⑤
ぜんぜん眠れなくて体が重たい。全身が登校を拒否していたけれど、無理やり引っ張って学校に行った。もしかしたらアレックスはまだ私と口をきいてくれるかもしれない。小さな希望を持ちながら国語の授業を終えて、倫理の教室に入ると、アレックスは既に席に着いていた。
「アレックス」私は彼女に話しかけた。
アレックスはチラッとこっちを見ただけで何も答えてくれなかった。もう一度呼ぶと彼女は小声で「やめて」と言って私から顔を背けた。
周りにいる子が私たちのことをじっと見ている。
彼女はもう話してくれない。悲しみを突き付けられて、私は胸にポッカリト穴が開いた。胸の穴がひりひりと痛む。彼女が言ってたじゃない。お互いのために一緒にいない方がいいって。アレックスのためにそうした方がいいのはわかってる。それでもやっぱり目頭と鼻の奥が熱くて苦しくなった。せっかく仲良くなれたのに。
落ち込みながら自分の席に着いて授業を受けた。仕方ない。私にできることをやろう。そう決めたじゃない。アレックスを守りたい。傷つくのは私だけでいい。
次の美術ではコニーに話しかけてみたけど無視された。彼女は何事もなかったかのように絵を描いていて、授業が終わっても話すことはなかった。
カフェテリアには行く気になれず、体育館へ行こうとロッカーの前を通ると、オリヴィアがいた。
「オリヴィア」急いで話しかけると、彼女は高慢な態度をさらに高めて私を見た。
「なによ。話しかけないでちょうだい。こんなところ見られたら」オリヴィアは目を回した。
「昨日のことは本当に悪かったと思ってる。ごめんなさい。でも、あなたはアレックスとコニーのこと誤解してる」私は周りなんて気にせずに話を続けた。「あれはアレックスのせいじゃない」
「なに言ってるの?それはもう終わった話でしょ。アレックスのせいなの!あたしたちが見てたんだから。それとも、あなたコニーのせいにしたいの?アレックスの彼女だから?この町にすらいなかったくせに、適当なこと言わないで!」
「あなたは何もわかってない」私は冷静を保った。
「は?意味がわからない。なんであなたに責められなくちゃいけないの?あたしたちは被害者なのに。調子に乗らないで。そういうのはデキてるもの同士でやったら?」
「違う。私は友達として、あなたがコニーを守ってるように、私もアレックスを守りたいの」
「一緒にしないで!」オリヴィアは声を大きくした。周りの子が足を止めてこっちをみているのはわかってたけど、オリヴィアは目に入ってないみたい。
「普通じゃない!汚らわしい!気分が悪くなる!」彼女は叫んだ。
ちゃんと説明しようと思ったけどダメみたい。オリビアはもうなにひとつ私の話を受け入れてくれる気はない。それならほら、嘘をつくのは得意でしょリサ。言ってやればいいのよ。
「そうね」私は腹から声を出した。「私もあなたを見てると気分が悪くなる」オリヴィアのように髪を払って腕を組んだ。
「だから私がケガしたのも、あなたのせいにしたの。ごめんなさいオリヴィア。私、あなたに腹が立っちゃって。アレックスは私の言うことを聞いてくれただけなの。彼女は何も悪くないでしょ?文句があるなら私に言えばいい」ヘタクソだけど、強く言い放った。
オリヴィアは一瞬、ポカンと口を開けたあと顔を真っ赤にして怒った。そうよ。アレックスじゃなくて、私に怒りの矛先を向ければいい。
「最低!腹黒くて姑息だわ!そんなこと考えてたなんて、イカれてる!もう二度と私たちにかかわらないで、このクソ女!あんたみたいなやつ死んでも、」
突然、大きな破裂音が私の頭の上で鳴った。2人して驚いたあと、私は振り返る。
ターナー先生が私のすぐ後ろにいて、ロッカーに拳の側面を当てていた。ロッカーを殴ったの?彼を見上げるとオリヴィアのことを鋭い眼光で見ていた。
「なにしてる」低く唸るような声でターナー先生は言った。
「なにも」オリヴィアが答えたから、私は彼女を見た。彼女は目を細めて辺りを見回し、さっと髪を払った。いつの間にか周りは見物している生徒が塊になっている。
「授業に遅れるぞ。さっさと行け」私の頭の上で、先生の冷たく無機質な声が響いた。
オリヴィアは不満げに舌打ちすると、背を向けて去って行った。
