18:束の間の現実
次に少年が目を覚ました時、水色の広い部屋にいた。
「傷の具合は…いかがですか?」
そんなことを言われた。
水色の部屋は今まで寝てた部屋よりずっと大きい。
今はこの部屋にある大きな綺麗な椅子の近くで、綺麗な耳長に膝枕されているみたいだ。あと、小さな耳長が5段くらいの階段の下に突っ立っている。みんな耳長。
耳長の質問は答えること。
俺はちゃんと知っている。
でも、でも……。
「…ぉまえ…が…なぉした? さっき、まで…より、らく。だ…けど、なんで……なぉした?」
体調が少しだけいい。
舌を使って言葉を出すのは久しぶりだから難しいし呂律がうまく回らない。でもさっきよりは少しマシなようだ。
というより、何だかおかしい。
今まで何も考えていなかった。
耳長の言うとおりにする。
そしてただこの世界から消えてなくなることだけを願って処分したくて自殺行為に走ったはずだが……何だか…考えてる?
何を?
……気持ち悪い。
早く消えてしまいたいのに……
処分したいのにモヤモヤする。
考えるな考えるな。
耳長には逆らわない。
だから、言われたことだけに答えて、さっさとここから離れよう。ここは良くない場所。願いを邪魔する場所だ。
「えぇ。わたくしが治したかったので治しました。それと、治療中、貴方の加護が目覚めました。会話が出来る加護です。ですが、まだ不安定でしたので、それは封印し、その代わりにわたくしの言語知識を貴方に贈りました。会話は問題ないようですね」
「がご? …かぃわ…? あぁ、そうなんだ…」
確かに今耳長の言葉が分かるし、自分も喋ってる。前は直接頭の中に話しかけ来る感じ。今は直接話してる。違和感。不思議。でもそれだけだ。さっきも今も変わりはない。それ以上なし。
「それで、なんの用?」
起き上がり少年は問う。
言葉を与えて声を与えて、この耳長は何をしたいのか…。
「お前、さっきから女王様になんて口をっ!!」
小さな耳長が叫んでる。
怒ってる。
笑えよ、あいつ等みたいにニコニコ。
「…じょおさま…? へぇ、で、なんの用?」
女王様、どうでもいい。
耳長は耳長。
「わたくしのこと、貴方の隣にいるシャルノイラス、貴方は見覚えがありませんか?」
「おまえと、こいつ……さぁ知らない」
この耳長は綺麗な人だけど知らない。
小さい耳長も可愛いけど知らない。
「わたくしたちの同士が貴方に行った行為によって、貴方は多くの記憶を失ってしまったのです。わたくしは、貴方の傷の治療とともに、閉ざされた感情に接触しましたが、まだ浸透はしていないようですね。……わたくしたちが憎くないですか? 恐ろしくはないですか?」
「かんじょぅ? べつに? へやでたってことは、おれは、もうおわりだろ」
少年の黒い瞳は女王様を映しているが見ていない。
彼は何も見えていない。
彼がここに連れてこられたとき、傷は癒えておらず瀕死状態だった。それを癒し、治療したのが女王。そしてさっきナイフでめった刺しにしたはずなのにそれも癒えている。
凄いね女王様。
いつもみたいに、傷跡が残ったり、骨を変にくっつけられたりしていない。舌あるみたいだし久しぶりに左手の小指を見た。傷跡もなく綺麗に治っている。それにあんなにぼやぼやだった視界も良好だ。だが見えると見るは違う。
つまりはそういうことだ。
「終わり…ですか。貴方はそれで良いのですか?」
「いいもなにも……おれって、そういうもんだろ?」
耳長に甚振られて命を散らす。
自分はそういうものだ。
「なぁ…これってなんのかくにん? なにしたいんだ? みんな、どこ?」
本当に疑問に思う。
痛いのは嫌だけれど、終わりの時間が遠のくのはもっと嫌だ。
「貴方には本来の貴方を取り戻していただきたいのです。そうでなければ、貴方の未来が閉ざされてしまう……」
「……ほんらい、の…おれ? ってなに? そもそもおれって? みらいとかいらない。もう青く……」
左の腕を見て、先程付けたばかりの傷をガリガリ増やしてく。そこはもう癒されていたがそんなの関係ない。でも本当に力が入らない。モドカシイ。
「おい、やめろ!!」
