39.国境砦 その一
「負傷者は聖女の元へ運べ!聖女の手に負えない重傷者は奥にだ!神官と医術者が待機している」
「早く血止をしろ!そのままにするなよ、普通の傷じゃないんだ!こちらに神官を!」
「水をお願いします!清潔な布と包帯を!」
怒号とも悲鳴ともつかない叫び声が飛び交う。
僧衣でない人は医術者か薬師だろうか。
隣でオーシャが口を押さえている。
慌しく動き回る救護の人間の合間から、むっと漂う血と汗と薬の匂い。
砦の中央ホールいっぱいに、負傷者で埋まっていた。
処置をされた者は、馬車でマフラスへと運ばれていく。動ける者は戦地へと戻って行く。
小型と中型の魔瘴獣は出たが、今の所駆除はできているのではなかったのか。
それとも大型の魔瘴獣が動き出したのだろうか。
「応援に来ました。治療はじめます!」
幌馬車から降りてきた神父や聖女が、横になる負傷者にそれぞれが駆け寄っていく。
それにはっとし、俺もオーシャとマリガと頷いた。
「手伝います!」
「患部に直接触れなくてもいいの、ほら、こうやって光を当てるように……。組織が、傷口が蘇生していってるのが見えるでしょう?」
「は、はい……」
オーシャが先輩聖女に教えられながら、騎士の怪我を癒している。
浅いとはいえ傷口を直接見る事に抵抗があるのか、顔が若干ひきつっていた。
「貴女達が来てくれて助かるわ。何故だかわからないけど、ここに来て聖女の力が弱くなってる気がするの。他の聖女達も、同じみたい」
オーシャの治癒を横で見ながら、先輩聖女は困ったように自分の手のひらを見つめていた。
傷の治癒が終わり、オーシャはほっと胸を撫で下ろす。
「あ、それ学園でも同じ事言ってる娘達がいました」
「ああ、やっぱそうなのね。ここ最近ずっとそう。聖女が減っている事を実感するわ」
本当に一体何が起こっているのだろう。
教師達にも、教会でもわからない原因。このまま聖女がいなくなってしまったら、この世界はどうなってしまうのだろう。
「右腕上部と左足付け根部分です。治癒お願いします」
新たに患者が追加される。
考えていた頭を現実に戻し、俺もオーシャに習って治癒の準備をした。
しかしそれはマリガによって阻止された。
「あんたはあっち。その力いつも修練場で見てたわよ。できるだけでいいの、頑張ってきなさい」
マリガに背中を押され、俺は更に奥へと進まされた。焦って振り返ると、マリガは既に怪我人の治癒に当っていた。
仕方なく戸惑いながら歩くと、一番傷の深い者達が寝かされているエリアだった。
そこ一帯だけ、重く静かな空気が漂っていた。寝かされている男達。
手前の者は出血が多く、気を失っている様だった。その隣では、意識はあるものの、絶えず荒い呼吸を繰り返している。
医術者が止血処置をし、司祭陣が気力を送り込んでいる。失った体力を補うためだろう。
聖女はここにはいなかった。
表面だけ皮膚を再生しても意味が無いのだ。いや、そもそも内部に傷を残したままでは癒しの力は発揮されないと教わった。
「ここは、いいから……、他の奴等を頼む」
俺が傍にしゃがむと、意識のある騎士が目線だけこちらに向け喋る。
彼は左の太ももに深い傷を負っていた。
俺の視線に気付いたのか、力なく片手をあげた。
「ま、命あっての物種ってやつだな」
「……すみません、少し傷口を見ても?」
「お嬢ちゃんがあまり見る様なものでもないが、勉強になるってなら、はは、好きに見てくれ」
お言葉に甘えて、男の足元へと座る。
魔瘴特有の黒く焼け焦げたような痕が、傷口に残っていた。
医術師が処置した後なのか、止血はすでにしてあり消毒の匂いがした。
俺にできるだろうか。ルバートの時は無我夢中だった。
あの時、傷口に触れたら、そこがどうなっているかが頭に浮かんだ。
でも、あれはあの鳥がいたからなのではないだろうか。
今は俺一人だ。……もう一度、肩にとまってくれないかな。
北の地から、また偶然飛んできたりしないだろうか。
「……クソッ」
怖気づいて、つい自分への不甲斐なさが口から漏れる。
騎士が一瞬驚いた目をしたが、尋ねる気力も無いのか無言だった。
大丈夫だ。授業でやったじゃないか。マリガだって、背中を押してくれた。
