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complements  作者: 香坂茉音
第1章・・・minus
8/41



 どのくらい時間が経っただろう。寒くて真っ黒なままだったけど、決心すると自然と不安は消えていった。帰ろう。


 体に着いた砂を軽く払った。手の傷は血が固まって動かしにくい。目を凝らして辺りを見回した。ここはどこだろう?


 適当に少し歩いてみると、岩場を越えたところに明かりが見えた。古そうな家が1軒ポツンと立ってる。あんなところに家があるなんて。誰か住んでるの?とにかく行ってみよう。


 転ばないように慎重に足を進めた。古そうな家の側まで来るとその外観がハッキリ見えた。2階建てで淡いブルーの外壁。1階の海に面している側にテラスがあった。古そうな白いロッキングチェアが置いてある。どの窓もカーテンが閉められていて中を伺うことはできない。外の明かりだけがひっそりと灯っていた。


 家の壁沿いに進むと物置があって、そのさらに先へ行くと玄関側に出た。家の前は大きく開けていて、奥には幅の広い1本道が見える。


 玄関の前に立ってみたけど人がいる気配はなさそう。誰かの別荘だったりする?


 とりあえず私は1本道を進んでみることにした。道の両端には木が生い茂っていて、砂利にはタイヤの跡がついてる。その道を抜けると舗装された道路に出ることができた。これを辿(たど)ればどこか知ってるところにたどり着けるかもしれない。


  トボトボと道路を道なりに歩いていると突然背後から明るい光が射した。振り向くと車のヘッドライトが私の方へ向かってきていた。この車を停めるべき?でも今の私は変に見られるかも。ちゃんと話せる自信もない。……やり過ごそう。


 舗装された道を外れて砂利になっているところを歩いた。闇に紛れて見つかりませんように。


 車のエンジン音が近づいてきて私の横をさっと通り過ぎた、と思ったら車は急ブレーキをかけて停まった。


 見つかった?私のことを子供だと思ったのか、幽霊だと思ったのか。それとも…。相手が厄介な(たぐい)だったらどうしよう。誘拐。暴行されて置き去り。そんなシナリオが頭に浮かんだ。せっかく死ぬ覚悟を決めたのに予定が狂っちゃう。逃げなくちゃ。


 森の奥へ進もうとしたとき、車から誰かが出てきた。


 「おい!」


 ウソだ。どうしてここに?こんな時に…。


 聞き覚えのある声に驚いたと同時になぜかホッとした。あの人だ。あの車だ。


 ターナー先生は数歩で私に歩み寄った。私は混乱と疲労でその場に固まって動けずにいた。


 「なにやってるんだ!マークが探してたぞ!」先生は厳しい声で言って私を見降ろした。私が何も答えずにいると、彼は片手で私の肩を掴み軽く揺さぶった。


 「おい」


 かなり怒ってる。どうしよう。頭がちゃんと働いてくれない。マークが探してたって?誰を?何を?いま…。いま何時?


 ターナー先生は腰を折り畳んで私と目を合わせた。「大丈夫か?」心配と不安が混ざった言い方だった。いつもの綺麗な瞳じゃなくて、今は真っ黒に見えるけど、私をくまなく観察している。


