④
※自傷行為があります。
翌日、現代社会の授業が終わったあと私からオリヴィアに話しかけた。彼女は私が話しかけたことが珍しかったのか驚いていたけど、すぐいつもの顔に戻った。
「なによリサ?」
「昨日のことだけど…」聞いてみると決めたけど、怖くて私の体の中心にある見えない芯が震えた。
「あぁ」オリヴィアは髪を払ってチラリとコニーを見た。「ちょっとこっち来て」と私の腕を掴む。
私はヒヤッとしながらもオリヴィアに連れられて教室を出た。近くのトイレへと引っ張られていく。いかにも内緒話をする絶好の場所。
トイレの手前にある教室を通り過ぎたとき、昨日のみたいに補習をするため教室へ入ろうとしていたターナー先生と目が合った。
トイレに入るとオリヴィアは中に誰もいないのを確認してから声を潜めて話し出した。
「あなた、アレックスに何かされた?ただの友達なわけ?」
「なに?」私は驚いて声が裏返った。「なに言ってるか分からない。アレックスは友達だよ」素直にアレックスを友達だと言えたことが嬉しかった。
「ホントに?」オリヴィアは目を細めて、信じられないという顔をした。「何もされてないの?」
「どういう意味なのそれ?」語気が強くなる。アレックスのことを想うと言葉はすぐ口から出て行ってくれた。
オリヴィアは眉をしかめた。「彼女、レズなのよ」
私は口を開けて固まった。ただ単に驚いた。「だからなに?」となんとか反論する。アレックスとのおしゃべりで恋愛の話題が出ることは少ない。私もアレックスも別にそれを気にしてなかった。
「関係ないでしょ?どうしてそんな悪いみたいな言い方するの?」私は恋愛に疎い方だけれど、誰が誰を好きになろうが、誰と付き合おうがその人の自由でしょ。
オリヴィアは大きなため息をついて私を睨んだ。「この学校じゃいつも誰かが付き合ったとか、別れたとかの話が出るの。それなのにアレックスにはそんな話が一切ない」
なにそれ。呆れた。「私だって無いよ。それにそんな話が無いからって、勝手に決めつけるのはどうかと思うけど」
「リサはまだここに来て日が浅いからそんな噂がないの。もっと前からの話。それにアレックスがレズなのは事実だし」オリヴィアは腕を組んで苛立ち始めた。
「だとしても、あなたには関係ないんじゃない?アレックスがあなたに迷惑かけたの?」私はオリヴィアに負けじと睨み返した。自分の手がジンジンしていると思ったら、いつの間にか左腕を掴んでいた。
「関係ある」彼女は断言した。「アレックスはね、コニーを襲ったことがあるんだから。それって立派な犯罪じゃない」
アレックスがコニーを襲う?そんなのありえない。何かの間違いでしょ。あの子はあんなに優しいのに。
「そんなの信じない」私は声を絞って言った。
「本当よ。あたしもジュリアもその現場を見たもの」フンと鼻を鳴らす。
大きな金槌で頭を殴られた気分になった。目の当たりにしたの?思わず右手に力が入る。強く握りすぎて皮膚の下で脈打っているのを感じた。
「嘘よ」信じられない。
「嘘じゃないってば!ちょうど1年くらい前の話よ。そんなに信じられないなら、他の子にも聞いてみれば?誰でも知ってる話だから。親や先生はベラベラしゃべるなって注意してたけど。コニーに聞くのはダメよ。あの子はそのことについて一切しゃべらないし」
「そんな…」私の喉が詰まる。
「コニーは優しいから、警察沙汰にはしなくていいって言ったの。大ごとにはしたくないって。学校側は罰としてアレックスを1か月停学にした。その時はたった1か月だけ?って腹が立った。少なすぎるもの。でも結局、アレックスは停学期間が終わっても学校に来なかった。このまま留年するか退学すればいいと思ってたのに、今年度から何食わぬ顔で通うようになってるし」
アレックスが一時期学校を休んでいたっていうのはこのこと?じゃあやっぱり事実なの?彼女があまり他の子と話さないのはそのせい?転入初日にジロジロ見られたのは、私じゃなくてアレックスが登校してきたから?
