15:サイシャ
まだ人々が寝静まる深夜。
気分が良くなったサイシャは帰路についた。
「ただいま、フェリス、アスラン」
その挨拶に対する返事はない。
だが彼はそれを気にすることなく本棚の絵本を手に取りテーブルに着くと徐にそれを開いた。
「アスラン、これ好きだろう?」
誰もいないが話しかける。
そうしてサイシャは絵本を読み始めた。
内容は、『魔人族』が世界に新たな人種として認められるお話。
世界が生まれた時、世界は生きるために生物を創りました。彼らは本能で生きて本能で死にます。次に世界は欲を求め、知のあるものを創りました。それが最初の人。人間族です。彼らは世界を耕し、愛し、壊し、作る。人間族は世界の欲を満たしてくれます。
世界は感謝の証として神を創りました。神は世界が人間族の中から選定します。そして神になった人間族には世界の英知が与えられます。そうして世界に新たな欲を与え、満たすことが出来ます。
ある一人の人間族が神になりました。その時代は争いの時代。どこもかしこも戦争で疲弊していました。
商人の一人息子だったトラスは突然世界の英知を手にし、帝国に召し抱えられます。そこで皇帝はトラスに他国との戦争に優位になる知を求めます。トラスは自分たちの意思で動く兵士を創ることにしました。世界の英知を利用して、大気中の微精霊の力を引き出す新たな力、魔法。その神秘の力を自身の力のみで構築することが出来る新たな種は、神トラスによって『魔人族』と名づけられました。
魔力は空気の一部。当たり前に存在するそれを神秘の力に変えることが出来る魔人族は、鋼や鉄の武器が主流の戦争で、圧倒的な力を発揮しました。ですが、魔人族はトラスによって人間族に絶対服従の存在として創られました戦闘兵器。そこに自由意志はなく、ただ帝国に絶対服従で、命じられるがままに戦い、3日でコーザ大陸全ての国々を亡ぼしました。
圧倒的な力。なによりも魔人族は人間族に絶対服従。皇帝はその力を独り占めしたくなりました。
そして創造主である神トラスを滅ぼそうとします。絶対服従。皇帝は魔人族の殆どを自らの配下にしていたので、トラスを守る魔人族は殆どいませんでした。トラスを守る魔人族。服従する彼らに自分たちの意思はありません。ただただその身を削ってトラスを守り続けます。
そこでトラスは気づきます。なんと愚かなことをしたのか、と。トラスは願います。魔人族の解放を。魔人族を支配していたのは青い花でした。それが魔人族には毒であり、意志を操ることが出来たのです。だからトラスは世界中の青花の消滅を願います。そして世界はそれを認め、青花は消滅。自我を得た魔人族は神が創った初めての人種となり、絶対服従の支配を抜け、各々自分たちの権利を得たのです。
それからしばらくして世界は新たな人種『亜人族』をつくります。3つの人種はそれぞれ、得意不得意があり、それぞれが足りない部分を補っていくつかの国が生まれました。そうして世界は平和を取り戻しました、とさ。
読み終わるとサイシャは絵本を閉じる。
「でもね、アスラン。たとえ神が人間族であり、私たちの生みの親だとしても、私はね、赦せないんだ。どうして私たちは静かに暮らせないんだろうね……」
◇
コーザ大陸、フルーレの村。
ここはミレニア帝国領中央西寄りのエッソ山脈沿いにある、小さいが活気のある農村だ。
この村には亜人族も魔人族も人間族も…すべての『人』が暮らしていた。大地は肥沃で作物は良く育ち、彼らは自分たちの得意を武器にそれぞれの仕事をし、日々を生きている。
魔人族の一属、エル属サイシャは、この村で妻フェリスと、まだ幼い娘アスランと暮らしていた。サイシャは自然魔法である水の属性魔法と魂魔法の性質があった。
魔法は基本微精霊に魔力を送ることで具現する力。
それが水魔法なら、水の魔力が大気中の微精霊に反応すると同時に、水魔法は完成し、現実に本物の水が現れる。だが魔法の力は時とともに微精霊に戻るもの。魔力を失った水は再び微精霊に戻る。そして、魂魔法は人の心に干渉する扱いの難しい繊細な魔法だ。深く勉強すれば、生活の役に立つこともあるかもしれない。だが、農夫であったサイシャにこの力が役立つとも思わなかった。
もし、本格的に魔法を学ぶのなら、練度によって水魔法なら時間経過に関わらず本物の水を作り出すこともできるし、魂魔法なら他者を操り、心を支配することもできるかもしれないが、魔法自体に対して興味のないサイシャは、そこまでの重要性を感じていないため、基礎のみを知るくらいで、深くは学んでいない。そして魔力量は村の1.2争うものであり、その能力は宝のもち腐れ状態だった。
