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異世界で見える俺と  作者: 松明みかる
17/51

17:やるべきこと


 目を開くと見慣れない色が視界に映った。


「……?」


 いつもの強制的目覚めではなく自然に目覚めたのはどれくらいぶりだろうか。というか、目覚めたのか? 薄暗くないし灰色の壁も拘束された自分の姿も見えない。疑問はあるが深くは考えない。灰色の部屋から出られるのはどんな時だ?


 その答えを彼は知っている。


 どうやらベッドで寝ていたようだった。

 見たことのない部屋。


 せっかくだから首を動かしたら…どうにか動いた。


 また見慣れない光景。


「ぃ…あ、……り、う…ごけ…ぁ……」


 舌がないはずなのに言葉がでた。

 ガサガサで幼稚でなんとも汚らしい声だ。

 思わず苦笑い。


 起き上がってみようとした。

 手足の動かし方がわからない。

 凄く体が怠いけど、もぞもぞ動いていたらベッドから落ちた。

 なんとか上体を起こすことは出来たが立ち上がろうとしたら転んだ。


「けほっ……こほこほっ……あははは…」


 咳と一緒に笑いが出る。

 本当、何もできないゴミだ。


「あ、」


 灰色の部屋から出たのだから、確認は必要ないのだろうが、目覚めたのなら、やはり気になる。いつもは耳長がやってるけど、いないし、動けるから、自分でやろう。やっぱり目覚めたのなら自分の目で確認したい。万が一はあってほしくない。


 再度起き上がってベッドに寄りかかりながら手を動かそうとしてみる。どうやるんだっけ? と少しの疑問。やっぱり手の動かし方が…わからない。


 とにかく動けと右腕を集中させてみる。


 するとふるふると震えながらも少しずつ動かすことが出来た。だから思うがままに左腕をガリガリと掻いた。全然握力がないみたいで皮膚が裂け、血が滲むまで時間が掛かるが、どうにか出来た。


「ぁか…? あぉ……ない…ぃ……そとでた……?」


 見えるのは赤い血。少しの疑問。でも、深くは考えない。考える必要もない。


「…しょぶん……、しない……と」


 自分は失敗したのだ。


 最後まで役に立てなかった。

 餌にはなれなかった。


 腕をだらんとして天井を見上げた。


 やっぱり知らない景色。


 だからといって何かを感じるわけではない。


 もう心はとっくに自分の形を失っている。


 夢だろうと現実だろうと、発狂していても落ち着いていてもそれは同じ。今、意識は保っているように見えても、実際はもう壊れてしまったのだろう。だから餌になれなかった、捨てられた。残念だが仕方がない、処分しよう。


 だから、扉が開き、部屋に誰か入ってきても、何も変わらない。何も変わらなかった。



 部屋に入った来たのは小さな耳長だった。


「……動けるか?」


 頭に直接ではなく、なんか普通に言葉として聞こえた。でも今の彼にそれを理解しようとする気が無いからその事実だけを受け入れ、こくんと頷く。


「言葉は理解できるんだな……。何か…食べるか?」


 頷く。


 ごはんだ。

 血が赤いからごはんを食べる。


「……そうか」


 しばらくすると木の器に入った液状のものが運ばれてきた。いつもの青黒いやつじゃないみたいだ。でもごはんはごはん。少年はその場で顔を上げて口を大きく開けた。


「お前…何してッ!!?」


 何だが小さな耳長は驚いているみたい。

 何かおかしい?


「あ…そうか…身動きできなかったんだよな……」


 何か納得したようだった。


「でも、今は手を使え。動かないわけじゃないだろ?」


 目の前に出される木の器。


 少年は震える手でそれをどうにか受け取り、勢いよく飲み始めた。


 味なんて感じない。口の端からスープが垂れて飲みかたも汚い。スプーンが入っていたが利用してないから落ちた。服を汚しても気にしない。ただ勢いよくそれを流し込んで食事は終了した。