「コニーの気持ちを全く考えてないじゃん。アレックスのやつ!」オリヴィアは吐き捨てるように言った。
「本当にやったんなら、あなたの言う通り学校を辞めてるんじゃない?」ショックで頭がよく回らないけど、もしそれが本当なら再び学校に通うなんて相当な覚悟がいる。私ならできない。やってないから学校に通ってるんじゃないの?
「だから!見たって言ってるでしょ!」オリヴィアは叫んだ。「本当なら退学なのに、学校もあいつの親も証拠がないとか、アレックスはそんな子じゃないとか言って!あたしやジュリアが見たって言ってるのに!コニーも優しすぎるのよ。あたしなら許せない」キンキンと響く声で言う。
コニーの代わりにオリヴィアが怒りを爆発させているみたい。当時もそうだったんだろうな。コニーがうつむいて、オリヴィアとジュリアが先生たちに言い詰めている絵が頭に浮かんだ。
「それなら…。ちゃんと反省したから学校に来てるんじゃない?」本当はアレックスが何もしてないと信じたい。
「反省してるなら学校辞めればいいじゃん!それなのにあなたに近づいて仲良くなろうなんて、イカれてる!全然懲りてもないし、反省の態度でもない!」
「誰かと仲良くなっちゃダメなの?」私はなんとか言い返す。
「ダメに決まってるでしょ!あたしはあなたを心配して言ってるのリサ!コニーの二の舞にならないように」オリヴィアは顔に落ちてきた髪を乱暴に払った。
私の心に怒りと、あの黒い霧が沸き上がってきて息苦しくなった。私がコニーと似てるからアレックスは私に話しかけてきたの?本当にそうなの?今まで優しくしてくれたのは?全部嘘だったの?
……違う。アレックスはそんなことしない。だって、彼女は悲しそうな顔をしてたもの。無理して笑ってたもの。私を傷つけようと思ってるならそんな顔しない。
「信じない」私は怒りを出さないように自分を抑えつけた。
「はぁ?」オリヴィアは狂ったものを見つけたような目で私を見た。「あっそう。あんたもヤバい奴だったんだ。せっかく親切に忠告してるのに!もういい。何が起きたってあたしは知らないから。あとは勝手にどうぞ!」肩を怒らせながら、オリヴィアはトイレから出て行った。
トイレの扉が閉まると、私は大きく息を吐いて力を抜いた。膝が震えてる。右手を離すと左腕に血液が戻って激しく脈を打ち始めた。ビリビリとしびれてくる。オリヴィアの声がまだ耳の中を反響していたから、静かになるまで何度か深呼吸をした。
やがて外の音がハッキリ聞こえてくると、私は服の袖を捲って腕を見た。指の形にくっきりとアザがついてる。気持ちと心臓を落ち着かせるためにも、手洗い場でアザに水をかけた。凍るように冷たい水が頭まで冷やしてくれて、私はまた考えることができた。
もしアレックスが私に、コニーと同じことをしようとしてるならリスクが大きすぎる。今度こそ退学になってしまうもの。それに彼女が私に何かしたわけじゃない。いつだって優しく接してくれた。
でもオリヴィアとジュリアが現場を見たって言うのは?私は2人のことをすごく信用しているわけじゃないけど…。アレックスを陥れるためにみんなして嘘をついてるとか?
