483話 不死魔法
酷く年老いた少年は海を見ていた。
(どうして俺が手を貸さなきゃならん。獣人共が招いたことだろ……)
だが、そう言って切って捨てれるような立場ではない。
否、正確に言ってしまえば立場ごと切って捨てることは可能だった。
ただ、それをしようという発想を思いつくだけでも、何か重要な心の支えが崩れる気がして、そのような立場に居続けた。
グレートセブンなどというふざけた枠組みの中に押し込まれ、時間の冠士という価値のない称号を受け、何か問題があれば下っ端のように働かされる。
その癖、賞賛されたとしても国のお偉いさんや、同僚であり師であるフレンだけ。
民衆の賛美など欲しい訳ではないが、どこか釣り合わないと感じていた。
(ただ時間の研究がしたいだけだ。何故このような事を……)
彼の目的はもう1つの時間を司る、湾曲した世界の発見と、宇宙の外側の観測。
この2つさえ終われば、この星で行うべき研究は全て終わる。
「チッ…」
だが関係のない所で障害が湧いて出る。
彼は苛立っていた。
しかし冷静でもあった。
(だが文句を言ったって意味がない。クソったれ怪異が尻尾巻いて帰る訳もない。ここでクトゥルフが復活しようものなら、少なからず王都への被害が確定する。それだけは避けなければ)
不安の芽は摘む。
それが彼の性格だったからだ。
手を貸すんじゃない、自分のために動くまで。
そう少年が海へと1歩を踏み出した途端、何かに足元を掬われる。
(クソッ!)
突然の出来事であっても、少年は慣れていた。
すぐさま時間を止め、手で思いっきり地面を弾き、宙で状態を立て直す。
未だ時は止まったまま、空に飛んでいるカモメが何も動かずにそれを知らせてくれる。
またそれと同様に、ナメクジのように不愉快に光を反射する1本の触手もまた、鞭のように形をしならせたまま動かずにいる。
そのすぐ近くには、頭を叩き潰さんとする追撃の1本も動かずにいる。
その触手を視線で追えば、それの持ち主が黄衣をまとった少年、ハイータが攻撃をしてきたという事を理解出来る。
時間を止めたまま、少年はハイータに近づく。
(こいつ、ミオがいなくなった世界では、すんなりと手を組んだ癖に)
だが邪魔者は邪魔者、別の未来の世界の協力者であっても、今はただの邪魔者なのである。
(殺そうと思えば殺せるが、こいつの魔力が枯れるまで復活する半不死身の性質、殺すには時間がかかる。だがここで無視しようが俺が逃げようが、怪異を止めようとする誰かしらを狙う)
この少年は、このハイータの相手をしないとならない事実から目を背けることはしなかった。
(どうすれば黙るか… 過去に飛ばすにも準備が足りん。取引か?そもそも何が目的でダゴン教団の象牙などに手を貸す?いや、そうか。こいつの主、ハスターがここのクトゥルフと同盟関係だったか。それなら手を貸す理由も分かる)
つまり、黄衣のハイータは主の命令の元で動いてるだけであり、それを何らかの利害関係で交渉するなんて不可能であるということ。
どうにかして、ここで止める必要があるということ。
(出方を見るか)
少年は懐からナイフを取り出すと、容赦なく黄衣のハイータの首に突き立て、頸動脈を巻き込んで喉を掻っ切る。
だが時の止まった今では血は出ない、返り血を浴びずに少し離れ、時を動かす。
カモメが遠くの方で鳴き、羽ばたく。
そして後ろの方で、まるでダイナマイトが爆発でもしたかのような衝撃音が、触手が鋭く空を切る音と鳴り響く。
「ぐぁッ!」
黄衣のハイータが首を抑え、しかし血は止まる事を知らず、逃げるように足を1歩下げる。
触手も引っ込め、反撃する素振りはない。
「クソが、何のようだ?」
分かり切った答えを投げかける。
