21:とっておき
「あは、ははっはは」
ユウタは嗤った。
楽しいほうがいいに決まっている。
何が? とかどうして?
とか理由なんてどうでもいい。
そんなことを考える意味がない。
サイシャに従えと本能が理解する。
「おい、やめろッ!」
「…ユウタさん」
遠くで声が聞こえる。
でも近づいては来ない。
当たり前だ。
自分の周りは青黒い靄で覆われている。
靄は視界をぼやけさせ、青黒く染めて、もう水色の景色は見えない。でも自分の姿は確認できるから自殺行為には支障はない。
彼ら曰く、これは瘴気。
きっと誰にとっても毒なのだろう。
でもユウタはそんな風には感じない。
この中はとても静かでいい。
耳長の声もきっとそれなりに大きいのだろうけど、この靄が消してくれる。暗くて静かでとても落ち着く。
――あぁ、穏やかな時間だ――
素直にそう思う。
真っ青に染まったティアラで、左腕を見るも無残に傷つけながら薄く笑って命を削る。
『…タ、やめて、お願いだからもうやめて…ッ』
声が聞こえた。餓鬼でも女王でもない声。しかも近くに聞こえる。
「…誰だ?」
ピタッと自殺行為をやめる。
純粋な疑問。
誰も干渉できないこの瘴気の中で誰が来た?
死にたいの?
床の血だまりを見る。
大分血を流したようだ。
でも灰色の部屋ではもっともっと流した気がする。左腕だけでは足りないのだろう。やはり鈍器や刃物が扱いやすい。でもないものは仕方ない。ふと、このティアラを壊せば鋭利な刃物みたいになるのではないか、とは思ったが壊すほどの握力がないことは理解している。ならば今はあるものを利用して、死ぬまで自分を傷つけてやる。
ユウタは再び血濡れのティアラを強く握りしめる。
『ユウタッ!!!』
はっきり聞こえた。
そして視えた。
そこにいるはずない彼女が。
「…エミル…?」
あれ? と思う。
彼女は善霊だ。
だからこそユウタは見ることをやめた。
でも今は見える。
それはユウタ自身が消耗しているからだろうか…。
いや、それだけじゃないはずだ、と言い聞かせる。
ここは青黒い靄の中、瘴気の中だ。
『ユウタ、ユウタ、駄目だよ、こんなことしちゃッ!! 自分を苦しめないでッ!!』
彼女は必死に声を掛けている。
見られていなくても、聞こえなくても、こんな場所まで来て、必死に……。
「…何でこんなとこいるんだよ……」
『ユウタ…? 聞こえるの? 私の声、届いたの??』
脱力しきってユウタはその場に立ち尽くす。
「お前…ここにいるとどうなるか忘れたのか?」
『ユウタ…やっと声が届いた。ずっとずっと話しかけたのに何も反応なくて、怖くて、どうしたらいいかわからなかったの。ごめんね、助けてあげられなくて、ごめんね、見てることしかできなくて……』
ユウタの静かな問いに答えることなく、ただ彼の身を案じるエミューテイネル。ユウタにはその行為が理解できない。再度忘れていた怒りの感情が閉じ込められなくなる。
「聞いてんだろッ!! なんでだよ……何でこんなとこにいるんだよエミルッ!!」
自分なんかにかかわってはいけない。
彼女にはいくべき場所があるはずなのに、
「今すぐここから離れるんだッ、お前にとってこの空間はただの毒だ。言っただろ、空気の悪いところには行くなって、お前このままだと自分を無くすぞッ!!」
怒りと同時に現れる焦りや悲しみ。
体のあちこちに青黒い模様が浮かびあったエミューテイネルはどう見ても瘴気に汚されている。日本だと悪霊化したり消滅したりするがここではどうなる?
とにかく、ユウタは叱咤する。
冗談じゃない。
彼女はこの世界で唯一助けたいと、生きて欲しいと願った人だ。
それなのに彼女は
『ごめんね、ごめんね…助けてあげられなくて……』
涙を浮かべて彼女はユウタに謝る。
「お前、関係ないのに、なんで謝って……」
『関係なくないよ。私魔人族だもん、エル属だもの。ここの里の人と同じ』
「同じ種族だからって…ってそれこそ関係ないだろ。まぁ、今はそんなのどうでもいい。お前はここにいてはいけないんだ。とにかくここから離れろ。幽体のお前ならどこでも行けるだろ。さっさと行けッ」
『嫌だッ!!』
迷いのない拒絶。
『ユウタがこんなに苦しんでるのに、放っておくなんてできない、できるわけないじゃない!』
「は? 数時間話した程度の相手だろ? 放っておけよ俺なんて」
『放っておけないッ!! ユウタ言ったじゃない。心配してくれた。話し相手になってくれた。それでだけで助ける理由に十分だって。それは私も同じだよ』
涙を浮かべ優しく微笑むエミル。
それは以前自分が言ったことだ。
理不尽な環境で、初めて会話らしい会話をして彼女のことを聞いて世界のことを聞いて……とても楽しかったから、とても心地が良かったから助けたいと思った。
今は、と言えばその気持ちはわからない。わからないから突き放した。自分はもう無理だから、別の誰かに頼ってほしいと拒絶した。
なのに、それなのに……。
あぁ、この子はなんて……。
ユウタの苦しみが癒されていく。
多分、本当は死にたくなんかない。
でも、自分というものが良くわからない。
本能がサイシャの言葉が全てであると肯定してくるし、否定できない。
この世界にいる理由なんてもうとっくに知っているから、帰る場所なんてないことも知っているから。わからないことをわからないままにして、あの人の言葉だけを受け入れていれば苦しくない。苦痛は消えないのに苦しくない。寧ろ幸せさえ感じてしまう。
