22:願いを込めて
ユウタが女王様の館へ入ったと同時くらいに、アシリッドは再びエル属の隠れ里へ戻ってきていた。彼はふわふわと目的地であるシャルノイラスの家へと向かう。だが目的の少女…エミューテイネルはそこいなかった。
『出かけているのか? 妹も不在のようだな……』
誰もいない部屋をアシリッドはうろうろする。
『つまらん』
暫くは家で待機した。だが、基本的にじっとしていられないアシリッドはすぐに外に出て里中を回る。それでも彼女も人間族も、そして彼女の妹の姿まで見つけることはできなかった。家に戻っても誰も来ないし、変化はなく、時間だけが過ぎていく。
彼は幽体。エミューテイネルと同じく見ることと聞くことしかできない。もちろん気配だって感じることはできないのだ。
『うむ……そこまで隠れるような場所がこの里にあったか? ……そう言えば扉が出ていたな。もしかすると……』
幽体は見ることと聞くことしかできない。
だが一つだけ彼女と違うことがあった。
『これ以上は待てんな………だってまた嫌な予感がしてるし……。もう残量少ないから無駄遣いはしたくないのだが……行ってみるか』
アシリッドはふわふわとしかし足早? に女王様の扉へと向かう。そして、
『やはりまだ館の接続中か……では少しだけ……アネスティアッ!』
その声と共に、アシリッドの左手には黒紫の美しい大剣アネスティア。
『《扉の先へ我を導け》』
アシリッドはアネスティアを女王様の扉へ突き刺す。
すると扉の向こうの景色がうっすらと姿を見せた。
これは『魔王特性魔法』の一つ空間魔法である。
これが同じ幽体でありながらエミューテイネルと違うところだ。
魔剣アネスティアを利用することで、ある程度の魔法は現実に干渉ができるのだ。
まぁ、利用のたびに溜め込んだ魔力を放出してしまい、補充は出来ない…という難点もあるが……。
そうして魔王アシリッドはエル属、女王エトワールの館へ無断侵入を果たした。
本来なら即バレする無断侵入。
だが、今のアシリッドは幽体。
誰にも認識されることはない。
だから隠れることもなく堂々と水色の部屋を進もうとしたが、その歩みはすぐに止まった。
『なんだ…あれは…………瘴気??』
何故、こんな場所に?
と素直な疑問。
そして同時に強まる嫌な予感。
気配を感じることはできない。
だが、確実にあの瘴気の中には何かがいる……アシリッドは直感した。
「おい、やめろッ!」
「…ユウタさん」
瘴気に向かって女王とシャルノイラスが声を掛けている。
『ユウタ? 確かあの小僧の名もユウタだったな…ということは』
目の前には広がり続ける瘴気。
妖属の里でもこれほど純度の濃いものは見ない。
『この中にあの小僧が?』
疑問。
だがそれはすぐに好奇心へと変わる。
『……それにしても……』
『これはこれはなかなか美味そうな瘴気だな……この中に小僧が? 死ぬだろ…これ……。あ、取り敢えずアネスティアに……』
『《取り込め》』
アシリッドはアネスティアの先端を前方に向ける。
『………うむ…、やはり吸収できないか……折角のご馳走なのにッ!』
悔しさを口にするが、まぁ、出来ない前提だったからそこまでダメージはない。
『我このままでは何もできないのか。ならば!! よし、これならどうだ!! なんと、これでも駄目なのか。うーむ……』
訂正、やっぱり悔しいらしい。
だがここで考えても仕方ない。
アシリッドは瘴気の中へと進んで行くのだった。
◇
瘴気の靄へと足を踏み入れると、水色の部屋本来の美しさはぼやけて行き、しばらくもしないで視界は瘴気のみとなった。
『これは…視界が最悪だな……それに、エトワールたちの声も聞こえなくなった。この瘴気は珍しい…感情が生きているようだな。『静』を求めているのか…いや…『無』か……?』
視界が悪く、かなり近づかないと、何も見ることが出来ない。しかし同時に……。
うろうろしながらアシリッドはあれやこれやを試していた。
その時見つけた小さな光。アシリッドはその光が何かを知る。
そうしてなんとなくこの状況を簡潔に理解した。
それから光の導くままに移動し、何かを見つけた。
アシリッドはそれが何かを確認するため視線を落とす……。
『あ、小僧発見。おい、小僧。この瘴気の発生源は貴様なのか?』
何か聞こえる…しかしもう意識が遠く、命の灯さえ消えそうなユウタには何を言っているのか理解出来ない。
『あーもしかして無視とかしてるのか。貴様と我の仲ではないか。そんな態度されると我、悲しいぞ』
穏やかな気分だったのに…このまま穏やかにいたいのに……。
『む……貴様、よく見れば中々に瀕死のようだな。故に我の声が届かないのか。そうかそうか。ならば仕方ない、アネスティアを……』
やっぱり煩い。一体誰だ……。
『我が魔剣の力、あんまり残ってないから無駄遣いしたくないが……仕方がない。えいッ』
(……ぇ? 何か今背中に何か刺さった気がする。うつ伏せだし体動かないけど……これ、刺されたよな? まぁ、いいけど)
『あ、小僧今、刺されたこと理解したな。そしてまぁいっかとか思ったな。まぁ、我もこの状態で刺せるとは思わなかったがな…ハハハッ』
