするな!!」
「魔法? 支配? 俺が? まぁ、それならそれでもいいけど? 俺は別に女王様に助けてほしいなんて思っちゃいねぇよ。灰色の部屋でずっと願ってたんだ。まぁ、経緯はどうであれ灰色の部屋から出られたんだし一度は血も青くなった。だから、できれば妖属の住処に行きたいけど、場所わかんねぇし、誰も教えてくれんないし、サイシャ達にも会わせてくれねぇし。おまけに血の色まで元に戻っちまったし……だったら処分するしかねぇだろ? それだけだ。だから退けよ」
感情の見えない黒い瞳はシャルノイラスを見据える。
貧弱な人間に睨まれたところで怯むはずがないシャルノイラスだが、この時は何故が鳥肌が立ってしまった。
シャルノイラスはわからない。
女王様は助けると言ったが、《記憶介入》が出来るわけじゃない。干渉できる力はあるが、この人間族の記憶に介入したら感情が同調してしまう。そんなこと、大切な使命のある女王様には出来るはずないのだ。
《支配》も消えないままに、再度この人間族にこの世界で生きたいと思わせることが出来るのだろうか…本当にそこまでする必要があるのだろうか……。
だったら…と思う。好きなようにさせたらいいんじゃないか。原因はわからないが、血の色は戻った。体内の瘴気も消えたみたいだし、今は感情を開放しているようだが、《支配》が消えない限りはまた以前のようになるのだろう。毒が消えたわけではないし、心までは変わらない。
「なぁ、お前は生きたいとは思わないのか?」
だから聞いた。
「思わない」
迷いのない言葉にどう続けたらいいのか分からなくなる。
「ってかさ、何それ。何でお前がそれ言う? 望んでたんじゃねぇの? くはッ」
突然雰囲気が変わる。
先程までは人ごとのように淡々としていたのに、
「あははは、あはははは。ハハハ、冗談きっついなぁシャルは。もうスッカスカな記憶だけど憶えてるぜ、俺以前女王様の部屋に連行されてさ、お前に言われたんだよ『処刑は決まってる。狂うまで痛めつけて、狂ったら癒してまた狂わせて、魂が限界を迎えたら消滅しろ!!』って。こんなことばっか一字一句漏らさず憶えてんだよッ!!!」
嗤いは次第に狂気へ変貌する。
「良かったじゃねぇか、お前の願った通りになったよッ!!! 狂って癒されて狂って癒されて、支配? されてるかもな。魂ももう限界だろうよ。俺は死にたいよ!! ずっとずっとそればかりを考えてた。自殺もできねぇし、来る日も来る日も苦痛しかねぇし、何でこんな糞みたいな世界で生きなきゃいけねぇんだよッ!!!!
………なぁ、教えろよ」
突然嗤いをやめシャルノイラスの眼前にユウタの顔が迫る。
その目に輝きはない。
「答えられないなら退け。邪魔だ」
弱い人間族。
魔法という力でも実際の腕力でも間違いなくシャルノイラスの方が強い。だが、彼の鋭く冷たいナイフのようなその言葉は魔言でも含んでいるかのような威圧感を発する。
確かに結界に迷い込んだこの人間族を里へ連れ込み拘束し、女王様に引き渡した。その時に感情のままにそんなことを言った。だって仕方ないじゃないか。両親は人間族に殺された。姉は行方不明。人間族なんて大嫌いだ。苦しんで死ねばいいと思っている。
彼が言うように、彼はシャルノイラスの発した言葉通りになった。それは確かに願ったことだが、実際に言葉にした光景を見てしまえば、どんなに酷いことを言ったのか、心ないことを言ってしまったのか、と後悔し反省もしたのだ。謝ることも考えていた。でも出来ない。そんなことで目の前の人間族は変われない。
すべては手遅れなのだ。
シャルノイラスは退くことしかできなかった。
「お? 案外素直じゃん。いやいやってか俺、今お前に酷いこと言ったよな…ごめん!!」
「…ぇ?」