 手拭いを差し出された。

 意味が分からないから首を傾げると小さな耳長はそれをしまった。


「……動けるか?」


 少年は頷く。


「なら、付いてこい」


 小さな耳長はそう言い残すと部屋から出て行った。


 耳長の言うことは聞かないとね。


 付いてこいと言われれば行く。拒否権はない。

 少年は覚束ない足取りで四つん這いでゆらゆらと進む。転んだ。


「ひはッ」


 引き攣った笑いが出た。


 ゆっくり起きる。

 そして這い進んでいく。


 ゆらゆら、ゆらゆら。



 どうにか外に出たら眩しかった。


「あぁぁ…ぇぁ…」


 言葉が出ない。


 初めて見た景色。


 広い場所に家が沢山。

 外が怖い。光が怖い。

 暗くて狭い部屋がいい。灰色の部屋がいい。

 動けないところがいい。みんながいるところがいい。


「ぃあああぁっぁぁぁ…アアァッ!!!」


 叫んだ。


 光が眩しすぎて、必要ないものだからいらないから叫んだ。


「お、おい、一体どうしたんだ!!」


 小さな耳長の声は聞こえない。

 少年は頭を押さえて苦痛に顔を歪めながらその場に倒れた。





 次に目を覚ましたのは同じ部屋。

 やはりベッドで寝ていたようで、明るい。


 少年はあたりを見回すが、どう見ても灰色の部屋とは違うし、自分を拘束するものも何もない。傷も治ってる。違和感しかない。戻りたい。でも、戻れないならやることは変わらない。