 ようやく私の頭が動き出した。マークが彼に連絡したの?もしかしたら警察にも言ってるかも。


 「あの…」答えようとしたけど言葉が見つからない。もう何年もしゃべってないみたいに声が掠れた。「大丈夫です。道に迷って…」


 先生は病院で見かけたのと同じ苦しい表情をした。


 「ごめんなさい」と慌てて謝る。迷惑をかけるつもりじゃなかったのに。彼だけじゃなく誰にも。もっとうまくやるべきだった。メモを残すとか、電話するとか…。


 先生はどうしてここにいるんだろう?まさか探してくれたの?それともたまたま通りがかっただけ?心配してくれるのは有難いけど、負担になりたくない。


 「こんな遅くに出歩いちゃダメだろ!君は方向に疎いのに、何かあったらどうする」ターナー先生の声は体の中心にビリビリ響くほど鋭かった。


 どうして方向音痴だって知ってるの?マークが言ったの?肝心なことは言わないのに。


 「ごめんなさい。散歩に出てて…」私は恥ずかしくなって声が震えた。こんな時でも簡単に嘘が出る。


 先生は私の全身を見回したあと大きくため息をついた。苛立ってる。私はさらに気が咎めた。やっぱり探してくれたんだ。もう…。小さくなって消えてしまいたい。


 「すみません」喉を詰まらせると、先生は私の肩から手を離した。


 「車に乗って」と静かに言って髪をかき上げる。


 頭では言われたことを理解しているのに私の足が動かなかった。遠くにいたもう1人の私が叫び出す。


 <放っておいて!独りで帰る!>


 ちょっと黙っててよ。


 叫びを押さえ付けていると、ターナー先生はいきなり私の手を掴んで引っ張った。体に力を入れていなかったせいで一瞬、宙に浮いたような感覚になる。傷のある私の手から痛みと先生の熱い体温が染みてきた。


 抵抗できるわけもなく車に連れて行かれる。ターナー先生は運転席の後ろの扉を開けると私を中へ押し込んだ。扉が閉まると、またすぐに開く音が聞こえて車内が明るくなる。私がその光に目を細めていると、先生は運転席に乗り込んで扉を閉めた。車内は再び暗くなる。


 「ケガしてるだろ」先生は頭の上にあるルームライトをつけてこっちを見た。目がキラリと光る。


 「転びました」蚊の鳴くような声で答える。なんでわかるの?


 「見せて」先生は体をひねって手を差し出してきた。彼の大きな手のひらには固まった血のカケラがついている。


 私は急いでそれを傷のない方の手で拭った。「ごめんなさい」情けなさでまた声が震える。何してるのよもう…。


 焦っていると突然、ギュッと手を握られた。


 「いいから、反対の手を見せて」先生は言った。


 彼のあたたかさが皮膚を通してじんわりと伝わってきて、私は自然と反対の手を差し出していた。手のシワに沿って浅い傷がついてる。


 「他にケガは?」傷の確認をしながら先生は尋ねた。


 「ありません」どこもかしこも傷だらけだけど、そんなこと言えない。


 「本当に?」ターナー先生は顔をあげた。鋭い視線と目が合う。今の彼は10歳も老けて見えた。


 「はい」私はその瞳に囚われたまま答えた。


 <助けて!助けて欲しいの!>


 私の耳元でまた叫び声が聞こえた。なんなの?放っておいてとか、助けてとか。どっちかにして。それよりもお願いだから黙ってて。あとでいくらでも聞いてあげるから。私たちはもうすぐ楽になれる。


 時間を失くして先生と見つめ合った。彼は真偽を(あさ)るように探している。


 やがてターナー先生は口を開いた。「頼むから、二度と、夜に、ひとりで出歩くな」彼は一言区切りで強く、判を押すように言う。


 「ごめんなさい…」罪悪感で一杯になった。謝ることしかできない。こんなに迷惑をかけて、本当に自分が嫌。


 傷ついた自分の手を見降ろすと、先生は手を離した。小さくため息をつき、前を向いて車を走らせる。


 車についている時計が目に入った。10時過ぎ。


 暖かい車内は無言のまま、5分もしないうちに私の家の前に着いた。


 「降りて」ターナー先生は言った。


 今度は従ってすぐに車を降りる。扉を閉めると運転席の窓が開いた。


 「ちゃんと手当てするんだよ」私の手を見つめながら、彼は低くなめらかな声で彼は言った。


 「はい」


 「夜に出歩かないって約束して。車でもダメだ」と視線を上げて私を見る。


 「はい」私はしっかりとその目を見つめた。


 彼はまた私から真偽を引き出そうと探りを入れてきた。私はゆっくりと目を伏せて幕を1枚降ろす。すると彼は小さく息を飲んだ。


 「…それじゃ」


 「はい」私は顔を上げた。先生の疲れ果てた表情を見てまた罪悪感の中に埋もれる。「ありがとうございました」と言うと、先生は窓を閉めながらさっと手を挙げた。そのあと家の扉を指す。