……アレックスに事情を聞くのはやめておこう。また嫌な思いさせちゃう。何も聞かなかったことにして、今まで通り過ごせばいい。私が騒ぎ立てることじゃない。過去に何かあったとしても私は今のアレックスを信じよう。そう決めた。
時間を失くしてアザに水を掛け続け、冷たさも感じなくなるほど皮膚が麻痺してきたころ、誰かがトイレの扉を開けて私は目が覚めた。
「リサ?」
扉の方を見るとアレックスが立っていた。「アレックス…」私は慌てて水を止めて袖を直した。
「どうしたの?帰ったんじゃなかった?」彼女は不思議そうにしていた。
そうだ。アレックスは今日もすぐ側の教室で補習があったんだ。彼女と会うなんて…。まだ心の準備ができていないのに。
「リサ?具合でも悪いの?」
「ううん。なんでもない」左腕を後ろへ回した。アレックスはまだ心配そうに私を見ている。この子が襲う?そんなことするわけない。
「私は手を洗いに来たの」アレックスは手をみせた。「ペンからインクが漏れちゃって。あなたは?」彼女の指先は黒くなっていた。
「忘れ物しちゃって。取りに来たついでにトイレに寄ったの」動揺しててもまたすぐに嘘がつける。
「そうなんだ」
アレックスの顔をまっすぐ見れない。でも今は嘘をつくしかない。私は彼女の手を見つめた。
「手を洗ったら帰っていいって先生が言ったの。よかったら駐車場まで一緒に行かない?」
「うん」
アレックスは今日の補習の話をしながら手を洗った。そしてまだ指先が黒いままだったけど、「あとで落とす」と言って私を優先してくれた。
一緒にトイレを出ると、アレックスは荷物を取りに教室に入り、私は廊下で彼女を待った。教室の中から話し声が聞こえて、アレックスと男の子が出てくる。そのあとターナー先生も出てきて、彼は教室の鍵を閉めた。
「お待たせ、リサ」
「ううん」私は去って行く男の子の後ろ姿を見ながら応える。
「あれ?まだいたの?」振り返ったターナー先生が言った。
まずい。そういえば、オリヴィアと一緒にトイレに入る前、彼と目が合っていたんだった。トイレに入ったところも見ていたはず。どうかオリヴィアと一緒にいたことをアレックスに言いませんように。結婚式のときみたいに。
「えっと…。忘れ物して取りに来たんです」だから気にしないで。
「そう…」彼は不満そうに言った。トイレを出たなら教室の前を通るはずだから。でもそんな集中して見てるわけない。バレてないはず。
「じゃあ行こうリサ」とアレックス。
「うん」
「先生、また明日」アレックスが言ったけど、ターナー先生は答えなかった。
でも私たちが背を向けて歩き出すと、「ねぇ」と低い声が聞こえた。
「はい?」アレックスが返事をして振り返る。
私は背を向けたままだった。本当は私に対して呼びかけているのはわかっていた。
「先生?」アレックスが隣で少し驚いたように言ったとき、何かが私の左手を掴んだ。
振り返って見ると、ターナー先生の大きな手に私の左手首がすっぽりと隠されていた。服越しでもじんわりと彼のあたたかさが伝わってくる。
「袖、濡れてるよ」ターナー先生は指摘した。
しまった。ちゃんと拭かなかったせいで袖口からヒジのあたりにかけて水の染みを作ってる。私は一瞬にしてパニックになった。
「ほんとだ。リサったら拭かないから…」アレックスは途中で言葉を切った。先生がさっと私の袖を捲って、赤くなっているアザを露わにしたから。この場の空気がさっと凍り付くのを感じる。
「どうしたのこれ?」アレックスは声を高くした。
「なんでもない」私は急いで彼女に言った。先生の手から逃れようとしたけど、力で勝てるわけもない。
「何があった?」ターナー先生が私の目を覗き込む。彼の綺麗な瞳は鋭く光っているのに、顔は疲れきっていた。
「なんでもないです!」私はさらに焦って言葉を強くした。どうやって嘘をつく?自分でやったと言えばもっと問い詰められる。けど誰のせいでもない。
冷静な判断が出来きず、もう一度腕を引っ張ったけど結果は同じだった。