 ガリガリガリガリ

 ガリガリガリガリ


 左腕を血が滲むまで掻き毟る。


 そして、


「……ぁ、か……」


 真っ赤に滲んだそれを確認して虚空を見た。


 別に見たいものなんてない、知りたいことなんてない。

 ただそこに居れば耳長が来て、勝手に遊んで、勝手に帰っていく。



 それだけ。


 灰色の部屋ではそれだけだった。


 だがやはりここは灰色の部屋ではない。

 血は青くないのだからやっぱり遊びは終わったのだ。

 残念。

 結局ゴミはゴミ。


 処分しないと……。


「くひッ…ひひ…」


 頭が痛い。

 吐き気も倦怠感もある。

 毒が全身を駆け巡っているのがわかる。


 血は青くないけど、でもきっと願いは叶うだろう。


 たった一つの、小さな願い。


「こほっこほっ……」


 少年はゆっくりと起き上がった。

 ここには必要なものがない。


 ふらふらだった。

 体力は殆どない。


 でもいい、今動ければそれでいい。


 どうにか部屋の扉に手を掛けたとき、


「わっ…お前……起きたのか」


 小さな耳長が驚いていた。

 耳長は少年を見ると目を逸らした。


「…ご飯…食うか?」


 前回と同じようなことを告げるとまた少年を見た。


 少年はこくりとい頷く。


 少年にとって『ごはん』は必要なものだ。

 自分を殺す大切な食事。


「そうか…じゃあこっち来いよ。言葉わかるだろ?」


 少年はまた頷く。


 耳長の言葉が理解できた。

 とても不思議だけれど、気にすることはない。

 与えられたら受け入れる。それだけだ。


 少年は椅子に座ることを促された。

 木製の拘束具などない椅子。


「ひはッ、ははははッ」


 何故か笑いが出た。


 深い意味はないと思う。

 最近、突然笑うことが多くなったのだ。

 いろんなことがわからない。



 いいことだ。


「……」


 耳長は何も言わない。

 ただ『ごはん』を用意する。


 しばらくもしないで木の器に具の入ったスープみたいなものが置かれた。

 やっぱり青黒く光っていない。今までとは違う。


「……おい、頼むから手を使え」


 顔を上げて口を開けたら注意された。

 やっぱり食べさせてはくれないようだ。


 少年は仕方なく手を使って器を持つ。

 本当、力が入らない。


 手が震えたが、どうにかそれを流し込んだ。スプーンが入っていたけれど、もちろん無視。沢山零したし、服も汚した。


「……」


 小さな耳長は何も言わない。少年も何も言わない。

 ただ時間だけが過ぎていく。


「……この後女王様の所に行く。僕は治癒魔法使えないから、腕の傷は女王様に治してもらうぞ。あと、明るい場所が怖いなら、ここで慣れておけ」


 先に口を開いたのは小さな耳長だった。

 どうやらどこかに連れて行くらしい。


 前回明るいのが怖くて気を失ってしまったからこの明るい部屋で馴らそうとしているらしいが、少年はそれを理解していない。


 ただ言われたことを守る。それだけの理由で頷く。


 でも何か違う。

 この耳長は彼に痛みを与えない、

 終わりを与えない。


 それはつまり……。



 耳長の言うことは絶対だ。

 少年はそれを知っている。

 でも同時に…。


「……ぁ…」


 その時、見つけてしまった。

 自分の視界に、銀色の鋭いそれが映った。


「あぁああぁアアァァァッ!!!」

「ど、どうしたんだよいきなり!! おい、おい!!」


 体調の不調も気にならない。

 小さな耳長も気にならない。


 少年は求めていた物のために席を立ち、それを手に掴むと何度も自分の胸に突き刺した。


「ひひゃ、ハハアハハハッッ!!!」


 手に入れたのはナイフ。

 刃物。傷つけるモノ。


 本来は調理に使うものだろうがそんなのは関係ない。だって少年は血が青くないのに外に出た。サイシャもいない。だったら求めるものは処分だ。終わりを願っていたのだから。


 あかいあかいせかい。

 おわるおわる。おわりおわり。


 もう………。





 時は遡る。


 数日前の深夜、行方不明だった人間族がシャルノイラスによってこの女王の館へ届けられた。里長ペジャの《治癒》により沢山の刃物は抜かれ止血は行われていたが、あくまでも応急処置であり、気を失っている彼は誰が見てもおびただしい怪我をしており、多くの傷跡が消えず残っていた。


「治癒陣を構築します。彼を中央へ」


 女王のその指示にシャルノイラスは迅速に従い、やがて彼の傷は徐々にではあるが確実癒されていった。治らない個所もあった。失って大分時間が経ってしまったからだろう。治す個所として判断されなかった舌と左の小指は、森の微精霊を定借させ再構築した。旨く馴染んでくれれば、完治とまではいかないだろうが、ある程度同じ役割を果たしてくれるはずだ。


 治療がひと段落して、一体何が何があったのか長老ペジャも含めシャルノイラスから報告を受ける。それは想像を絶するものだった。処刑のシステムは本来の意味を果たしておらず、また彼は何も約束を違えていないのに連れ去られ、今の今までずっとこんな怪我をし続け居たのだ。


 気を失った彼を少し『視た』。少し、ほんの少しだったのに、そこにはどす黒く濁った狂気と歓喜が流れ込み、それ以外の記憶も感情も歪んだものが流れ込んできた。

 簡単には触れられない、視てはいけない領域だと本能が告げる。


 とにかく、話せる状態ではないため、魂魔法《解析》により現在の状態を確認する。精神汚染系統の《魅了》《洗脳》《支配》を確認し、状態異常は《猛毒》《瘴気》《知性低下》《記憶乖離》を確認した。この状態での介入型の魂魔法は危険だ。


 女王は《記憶介入》は落ち着いてからにしようと決断した。そうしてその日は体の治癒のみを行うことにした。すると、陣魔法にて治癒中に彼に加護が顕現した。それは《念想》。相手の意識に直接干渉が可能な、言語理解系統の加護だ。


 この世界の人が持つ加護は生まれた時にその有無が確定する。

 つまり、後天的に現れることはないが『渡り人』は、この世界へ来て暫くすると顕現するのが一般的だ。彼もまたそうなのだろう。ただし、加護の利用は精神力を多く利用するために、今の制御できない状態で利用するのは望ましくない。


 だから女王は《念想》同士で、彼女自身のこの世界の言語知識をそのまま彼に贈ることにした。これは互いが《念想》の加護を持っている場合のみ可能で、知識そのものを伝えることが出来る。だからこそ女王は言語知識を彼に贈り、そして彼の《念想》を一時封印魔法で利用不可にさせた。


 とにかく今は治療を優先しなければならない。


 出来る限りの治癒魔法を使い、どうにか外面上の傷が消えたが瘴気も猛毒も殆ど取り除けてはいない。《猛毒》に関しては治癒魔法にて《毒》までは状態改善したが、しばらくしたらまた《猛毒》状態になるだろう。完全なる解毒は何度も治癒魔法をかけて投薬治療も必要である。


 早急に容体が悪化することはないだろうが、自己治癒力の限界もあるため、魔法は掛け続けることはできない。魔法と投薬、それぞれを駆使した長期的な治療が必要だ。とにかく今できることをして、一通りの治療を終わらせると彼の身柄は、一度シャルノイラスに託した。


