16.今年最後は呼び出しで その一
あんなに練習させられて、ダンスやお誘いに少女達が胸を期待に膨らませた一大イベント、舞踏会が終わってしまった。
放課後の帰り道、あちらこちらでその日習ったダンスの再確認や、ドレスやエスコートする男達の話にさざめかせていた小鳥達の喧騒もすっかり収まった。
今はただ、余韻に浸る少女やああすればよかったと後悔を口にする少女達が囁き合うように会話を交わすだけだ。
夢の時間はあっさりと過ぎた。
なんて、詩人っぽく言っては見たが、要は最大のイベントが終わっちゃって寂しいだけだ。
何だかんだで、リリシュとプラゥとテラスで踊ったのは楽しかったな。
料理も美味しかったし、ボリュームもあったし、最高だった……。
あんなにいっぱいあるんだし、少しくらい持ち帰ってもいいんじゃないだろうかとタッパーになる様な物がないか聞いていたら、スリットから覗くおみ足が美しいナリマー先生に怖い笑顔で阻止されてしまった。
「さて今日は何をしよう、もうちょっと寝てようかなあ」
ベッドに横になったまま、伸びをする。
今日は連休の始まりだ。
舞踏会の後片付けとか色々あるんだろう。練習付けだった生徒達への飴かもしれない。
しばらくぼけっとしていたが、眠気も覚めてしまい仕方なく体を起こした。
顔洗って着替えて、あーちょっとお腹空いたかな。食堂に何か無いかな。
食堂へ顔を出すと、丁度何人か食事をとっていた。
料理人さんがいる時間帯だったか、良かった。
「あらおはよう、舞踏会は楽しめたかしら」
先に食べていたアイメが、テーブルから手を振っていた。
「おはようございます。はい、楽しかったです。特に山盛りの料理が最高で」
俺はカウンターで今日のメニューから料理を受け取ると、アイメの横に座った。
「勿論料理も素晴らしかったけど、ダンスも楽しかったでしょう?」
「あー、私踊りはまったく駄目で、全部お断りさせて貰ったんです」
「あら、うふふ、見てたわよ。テラスでとても楽しそうに踊っていた姿」
うわあ、あれ見られてたのか。テラスには他に誰も居なかったと思ったのに。
ちょっと恥ずかしい。
「ついはしゃいでしまって、すみません」
「責めてるんじゃないの、いいじゃない。私も輪に入りたいくらいだったわ」
「アイメ先輩は誰かと踊ったんですか?」
リリシュの予想では特定の相手がいる様だったが。
「ええ、舞踏会の為に来てもらったの。ダンスなんて互いに慣れてないけど、さすがに三年も参加してるからなんとかなったわ」
アイメは婚約者と一緒に舞踏会へ参加したらしい。
婚約者は別の町に住んでいるが、アイメと舞踏会に参加するために聖都へと来ていたと言う。
でもそれも、今年が最後だと静かに微笑んだ。
「アイメ先輩は学園に残らないんですか?」
「ええ、教会に入って派遣先に婚約者と行くわ。彼ナイジスと言うのだけど、いつかまた機会があったら紹介するわね」
「は、はい、楽しみにしています」
アイメは大人びているが、それでもまだ十代だろう。それで婚約者と二人で暮らすのか。
貴族でもないのに、その年で同棲か……。うらやまけしからん。
「……なんて、私の両親も一緒に行くのよ?」
ぺろっと、アイメは小さく舌を出した。
俺の口はあんぐりと開いていた事だろう。からかわれた!
でもかわいい仕草のアイメが見れたのでいいか。
食後は『花冠の館』から出て、少し散歩をする事にした。
付き合いとはいえ、ずっと放課後はダンスの練習で慌しかったので、のんびりするのは久しぶりだ。
その上、ドレス紛失騒動まであったし。
しばらく目的もなしに歩いていると、前に治癒の力を試そうと果物ナイフを持ってうろついた場所に着いた。
ここで木の枝とか虫の死体で試したっけ。
冬の季節の今、あの木は葉の一枚もない裸で佇んでいた。
嫌な気配がした。
微かだけれど、どこからか漏れ出る様なそれで、腕に鳥肌が立った。
確認しようと見回すが、その感覚が小さすぎてわからない。
「ごきげんよう、舞踏会は楽しめたかしら?」
先程もされた質問だが、こちらはとても冷めた言い方だった。
「ナナリエーヌ様……」
珍しくお供の二人を連れず、一人の様だった。
俺を見つめる瞳は、いつもよりずっと冷たく、暗い。
なんというか、怒りが大きすぎて逆に冷えきってしまった、という印象がする。
「聞きましてよ、とても素敵なドレスを着ていらしたとか。……羨ましいですわ」
能面の様な表情が、羨ましいと呟いたときだけその瞳の奥が揺れた。
一体何処まで知っているのだろう。
ドレスが学園の物では無い事は、多分盗んだ犯人だから知ってはいるだろうけど。
その後に手に入れたあのドレスの送り主は、俺とローシオンしか知らないはずだ。
でもローシオンは言いふらすような奴ではない。……誘導尋問とかにはあっさり引っかかりそうだけど。
「偶然頂けた物でして、運が良かっただけです」
「前も似た様な事を、おっしゃっていたわね……。わたくしを、からかっているのかしら?」
「いや、そんな事は決して!」
本当に偶然が重なって起こった事なのに!