「リサ」
ターナー先生は低く、柔らかい声で私の名前を呼んだ。初めて呼ばれた。なのにもう何百回、何千回と呼んだことがあるみたいな声色だった。私はその色に心を掴まれて、頭が真っ白になった。
彼は私を落ち着かせるために優しい瞳になった。「何かされたんだな?」
「なにも」私は囁いた。
「なに?何かあったの?誰にやられたの?」アレックスが心配そうに私を見る。けどオリヴィアのことは言えない。
「離して下さい」今度は私が鋭くターナー先生を睨んだ。すると彼はパッと手を離してくれた。すぐに袖を戻して腕を引っ込める。
「なんでもないのアレックス。ぶつけただけ」真っ白だった頭が徐々に動き始めた。こんなことになるなんて。私は自分を激しく責めた。
「ほんと?」アレックスは細い声で聞いた。
「うん」ターナー先生が私のことをじっと見ているのは気づいていたけど無視した。「ごめん。私、先に帰るね」アレックスに気付かれないようにしたかった。でもここ数時間の間に色々ありすぎてパンクしそう。取り繕うことも難しい。この場から早く逃げたい。
「じゃあねアレックス」
「あ、リサ!」
私は2人を置いて走った。駐車場に行って車に乗り込み、エンジンをかける。どうしようもない感情ばかりが湧いてきて、涙を払いながら家に帰った。
家に帰ってからは何も手に着かず、起きたことばかりを頭の中で何度も繰り返して自分を責め立てた。アレックスに謝らないと。ターナー先生にも…。話せばわかってくれる。ちゃんと説明すればわかってくれるはず。
この日の晩はなんと言えばいいから考えながら眠りについたけど、悪夢を見た。翌日、寝不足のまま学校へ向かう。
学校に着くと、周りにいた子に転校初日よりもジロジロ見られた。なに?どうして見てくるの?なんだか嫌な予感がする。国語の授業はほとんど聞いてなくて、先生に当てられても答えることができなかった。次の倫理も同じような感じ。しかもアレックスが来てない。どうして?何かあったの?昨日は元気だったよね?
美術の時間になるとコニーが話しかけてきた。「大丈夫リサ?」
「え?」
今日の美術は前回の続きでスケッチだった。教室にいる生徒はみんな集中するフリをしてこっちを伺っているように見える。
「…何も知らないの?」コニーは絵を描きながら小声で言った。
「なんの話?」嫌な予感が膨らんだ。
コニーは周りに目を配ったあと話し出した。「昨日、アレックスとオリヴィアがケンカしたの」
うそ……。私は愕然とした。どうして?だって、私はオリヴィアの話なんか…。
ターナー先生が言ってしまったんだ。私とオリヴィアが一緒にいたって。どうして言っちゃうの?それよりも、私がもっとよく考えればよかったんだ。焦って周りが見えなくなってた。もっときっぱり否定していれば…。どうして私はこんなに詰めが甘いの。
自分に強く腹を立てると同時に、恐怖に襲われて奥歯を噛み締めた。「どういうこと?」と手に持っていたペンを握りしめて、コニーに聞く。
「アレックスがオリヴィアの家に行って怒鳴ったの。リサがどうのこうのって」コニーは何か面白い話でもするかのように言った。
私の頭は高速に回転して状況を飲み込もうとした。ターナー先生が言ったからアレックスは勘違いして、オリヴィアの家に行ったんだ。私の腕のアザがオリヴィアのせいだと思ってしまったんだ。それなら私とオリヴィアがトイレで話したこともアレックスに伝わってしまったかも。どうしよう。
「あなたとアレックスの間に起こったことって本当なの?」コニーには聞くなと言われていたけど、私は咄嗟に口が出た。
コニーは目を見開いて驚く。けれどすぐ「ほんとよ」と明るく答えた。
私はそれに腹が立った。彼女は被害者じゃないの?「どうしてそんな明るく言うの?」
「別に。リサの方こそ失礼じゃない?普通、そんなこと聞かないと思うけど」コニーは眉をしかめる。
「私は信じてないもの」と断言した。