 翌日シャルノイラスは彼を再度館へ連れてきた。


 その時の彼は意識がなく、話しを聞くと陽の光を見たと同時に発狂し気絶したので、長老の許可を得て女王に指示を仰ぎたかった、とのことだった。強い光が何かを連想させたかのかもしれない。こんな状態では彼の自我は壊れる。もしかしたらもう……。


 女王が《念想》にて送ったこの世界の言語での会話は理解できているようだが、意志疎通が出来ない。まだ心を安定させる必要があるのだろう。再び身体的な治療を施し再度シャルノイラスに託した。


 その翌日、また人間族の彼が傷だらけになっていた。


 応急処置は前回と同じくペジャが行っていたため、女王は治癒陣を用いて細部まで癒していく。シャルノイラスやペジャの迅速な対応により外傷は完治した。ただこのままでは同じことの繰り返しだ。


 女王は、《記憶介入》は出来る状態ではないが、可能性があるのならば、まずは《感情介入》を試みようと決意した。


 彼は《魅了》の魔言を多く受け、精神異常は《魅了》、《洗脳》を超えて《支配》まで到達していた。《魅了》《洗脳》は魔法により解除が可能だが《支配》はその原因となった魔言を突き止め、自らの意思で否定しなければ解除できない。つまり一人では絶対に解除できない異常状態となる。


 支配者の言葉は絶対だ。逆をいえばそれ以外の言葉には自分の意思を見せることもできるが、そもそも度重なる暴虐で自由意志が書き換えられているのだから、たとえ《支配》の影響がなかったとしても彼の精神状態は最悪と言って過言ではないはずだ。


 この状態で《記憶介入》を行えば、《同調》の効果により術者の精神まで同じ状態になってしまう。《同調回避の加護》があればそれを避けることはできるだろうが、女王はそれを持っていなかった。それでも出来ることはある。感情の接触はその手前。閉じた感情には閉じる理由があり、こじ開けてはバランスが崩れる。さじ加減が重要なのだ。それを外部から刺激し接触する。それが魂魔法《感情介入》なのだ。


 女王は《感情介入》を決断する。


「まずは『許可』を取ります。『許可』なき場合は…止むをえませんが少々強引になります」


 女王は彼の胸に触れた。

 体の一部に触れることで魔法は発動する。

 すると何も映さない黒瞳が見開かれた。語りかける。


「わたくしはエトワール。貴方の名前を教えてください」

「…ぁぇ…ぁない」


 治療したばかりの舌はまだうまく機能していないようで、その言葉は拙いが、言葉を理解することはできるようだった。女王は《念想》でそれを確認する。


「わたくしは貴方に感情に接触したいと思っております。その内に触れること、赦していただけますか?」

「ぃ……ぁ、ぃ……お…ぃい……」


 《感情介入》は、その意識内に接触するとき『許可』を得る。

 基本的に魂魔法は『許可』の有無によって術者の負担が大幅に変動するものだ。


 今回行う《感情介入》では患者の許可ありならば、具現化された感情は侵入者を襲わない。手心を加えなくていい場所は無視して、ここだと思う場所に術者は変化を与えることが出来る。

 だが、許可なしならば術者は異物として認識され、具現化された全ての感情が術者を全力で排除してくる、と言った感じだ。しかも患者の心の世界な為、患者の力は心が歪んでいるほど凶暴だ。術者が現実でいかに強かろうと、心を飲まれることだってある。


 元々ここまでの介入系の魂魔法は使える者が少なく、作業も修正箇所を間違えると患者の心を壊しかねない繊細なものだ。だからこそ介入系の魂魔法は『医療魔法』とて重宝されている。


 女王が《念想》にて確認した彼の言葉は『みみなが、すきにするといい』だった。

 一応『許可』は得られたようだった。


 最悪の事態は免れたが……やはり彼の心は…。


「もしわたくしが戻らない場合、わたくしを彼から離していただけますか、シャルノイラス」

「わかりました。どうかお気を付けて」

「ペジャは引き続き、できるだけ微精霊を集めてください」

「了解ですじゃ」


 女王はそのまま目を閉じた。



 そうして意識を彼の中へ……。





 そこは青黒い空が渦巻く空間だった。


 それ以外何もない。


 それは意識の空間。


 術者が患者の感情を可視化できるよう魔法で感情を具現化した『感情の部屋』


 そこでは白い被り物の服を着たニコニコ楽しそうな子どものユウタが走り回っている。何人も何人も意味もなく走り回り、座っていたり、歩いていたり、みんなニコニコで楽しそう。