俺はぐっと腹に力を入れると、彼の太ももへと両手を当てた。
両手開きの扉を少し開けた。
四百年以上も前からある砦だというだけあって、手入れはされていてもきしんでスムーズに動かなかった。
思い切り力を入れればそりゃ開くだろうけど、勢いあまってふっ飛ばしかねない。
人一人分が通れるくらいの隙間を開け、中から外を覗き見る。
扉の前には、多くの騎士がそこを守っていた。その後ろには、補助をする聖女と神父の姿。
扉横には、負傷した騎士が転がり込んできていた。
扉から体を出す。ゴウッと風が体ごと打ちつけ少しよろける。
体勢を整え正面を見据える。俺の目は驚愕に見開かれた。
「嘘だろ……」
目の前には、二体の巨大な魔瘴獣がいた。
「貴女!そんな所に立ってたら危ないわ!」
少し年配の聖女に腕を引っ張られ、腰を低くさせられた。
「大きいの二体もいたんですか?」
「ええそうよ。一体がまったく動かないと思ったら、もう一体沸いてそっちが暴れだしてね」
言いながら、年配の聖女は光を生み出しては戦う騎士達の方へと放っていく。
俺はそれを目で追いながら、暴れる魔瘴獣を見やった。
一匹は狂ったように暴れている。そしてそこから離れた場所に、顔すら動かさず、微動だにしない魔瘴獣がまた一匹。
こちらが多分、最初に報告された魔瘴獣なのだろう。
この二体の魔瘴獣は、俺が今まで対峙した大型の魔瘴獣よりも更にでかかった。
対峙する騎士達はその荒れ狂う魔瘴獣と必死に戦っていた。
負傷者を多く出した甲斐もあったのか、魔瘴獣は体の部分部分がこそぎ落とされ、全体も一回り以上小さくなっていた。
動かない魔瘴獣と大人と子供程にサイズ差ができている。
とりわけ活躍して見えたのが、ライアールとザーグルであった。
遠目でもわかるあの長い金髪とでかい剣、魔瘴獣の腕にも押されない巨体は団長だろう。剣ではなく槍を握っている。
「はっはー!そらどてっ腹に大穴があいたぞお!」
声もでかかった。
あっちは大丈夫そうだと、俺は壁に寄りかかる負傷者の治癒を手伝う事にした。
「君は、学生か?何故こんな所に」
肩の傷を癒していると、負傷者の一人が話しかけてきた。
「マフラスに実地訓練で来ていたのですが、見習いと言えど何か出来ないかと手伝いに来ています。中にも二人います」
「そうか、助かる。急な事で救護の手も足りないからな……。聖都からは時間がかかる」
まさか突然大型の魔瘴獣が二体も出るとは誰も想定できないだろう。
そもそも、等しく聖女が行き渡っているであろう今の時代に。
戦争がもし始まったり、聖女が完全に消えうせてしまったら、あんなのがうじゃうじゃ湧き出す世の中になるんだろうか。
「ええと、貴方で最後ですか?」
「ああ、助かったありがとう」
ホールの負傷者程多くは無かったので、傷の癒しは程無く終わることが出来た。
ここの者達は傷を癒すと、お礼を言って戦地へと戻っていく。
俺は先程の年配の聖女の横へとしゃがんだ。
「貴女優秀ねえ、将来有望よ」
手を動かしながら、俺に向かって笑ってくれた。
その横顔には汗が流れては落ちていく。疲れが色濃く浮かんでいた。
まだ大型の魔瘴獣は倒せないのだろうか。いや、倒せても、動かないもう一匹がまだいる。
俺も小型や中型の魔瘴獣退治に参加した方がいいだろうか。
いつもの様に、手の上に光の玉を作り出す。
どうやったら、先輩聖女達の様に好きな形にできるんだろうか。イメージか、イメージなのかやっぱり。
数の多さに、散弾銃の様に撃とうとしたけれどイメージが固まらない。
とりあえずブーメランの様に投げてみようか。
「とあっ!」
俺のスローイングで放たれた光の玉は、楕円となり騎士達の足元蠢く小型魔瘴獣をカーブしながら薙ぎ払っていった。
その軌道は光輝いて、近付く魔瘴獣を消滅させていく。
足元で起こるその奇跡に、騎士達が驚いていた。
ふふん、とちょっと得意げになる。
しかし他の聖女達の疲労困憊な顔に、慌てて顔を引き締めた。
みんな長引く戦況に疲れ切っている。聖なる力にも魔力にも、限界だってあろう。
とにかく、まず小型と中型のを何とかしなければ。