ただ当の本人はもち腐れだなんて思わない。サイシャはただ、日々作物を育てて、愛する妻と娘と、このまま穏やかに、幸せに暮らしていければそんな大きな力はいらないと、そう思っていた。
だが、それは突然やって来た。
その日、ミレニア帝国軍が村に来た。
なにやら帝都に蔓延した流行病の予防薬が完成したので、人間族、そして亜人族に接種させるというのだ。彼らは迅速に村の人間族と亜人族を集め、村から連れて行く手はずを整えていく。どうやらこの病は魔力変換できない種族にしか罹らないもので、自力で魔法行使可能な魔人族には感染しないらしい。彼らは隣の町で一斉に予防接種をするとのことだった。
そんな流行病があったなんて、帝都から離れた小さな村には情報はなかったが、こんな辺境ともいえる村にまで気を配るなんて、本当にミレニア帝国は良い国だとサイシャは思う。
明日には村人たちは村に戻ってくるとのことだったので、サイシャは隣に住んでいる人間族の友人レッジの頼みで彼の畑にも水を撒く。
ほかの魔人族たちも日々と変わらぬ仕事をこなしている。サイシャは少し仕事の手を止め、村を見渡してみた。こうやって魔人族だけになってみると結構いるな、と思う。
「……蝶……花びら?」
突然視界に青い蝶のようなものが羽ばたいたかと思うと、それは花びらとなって舞った。濃い青のそれは風に乗って村に降り注いでいる。
不思議だ。こんな花びらの花。この村にあっただろうか。もしあったのだとしても何故風も殆どないのに舞っているのだろうか。
そんな疑問はある。あるが、それよりなにより……。
「…なんと綺麗な光景だ……」
サイシャはその幻想的な光景に心を奪われていた。
――アァァッァアアアッ!!!――
そんな叫びが聞こえて、サイシャは我に返った。
「…え?」
そして自分の目を疑う。
人が次々と倒れていくのだ。
倒れていない者もいる。だが、その場で呆然としていて、どうにも様子がおかしい。一体何があったのだと思う。
花びらはまだ舞っていた。
そして積もろうともしていた。
ドクンッ
遅れてサイシャにも変化が訪れる。
「……なっ…!?」
思考が掻き乱される。
ぞわぞわと得体の知れない感情が今の感情を喰らおうと大口を開けているようだった。苦しい……。意識が朦朧とする……。
気づいたら胸を押さえていた。
「…フェリスッ……ア、スラン………ッ」
愛しい者たちの状況が気になる。
何が起こったのか…それを理解できないままサイシャは彼女たちのいる自宅へとゆっくりと足を進め……。
「気絶している者は回収し収容。意識ある者は直ちに拘束して広場に連れてこい!!」
突然、帝国の人間族が大量に押し寄せてきた。
それはサイシャの元にも訪れて……。
「貴様意識があるな。その魔力量合格だ。その命、帝国に捧げよ」
帝国の人間は一方的に宣言し、サイシャを金属の枷で拘束する。
「…な!? …お前たち何をッ!?」
訳が分からないまま拘束され、サイシャは帝国兵に連行される。その時視界に映る光景。
「フェリスッ!!! アスラン!!!」
自宅から連れ出されるフェリスとアスラン。
フェリスはサイシャと同じく拘束されていた。
ただ、サイシャの声にも反応することなく意識を放棄している様子だ。その目はサイシャを映していない。何も見えていないようだった。アスランは気を失っている。
「お前たちッ!! 私の家族になんてことをぉッ!!!」
怒りに震えたサイシャは朦朧とする意識の中、それでも渾身の力を振り絞り、水の魔法を行使する。が、
「!? 具現化…できない?」
微精霊が魔力に反応しない。
抗えない。
訳が分からない。
「ほぉ。この状況で魔法発動を試みるのか。いい素材だな」
「…お前たち何をしたッ!!」
「青花を撒いただけさ。そんなことより、あれはお前の女か? いい体しているな」
帝国兵は飢えた獣のような眼でフェリスを見る。
その視線が更にサイシャを激昂させる。
「貴様ら……、フェリスをどうする気だあぁあッ!!!」
「慌てるな、もちろん有効利用する。あれはいい女だな、『孕ませ』として役立ってもらおう」
「なッ!!?」
意味は分からないが単語だけでも非道なことだとだというのがわかる。サイシャは朦朧とする意識の中でも、抵抗しても無駄なことは知りつつ抵抗を止めない。
完全優位なことを理解している帝国兵は歪な笑みを浮かべていた。