小さな耳長に止められた。
少年は素直に従う。
「……青く…それは呪いです。貴方は大量の瘴気を…毒を体内に取り込んでいます。毎日与えられたそれは体内に定着し、剥がそうにも容易にできなくなっているのです。そして全身を侵食した時、その血色は青く変色し、数日後には絶命します。その時に体内から放出される瘴気は大地を汚し、体を腐らせ命を奪う。そんな恐ろしいものなのです」
「…のろい……。しってる! しってるさ! ごはんたべて、おれが青くなったら、まきのえさになるんだ。そうしておれは、ぜんぶきえるんだ! それってみみながうれしいんだろ!!!」
嬉々として答えた。
だって、耳長が喜ぶことをするのは嫌いじゃない。
耳長はそう教えてくれた。
「でも、まだ…ぁかなんだ。あかでも外にいる…から…」
遊びは終わったってことだ。
失敗したから処分しないといけない。
「……貴方は本当の自分を忘れてしまっています。彼らが囁いたことが真実にすり替わってしまっている…だからその毒を受け入れようとしている。ですがそれは本来の貴方が望むものではないはずです。本当の貴方は毒など今すぐに取り外したいはずです。わたくしたちを殺したいくらい憎いはずです。生きたいと願うはずです。一体何を囁かれたのですか」
「ささやきしらない。みみなが、にくくもないし、生きたくもない。これでいい?」
「良くありません。お聞きなさい、今の貴方は魔法により精神異常が《支配》の状態に陥っているのです。それは、『魔言』で与えられた言葉であり、その言葉が貴方を縛っているのです。
元々は《魅了》の魔言です。その囁きが何度も与えられ、貴方の心は変化し、《洗脳》に陥り、現在の《支配》に至ります。《魅了》と《洗脳》は魔法で解除が出来ますから、わたくしが解除いたしました。ただ《支配》は原因となった魔言を突き止め、あなた自身が解除しなければなりません。そうでなければ解除した《魅了》も《洗脳》もいずれ復活し、《支配》の段階も時間経過とともに上がってしまいます。
いいですか? 貴方は今《支配》の影響で多くの記憶をなくし、その空いた記憶に別の記憶を刷り込んでいるのです。それは本来の貴方ではないのです」
女王様は色々と現状を説明してくれる。
でも、今の少年は無意味なことは考えることをやめている。
この話もおわりのためには無意味なことだ。
だからどうでもいい。
「もういいって。おまえのはなし、おれもうりかい、できないから」
考えるのは嫌だ。
だったらあの灰色の部屋で耳長の玩具になってたほうがいい。
痛いのは嫌だけど、それ以外は何もないから、あそこにいたほうが終わりが近い。
「あのさ、もう用がないなら、ぶきくれよ。おれをしょぶんするから」
「……処分? …お前まさか!!?」
小さい耳長がやけに驚いてる。
そんなに不思議か?
「だって、そうおそわったよ?」
だから答えてやった。
そんなの耳長はみんな知ってると思ったのに。
やっぱり子どもだから知らないこともあるのかもしれない。
教えてやった俺は結構えらい?
なんかちょっと嬉しくなって笑顔になった。
「……あの生意気なウスノロはどこ行ったんだよッ!!」
なんか小さい耳長は悔しがってる? みたいだった。
意味が分からないから考えないことにしよう。
「問います。貴方の名前を教えてください」
突然女王様からの質問。
少年は驚くことなく、動じることなく、問いに答えていく。
「なまえ、ないよ? おれは俺だ。それだけだ。いらないだろ、そんなもん」
もしかしたら昔はあったのかもしれない。
でも今はない。知らない。
自分のこと何も知らない。知ろうとも思わない。
これは耳長の玩具でゴミの命。
それだけわかれば十分。
「いえ、名前は大切なものです。貴方には貴方の歩んだ記憶があります。名前の欠落と共に貴方はそれを失っている。記憶が人を形どっていくのです……だから、思い出してください、あなたの名前は、ユウタです」
女王は少年の目のしっかりと見つめる。
「…ゆうた…? 知らない、やっぱり。なぁ、もういいだろ?」
初めて聞いた言葉。名前?