 私が玄関の前に立ってドアノブに手をかけると、後ろから車の走り去る音が聞こえた。振り向くとそこには真っ暗な闇しかなかった。


  「リサ!」家に入るとマークが飛んできた。「どこ行ってたんだ!」


 「ごめんなさい。ちょっと散歩に出たら迷ってしまって…」


 マークは私を見回したあとため息をついた。「よかった。もう1分でも遅かったら警察に電話するところだったよ。家に帰ったら車はあるのに君はいないから。病院にも聞いてみたけどいないっていわれたし。いくら田舎とはいえ、夜に散歩に出るなんて。危ないだろ」


 「本当にごめんなさい。最近フラフラ出歩いていたから大丈夫だと思ったの。すぐに帰るつもりが…。方向音痴にも程があるよね…」さっきは全然しゃべれなかったくせに、今はぺらぺらと言い訳を言ってる。


 「よく帰って来られたな。大丈夫?」マークは私の服を指した。汚れてボロボロ。


 「うん。大丈夫。実は、ターナー先生が通りがかって、車に乗せてくれたの」


 「ランスが?」マークは眉を上げた。


 私は頷く。


 「よかった。あいつが拾ってくれて。あいつと病院で会ったんだ。だから一応、リサを見かけてないか聞いてみたんだよ。何か言ってたか?わざわざ探してくれたのかな?」


 「たぶん、探してくれたんだと思う…」マークも病院で先生と会ってたんだ。「申し訳なくて…。先生とても疲れているように見えたから」さっきの先生の顔が頭にこびりついて離れない。


 「そうだな。彼のおじいさんがあの病院に入院してたんだ。でも昨日、亡くなったようで。忙しいはずなのに借りができたな」


 そんなときに私ったら…。ことごとく自分が嫌になる。だから先生はあんな顔してたんだ。結婚式の時、おじいさんの話をしてくれた。その様子から先生がおじいさんの事をとても尊敬しているのが伝わってきた。大切な家族を亡くして大変な時に私なんかを探してくれたなんて…。


 「明日ちゃんと学校でお礼を言う」私はマークに言った。黒い霧がより一層濃くなる。


 「あぁ、僕も言っておくよ。さ、シャワーしておいで。疲れただろう?」


 「うん。ありがとうマーク」


 「いいよ」彼は優しく微笑んでくれた。それが心に染みた。


 着替えを持ってシャワーを浴びようとバスルームに入ると、自分の姿が鏡に映った。髪はもつれてゴワゴワになってるし、顔も酷いありさま。ブラシで髪を()かしてからシャワーを浴びた。熱いお湯は冷えた体を芯からほぐしてくれて、傷にも染みた。


 シャワーを終えてタオルで髪を拭きながらリビングに行くと、マークが携帯電話で誰かと話をしていた。


 「本当にすまない。助かったよ」私がマークの側を通ると、電話を渡してきた。「ランスだよ」


 「え」私は携帯を受け取って耳に当てた。「今日は本当にすみませんでした。先生も忙しい時に、」ありったけの気持ちを込めて言った。


 でも先生からの返事はない。電話が切れたのかと思ってディスプレイを見たけどまだ繋がってる。もしかして、かなり怒ってる?


 「先生?」


 「…いや、いいんだ」と間が空いてから聞こえた。低くて細い声が私の胸に突き刺さる。「ちゃんと手当てはした?」鼻にかかったような声に変わった。


 「はい」私は手の傷を隠すように拳を握った。手当てはせずそのままにしてある。電話なら相手を見ずに嘘がつけるけど、この時はなぜか彼が目の前にいて欲しいと思った。


 「そうか。ゆっくり休んで」


 「はい。先生も」私はもう一度お礼を言ってから電話をマークに返した。


 「じゃ、ランス。…え?…わかった。見ておくよ。おやすみ」マークは電話を切った。「手を見せてごらん」


 「え?」


 「ランスが言ってたんだ。手をケガしてるから見てやってくれって」


 電話でも嘘がバレるって、私そんなに解り易いの?