「何となく想像できるだろう? あの女はこれから人間族に犯されそして子を成す母体となってもらう。まぁ、異種性交は出生率が低いからないくらかは失敗はするだろうが、そのうち2世代として生まれたなら英才教育を受けることになるだろうなぁ。まぁ、貴様の知る所ではないがな」
ははは…と大声で笑いだす帝国兵。サイシャは唇を噛みしめ、どうにか意識だけは失わないように、反撃の機会を伺う。
「まぁ、役立たずになったら貴様に会わせてやろうじゃないか。そうして貴様がその愛する妻とやらを殺せばいい」
「ふ、ざけるなぁあああッ!!!!」
どうにか叫ぶ。
でもそれしかできない。
非道な奴ら、赦しがたい存在。
深い憎悪がサイシャに芽生える。
「がぁふぐッ!!!」
だが、ここまでだった。
鳩尾を強く殴られ、意識を失ってしまった。
そうして、わけの分からないまま連行されたのは『研究所』だった。
そこは一言で言えば地獄だった。
青花に囲まれた牢獄。
朦朧する意識。
仲間だった魔人族は、青花に意識を飲まれると人間族に《絶対服従》してしまう。これは神トラスが魔人族を使役するために作った仕組みだ。
だが、魔人族が世界に新たな人種と認められと同時に消滅したものだ。なぜ世界から消えたものがここにあるのか、しかも大量にあるのか、分からない。分からないけど、
「そこの獣族の餓鬼を殺せ…」
サイシャは枷をされていて手足の自由はない。
だが魔力はある。
「…だ…ぃや……だッ!!」
必死に抵抗する。
殴られても蹴られても、刺されても、必死に抵抗する。でもこれは人間族が楽しんでいるだけだ。逆らえない弱者を甚振っているだけだ。しばらくすれば飽きて……
「これでも逆らえるか?」
「やめろ…やめてくれ……やめてくださいッ!!」
ニコニコしながら目の前に見えるのは青い液体の入った注射器。それは青花の成分を抽出したもので……。
「アアァァアアァアァ……ッ」
逆らえない。
逆らえるわけない。
しばらくは叫んでいた。
しかし突然静かになる。
「怖い…嫌だぁ、お父さん、お母さんッ どこいるの もう痛いのやだよぉ!!!」
目の前の獣属の女の子。
アスランと同年代だろうか…姿のない両親を求め、泣き叫んでいる。
可哀そうに。
可哀そうに。
カワイソウニ。
「殺せ」
人間族の命令。
サイシャは水の魔力を微精霊に送る。
殺すなら確実に。水は冷気を帯び氷になり、
「《氷針》」
その無数の氷の針を女の子に飛ばした。
泣き叫んだ少女の音が止まる。
死んだ。
「……ぁ…」
それを確認し、サイシャは正気に戻る。
「あぁぁぁっぁあぁぁぁぁぁアァァァァッァァッ!!!!」
叫ぶ。
自分が殺した。
アスランと同じくらいの子供を……自分が自分がッまたッ!!
「今のは成分量5パーセント注入だな。服従開始時間に即効性はあるが、解けるのも早い…実用化を考えるともう少し持続時間が欲しいところだな」
絶望に泣き叫ぶサイシャなどどうでもいいように人間は今のサイシャの攻撃を記録している。あくまでも事務的に。
「アァァアッ!! 殺せ、殺せ!!! 私をもう殺してくれぇッッ!!!!」
「ちょっといい加減煩いぞ、黙れ!!」
人間族からの命令。
そんなもの聞くわけない…聞きたくない。それなのに……。
「あ…あぁ……ァ…」
また注射をされて逆らえなくなる。
こんなことの繰り返しで一体どれだけの同族を殺した?
同族だけじゃない、村で共に暮らした亜人族だって数えきれないくらい殺した。そんなことしたくないのに……。
どうしてどうして、ドウシテ、ドウシテ……。
サイシャにはもう生きる気力などなかった。
ここに来てすぐ…泣き叫ぶアスランを殺した。
そして変わり果てた妻、フェリスも殺した。
青花に逆らえなかった。
心は壊れたはずだった。
でも、今こうしてまだ生きていて、青花に逆らえない。
青花の牢獄では自分みたいな者たちが、青花による《絶対服従》を強いられていた。ここには絶望しかなかった。自分はまだ意識があるが、それはこの担当者が調査をしているからだ。やろうと思えばいつでも自分も《絶対服従》状態になるだろう。
そうなれば、もうサイシャという個はない。誰か、誰でもいいから殺してほしかった。
だから魔王アシリッド様がここを見つけてくれて、自分たちを解放してくれた時に誓った。
サイシャは人間族を甚振る。
彼らが善人でも悪人でも関係ない。人間族は全て同じだ。
今も一人の人間族が苦痛に藻掻きながらもそれを受け入れている。
狂ったこの状況を受け入れている。
そうなるように調整したのだ。
人間族はすべて、もがき苦しみ、苦痛の中で死ね。
え、ユウタは完全に無関係だよね??