「はぁ?本人がそうだって言ってるのよ?アレックスなんかを信じるの?」コニーもオリヴィアみたいに、頭のおかしなやつを見る目で私を見た。
「アレックスは友達だもん」
「なにそれ?ふざけないでよ!」コニーが怒ったように言うと、先生が彼女を注意した。コニーは不貞腐れながら謝って、スケッチに向き直る。「…アレックスが悪いのに」とボソッと呟いた。
「え?」私は聞いたけど無視された。
そこからお互いに一言もしゃべらなかった。私は集中できずにコニーを描くのをやめてしまって、コニーは授業が終わるとさっと教室を出て行ってしまった。
アレックスは今どうしてるんだろう?私のために怒ってくれて…。罪悪感に押しつぶされそうで、涙が溢れるのを必死に堪えた。私って本当にバカだ。
もしかして、と思ってカフェテリアをのぞいてみたけどやっぱりアレックスはいなかった。そしてカフェテリアにいた全員がこっちを見ていたから、私はすぐに外へ出て自分の車の中で昼休みを過ごした。アレックスに会いたい。会って謝って話がしたい。学校が終わったら、彼女の家に行ってみよう。車に置いていた地図を取り出して薬局の場所を確認した。この近くで1軒しかない薬局の隣が彼女の家だ。
体育を終えて、現代社会の教室に行くとオリヴィアは登校していた。話しかけるか迷っていると、彼女は急に振り返って私を睨みつけた。
「あとで話があるから。逃げないでよ」と髪を払うと前を向く。
逃げるも何も、こっちも話がしたい。オリヴィアにも謝らなくちゃ。
授業中は自己嫌悪に陥っていた。ほとんどプリントに記入することもなく授業を終えると、オリヴィアは立ちあがって振り返り、私を見降ろした。
「ついてきて」と言って足音を立てながら教室を出て行く。
私は慌てて遅れを取らないようについて行くと、またトイレにたどり着いた。
「どういうこと!?」オリヴィアはトイレに入るなり怒鳴った。「昨日、アレックスが突然うちに来て何かと思ったら、あたしがあなたにケガさせたとか言ってるの!そんなことしてないでしょ?あなたが言ったの?わざと?だとしたら最低よね!」
「そんなこと言ってない」私は彼女の剣幕に気圧された。
「あいつは、なんでリサと一緒にいたのか聞いてきたけど、そんなの別に、あたしが誰といようと勝手でしょ?ムカついたから、昨日あなたにしゃべったことを、全部あいつに言ってやった。そしたらあいつまた怒りだしたのよ!?意味がわからない!あたしはリサに事実を伝えたまでなのに。どうなってるわけ?!」オリヴィアは一気にまくし立てた。
どうしよう。落ち着いて話さないと。「私が悪いの」声が細くなる。「あなたと話をしたあと私が勝手にケガをして、それを見たアレックスが勘違いをして怒ったのかも。私がもっとちゃんと違うって言っていればよかった。私が全部悪い。本当にごめんなさい。その、」思うように言葉が出ない。
「なにそれ。こっちは迷惑してるのよ!ただでさえアレックスなんかと関わりたくないのに。また変な噂が立っちゃったじゃない!どうしてくれるの?大体あなたもあなたよ。アレックスを盾にするなんて。本当はデキてるんじゃないの?恋人の面倒くらいちゃんと見たらどう!?」オリヴィアは目くじらを立てた。
「違う、彼女は友達よ。あなたには本当に悪いことをしたと思ってる。アレックスともこれから話をするつもりで…。彼女は私を想ってしたことなの。だから、」何をどう伝えても悪い方に取れてしまう。ううん。実際に私が悪いんだからオリヴィアは怒って当然。言い訳がましく言っちゃダメだ。私って本当に…。
「じゃあ仲良く慰め合えば?言い訳なんて聞きたくもない!あんたたちが何しようと勝手だけど、あたしやコニーを巻き込まないで!」
「オリヴィア…」返す言葉が見つからない。
「最低ね。ある意味、お似合いだわ」と吐き捨て、オリヴィアは私のそばを通り抜けると、トイレの扉を叩きつけるようにして開けて出て行った。
私って本当に最低な奴。どうしたらいい?どうしたら許してもらえる?
