3.とにもかくにもお勉強
気の抜ける事に、あれから幾日もたったが魔瘴が現れることはなかった。
そして聖女としてのお勉強もはじまり、聖女としての教養とマナー、力の感じ方制御の仕方、聖なる言葉の暗記と書き取り。
毎日みっちりと教え込まれる。
教養とかマナーとか、そこまで細かくいるか?って思ったけど、どうやら過去に聖女の地位にかこつけて好き放題した輩がいたらしい。
そんな恥ずかしいまねはしてはいけませんと、淑女の心を保ちなさいと、人に必要とされる、愛される聖女になって欲しいと諭される。
そんな事を言っても、暴君になる人間はなるものだと思うけど。
力の感じ方とか出し方とか、それはスムーズに行えた。
言われた通りにやってみれば、あーあーそういう事ねって感じで。
ナリマー先生もそれには驚いていた。どうやら他の生徒はリリシュ含め、みんな感じることすら難しいと唸っていた。
しかし聖なる言葉とやらの勉強は苦手だった。魔法を込めるための魔式とは異なるらしいんだけど、聖なる言葉の文字列、呪文の文字式、もうごちゃごちゃしてわからない。
俺達の座る丸いテーブルの側面に書かれた文字もそうらしいんだけど、さっぱりだった。
魔式のチョークみたいなペンで、厚みのある軽い石版のようなものに文字を書いては消していく。
この魔道具を使えば、先っぽで文字を書き、側面でスライドさせれば消すことができるらしい。
練習とはいえ、いたずらに聖なる文字を書き残す事はよくないそうなので、こんな形をとっている。
リリシュから興味の無いイケメンの話を聞くように、書いては忘れ、書いては忘れ、と無駄な行為をしているように思える。
俺は実戦派なんだ。多分。
休憩時間のお喋りは、生徒達にとっては安息の時間だ。
そう多くない事もあって、ほぼ皆顔なじみになり、そこかしこで話に花を咲かせている。
もっぱらあそこのお菓子は美味しいとか、今日は騎士団の訓練こっそりと見に行こうかとか、そんな他愛も無い話だ。
それでも彼女達は楽しそうにお喋りをする。
俺も好きなアイドルとかの話したいな~。それは無理でも、どこの組に凄いかわいい子がいるとか、そんな話。
そんな話をし出したら、変な目で見られそうだけど。
当然女子の話についていけず、相槌マシーンと化していた俺は気付かれない様ため息をついた。
ぼんやりと、窓の外へ目を向ける。
今日も空が青くていい天気だなあ。シーツ洗って干したいなあ。
服も、ただでさえ少ないんだから洗っておけばよかった。
授業は配布された制服があるので大丈夫だが、個人の私服は三着しか持っていないのだ。
大切な家族が、お下がりでも見栄えがいいように裾直しと綻びを縫ってくれた、大事な服。
みんな元気かなあ。
ぼんやりと思いながら、窓の外行きかう人々を見つめた。
うん?あれは誰だろう。
ふと気になった人物がいた。その人間は丁度学園の敷地から出て行く所だった。
警備をしている人間もいるが、特に問題なく通っている。
遠くで顔は見えないが、なんとなく気になった。
そのまま目で追うと、小さな看板のついた、黄色い屋根の建物に入っていった。
何の店だろう。気になったが、授業を再開するべくナリマー先生が部屋に入ってきた。
こっちだったかなあ。
俺は市街をさ迷っていた。
今日の授業が終わった後、やっぱりあの男が気になって飛び出してきてしまった。
大丈夫、ちゃんと町へ行く許可はナリマー先生に貰っている。
綻び用の布地を買いたいと言ったら、同情するようにすんなりとくれた。
学園の施設を薦められたが、逆にいいものすぎて合わない、でも大切な服なのでと。
半ば強引だったかもしれない。