というか、その言い方だと送り主まで分かってそうなニュアンスだな。
ゆらりと、不意にナナリエーヌ様が胸の上で握っている拳が蜃気楼のように滲んでぼやけた。
俺が驚いてそこを見ると、彼女ははっとして深呼吸をし、気持ちを落ち着かせた。
そうすると手は、元に戻っていた。
ナナリエーヌ様は俺の横を通り、立ち去ろうとする。
一度立ち止まり、俺に囁いた。
「わたくしも小さいながら、パーティを開こうと思っていますの。ぜひ、貴女に来ていただきたいわ。貴女のご友人もお誘いしたいけれど、貴女が来てくれるのなら我慢いたしますわ」
俺が何も言わずにいると、封筒を足元に落とし、そのまま静かに歩き去った。
姿が見えなくなったのを確認すると、落ちている封筒を拾う。
本当にパーティだったら怖い令嬢だらけのものなんかに行きたくないけど、これは多分違う意味でやばそうだなあ。
ナナリエーヌ様、感情のコントロールが上手くできなくなって危うい感じだったし。
それにあの、彼女の手に出た変なゆらぎ。
あの感覚には覚えがある。だとすると、彼女の身も危ないかもしれない。
どうやらあれは、負の感情を糧に膨らんでいくみたいだし。
拾った封筒の中を確認する。
女性の繊細な綺麗な字で、時間とそこへ行くまでのルートが書かれていた。
時間になり、俺はパーティ会場へと向かった。
道中、ナナリエーヌ様と話した時に湧き出たあの気配を感じた。
嫌な気配と、呼び出された場所は一致していた。
俺は書かれていたルートの通り、歩いてきた。その道は巡回の騎士を避け、まばらに立つ店さえも無い静かな道だった。
外泊届けにしとけば良かったかなあ。どんどん暗くなる道先に、ただの外出届を出した事を少し後悔した。
休日といえど、学園エリアの外へ出るには、報告がいるのだ。
辿り着いた先は、寂れた館だった。門は軽く触るとキィ、と耳障りな音を立てて開いた。奥にある館の扉も、鍵はかかっていなかった。
「お邪魔しま~す……」
小さく呟きながら中へと入る。
玄関ホールは、何故かそこだけ蝋燭が灯されていた。はったくもの巣や積もる埃が浮かび上がる。
「よく、来ましたわね」
見上げると、玄関ホールから繋がる階段の上に、一人の少女がいた。ナナリエーヌ様だ。
「呼ばれましたので」
貴族の呼び出しを、平民が断れるわけないじゃないですか。
ナナリエーヌ様は何の表情も浮かべず、俺をじっと見つめている。
「……思慮深く、とは言いませんが、何も考えずにここに来たのかしら」
「そこまで愚かだとは思いたくないですけど、何だか悪い予感もしましたので。ナナリエーヌ様にも、危険かもしれませんし」
「私が、危険?」
そこでクッと彼女は馬鹿にした様に笑った。
「はい、ここにはさっきから良くない気配がします」
「良くないもの、そうね……確かに良くないものだわ。わたくし、よく知っていてよ」
自分の胸に拳をあて、嫌な物でもあるように目を伏せた。
そして、その拳をひらくと、そこには青く輝く宝石があった。
聖なる文字が刻まれている。
「それは、ナナリエーヌ様、貴女の身に危険です。今すぐ手放して離れるべきです」
その綺麗な宝石は、青く光る綺麗さとは裏腹に酷く不気味だった。
何かがまとわりついている。いや、漏れ出ているのか。
「この後に及んで私の身を案じるの。とてもお優しいこと。でも、これでそんな余裕ありまして!?」
叫びとともに、青い宝石は放たれた。
地面にぶつかり落ち、はじけた。
ゴオオオオオォッ!
瞬間、黒い霧が噴出しそこに天井まで高く渦巻いた。
悲鳴が聞こえ、はっとして見やると、ナナリエーヌ様が苦しそうに倒れこんでいた。
渦から散る黒い霧が、彼女の足元から飲み込む様に絡みついていた。
「ナナリエーヌ様!」
即座に飛び出してきたのは、取り巻きの少女達だった。
二人の少女は、ナナリエーヌ様の足に絡み付く黒い霧に恐怖しながらも、必死に体を引き抜こうとしている。
「あ……あ……」
ナナリエーヌ様も動けぬ体に震え、助けを求め視線を泳がす。
俺は手のひらに聖なる力を集中し、小さな玉を作るとナナリエーヌ様の足に絡む黒い霧に投げつけた。
人体に害はないから大丈夫大丈夫。確か。
光の玉は黒い霧を霧散させた。
「今のうちに早く離れて!」
俺の叫びに二人の取り巻きは、ナナリエーヌ様を引きずって奥へと消えた。
魔瘴の渦は動かない俺にターゲットを絞ったのか、渦を巻いたまま俺の方へと迫ってきた。
俺の目前に床へぶつかるように飛んでくると、渦は形を作り出した。
また人の形になるのかと警戒したが、どうやら違ったようだ。
あれより更にでかく、恐ろしく口を裂いて吼える獣の姿になった。