さっきより声がはっきり聞こえる。
少し低い男性の声だ。
ってか何故笑う。
『いかんな、無視は。我の声は聞こえているのだろう? いいのか? エミルはこのままでは消滅するぞ』
「エミル!?」
何故この声の主がエミルを知っているのか。それは今どうでもいい。エミルがまだ存在しているのなら。
「助かるのか、エミルは、まだここにいるのかッ!!」
目が開いた。
声が出た、起き上がれた。
瘴気の中、状況は変わらないのに、ユウタは再び動けた。
『おぉ、我が魔剣最強だな。どうだ小僧、我と我が魔剣の偉大さ、実感した感想は』
「……は? あ、あれ…そう言えば俺、起き上がってる……」
もう二度と起き上がれるなんて思ってなかった。でも確かに今そこそこの気力がある。これは一体……。
「って…お前……魔王……様??」
倒れていたユウタに座って語り掛けていたのは黒髪の長髪の男性だった。切れ長の金の瞳、座っているが見るからに長身だとわかるその姿。エミルと語らっているときに怒涛のように現れて去って行ったあの魔王様だ。魔王様だから瘴気に冒されない?
失血のせいか、毒やら瘴気のせいか、うまく頭が働かない。
でもいい、そんなことより大切なことがある。
『その通りだ。ようやく我を認識したか。それよりこの状況は一体何なのだ。簡単には聞いたが、何故このような場所に小僧が』
「エミルはまだここにいるのか? 助かるのかッ!!」
『えー。また我を無視するー。そういうのいけないと思うぞ』
「そういうのは今いいんだよ。時間がないんだ。エミルはまだいるのか!!」
『いるぞ。我にはわかる』
「お前助けられるのか?」
『我に不可能はない』
「なら助けろ。あの子はこんなところで終わっていい子じゃない」
ユウタには今、エミルを助けることしか頭になかった。
自分のために綺麗な体を青黒く汚して、瘴気の中は苦しいだろうにその素振りすら見せない気丈な少女。
『うむ、ならば小僧。我と《契約》しろ。さすれば』
「契約でも何でもしてやる。その代わり必ず助けろよ」
『…小僧、以前はあんなに拒絶したのに、今はやけにあっさりだな。まぁ落ち着け。契約は簡単なものではない。我の話を最後まで聞け。貴様は契約に捧げるものを理解しているのか?』
「『その身を捧げろ』って自分で言ってただろ。肉体、精神、魂、全部やるからエミルを助けろ」
『……エミルは貴様を助けようとした。貴様はそれを捨てるのか?』
「捨てるわけじゃない。どちらにしろ俺は長くないんだ。だったら有効活用したほうがいいだろ。あ、や…違う……俺は、やることがある……」
感情的なった。
でも少し落ち着けば現れる絶対的な《支配》。
頭が痛い。思考が揺らいでいく……。
「……あぁそうだ。そうだな。エミルは助けたいけど、俺には無理だ。やることがある」
『ほぅ。先程まで契約でも何でもすると言ったのに、臆したか』
大分落ち着いた。
「そんなんじゃねぇよ。俺にはエミルを助ける権利がないんだ。やるべきことは一つ。俺は妖属の住処へ行って……体内の瘴気を…魔器の……、あ、でもそんな体力も時間もないし……その場合は…」
落ち着いたら、継ぎ接ぎの記憶でやるべきことを思い出す。
「……」
アシリッドはユウタの言葉に固まった。
その後盛大に笑い出す。
『なんと! 体内の瘴気!! 小僧、中々に愉快なことを言うな。このようにひ弱な餓鬼が体内に瘴気を。あぁ、確かに貴様の血は青いな。それでこのような濃厚な瘴気が発生しているわけだ。はははっ、小僧、どんな苦痛を経てこの道へ辿り着いたのだ』
「半端ない苦痛だよ」
『……その苦痛を受け入れたのか』
迷いのないユウタの答えに対し、突然声のトーンを落とし、笑いをやめるアシリッド。その表情に笑みはない。
「あぁ。その為に俺はいる」
『…小僧、何故生きた』
「理由なんてねぇよ。俺のすべてはあの人が決める」
『なるほど……洗脳…いや、支配されたか……』
なんかどうでもいい会話をしている。
「そんなことどうでもいいだろ。お前はエミルを助ける力あるっていうなら助けてくれよ。あいつ本当にいい子なんだ。俺にはできないけど、お前にならで」
『小僧、名は』
ユウタの懇願は届かないようだ。
それほどに彼らはユウタという人物を無視する。
あ、俺だからか、とすぐに納得もしたが。
「ユウタ、ニイジマユウタ。多分な」
『多分か……。記憶がないのか? 改ざんされたか? 歪んでいるな、貴様は』
「………………は?」
魔王の言葉が理解できない。
『小僧。貴様に一つ忠告しよう。我と契約しない限り、我はエミルを助けない』
「…なんだよ、それッ…」
『貴様がそのまま死を選ぶというのなら我はそれを止めはせぬ。ただ、エミルは消滅するだろうな。選べ。自らの死か、我との契約か』
「………そんな権利ないのに、俺に選べってのかッ………」
『そうだ、貴様が貴様の『意思』で選べ』
耐え難い怒りが襲う。
アシリッドに対する怒り、自分に対する怒り。
強力な《支配》はユウタを雁字搦めにする。
抜け出せない負の連鎖。
自分の立場、いるべき場所、するべきこと。
全て決められた。
自分で考える?