 「大丈夫。ちょっと切れただけだから」転んだ時にできた小さな傷をマークに見せた。


 「そうか。気を付けるんだよ」マークは傷を見ながら言った。


 「うん」


 「今日はもう遅いから、おやすみ」


 「おやすみなさい」


 自分の部屋に戻ってベッドにもぐりこんだ。今日起きたことが多すぎて他人事のようにも思える。ただ確実なのは、もう何をしてもこの黒い霧が晴れることはないってこと。もう1人の私は壁に頭を打ち付けている。


 <あんたなんか!あんたなんか!!>


 それを聞きながら目を閉じると、私はすぐに眠りに落ちた。




  翌日。ターナー先生になんと言うかずっと考えながら学校へ行った。だけど学校で彼を見つけることができなかった。もともとよく会う方じゃないから休んでいるかどうかも分からない。数学の教室にも姿はなかった。


 この日の夕方にママたちは無事退院した。ママとジゼル、ふたつの太陽が帰ってくると家の中は一気に明るくなった。ママたちが明かる意図なんの心配もいらない。それに私の心も落ち着いた。もうすぐこの家から陰湿な私がいなくなると思うと晴れやかな気分になる。なんだってできる気持ちにすらなった。


 次の日も私は早めに学校に行って、駐車場でターナー先生が来ないか待った。彼に会いたかった。今期も1時限目から授業があるのか知らないけど、会って話したい。でもこの日も彼はいなかった。




  週末の休みを越えて、月曜日も同じように朝早く行って待った。教師と生徒の車がちらほら登校し始めたころ、ターナー先生の車が駐車場に入ってきた。


 私は歩いて行って、先生が駐車した場所から2台分離れたところに立った。彼は車から降りるなり私を見つけてくれた。学校では透明人間が当たり前だったから、見つけてもらえただけでホッとする。先生は上下黒の服にグレーの上着を羽織っていた。


 「おはようございます」私は話しかけた。


 「やぁ」ターナー先生は返事をするとカバンを持って車の鍵を閉めた。そして私の方へ歩いてくる。てっきり怒っているのかと思ったけど違った。疲れた顔で優しく切ない目をしてる。


 「先週はありがとうございました」私は礼儀正しく言った。「もっと早く言いたかったんですけど、お見かけしなかったので…」


 「いや」先生は私の前で立ち止まった。「すまない。先週は色々あって休んでいたんだ」


 「そうですよね…」おじいさんのことだ。


 「手は大丈夫?」


 「はい」私はさっと手を後ろへやった。そして1歩下がる。また捕まれたりしたら今度こそ泣く。「あの、授業に行きますね」私は沈黙を避けるために早口で言って、頭を下げた。「本当にありがとうございました。もうご迷惑はお掛けしませんので」


 「あぁ」


 頭を上げると先生と目が合った。彼は何かを訴えかけるような瞳をしている。その瞳と深く結びつく前に私はそらして逃げ出した。心のどこかで、一度結びついてしまえばもう二度と逃れることはできないと感じたから。



  そこから、私はただ感情を無にして学校に通った。毎日同じ日を送るだけ。誰にもバレないように以前の私を演じるだけでいい。簡単なこと。嫌なことがあったって平気。ずっとは続かないもん。私はもういい大人で、なんだってできるようになる。自分の面倒を自分で見ることができる。この身だって自由にできる。


 ジゼルを抱っこすることもお世話することもできるようになった。彼女は可愛くて誰をも笑顔にさせる。ママも少しずつパワーを取り戻してきたし、マークも家にいる間はずっとジゼルを抱っこしていた。はたから見れば幸せな家族そのもの。でも私が歪んでいるせいで、(へだ)たりを感じずにはいられなかった。





  3月を半分ほど過ぎたころ、高校最後のテストがあった。成績に響かないように勉強した。いつものようにやるだけ。そしてテストが無事に終わると、私はひそかに考えていた計画をママに話すことにした。