そんなものだっただろうか。必要だっただろうか。
記憶にない。知らない。興味ない。いらない。
何か自由って気持ち悪い。
今更ながら言葉が話せるのも、会話ができるのも気持ち悪い。
自由だから今すぐでも自分を終わらせることが出来るのに、ずっと終わりを願っていたのに、自分でできない。自由なのに自由じゃない。自由は、今までずっとなかったものだから、今更あっても気持ち悪い。
やっぱり灰色の部屋がいい。
あそこは自由がない。
何を訴えたくても届かなくて、考えることも必要なくて、耳長楽しそうで、終わりが見える場所。耳長が終わりをくれる場所。
少年は…ユウタと呼ばれた少年は、名前も思い出もない。ただ灰色の部屋で耳長の玩具になった…そのことしかわからない。でもわからなくていい、このままでいいと思う。
「わたくしは以前貴方の記憶を視たことがあります。それは貴方がここに迷い込んでしまったことを確認するため、そのためにわたくしは貴方の記憶を視ました。そこであなたの名前を視させていただきました。ニイジマユウタ。それが貴方の名前です。決して忘れてはいけないものなのです」
「……あのさぁ、わすれちゃだめっていわれても知らないし。俺、青くならなかったら失敗なんだろ? だったらさっさと処分しろよ。こんな質問必要?」
「必要です。貴方が生きるために…」
「だぁ…からぁ、なんで生きなきゃなんないんだよッ!!!」
気づいたら叫んでいた。
なんか…イライラする。
灰色の部屋ではそんなことなかったのに、ここに来てから何かおかしい。
考えたくないのに…考えなくていいのに……考えてしまう。
女王は言っていていた。閉ざされた感情に接触したと。それがこれか。
イライラする、ムカつく。ふざけんな!!!
なんで突然こんなにイライラするんだ?
なんでこんな…。
「……何だよ…今更…ッ。生きろとか言うんだよッ!!」
鼓動が早くなる。
何処も怪我していないのに…痛い。痛くて痛くて苦しい…。
「おまえら俺が嫌いなんだろ? 嬲り殺したいんだろ? だから何度も何度も半殺しにして治して、繰り返してさァ。だったらこんな気持ちにさせんなッ!! いらねぇよこんな感情。さっさと消せッ!!」
気づけばユウタは女王を押し倒し馬乗りになった。
その両手は彼女の首にあり、首を絞めようとしていた。
「おい、お前何をッ」
「いいのです、シャルノイラス」
女王は仰向けでユウタに視線を向けたまま、シャルノイラスを静止する。
「ユウタさん…わたくしが憎いですか?」
「あぁ…今すぐ殺したいくらいになッ」
ユウタはまだ力を入れていないが、いつでも入れることはできる。殺すということに躊躇いはなかった。
「怒りや憎しみの感情が戻りつつありますね。たとえ一時的であったとしても感情の回復は記憶の回復を手助けします。たとえそれが良くない感情だとしても、必要なことなのです」
「だからさァ、何で今更こんなことすんだよ! 何かさ、お前見てたら思い出してきたよ。俺、お前に渡り人って判断されて、人のいるところに連れてってもらえる予定だったんだよな?」
今まで忘れていた怒りの感情。鼓動の高鳴りとともに、消えていた情報が記憶として再生されていく。
「家にいろって言うから、その通りにしたのに、気づいたらお前ら襲ってきてあとは灰色の部屋。あぁ、そうだ思い出した。レグルスさんがいたんだ。そんで青くなっ…て……い、なく…なって………」
語気が消えて行く。
女王の首に当てていた両手を力なく離し、ユウタは何か得体の知れないものを見るかのように震えながら首を振り彼女から離れる。バランスを崩して尻もちをついてしまった。
改めて周りを見る。
水色の空間。
耳長の女王、耳長の子ども。
先ほどまでの自分の言動を思い出す。
処分する、もうすぐ終わる、耳長喜ぶ…。
「はぁ……? 何、言ってんの俺。何で死ななきゃいけないんだよ……」
死ぬのは怖い。
痛いのは嫌だ、でも彼らはユウタをどこまでも死に追いやる。
「あぁっぁぁああぁぁアァァアァァアァアアァッ!!! 嫌だ、来るなッ 俺はお前らなんか…ッ 来るなッ、信じない、やめろッ……」
半狂乱に叫び、尻もちをついたまま後ずさる。
今すぐこの場から離れたい。耳長を見たくない。
彼らはユウタの知らない力で何度でも殺そうとする。
それは恐怖。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ嫌だ、嫌だッ、だ嫌だ、嫌だッ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ嫌だ、嫌だッ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ嫌だ、嫌だッ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ嫌だ、嫌だッ!!!!!!