選ぶ?
わからない、わからない、わからない、わからない、
わからない、わからない、わからない、わからない、
わからない、わからない、わからない、わからない。
わからない、わか…わからなくていい。
「そうだった……」
そう思うことにした。それが一番いい。
『それで、答えは決まったのか?』
ユウタは笑う。
「あぁ、魔王。お前の戯言に乗ってやる。契約だ」
忘れたわけじゃない。
立場もするべきことも忘れてない。
でもそうじゃない。
今自分がしたいことは、エミルを助けたい。
それだけだ。
せっかく自分はまだ生きていて、利用価値がある。役に立てる。
だったらエミルを助けたい。
だって、何をどう頑張ったってここで死ぬ。
どうしたって今の状態で妖属の住処など辿り着くはずがないのだ。どっちにしろ失敗、処分するっていうのなら、結果が同じなら、それくらいの我が儘許されたっていいだろ?
『ほう……では、改めて。契約を。我が求めるは、貴様の持つその瘴気! それを我に捧げてもらう』
「俺の願いは一つ。エミルを助けろ。それだけだ。瘴気でも何でも持っていけ。死に掛けの体なんていくらでもくれてやるよ」
『自虐が強いな』
「ほっとけ。そういう風に出来上がっちまったんだよ」
言いながら本当、どうしようもない思考回路になったものだと思う。
サイシャの願い通りではないけれど、多分ここが限界。
ここで終わり。
『ならばよかろう。アネスティア!!』
アシリッドは叫ぶと、その手に巨大な大剣が現れる。
大人一人サイズの巨大な剣だ。
この男はそんな巨剣を軽々と振り回す。
『どうだ美しいだろう? 我が魔剣アネスティアだ』
確かにただ大きいというわけではない。天井に突き刺さっているときにはあまり見えていなかったが、繊細な模様が施された一目で美しいと思える剣だ。
まぁ、このタイミングで剣が出てくる理由なんて一つしかない。
「……できるだけ、一思いに、お願いしたい」
『ほほぉ、恐怖せぬのか』
「あいにく、ここに来てから刺される切られるには慣れてしまったもんで」
『……そうか、では契約を』
アシリッドは大剣を軽く床に突く。
すると青い魔法陣が浮かび上がった。
それはアシリッド、ユウタ、ともに囲んでいる。
ユウタはその変化にもやはり動じない。
「あぁ、契約を。エミルを助けろ。俺の全部をやる」
大した価値はないけどな、とユウタは心の中で自虐する。
『いや、欲しいのは瘴気であって…まぁいい。頂けるものなら頂こう。遠慮なく』
アシリッドは歪に嗤う。それさえも美しい。だがユウタはそれに見とれたりはしない。ただ真っ直ぐ男を見る。
『エミルを頼む……魔王』
そしてたった一つの願いを言葉にする。
同時に魔剣アネスティアがユウタの体を貫いた。
痛みは…なかった。
だが、急速に意識が遠のいていくのが分かる。
終わりなんてあっけないものだ、とユウタは思った。
走馬灯も何もありはしない。ただ意識がなくなっていく。
それが白なのか黒なのかもわからない。
喪失。
そうして意識は途切れ、魔剣にくし刺しにされたまますべての力を失った。
『……あぁ、頼まれた』
だからその声はユウタには聞こえない。
ここにいる誰にも聞こえはしなかった。
お願いは叶うかな?