頭を抱えて息を止めた。でも考えるより先に足は自分の車へと向かっていた。駐車場に着いて車に乗ると、エンジンをかけてアレックスの家まで行く。途中で道を間違えて、叫びたい気持ちを押さえ付けながら地図を広げた。そしてなんとか彼女の家にたどり着き、ドアベルを鳴らすとアレックスのお母さんが出てきて彼女を呼んでくれた。
「リサ…」アレックスはやつれた様子で出てきた。
「アレックス…。その、」
「まって。ママに聞かれたくないから、あなたの車に乗っていい?」
「うん…」いつもの明るい雰囲気は消えて、私の黒い霧が彼女にも掛かっているようだった。
「アレックス。本当にごめんなさい」車に乗ると私はすぐに言った。「私がちゃんと説明していればよかった」
「ううん。私の方こそごめんなさい。あなたはぶつけたって言ってたのに、私が勘違いしちゃって…」アレックスは声を低くしてうつむいた。「バカだった。オリヴィアと一緒にいたって分かったらカッとなっちゃって。リサは悪くないよ」
「そんな!あなたは私を心配してくれたんでしょ?あなたは悪くない。私の責任だよ」どうやって償えばいいだろう?私がもっと冷静でいれば…。後悔がどんどん積み重なっていく。
沈黙が流れた。
しばらくすると、アレックスが話し出した。
「オリヴィアから聞いたんでしょ?私とコニーのこと」
「うん。でもあなたがそんなことするなんて考えられない」私はアレックスの横顔を見つめた。
「ありがとうリサ。あなたがそう言ってくれて嬉しい」アレックスは悲しい瞳で私を見た。
「当り前じゃん。友達でしょ?」と言うと、彼女は静かに涙を流し始めた。私は手を伸ばしたけど、触れてはいけない気がして手を降ろした。
「私…。昔はコニーとも、オリヴィアとも仲が良かったの」アレックスは言った。「でも去年の今頃に、コニーから話があるって呼び出された。行ってみたら、とつぜん彼女は私に抱き着いてきたの。私はてっきりふざけてるだけだと思って、笑いながらコニーを引き離そうとしたら、彼女が私のことを引っ張ったの。それで2人して倒れた。私がコニーの上に覆いかぶさるようにして。そこにオリヴィアたちが来て、私は立ち上がろうとしたんだけど、コニーがいきなり叫びだしたの」
アレックスの話を聞いているうちに怒りが湧いてきた。手に力を入れると私はまた自分の腕を掴んでいた。
「アレックスが襲って来た!助けて!って…。私は何もしてないって言ったけど、オリヴィアたちは信じてくれなかった。そのころ私がレズだって噂が立ち始めてたし…」
「そんな…」私は混乱した。「どうしてコニーはそんなこと…」
アレックスは涙を拭った。「分からない。もしかしたら私が知らないうちにコニーに何かしちゃって、彼女はその腹いせにやったのかもしれない。なにが悪かったのか思い当たらないんだけど…。オリヴィアはね、コニーと幼馴染だから、コニーの方を信頼してるの。私はあとから2人と仲良くなったから」
「そうなんだ…」何が問題だったの?コニーを問い詰めたい気持ちをぐっとこらえると左腕が痛んだ。「子供じみてる。そんな陥れるような事するなんて」
「そうだね…」アレックスは目を逸らして鼻をすすった。「実は…。本当は私、彼氏がいるの」
「え?そうなの?」
「うん。私が高校生になったころに付き合い始めたんだ。親戚にあたる人なんだけどすごくいい人で、困ってる人を見かけると必ず助ける優しい人なの。今は仕事の関係で遠くに住んでる。彼の方が年上だから、周りには付き合ってることを黙ってたの。家族にも言ってなくて、打ち明けるのはリサが初めて」アレックスは大きくため息をついた。