私は再び振り返ってターナー先生を見上げる。私も彼も、お互いに静かな怒りが鎮まらない。
「どうしてアレックスに言ったんですか?」私は咄嗟に尋ねた。
「なにを?」先生は私を見降ろした。まだ表情に冷たさが残っている。
「一昨日、私とオリヴィアが一緒にいたことを、アレックスに言ったんでしょう?」私は去っていったオリヴィアの方を指しながら、噛みつくように聞いた。視界の端で塊になっていた生徒たちが徐々に解けていくのが見える。私だけが怒られているように見えるのかな。
「聞かれたから」先生はロッカーから拳を離してポケットへ入れた。「それが今、君があの生徒に罵倒されていたことと何の関係がある?」
結婚式の時は言わないでいてくれたのに。私は歯を食いしばって鼻から息を吐いた。そのとき、思わず彼の名前を喉の奥で呟いてしまった。ママに怒るときみたいに、ついその癖が出た。
私はそれでハッとなって、自分を落ち着かせるためにも深呼吸をした。ちょっと、彼は関係ないんだから八つ当たりしちゃいけない。彼に悪気はないんだし、聞かれたことを答えただけ。私とオリヴィアの事情なんて知らないんだから彼に怒っちゃダメ。落ち着いて。冷静に。
「…すみませんでした。なんでもないです」名前が漏れたことが彼の耳に届いてないことを祈りながら、誤魔化すためにもう一度鼻から息を吐いた。
「なに喧嘩してたの?」ターナー先生はあたたかさを取り戻した声で言った。表情も和らいでる。たぶん、聞かれてないはず…。
「私が悪かったんです。ああ言われて当然ですよ」
「一昨日のことと何か関係があるのか?」
「ないです」不自然な速さで答えてしまった。これじゃバレバレ。
「本当に?」また鋭い視線で先生は私を見た。
「本当に、」目を逸らす。「私のせいです。彼女にも謝りました」
「そう…」先生の声はまだ不服そうだった。小さくため息をつく。「腕は大丈夫なのか?」
本気で心配してるの?
<大丈夫なんかじゃない!>
黒い霧の向こうでもう1人の私が叫んだ。
「はい。大丈夫です。ぶつけただけなので、ご心配をおかけしてすみませんでした」と先生を見る。
彼は私の顔を見回していた。緑とグレーの混ざった目はまだ怒っているのか、心配しているのか…。何を考えているのかさっぱり読めない。
「私、授業に行きます」
「リサ」彼はまたあの低く柔らかい声で私を呼んだ。
私はそれを無視して背を向けてると、逃げるように走った。大丈夫。大丈夫よ。私は平気だから、今そんな風に呼ばないで。振り返ったら助けを求めそうだった。けどこれは私の問題で彼には関係ない。
次の日からクリスマス休暇に入るまで地獄みたいな日々だった。学校にいる間はずっと独りだし、誰ともしゃべらなかった。私とオリヴィアの言い争いは見事に噂の種になり、全生徒に広まった。そして新しいおもちゃを与えられたみたいに、嫌がらせが襲って来た。
みんな私のことを透明人間扱いしてるのに、私を標的にして遊んでいる。わざとぶつかって来たり、白い目で見られるのは可愛い方で、下品な言葉を全く知らない子から言われたり、教科書を破られたり、ごみを投げつけられたり。嫌がらせの種類を挙げたらキリがない。みんな先生にバレないように私をいじめていた。もし見つかったら親に連絡が行ってしまうもの。
心がすごくつらくなった。今日は何をされるんだろうってビクビクしながら、それでも私は毎日学校へ行き続けた。アレックスを標的にさせたくなかったし、私もちゃんと卒業はしたい。それはママとの約束でもある。
幸いなことにオリヴィアは私にキレていてアレックスには何もしていないように見えた。それが唯一の救いだった。
このくらい耐えられる。大丈夫。いじめられるのは初めての事じゃないもん。それに今回は受けて当然。そう思っていたけど私の腕の傷は増えた。学校でも傷つけられているのに、気付いたら私は小型ナイフを握って腕から血を流している。もう痛みを感じることしか自分が生きている実感を得ることができなかった。
クリスマス休暇に入ると少し気が楽になった。でも前みたいに何かしておきたいという気持ちすら失せてしまって、絵を描くことも本を読むこともやめてしまった。
