32.ザーグルのおっさんと第二騎士団 その一
いつもの灰色のワンピースに着替えて、町へと繰り出した。
聖都は区分けされていて、一応どの区にも市場エリアはある。ただ、貴族街なんかの店は高級品に溢れ、とてもじゃないが手は出せない。
しかし一般市民の市場にも、凄腕の職人は多く、高級店にも引けを取らない逸品が見つかる事もある。
裏通りにも店はあるが、一見で行くには勇気が必要だ。それにただ鴨にされるだけの可能性もある。
だから気をつけないといけないのだ。その店構えと店員、商品の質、しっかり吟味しての買い物だ。
なんて、全部リリシュの受け売りだけど。
そもそも、学園の施設で全てがまわってしまう俺は、町にそう来る事があるわけでもなく、詳しくない。
何度も行ったあの宿屋兼酒場と、古着巡りした際の道しか覚えていない。
とりあえずぶらぶらと散策をする。大通りは人でごったがえしていて、今日も賑やかだ。
焼ける肉の匂いに、思わず屋台の方へと引き寄せられるも、目的を思い出し頭をふって誘惑を振り払う。
と、遠くでざわめきが聞こえた。何かあったのだろうか。
ぴょん、とジャンプし人ごみの上を見通すも、離れているのか何も見えない。
まあ、いいか。遠い場所みたいだし。
お、ここは家具生活雑貨って書いてある。入ってみるか。店探しをはじめてまだいくらも経っていないが、さっそく目当ての看板が目に入った。
花のリースが飾られた木製のドアを押す。ドア上部につけられたカウベルがカランカランと軽快な音を立てる。
「いらっしゃいませ!」
元気な女性の声が響いた。
店の中は広く、手前が生活雑貨、奥が家具売り場となっていた。
カウンターに立つお姉さんの頭上には、木の看板が垂れ下がっており、そこに鳥の紋章マークが書かれていた。ほっとする。
よし、ここをまず見よう。
棚の上の食器、ぶら下げられた調理器具、シンプルなものから細かな模様入りまで色々ある。
マグカップ、新調しちゃおうかな。今使ってるの、ひびが入ってきてるし。
奥を覗くと、椅子やテーブル、棚が置かれていて、それを布で拭いている中年の男。
俺に気付くと、糸の様に目を細め、ペコリと頭を下げた。
暖房器具ってあるんだろうか。並んだ家具達の間を覗いて回る。
「何かお探しかい?」
さっきのおじさんが、声をかけてきた。
「暖房器具って、ありますか?」
尋ねると、おじさんはよっこいしょと腰を上げた。
そして奥にある棚下にあった、二つの麻袋を引っ張り出す。
手前に引くと、カバー代わりらしいその麻袋を外した。
「今はこんな古めのしかないねえ。ちょっと時期が早いから、もう少しすれば今年のが入ってくるよ」
炎の力が入った魔石の魔道具。出された物は大きめだった。
新しいものほど小さいので、これはかなり古そうだ。孤児院のものとどっこいどっこいな気がする。
どうせなら、もうちょっといい物を贈りたい。
「そうですかー、じゃあまた今度覗かせてもらいます」
「お待ちしてますよ」
おじさんはまた目を細めた。
となると、どうしようかな。雑貨の方でカップ買って、他の店行こうか。
入り口の方に戻り、最初に見た食器が並ぶ棚を見る。
陶器か木製か。模様的には、木製の方が控えめで好みなんだけど。
籠もほしいな。パンとかお菓子とか入れておきたい。あ!このトレイ色々置けそう。
あれやこれと、目移りする。お釣りはでないんだから、損のないように使いたい。
「これ使えますか?」
カウンターに選んだ雑貨をどさっと置く。会計のお姉さんは、手早く商品の確認をした。
「はーい、大丈夫ですよ。じゃあ、袋につめちゃいますねえ……あら?」
お姉さんが顔を上げると同時に、何かが勢いよく店に飛び込んできた。
響く激しいドアの音に、俺も振り返る。ガランガランと打ち付けるようなカウベルの音がけたたましく響いた。
飛び込んできた影は、転がりながらカウンターにぶつかる。
お姉さんと、他に居た客の悲鳴が上がった。
見ると、カウンターを背に、肩で息をついている男だった。
なんと言うか、目を合わせちゃいけない類の人種だ……。
目つきが悪く、前をはだけただらしない服装。ざんばらな髪。
ゼーゼーと息を吐きながらクソッと悪態をついている。
いやいや、見た目で人を判断しちゃいけないよね。ライアールだって態度悪いけど、騎士やってるし。
頷きながら、再度傍らの男に目を向ける。
「ああん?見てんじゃねーよ!そのどてっ腹に穴あけてやろうかぁ?」
そんな事はなかった。見たままだった。
客は逃げ出し、店のお姉さんは口を押さえて震えている。
「ちょっと、ここー……」
流石に迷惑だと、店から出てってもらおうと口を開くと、店の外からどよっとざわめきがまた聞こえた。
何だろうと顔を向けると、横から舌打ちが聞こえた。
「もう来やがったのか!……しつけえなっ」
見たままのごろつきは立ち上がると、カウンターに手を着いた。
そしてその上のものをグシャリと掴んだ。
「あ、その商品券は……!」
「チッ、金じゃねえのか。時間もねえし仕方ねえ」
ごろつきは地を蹴ると店から飛び出した。
俺の商品券を握ったまま……。
マジであいつどこ行きやがった!