「うちの親はそういうの厳しくて反対されるって分かってたし、オリヴィアたちにも、年上と付き合ってるってバレたら変な噂立てられるってわかってたから黙ってた。彼のことが大切だったから。この関係を大事にしたくて、他の人に邪魔されたくなかったから」
優しい瞳をして愛おしそうに話していたから、どれだけその人のことを大事に想っているかがすぐに分かった。
彼女は肩を落として私を見た。「遊んでるとか、援助交際だとか言われても気にせずに、最初から付き合ってる人がいるって公言していればよかった。そうしたらこんなことにはならなかったかも…。
コニーと色々あったあと学校は1か月の停学になっちゃったけど、それが終わっても行ける気がしなかった。みんなに白い目で見られるって分かってたし、絶対ひとりぼっちになる。すごく怖くて…。でも家族と彼氏が支えてくれた。リサみたいに私のこと信じてくれたから、それに応えなくちゃいけないなって。学校に行かなくちゃいけないって思ったの」
私は心の底からアレックスを尊敬した。強い人だ。
「将来のためにも卒業しておきたかったしね。前向きになったの。私は明るいのが取り柄だし。それで今年度から登校したら、あなたがいた。一目見て、仲良くなりたい!って思ったの。友達が欲しいって気持ちもあった。
でもズルいよね。リサが何も知らないからって…。いずれ誰かがバラすって分かってたのに。私から話しておくべきだった。嫌われたらどうしようって不安で言えなかったの」
私は途中からずっと首を振っていた。またアレックスの目に涙が溜まっていたけど、泣いていたのは私の方だった。
「ズルくない。誰だってさみしい気持ちはあるもの。また学校に通うようになるなんて、あなたって本当にすごい。私はあなたと友達になれて嬉しい」こんないい人を欺くなんて。
「ありがとうリサ」アレックスは沈んだ表情のまま微笑んだ。
つかの間、あたたかい想いが車内に充満して私たちは泣いた。
「リサ」お互いの涙が収まったあと、アレックスは何かを決心したように口を開いた。
「私もあなたと仲良くなれて良かった。あなたといるのが楽しくて、安心できた。すごく感謝してる。でもこれ以上あなたに迷惑をかけられない。私と一緒にいない方がいいよ。私のために、何よりあなたのためにそうした方がいい」
「え?そんな…」こんなことを言われると思ってなくて私は驚いた。「なに言ってるの。私は大丈夫だから。誤解を生んだのは私のせいだし、ちゃんと説明して謝れば、」
「違うの。あなたを巻き込みたくない」アレックスは首を振った。
「私は平気だって」
「お願いリサ。私、明日ちゃんとオリヴィアにも謝るけど、たぶん彼女はもう許してくれない。説明したって私がしたことは消えない。だからこの先、卒業まで一緒にいても何かしらされちゃう。私はもう学校を休めないし、ちゃんと卒業したいの」アレックスは突然私から顔を背けた。
「リサと友達になんてならなければよかった。あのままオリヴィアたちと仲良くなってればよかったのに」と言い方を荒くする。
「やめてよアレックス」やり場のない気持ちが膨らんだ。彼女が私に気を遣っているのはわかっていたのに、こんな時にまた言葉が出ない。私がアレックスなら同じことを言うと思う。でもどうにかできないの?