これは少年が馬鹿な訳ではなく、上位の存在だと知らしめ、威圧する為の行為だ。
相手に自身の過失を認めさせ、判断力を鈍らせるのが目的。
ただ、首を切られたハイータは声を出そうとすればするほど空気が漏れ、おまけに血も吹き出してしまう。
「バレないよう、空を切る音が鳴る程の一手の前、俺がカウンター出来ないよう足払いしたのはよかったが……」
相手の行動を分析し、お前の行動は理解出来るぞと思わせる。
「時を止めるのに詠唱など使わん。どう攻撃しようが届かねぇよ」
そして時間魔法の強さを理解させ、戦意を喪失させる。
本来であれば力の差は歴然、どのような人間であれここで引き下がる所、いや、死ぬ所だったが、ハイータは違った。
ゆっくりと顔を上げ、フードの向こう側から少年を睨みつける。
次第に流れる首から血の量も減り、抑えていた手を離す。
「いあ」
ハイータが詠唱を始めた途端、刹那よりも早い、いやそもそも時間など流れていない、0秒の間に再びハイータの首が大きく開く。
「おかしいな、『何のよう』だと聞いたが?詠唱するなら逃げながらしたらどうだ、俺は速度の概念を超越して追いかけるが」
そう、速度を求めようにも0秒の間に動く距離など求める事は出来ない。
それが時間魔法、時間の概念を超越し、物体の連続性を無視する、付け入る隙のない難攻不落の魔法。
見つかったら最後、逃げることすら許されない。
「次はないぞ。俺も忙しいんだ、手間を取らせないでくれ。それとまた触手を出してみろ、それも卸してやる」
絶対の存在として、ハイータの前で立ち続ける少年。
その名をイクス。
時間の冠士として、時間魔法を操る最強のグレートセブン。
またしばらくすれば、ハイータから溢れる血は収まっていき、今度は下手に詠唱せずに話し始める。
「イクス、君がもし僕だったら、君はどうやって君自身を倒す?」
「質問を質問で返すなと言いたい所だが、簡単に言える事だから教えてやる。無理だ、諦めろ」
「ははっ、そう、だよね……」
少年の言う通り、力の差は歴然である。
傭兵が束になろうと、ハイータはその場を切り抜けれる程の触手使いであり、不死身の生命力を持った生物だ。
だが、ハイータが束になろうが、少年に勝つ事は叶わない。
少年の1番弟子を除いたこの世界の誰も、少年と同じ土俵に立つ事は出来ない。
「そっか、じゃあ、今回の所は僕は帰るよ」
「そうしろ、邪魔だからさっさと失せることだ」
「それと助言というか何というか、話には聞いてるとは思うけど、僕がドロンドイ鉱山で作ったイタクァ、どうやって倒したか知ってる?」
「……それが何だ?」
(記憶に間違いなければそのイタクァとやら、不死身だったが、獣人族のミオとやらが魔法で殺したと聞いたが)
「ダゴンとハイドラにも不死魔法をかけたから、倒すにはミオの力が必要だよ。リヴァイアサンにもかけたんだけど、カミラが取り込んだからお釈迦になっちゃったね。でもカミラはもう無理だよ、消化に時間がかかるから」
「貴様、余計な事を……」
獣人族のミオに頼むのは少年にとって癪だったが、彼女の力を借りるしかない。
それ以外、方法はないからだ。
「それが僕への命だからしょうがないでしょ?それと君もよく分かってる通り、不死魔法は解けない。かけたら最後、死の運命は消えてなくなる。それすらも塗り替える、ミオにしか本当に倒すことは出来ない。それぐらい言えば、もう十分だよね?」
ハイータはそう言うと、ホイッスルを咥える。
あれは、彼の足となるビヤーキーを従う為の物だ。
少年をそれを知っていたから、その行動を咎めることはしなかった。
ただ少年は、思ったよりも酷い面倒事に巻き込まれた事実に、舌打ちをするだけだった。