だから多分、自分はもう戻れない。
でもやっぱりこんな風に必要としてもらえると、どうしたって嬉しいし、彼女を助けたいと思う。
「エミル…ありがとな…こんなバカな俺を心配してくれて。でも無理だ。俺の体内は瘴気まみれなんだ。何もしなくても数日と持たない。だから俺はここで終わりでいいんだ」
『駄目だよ、諦めないで…きっときっと大丈夫だから』
「その自信がどこから出てくるのか分かんないけど、現在進行形で大量出血していることを踏まえると、そろそろ俺、瀕死だぜ」
実際、ずっと頭痛が続いているし眩暈がするし、どうにも力が出来ない。知らぬ間にティアラを落としていた。
「だから俺は無理。でもお前はまだ染まってない。だからここから離れろ」
『嫌だ!! それに無理じゃないよ、きっと大丈夫だから!』
ユウタの折れ切った心をエミューテイネルは戻そうとする。何が彼女をそうさせるのだろうか、理解できない。
『瘴気が空気の一部であり、現状幽体の私に干渉してくるってことは私だって干渉できるってことでしょ。だったらユウタの瘴気は全部私がもらう。そうしたらユウタは無理じゃない! 大丈夫だよ!!』
名案! とでも言うように自信満々のエミューテイネル。
「は? 出来るわけないだろ、瘴気が俺の知ってる状態なら侵されるだけだ」
『それでもいいわ! ユウタだけ苦しむなんて駄目だから! 一人は駄目なんだよ、最後まで私は足掻くからね、やっとまたユウタに認識もらえたんだもの、まだ無理じゃないから!!』
なぜ彼女は数時間しか話したことのないような人物にここまで気を掛けてくれるのだろうか。ユウタは疑問しかない。そんな価値などないのに……ただの複製品で、記憶だって手違いで手に入れてしまっただけのゴミなのに……。
やっぱり…彼女は優しいのだ、誰にでも。
きっとそういうことなのだろう。
そう考えると少し心が楽になった。
「…………」
見える、聞こえる。
でも触れることはできない。
こんな状況で、それでも彼女は助けようとする。
無理ではないと、諦めるべきではないと。
瘴気はユウタを優しく包み込み、穏やかな時間を与えてくれる。ユウタは自然とエミューテイネルから視線を外していた。体内からは血が失われて少し寒いのかもれしない。体は尋常じゃない震えをしている。
でも苦しくない、寧ろ心地よい。このまま彼女の声を受け入れなければ、この穏やかな時間はあっけなく終わり、ニイジマユウタという仮初の存在は消えてなくなるだろう。
それでいい。そう思っていた。
それでいいと思った。
それ程の体験をユウタはしたのだ。
もう終わりにしたいと思うのは難しいことではないし非難されることでもないはずだ。
『ユウタ、俯かないで、私を見て……』
触れられないことはわかっているのに、それでもエミューテイネルはユウタに手を伸ばす。その澄んだ肌に青黒の模様を増やしながらそれでも笑顔で、問題ないとでもいうように。
ユウタが俯いてしまったから、見てほしいと思った。苦しんでいるのならその苦しみを全部受け取りたいと思った。
ユウタは少し微笑む。
確かに話したのは数時間。まだ彼女がどんな人なのかはまったくわからない。でも今、一つだけ分かったことがあった。やっぱり彼女はいい子だ。
そう言えば、約束したな、と思い出す。
震える体を押さえ、できるだけ呼吸を整える。集中する。
『……ほら、出来た。ユウタに触れられた。私だって頑張れば出来るんだよ』
「…そうだな。凄いよ、エミルは…」
だから、ユウタに接触することで霊を実体化し、見えない人でも触れることはできないが可視化できるようにする…ユウタのとっておきの特技をここで披露した。
正直、体力も精神力も半端なく使う、燃費の悪い特技だ。この世界の幽体にも発動できるかは賭け、ではあったが。
『あったかいね、ユウタは』
エミルの両手がユウタの頬に触れる。
「生きてるからな」
『うん、そうだね、ユウタは生きてる。だから…まだ無理じゃないよ、諦めないで』
エミルの肌が更に青黒に侵食される。
もう彼女は……。
「わかった。善処してみる」
言ったものの、もう限界が近いこともわかっている。恐らくエミルの実体化を解いたら自分の意識も切れるだろう……。だが最後に穏やかな気持ちになれたのはすべてエミルのお陰だ。
「ありがとな、エミル」
だから感謝を。
「お前に会えて良かった」
『私も……ユウタに会えて良かった』
今にも泣き出しそうに、それでも笑顔を崩さずにエミルの顔が近づく。そうして彼女はユウタを優しく抱きしめた。
『ふふっ、やっぱりあったかい。ユウタ、貴方は生きてるよ』
生きている…そう言ってエミルはユウタの前から姿を消した。まだ完全に瘴気に汚されてはいないだろうが、彼女の姿は消えた。それは彼女自身が消えたのか、ユウタの限界が来たのは不明だが、ユウタは吐血した。同時に膝をつく。
「…はぁはぁ……はぁ…やっぱきっつぃ……」
憔悴しきった状態での実体化はやはりリスクが大きいようだ。その反動はユウタから立つ力さえ奪う。
「でも…いい。満足だ……」
諦めでも絶望でもない。
瘴気による惑わされた穏やかさでもない。
ユウタはその場に倒れると、穏やかに目を閉じた。
『あ、小僧発見』
そんな声がどこからか聞こえた気がした。
シリアスキラー登場?




