2:ドッペルゲンガー
半端ない悪寒。
悠太の思考は完全に止まっていた。何も考えることが出来ない。
薄暗い外灯の下で、この闇夜に溶け込みそうな真っ黒な服を着ている。いや、服というよりマントというべきか。その下は微妙に季節感のない服装だった。薄手の黒の上着に幾重にも編みこまれた金糸の刺繍。それはどこか異国を思わせ、1歩間違えれば厨二病か何かのコスプレのようにも見えるが、悠太が驚いたのはそこではない。
黒い髪はどこからか現れた風に揺れ、外灯に照らされた黒い瞳はまっすぐに悠太を見つめている。
「……ぇ、あ。………あぁ…」
ようやく声が戻ってきた悠太は戸惑いの声しか出せない。
「おい、新島? 何か見えたのか」
突然の悠太の変化に西が辺りを気にするが、西には何も見えないし感じない。
悠太には西の声が聞こえる。でも動けない。ただ危険危険危険と本能が告げる。
「……何で? どうして…俺が…ここに?」
だってこれは……この現象は……。
髪型も服装も確かに違った。しかし、悠太の視界に映るのは紛れもなく悠太自身だった。
世界には自分に似た存在が三人はいるというが、目の前の彼はそんな生易しいものじゃない。本当に自分だった。自分が二人いるのだ。
「ドッペルゲンガー……?」
危険だと全身が警告する。コレは危険だ。見てはならない、見るな、見るなと本能が警告する。
本で読んだ限りでは、ドッペルゲンガーは自分と瓜二つの存在であるが邪悪なものであり、自分が死を迎える前に体験する現象のはずだ。しかも、空想の域を超えていない現象だ。現実にありえるはずがない。
「げろ………ッ」
この震えは寒さじゃない。恐怖だ。今すぐ走り去りたいのに、動けない。
「おい、新島、新島ッ!!」
「…し…ここか…にげ…」
西も状況の異常さに気付き、声を荒げる。
だが、悠太はどうにかして声を出す程度のことしかできない。危険を伝える。これはだめだ。関わっては駄目だ。殴れる気もしないし、殴ってどうこうなる相手でもない。
「逃げろッ!!!」
思いが力になり、どうにか西を突き飛ばした。いい具合に突き飛ばされて転んでくれたので、外灯からは離れてくれたようだ。
とにかくここから離れてくれればいい。でも出来ればもっともっと遠くへ。
「西!! ここから逃げろッ!!」
「新島ッ!! 一体どうしたんだ、俺にもわかるように」
「時間がないんだッ、頼むッ!!」
必死の懇願。大切な人。自分の都合で危険に巻き込みたくない。もう誰も。
そんな悠太の懇願など気にせず、マントの自分はゆっくり右手を翳す。
「ぇ、ちょおぉぉおぉ!!?」
すると悠太はその手に吸い寄せられ、気づけば彼に抱きしめられていた。そこには温感も冷感もない。抱きしめられているのに何も感じない。感じないということは……。
「新島ッ!!?」
悠太が外灯に吸い寄せられ、宙で固定される…というポルターガイスト現象を目撃した西もまた混乱中だ。だがわかるのは悠太は今、見えない何かと対峙していて、それが自分の手に負えないものだということだ。
悠太はどうにかして西をここから逃がさなければいけない。混乱を抑えて、その場から逃げだす方法を考えてみる。だが、思考はしても体が意志についてきてくれないことを理解する。
体の自由がない。抵抗できない。声まで出ない。これは憑りつかれるのか? それとも何か別の……
思考は働くからあらゆる打開策を考えるが、答えが見つからない。見つからないことが分かった途端に死を予感出来た。
自分と瓜二つのドッぺルゲンガー。悪霊。死神。それを見てしまった自分はこのまま死ぬのだろうか…それはいい…それはいいが、あいつは無関係だ。何が何でも逃がさないといけない。
でも西はそんな悠太の願いなど聞き入れてはくれない。
馬鹿が付くほどお人好しで、心配性で、喧嘩っ早くて……だからこちらへ向かってくる。
(来るな……)
ドッペルゲンガーに抱きしめられたまま悠太はそれを確認してた。いやな予感しかしない。
(こっちに来るなッ……)
西は近づいてくる。でも声が出来ない、意識が保てない……。
(……頼む死神。連れて行くなら俺だけにしてくれ)
願うのはそんなこと。
体と心を同時に溶かされるような不気味な感覚。
朦朧としていく意識は視覚、聴覚、嗅覚…次々と奪い、音もなく悠太の存在そのものを奪っていく。
あ…れ……?
西がこちらに来ているのだろうか……。
そのことさえもうわからない。
「……ぇ…悠太?」
悠太は消えた。
突然、西の目前で……。
「おい、嘘だろ…ッ!?」
西はもう外灯にいた。
だが、そこは初めから何もなかったように存在し、先ほどのことが夢ではないのかと錯覚させる。
「返事しろ、新島ッッ!!!!」
薄暗い外灯の下での必死の叫びは空を漂うだけ。
そうして新島悠太は……消えた。
さて、これからが……。