食欲はなくなって体重も落ちた。ママやマークと食事するときはなんとかして誤魔化したり、無理やり口の中に詰め込んであとでトイレで吐いたりした。ろくに寝ることも出来なくて常に寝不足。体がダルくて気分も重たかった。
バイトは「クリスマスになるとお客さんが減るから来なくていいよ」とマークに言われた。そうなったら1日中家にいることになる。ママとベビー用品にずっと笑顔を向けているのは辛かったから、遊びに行くとか散歩に行くと嘘をついて、家の周りにある森の中へ行った。迷子になるといけないから、家が見える範囲内でボーっとして時間をつぶした。
ママとマークはもうすぐ生まれてくる赤ちゃんに毎日ウキウキしていて、クリスマス当日はママの張り切りを押さえるのに苦労した。もう8か月になってお腹も大きいのに、妊婦とは思えない活動力を持ってる。
マークと結婚して初めてのクリスマスでもあるから楽しいのかもしれないけど、目を離すとすぐ夕食やケーキを作ろうとしたから、私がそれを止めて代わりにやった。夜にはプレゼントの贈り合いもした。2人は私のプレゼントを喜んでくれたし、赤ちゃんにとママにテディベアを渡すと、彼女は涙目になってお腹の赤ちゃんに「良かったね」と語りかけていた。それを見てなんだか私は胸が締め付けられた。
オリヴィアたちに渡すはずだったお菓子は近所の子やマークの職場の人たちに渡して、アレックスへのプレゼントは机の引き出しの奥へ仕舞った。
マークのお姉さんやお母さんにも電話した。お母さんは「子供が生まれたらこっちに遊びに来るように」とマークにもママにも、私にも念を押してきた。
もちろんパパにもメールした。相変わらず不器用なパパからのメールに、短い返事と写真を添えて送信した。
年の瀬、休暇の終わりが近づいてきたころ、私はマークに呼ばれて仕事場へ向かった。クリスマスが終わるとお客さんが戻ってくるらしい。
もうすぐ学校が始まると思うと憂鬱で仕方ない。クリスマス休暇の前に授業を組んだから、新学期になると受ける授業が変わる。誰と同じになるかまだ分からないけど、小さな学校だから誰かしらいる。でもあと数か月の辛抱。耐えられる。
進路のことについても急かされていた。就職するか大学に行くか。ほとんどの子は大学に行くらしい。私は…。何もする気が起きない。前は絵を描くのが好きだから専門学校へ行ってそういう仕事ができたらいいなって思ってた。
でも私の描く絵なんて大したことないし、これといった才能があるわけでもない。だから美術の教員免許を取ることも頭に置いていた。けれど今はそれすらもどうでもよかった。このままマークにお願いして彼のお店で働くことになるかもしれない。
お昼過ぎにマークの仕事場に着くと、見覚えのある車が作業所に停まっていた。あれは誰の車だっけ…?記憶を探りながら、今日やることをマークに聞くため、お店の裏口から事務所に入ったけど彼はいなかった。どこを探しても見当たらない。
事務作業をしていた従業員のナディアに聞くと、彼は受付の方にいると教えてくれた。珍しい。マークはあまり受付の方には回らないのに。
不思議に思いながら事務所を出て、道路に面している店の入り口から中に入ると、マークとターナー先生が受付のテーブルで話をしていた。
あ、そうだ。あの車…。
私が入り口で固まっていると、ターナー先生が先に気付いた。
「あ」と先生が言うと、マークも私に気付いた。
「あ、リサ。来たね」マークは手招きして呼んだ。
私はロボットみたいにぎくしゃくしながら傍に寄る。
「ブレンダはどう?」マークは必ずこうして後から家を出た私にママのことを聞いてくる。朝ママと会ってるのに。それだけママの心配してるってことだけど。
「元気だよ。いつもみたいに」私は答えた。
「そうか、よかった。今日はランスが来ていてね」と持っていたペンで先生を指す。
「…こんにちは」私は目を合わせないように挨拶した。先生はまたあの緑がかったジーンズを履いている。
「こんにちは」ターナー先生は少し高めの声で静かに返した。私のことを観察してる。
「彼の車がパンクしてね」マークが言った。「タイヤの交換はもう終わったから、洗車をよろしくねリサ」
「え」私が先生の車を洗車するの?