比較的安全な都市だけど、それでも裏通りを避け、巡回している騎士団員の目の届く所にいる事など注意された。
一応お金も少しは持ってきた。学園の施設と違って当然街のお店はお金がかかる。
学園に現れた魔瘴の時は、移動してもなんとなくわかったんだけど、今回は何の気配も感じなかった。
ここはまだ大通りで、学園も遠めに見える。
窓から見た黄色い屋根の店は、ほどなくして見つかった。掲げてある板には、商業ギルドと書いてある。
割と人の出入りは多いようだったので、便乗して中に入ってみた。
中は広くシンプルだが質のよさそうな調度品がいくつか飾られていた。
銀行の待合室のような雰囲気だ。
受付のカウンターも幅広く、来客の対応をスタッフの人が各々している。
設置されているシンプルなソファーに座っている人たちは、順番を待っているのだろうか。
カウンターにも待合の椅子にも、あの気になる男はいなかった。
部屋の隅には階段があったが、さすがに何の用事も無く上がる気にはなれなかった。
商業ギルドを出て、どうしようかと悩んだ。
気になると言っても、あの魔瘴みたいに背筋がぞっとしたわけでもないし、諦めて戻ろうか。
お前の考えも無くすぐ行動に移すのは悪い癖だと、よく師匠に怒られたっけ。
確かに何か考えて飛び出したわけでもない。見つけて何かをしてやろうとか、そんなことも無く、ただ気になっただけだ。
こうなったら本当に安い生地でも買って帰ろうか、そう思っていると商業ギルドの扉からあの人間が出てくる所だった。
ええー、もしかして二階にいた?
腰に荷物を抱え、歩き出す。俺は気付かれないよう、少し離れて後を追った。
後ろから様子を伺うと、その人間はこれといって特徴もないごく普通の男だった。
でもなんとなく違和感を感じる。それが何か、わからないけど。
つけていってどうするつもりなんだ俺は。
魔瘴とか、悪いものじゃないってわかれば、いいんだろうけど。
でももし、やばい奴だったら?
そこらにいる巡回騎士に「あの人変なんです。説明はできないけど」って言って監視をまかせるか。
いや何言ってんだこいつ的な目で見られて終わりだろう……。
まあ遠くから見るだけ。いきなり人気の無い場所にいって魔瘴に変身!とかないってわかれば……。
心の中で誰にともなく言い訳をしていると、男がまた建物へと入っていった。
今度は何の建物だろう。看板をみるに、宿屋らしかった。
ぶら下がっている木でできたジョッキのシンボルは、酒場も兼任しているって事だろう。
中から漂う香ばしい匂いに、お腹がぐぅと鳴った。
夕食の時間すぎてるよなあ。丁度いいし、お酒は無理でも食事ならお客として入っちゃうか。
少し時間をあけて扉をくぐる。
途端に酒の匂いと、わっと喧騒が耳に飛び込んできた。仕事終わりの人たちか、中はなかなか繁盛していた。
空いている席を探しながら、先ほどの男がいないか確認する。一階の酒場にはいないようだった。
「あらま、随分かわいいお客さんだね。まさか一人かい?」
入り口できょろきょろする俺を見つけ、この酒場の従業員なのか女性が声をかけてきた。
連れがいないか探るように、俺の後ろを見やる。
「一人です。ちょっとお腹が空いちゃって、いい匂いがこちらからしたんで思わず入っちゃいました。食事だけでも、大丈夫ですか?」
お腹が空いているのは本当だし、目の前にいる客達のテーブルを見るに、料理もいくつかありそうだ。
よく見ると端に空いたテーブルがあった。小さい席だから他人と飲むための男達は座らないのだろう。
従業員の女性に、あの席の伺いを立ててみようと俺は口を開いた。
ひゅう、と揶揄するような声が飛んでくる。
「何て綺麗な女なんだ、めったにお目にかかれねえ!多少ガキだが、それでも十分すぎる容姿だぜ。嬢ちゃん、こっち来て一緒に飲もうや!」