 女王はその中を進んでいく。


 すると突如耳を(つんざ)くような悲鳴が聞こえた。急いで声のほうへ向かってみると、何もない空間から現れた鎖で四肢を拘束され、身動き一つできない人影が見えた。近づけばわかる。彼もまたユウタだった。拘束されたユウタは泣き叫んでいる。言葉はない。ただただ血の涙を流し悲しみを讃えていた。囚われたユウタはニコニコのユウタに甚振られている。剣やナイフをいたる所に刺され衣服は真っ赤だ。その血だまりで水遊びするようにはしゃぐユウタもニコニコだ。


「どうしてこんなことに……」


 エトワールは泣き叫ぶ彼の拘束を解く。

 すると彼は音もなくその場から消えた。


 ニコニコのユウタたちは玩具がなくなったのでもうこの場に興味がない。キョロキョロしたあとにある場所へ駆けて行った。エトワールもそれを追う。そうして次に見つけたのは喚き怒号を轟かせ怒りを示すユウタだった。女王は彼を同じように解放し、この空間から消滅させた。


 歪な空間にはニコニコユウタだけとなるが、彼らもまた一人一人と消えて行く。空間の再構築が始まるのだ。どう変わるのかはわからない。また囚われるかもしれない。でも、ここまでしかできない。


 目の前にある大きな扉。

 この先が記憶の世界というのはわかる。


 だが、《記憶介入》は…そこまでは一人の人間族のために行うことはできない。


『へぇ、そこから先は行かないんだ?』


 突然背後で静かな声が聞こえた。

 振り向くとそこにはあの少年が、年相応の姿で立っている。


「ユウタ…さん、ですか?」


『感情の部屋』に知能を持つ存在が現れるのは稀だ。基本ここは全ての感情が渦巻く場所であり、『記憶』にかかわるものは『記憶の部屋』で遭遇する。


『当たりであり、ハズレだ。何をしたって無駄だぜ。《支配》は強力なんだ。誰も覆せない』

「そんなことはありません。貴方はきっと」

『ならその扉くぐれよ。『俺』が許可する。そうして魔言を見つけて来いよ』

「それは…」

『出来ないだろ? だったら余計なことはするな。『俺』はもう終わりだ』


 ニタリと笑みを浮かべユウタは消えた。


「……ユウタさん…」


 《記憶介入》は『許可』を得られた場合、『記憶の部屋』へ通される。そこで患者に直接会い、そして魂に刻まれた全ての記録の中から好きな部分へと誘ってもらうのだ。そうして患者の記憶を追体験する。……そう、追体験だ。その時の患者自身と同調する。それが恋愛や、楽しいことなら何の問題もない。


 だが、悲惨なことだったら?


 それを追体験した術者は恐らく思考が歪んでしまうだろう。

 精神が汚染されてしまうだろう。


 加護の一つである《同調回避の加護》があれば、映像や音声を再生されるだけだから、術者の負担はそこまでないが、女王はそれを持っていない。


 だから、たとえ『許可』を得られたとしても、行使はできない。

 仮にも自分はエル属女王。

 エル属を守らなければならない。


「……ごめんなさい……」


 守るべきものがあるから臆した。


 その結果が目の前の光景……。

 どうしてもその罪悪感が抜けず、女王を責め立てる。


 なぜここまでして一人の人間族を守ろうとしているのか、正直自分でもよくわかっていない。もちろん、渡り人であり彼を解放できず、監禁状態にさせてしまったこと、シャルノイラスに彼が逃げた、と結界の探索を頼まれた時も探索は行ったがそれ以上のことはしなかった、という自責の念もある。


 でも、それ以外にもどうしても助けなければいけない。

 そういう風に思ってしまうのだ。


 理由はない。

 恐らく予知の力でもない。

 自分自身でもわからない。



 でも、助けたい……。



助けてよ…

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