「あなたが全部背負わなくていいのに」と絞り出すように言うと、アレックスは鋭く私を見つめた。
「分からないのリサ?私はひとりでいたいの!」
「あなたの言いたいことはわかるけど、」
「やめて!お願いだから。私もわかってる、あなたの気持ち。けど今はこうするしかないの。だから…。もう帰って!」
「アレックス!」
彼女は車を飛び出して、家の中へ戻ってしまった。
私は呆然としながらアレックスの家を見ていた。彼女は私を守るために、全部自分のせいにしようとしてる。わざと嫌われるような言い方したんだ。私のためを想って。なんでもっとしっかりしないのよ!なんて馬鹿なの!オリヴィアの言った通り、私は最低な奴だ。頭をハンドルに預けて目を閉じた。勝手に涙がでてきて、あの黒い霧が私を支配していく。
しばらく、グルグルと考えを巡らせたあと頭を上げた。アレックスを守るために、やらなくちゃいけないことがある。彼女の家を見つめたあと帰るためにエンジンをかけた。涙をぬぐいながら運転する。でも視界が曇ってしまって途中で車を路肩に停めた。自分に対する嫌悪感が酷くて、車をどこかにぶつけてやろうかと思った。でもこの車にそんなことできない。出てくる涙をねじ伏せて、覚悟を決めると私はゆっくりと家に帰った。
家に戻ると誰もいなかった。そういえばママは用事があるって言ってたっけ…。自分の部屋に行く途中、書斎の扉が開いていて中が見えた。ここは生まれてくる赤ちゃんの部屋にするため少しずつ片付けていて、今はベビー用品が増えてる。この家にはもう1人家族が増える。
「楽しみね」というママの笑顔と「よかったじゃない?家族が増えるんだから」と言うコニーの顔。幸せなことなのに、黒い霧に飲まれている私は今でも受け入れることができない。最低な私は必要ない。アレックスにとっても、ママやマークにとっても、私は邪魔な存在なんだ。
もう、どうしたらいい?
<終わりよ!>
ちゃんと伝えれば…。
<言葉なんて出ないくせに!>
まだ変えられる?
<もう遅い!>
じゃあどうすればいいの!
<やればいい>
黒い霧の中からもう1人の私が現れて論争した。当然のようにもう1人の私が勝つ。
自分の部屋に行って引き出しからハサミを取り出すと、袖をまくって左腕のアザに刃を滑らせた。でもひと筋の赤い線が出来ただけでうまく切れない。これじゃダメだ。
キッチンへ降りて、棚の中から折り畳みの小型ナイフを見つけると、ハサミでつけた赤い線の横に刃を押し当ててさっと引いた。痺れに似た痛みのあと、炎に焼かれる。私は唇をかみしめてそれに耐えた。
鮮やかな赤色があふれ出して、黒い霧を洗い流す。私がやったことを隠すように血が腕を伝って1滴ポトリと床に落ちた。
痛い…。また涙が溢れる。こんな痛みよりも心が痛い。
耳の裏で脈がガンガンと音を立てて、頭痛がしてきた。これは報いなんだから。罰だから。そして私がまだ生きている証拠。こんな最低な私がまだ生きているって。
呼吸が苦しくなって、段々と黒い霧が薄くなっていくのを感じる。
もう一度、べつの場所にナイフの刃を当てたとき、家の外で車の音がした。ママが帰ってきた。こんなところを見られるわけにはいかない。
ナイフをポケットにしまうと、近くにあった布巾で床と腕の血を拭った。そのまま傷口を押さえて部屋に戻る。心臓はうるさくしているのに、なぜか気分はすっきりしていてもう1人の私も消えていた。
傷口は思っていたより浅かったみたいで、しばらく押さえていると血は止まってくれた。血で染まった布巾をごみ箱に捨てる。ママに見つからないように処分しておかないと…。
「リサ?いるの?」下からママの声が飛んできた。
「うん」と返事をして袖を戻し、髪を顔の周りに垂らした。部屋を出てママに見られないようにうつむきながら、素早くバスルームへ駆け込む。
「どうしたのリサ?」
「なんでもない。ちょっと寝てたから、顔を洗うだけ」またすぐ嘘をつく。
洗面台の下からガーゼを取り出して、左腕の傷を手当てしたあと、顔を洗ってママのところへ行った。
「おかえりママ」彼女はキッチンにいた。
「ただいま。学校はどうだった?」
「うん。面白かったよ」ママの声を聞いただけで涙が出そう。でも彼女に心配はかけられない。特に今は。
「そう。すぐ夕食にするわね」
「手伝う」何かしていた方がいい。
私は棚から新しい布巾を出してカウンターに置いた。