「どうかした?」マークは不思議そうに私を見た。
「ううん。なんでもない」と首を振る。洗車作業は何度か1人でしたことがあるけど、初めて任されたみたいに緊張してきた。これは仕事なんだから。しっかりしなさい。ただいつものように洗車すればいいだけ。
「僕は今から出なくちゃいけないんだ。洗車が終わったらナディアの手伝いをして」マークは指示した。
「分かった」
「じゃ、よろしく」マークは私の肩に軽く触れた。
「ありがとうリサ」ターナー先生が言った。
私は彼の首元に目を向ける。「いいえ」とぎこちない笑顔を作って見せ、2人の元を離れた。
店を出て作業所にある先生の車に近づく。これは仕事。大丈夫よ。傷つけたりしないように…。
深呼吸をしてから先生の車に乗り込んだ。
車内はシンとした空気に包まれていて、甘いような、懐かしいような、なんだかいい匂いがする。先生はタバコを吸っていないようだし、香水の匂いもしない。芳香剤も見当たらない。なんの匂いだろう?もしかしたら彼女か奥さんのものかも…。
車を動かそうとして気が付いた。座席がハンドルから離れすぎていて、手も足も十分に届かない。少し腹が立って私は調節レバーを引いて思いっきり座席を前に寄せた。イグニッションにさしてある鍵を回すと、束で繋がっていた鍵同士がぶつかってチャラチャラと音を立てた。どうしてこんなにたくさん鍵を持ってるの?大きさも形もバラバラで、どこの鍵か全くわからない。
どこにもぶつけないように神経をとがらせて車をバックさせると、洗車機まで移動させた。
洗車機はアーチ状で、内側の左右と上部に柔らかいブラシがついている。そのブラシの隙間から水と洗剤が出てくる仕組みになっていた。私は車を定位置に停めてから外に出て、洗車機のスイッチを押した。大きな音を鳴らして洗車機はレールの上を行ったり来たりし始める。それをボーっと見つめながら終わるのを待った。
終了のブザーが鳴ると車を洗車機から出した。この洗車機は古くて乾燥機能がついてないし、細かい所に洗剤が残っているときがある。水道につながってるホースを引っ張ってきて、タイヤと車体の隙間やフロントガラスの隅などをチェックして洗い流した。そのあと大きなタオルで車体を拭いて、小さなタオルで細かく水分を拭き取る。
「また袖が濡れてる」
いきなり後ろから声がして私は飛び上がった。振り向くとターナー先生が近くに立っていて、私は一瞬固まったあと彼を無視して作業を続けた。
「なぜ捲らない?気持ち悪くならないの?」
「慣れてますから」水みたいに冷たい声が出た。どうして私はイライラしてるんだろう?「もうすぐ終わります」とせっせと拭きながらぶっきら棒に言うと、手首を引っ張られた。それに驚いて反応する前に、先生に袖を捲られる。まただ。
ターナー先生は私の腕にある傷をみて目を見開いた。無数の傷跡。新しいものや古いものまで。まだ赤くなっているものもある。自分で見ていても見苦しい。
私はすぐに先生の手を払って袖を戻した。「やめてください、そうするの」
「なんだそれは」先生は声を低くして鋭く私を睨んだ。
「猫のせいです」こんな嘘すぐにバレるに決まってる。でも否定したかった。自分で自分を傷つけているなんて、私自身も認めたくない。この人にも、誰にも知られたくなかったのに、心の片隅で気付いてもらえて嬉しがってる自分もいる。なんで安心感に似たものが湧いてくるんだろう。
「猫はそんな風にならない。飼っているからわかる」ターナー先生は冷静に言い返した。
猫を飼ってるの?それが想像できなくて笑いそうになった。けれどそう言われたら何も返せない。私は口をぐっと結んだ。
「リサ、嘘をつくな」先生は真剣に言った。真剣に私を叱っている。
「なんでもありません」私は駄々っ子みたいに嘘をつく。
「嘘だろ。僕の目を見て言ってみろ」
「先生には関係のない事です」私は先生を見つめた。これは本当のことだから。
「ある」彼はキッパリと言った。
その回答に私は拍子抜けしそうになった。気を抜いたら泣いてしまいそうだったから、顔に力を入れて先生を睨む。
「どうして?」思わず声が裏返る。これじゃダメ。私だって真剣にならなくちゃ。どうして彼に関係あるの?どうしてあるって言えるの?