 「リサ、ここにあったナイフ知らない?」ママはキッチンの引き出しを指しながら聞いた。


 「さぁ?知らない」私はジゼルを抱っこしてリビングのソファに座っていた。あのナイフは森の中に置いてきてしまった。


 ママはキッチンのあらゆる引き出しを探して回ったあと、諦めてリビングに戻ってきた。


 「おかしいわね。どこに行っちゃったのかしら?」ママは私の隣に座ってジゼルを抱き寄せる。そのときママの手が私の体に当たった。


 「あなたまた痩せたんじゃない?ダメよ。過度なダイエットなんかしなくても、」


 「そんなことない」私はすぐに否定した。食欲は前にも増して減ってたから体重も落ちてるはず。「最近は勉強ばっかりだったから」


 「そう?勉強するのはいいけど、ちゃんと食べなくちゃ体が持たないわよ?」


 「うん。それよりもママの方が大変じゃない?」


 ジゼルがママの服を引っ張った。


 「あら、平気よ。この子は手がかからないから」ママはジゼルを見つめて微笑んだ。


 確かにジゼルはお腹がすいた時とオムツを変えて欲しい時、寝る前に少しグズるくらいで、その他はいつもニコニコしていた。


 「リサの時は大変だったわ。一瞬でも抱っこをやめると泣いちゃうから。簡単にトイレも行けなかったのよ」思い出し笑いをしながらママは私を見た。


 「ごめんね」私は苦笑いする。私は生まれた時から私はなんて子だったのよ。


 「いいのよ。赤ちゃんなんて1人1人違うんだから。それに赤ちゃんでいる時間って少ししかないのよ?」


 「あぁ…。そうだね」


 「私が側にいないとリサはいつも泣いてたけど、5歳くらいのときだったかしら?急にしっかりしてきたのよ。それでこっちの国に戻ってきたでしょ?そしたら全く手のかからない子になって、1人でなんでもしてくれたから助かったわ。私は仕事をしなくちゃいけなかったし」


 「うん」


 こっちの国に越してきたときのことを全部覚えてるわけじゃないけど、パパとママが別々に暮らすことになったと言われた時の衝撃はハッキリと覚えてる。でも仕方のないことだってわかってた。


パパとママはよく喧嘩していて、2人に挟まれていた私はもうその間にいなくていいんだって安心した覚えもある。2人を困らせないように私がしっかりしなくちゃいけないんだって思い始めた。人見知りもそのころから激しくなったっけ。


 昔を思い出すと気分が塞いできそうだったから、頭を振って記憶を追い出すと、ママに計画の事を切り出した。


 「ねぇ、ママ」


 「なに?」


 「私、大学に行こうと思ってるの。隣の街に大きな大学があって、そこで美術の教員免許を取ろうかなって」


 「あら。いいんじゃない」ママはジゼルを高く掲げた。「お姉ちゃんにお絵描き教えてもらえるわね、ジゼル」


 ジゼルは笑った。


 「それでね、卒業してから大学に行くまで少し間が空くでしょ?だからその間にのんびり1人で旅行にでも行こうかと思って」友達と行くというと誰だと聞かれちゃうし、パパのところへ行くというのもすぐバレる。だから1人で行くということにした。


 「いいわね。私も卒業旅行には行ったものよ。でもどこに行くの?大丈夫?」


 良かった。旅行に行くことは反対されなかった。


 「大丈夫。お金なら今までの貯金があるし、そんなに遠くへ行くわけじゃないから。国内だし。でもあんまり旅行の予定とか目的地とかはハッキリ決めずに行くつもり」説得するためにまくし立てた。


 「あなた方向音痴なのに本当に1人で大丈夫なの?この前、散歩に出ただけで迷子になったんでしょ?」ママは私を見た。


 「平気よ。方向音痴を治すためにもいいと思う。大学に行くなら知らない街で暮らすことになるんだし、感覚を養わなくちゃ」いつものママならここまで深く関心してくることはないのに。今日に限ってどうしたんだろう?


 「そうねぇ…。それじゃあその前に携帯電話を買ってあげましょうか?」


 「ううん。卒業したら自分で買うつもりだったからいいよ」


 「そう…。じゃあゆっくり楽しんできなさいな」納得いってない様子だったけど、ママは微笑んでくれた。


 「うん」


 ママの微笑みに私は計画を捨ててしまおうかとも思った。でも決めたことは曲げたくない。なによりもう1人の私がカレンダーとにらめっこして今か今かとその時を待ってる。


 この苦しみから逃れたい。遠い未来より目の前に待っている死の方が私は幸せだった。私がいなくてもママは大丈夫。私はジゼルに感謝して、心の中で何度もママに謝った。




 



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