飲んでいた客の一人が、声をあげた。
うわ、酔っ払いだよ。女とみれば誰にでも声かけるような奴だな、これは。
「まだ子供だよ、やめな!……うちはいいけど、こんな場所だし、他行った方がいいんじゃないのかい?」
従業員の女性が酔っ払いを叱りつつ、困った顔をした。
「大丈夫です、それに、お金もそんなに持ってないですし」
暗に他のお店は高くてちょっと無理ですと、同じく困った顔をしてみせる。
実際お金ないのは本当だし、ここの食事なら手持ちでも足りそうだし。
壁に貼られた酒やつまみ、料理の値段をちらりと見る。
女性が肩を竦めるのを確認して俺はするりと酔っ払いの座る間をすり抜けて、テーブルについた。
そのまま安い芋のスープと燻製肉を頼む。
しばらくして来た料理はなかなか美味しかった。ただの塩味かと思っていたけど、中に申し訳程度に入っている肉がいい味をかもし出している。
元いた世界ではジャンクフードをよく好んで食べてたし、こちらの世界でも学園に来る迄は、もっと質素なものを食べていた。
肉があるだけでもありがたい。
酒は出せないからねと、サービスでくれた水は微かに柑橘系の香りがした。
食べながら再び室内の様子を伺ってみる。
あの気になる男はやはり見当たらない。
となると、宿屋となっている二階部分にいるのだろうか。
さすがに泊まるわけにはいかない。そもそも、そんなお金ないし。
知り合いが見えました!って言って二階に行かせて貰おうか。
でもそれからどうする?部屋を一つ一つ確認するのか?そんな無茶な。宿泊客にも宿の人にも怒られるだけだ。
降りてこないかな、と階段上を見やるが人影は見えない。
「……おい」
どかりと、正面の椅子に誰かが座った。
手には酒を持っている。さっきの酔っ払いかと嫌な顔をしたが、どうやら違った様だった。
「あー、えーと、あー、何だっけ……」
名前をリリシュに教えて貰ったはずなのに、もう忘れてしまっていた。
学園の敷地で魔瘴を倒した、あの金髪の男だった。
「何が言いたいんだお前は。そんな事よりまた何かに首をつっこんでいるのか、立場をわきまえろ」
名前が思い出せなくて変な声をだす俺に怪訝そうに眉を寄せ、そう言い放つと持っている酒をぐいと煽った。
騎士団の人も、こういう安酒飲むんだな、と怒られているのについ思ってしまった。
「何か勘違いをされているようですが、私はただ食事に来ただけです」
そ知らぬふりで通す。この人、最初会った時もそうだったけど、やけに冷たい言い方をするというか、何か怒らせでもしたかな。
そもそも名前も忘れる程度で、知り合いでもないはずだけど。
「チラチラと階段や二階を見ていたくせに、何を言う」
もろばれでした。
そういえばこの男も騎士団か、一応気になる男がいるって伝えといた方がいいかな。
この態度みるに、確実に馬鹿にされそうだけど。いや確実に馬鹿にするな、……やっぱやめとこう。
「この宿泊まってみたいなーって思って見てただけです。どうぞお気になさらず、ご自分の席に戻ってどうぞ」
最後がつい嫌味になってしまった。
金髪の男は何も言い返さず、黙って俺を見つめている。怒ったのかな。
でもここに居座られても腹が立つだけだし、食事も終わったし、もう諦めて出ようかな。
お金を確認しようとした時、視界の端にあの男がうつった。
目の前の男のせいで気付かなかった、いつの間に階段を下りてきていたのか!
男は宿を出る所だった。宿泊しているなら、また戻ってくるかもしれないが……。
「ごめん、払っておいて!後で返す!」
でも戻らないかもしれない。
時間も惜しく、会計を金髪に押し付け俺は飛び出した。