ユウタを殺そうとしか考えていない耳長が今は生かそうとする。死にたくはない。でも耳長に生かされる意味も分からない。何故? 簡単だ。殺そうが生かそうが、そこに彼の意思は必要ないのだ。
今、ユウタには恐怖しかない。
灰色の部屋に入れられて最初のころを思い出す、レグルスに対する暴虐、そして自分に対する……。
あんな、自分でも自分の記憶を疑うような残虐な行為を何度もされたのに、それを当たり前のように受け入れていた自分が怖い。
自分って何だ?
女王に名前はユウタと言われたが、そのことに関することは憶えていない。何処に住んでいたとか、両親とか…何も思い出せてはいない。
本当にそれが自分の名前か?
中途半端な記憶だ。
だから今のこの記憶さえも作られたもので、耳長はそうやって苦しんでる俺を見てまた楽しんでいるのかもしれない。拘束するだけが痛みを与えるわけじゃない。レグルスさんはすぐに青くなった。でも、俺は中々青くならないから、別の方法で痛みを与えようとしているのではないか。
感情に接触? どう抗えと?
あぁ、ここに自由なんて……どこにもない。
……駄目だ無理……
「…るな、来るなッ!!! 嫌だ、あんなの…何で俺が……うわぁああああぁぁあッ!!」
走った。
まともに歩いたのだっていつなのかもわからないくらい動いていてないのに、力の限り走った。覚束ない足取り、何度も転んだ。それでもこの場所は危険、この場所は恐ろしい。
何処でもいい、この場所から逃げて、耳長のいない場所へ!!
声が聞こえるが全部無視。
耳長の言葉は聞きたくない。
傷はないのに体が痛い。
毒を当たり前に摂取し続けた。
あんな、あんな信じられないことをされたのだ、もうあんなの経験したくない。
それなのに、少し前の自分は当たり前に受け入れていた。
体を痛めつけられて、当たり前だと、死さえも受け入れていた。寧ろ求めていた。
思考が、心が歪んでいる。
今は??
自信がない。
でも苦痛を受けるのも、死を受け入れるのも、まっぴらごめんだ。
ユウタは走った。
覚束ない足取り、速度だって遅い。
それでも走ったら……。
「あ…あぁ…」
あの幅の狭い廊下に出た。
しかも逃がす気はないのか、距離は記憶のままでありながら、その幅はありえないくらい狭い。
「…んだよ……、俺はもう……」
逃げられない。
耳長は強い。
そして自分は弱い。
「逃がす気は……ない……受け入れろって?? こんな気持ち与えてまた…ッ」
だったらなんであのままにしてくれなかった?
それさえも遊び、なのか。
従順なままではつまらないから、変化を求めた。忘れていた恐怖や怒りを呼び起こしたと?
「…ほんっと迷惑」
死にたくはない。
死は怖い。
だけど灰色の部屋での出来事はそれ以上に恐ろしい。限界を超えた痛みも、壊れていく思考も、あんなの思い出したくもない。
ユウタはその細い廊下を進む。
戻っても耳長がいるだけ。
しかも生かしたいとかいう。
こんな状況で生かされて今度はどんな痛みを受ける??
「ひゃは……ふははッ」
面白くもないのに笑いが込み上げてくる。
「アアハハハハハアァァハハハハッ!!!!!!」
笑ったら楽しくなってきた。細い廊下も気にならない。
「ふは、ハハハハ、あぁあははは……ヘヘフヒヒ……」
両手を広げてバランスを取りながら廊下を進む。
異様な高揚感の中でそれでも半分は進むことが出来た。
進んでも耳長、戻っても耳長。生かされるのは嫌だ。痛いのも苦しいのも嫌だ。
いらない、いらない、記憶も、感情も心も……命も。
狂った嗤いを突然やめて、突然脱力する。
――あぁ、すっげぇ静かだ――
その黒瞳には絶望の涙が頬を濡らしていた。
何を間違ったのだろう、何がいけなかったのだろう。
何故自分はここにいるのだろう。
何のために?
自分のため?
自分が何かもわからないのに……。
穏やかに過ごしたい。
それが狂気の中でもいい。頭おかしくなっても自分が穏やかだって思えるならそれでいい。今更正しい記憶や感情なんて欲しくない。……どうか、この恐怖を止めてほしい、この怒りを消し去ってほしい。
「…………」
何処にも届くことのないその祈りは、廊下の奈落に堕ちるとともに、ユウタの意識とともに静かに消えた。
おやすみ…パート2