俺は怒り心頭に全力疾走していた。
飛び出すのが遅れて、あいつがどっちの方向へと走っていったのかがわからない。
遅れた理由は、店のお姉さんに止められたからだ。
「ああ!私の商品券!……追いかけなきゃ!」
走り出そうとすると、ぐいっと腕を引かれた。
店のお姉さんが、驚いて俺の顔を見ていた。
「だ、駄目よ!私が騎士様に通報にいくから、貴女は大人しくしていなさい!危ないから、ね」
いやそれじゃ、あのごろつきどっかいっちゃうよ!
例え後から見つかっても、商品券使われてたらどうするの!
俺は必死に大丈夫ですからと訴えるが、聞き入れて貰えない。
仕方なく、少しの間大人しくして、腕が離れた瞬間ダッシュで駆け抜けた。
ごめんなさい店員さん。でも、あの商品券は故郷に暖房器具を贈るための、大事な大事なものなのです。
……ついでにちょっと贅沢するための。
貴族街方面は警備が厚く行かないだろうと、反対側へ走ってきたけどはずれだっただろうか。
それとも、下水へ降りて地下やらに消えてしまっただろうか。
あああ、ちきしょー!と思ったら、ドガァッっと壁に何かがぶつかる音がした。
さっきの奴かもしれない。建物の隙間、人がやっと一人通れそうな場所に俺は飛び込んだ。
狭い通路を抜けると、そこにはでっかい熊が居た。
こちらに背を向け、その背中からは覇気というか気迫の様なものが滲み出ている。
相対するのは、先程のごろつきだ。
壁に背中を強く打ちつけたのか、俯いて呻いている。
そこは多少開けた場所で、民家らしき建物が見られた。
市場エリアで働く者達の住居なのかもしれない。それらしく、井戸も見えた。
どうしたものかと考える。声をかけてもいいものか。その前に人の言葉がわかるだろうか。
気配を感じたのか、熊がこちらを振り向いた。
「人間だった……」
思わず声に出ていた。
「お、何だ嬢ちゃん。ここは危ないぞ、帰りな。迷ったなら後で送ってやるから、ちょっと待っててな」
無造作に生やした髭の中、見える口がにっと笑った。
だがその隙に、ごろつきが這いながらその脇を抜けた。
人質にでもする気なのか、俺を掴もうと手を伸ばす。
その腕を紙一重でかわし、蹴りの一つでもいれてやろうかと思った瞬間、ごろつきがびくりと跳ね失神した。
よく見ると、こめかみに石ころがめり込んでいる。
……死んでないよね?
「油断大敵ですよ、ザーグル様」
気配もなく、俺の後ろからまた一人現れた。嘘、どこから出たの……。
びっくりしてその男を見上げる。
影の中浮かぶその男は、細身で浅黒い肌をしていた。
「いやあ悪い悪い。ま、お前さんがいたから大丈夫だったろ。大丈夫か?お嬢ちゃん」
ザーグルと呼ばれた男は、俺に怪我はないかと体を屈めて顔を覗き込む。
落ち着いて見れば、確かにがたいはあるが熊ほどでかくはない。りりしい眉の下には、愛嬌のあるまなじりが見えていた。
「はい、ありがとうございました。あの、貴方も……」
ザーグルと、俺を石ころで助けてくれた細身の男にもお礼を言う。
細身の男が影の中から静かに歩き出た。陽の光の下、プラゥと似た肌の色が晒される。
彼は俺を一瞥すると、構いませんと呟いた。
「おいおい、お前が無愛想だから怖がってるじゃないか。子供にくらい愛想ふってやれ」
ザーグルが呆れた顔をすると、細身の男はのびたごろつきを縛りながら、
「このくらいで怯えるたまではありませんよ、彼女は」
たんたんと言った。
え、俺の事知ってるの?全く見覚えないんだけど。
ごろつきを縛り上げる男の横顔をじっと見る。やはり、覚えはない。
もしかして、その褐色の肌……。
「あ!もしかしてプラゥのお兄さんとかですか?」
「違います」
違ったようだ。
「すみません、友達が同じ様な肌でしたのでてっきり……」
「私は孤児ですから、家族は知りません」
もうほんと返す返すごめんなさい。
「うう、無神経でごめんなさい……」
前も似たような事やらかした気がする。
何度も考えてから発言しようって、決めたでしょ俺!
「気にしてません。貴女も同じでしょう」
「……私の事、知っているのですか?」
いや流石に孤児院出とかまで知ってるのは、ちょっと怖いのですけど。
ザーグルも首を傾げている。
「そうだ、何で嬢ちゃんの事知ってるんだ?」
「彼女は聖女候補のノイルイー嬢ですよ。先の北の森での魔瘴退治の件、流石に貴方でも覚えているでしょう?」
細身の男は立ち上がった。足元には、綺麗に縛り上げられたごろつきが転がっている。
ザーグルはえーと、などと呟きながらごろつきを荷物の様に担ぎ上げた。
細身の男は、そんなザーグルに小さくため息をついた。