「いや…怒鳴るつもりなんかなかったんだ。自分の立場だってわかってる。でも…女王様が余計なことしてくれたからさ…なんか突然イライラするんだ…マジごめん。でも、昨日? よりは大分色々忘れたし、しばらくすればもっと色々忘れて落ち着くと思う。本当悪かったな……」
「いや…僕は気にしてない…けど…」
「そっか、やっぱりいい奴なんだな、シャル」
突然先程の緊迫した空気を変え、ニコニコ笑顔でユウタはシャルノイラスの肩を叩こうとしたが、彼女がびくっとしたので、それをやめる。
そういえばそうだった、彼女は相当な人間族嫌いだ。今までユウタに触れようとしたことなんて、激情して鳩尾殴られた時ぐらいだろう。だからわざわざ彼女の嫌がることをする必要はない。
「……ぇ、ちょっと待て、なんで今僕のことを『シャル』って呼んだ。さっきもだ。どうしてお前がそう呼ぶ」
だが、そんな変貌ぶりに驚くよりも、シャルノイラスには気になることがあった。愛称で呼ばれるということは、どこかでそれを知ったはずだ。今までのどこかの会話に混ざっていて何となく言っただけであり、実はそこまで気にすることでもないのかもしれないが、どうしても気になってしまった。
「え? だってシャルだろ? あ、あぁ、シャルノイラスか。まぁ、どっちでもいいじゃねぇか。お姉ちゃんのエミルだってずっとお前のことそう言ってたし」
今、聞き逃してはいけない言葉が聞こえた。
「おい、ウスノロ!! なんで姉様のことを知ってるんだ、エミルと呼ぶんだッ!!」
女王様に視てもらったときに『エミューテイネルは知らない』と言った。そこに嘘はない。でも今、知ってる素振りを見せている。これは一体どういうことなのだろうか。
「おい、お前エミル姉様の正式な名前を知っているのか」
だから聞いた。女王様はエミルではなく、『エミューテイネル』を知っているかと聞いたはずだ。だったら絶対に知らないはずだ。
「? エミューテイネルだろ? で、お前が妹のシャルノイラス。違ったっけ?」
何で知っている。
いつ知った。
この壊れてしまった人間族は何の情報を持っている……。
「おい、その情報をいつ知ったんだ、どうしてお前が知ってるんだ。教えろ、教えろッ!!」
シャルノイラスは感情に任せて、ユウタの両腕に触れたていた。人間族には触れたくない…そんなシャルノイラスの忌避意識を忘れるくらい、重要なことなのだ。
突然の接触行動でユウタもびくっとするが、教えろと言われても、困る。
「いつかは知らない。なんか頭の中に知識としてある感じ、かな。まぁ、知るきっかけはあったんだろうけど、正直それがどんなことだったは思い出せないんだ。今の俺はほぼ空っぽ。あ、でも、灰色の部屋のことはよく覚えてるから、もしかしたらサイシャに聞いたのかもな。悪いな、役立たずな記憶で」
隠すことなくそんなことを言われたら、突っかかることなんかできはしない。
この人間族の思考はもう普通じゃないのだから。
「もういい? 俺行くから」
まるで、遊びに行く子どもだ。
目の前の人間族は嬉々として死を求める。
「…どうして、こうなった……」
「ん? どした」
目の前の人間族は、姉様のことを知っている。
誰も行方を知らない、もうみんな諦めろと言った、もうこの世にはいないと。でもこの人間族はエミューテイネルを知っている。
もしかしたら会っているのではないか?
でも、いつ、どこで?
女王様に視てもらったときは絶対に知らなかった。
だとすると、軟禁した部屋、そして監禁されていた地下……でも、どうやって……。
これはただの願望なのだろうか…本当はただ彼の言うようにサイシャから聞いただけで……会ってなどはいない…のだろうか……。
微かな願望が現実を否定する。
「生きているのか、姉様は……」
「さぁ?」
しかしシャルノイラスの懇願は、この人間族に届かない。
黒い瞳は何も映しはしない。
さてさてこれからどこで処分しよっかなぁ