ターナー先生はしばらく私の目を見つめていた。そして一瞬、視線を彷徨わせたあとまた目を合わせた。その一瞬が私にとって期待であり、絶望でもあって、そんなことを感じている自分が嫌になった。
「…君が僕の生徒だから。僕は先生だから」彼は当たり前のことを言った。
リサ。何を待ってたの?なんで落胆してるの?そうよ。だって、彼は先生だもん。きっと面倒な問題を見つけてしまったと思ってるんだ。彼はあっさりしてて、生徒に興味がないから。私はただの学校の生徒、友達の娘。そのほかになんの理由があるっているの。
ううん。そもそも彼には関係ないことでしょ。ターナー先生の表情はどこか浮ついて見えて、本心を言っているようには見えない。きっと今のは建前で言ったんだ。…もう何が本物か分からない。彼がよくわからない。
「だからなんですか」悲しみの波が押し寄せて来て、私は素っ気なく答えた。
「もし君が自分を傷つけているなら、やめてほしい」
私はそれを聞きながら作業に戻った。顔を会わせていられない。私だってやめられるなら今すぐにでもやめたい。
「僕にできることがあるなら何でもする。何か不満なことでもあるのか?」先生は言った。
「何も問題はありません。学校は楽しいし、家族とも仲良くしてます」どこにも不満なんてない。だって悪いのは私だから。
「こっちを見て」
私の手が止まった。そんなことできない…。こうなったらもっと真剣に嘘をついてみせないと。覚悟を決めて振り返り先生の目をまっすぐに見つめた。
「私は平気です。自分を傷つけたりしてません」私自身をもなだめるために言った。
ターナー先生は私を見つめている。その目には不信感が浮かんでいた。これじゃダメなの?
「何かあったとしても、それは私の問題なので、先生は何もしなくていいです」と付け加えた。
<助けて!>
「自分でなんとかできると思っているのか?」冷ややかに言ってるけど彼は怒っている。
<ただの教師よ!>
ちょっと黙って!
「はい」目を見て嘘をつくのは辛かった。これ以上問い詰められたくない。私は眉間にシワを寄せて、あなたには関係ないという念をねじ込んだ。
「じゃあその傷はなんだ?できてないから傷つけているんじゃないか?」
念が通じなかった。けどここでやっといい嘘を思いついた。信じてくれるかわからないけど言わないよりマシ。
「こんなのはただの傷です。私は美術が好きで、工作や彫刻をするとケガをするんですよ。まだまだ初心者なので怪我しやすくて。心配かけたくなくて嘘を言いました。すみません」強く言葉を吐いた。もう無理。
再び先生に念を押し込んで、車の上に乗っているタオルを取った。「洗車、終わりました。鍵は挿してありますので。ご利用ありがとうございました」と機械的に伝えて先生の横を通り過ぎ、事務所に戻った。
複雑な気持ちのまま洗濯機にタオルを放り込んで、近くにあった椅子に座る。先生が信じてくれたか怪しいけど、何とか逃げ切れたはず。
あ…。車の座席。元に戻すのを忘れてた…。でも、まぁいい。座席くらいと投げ出してナディアの元へ行った。