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銀色ふうろ  作者: みみつきうさぎ
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第二楽章(二)

◆ 登 場 人 物 ◆


フウロ・サク・アサマ     

 エルネストの孫 明るく心優しい少女であるが、『南の帝国』による細菌兵器の後遺症により、短命を医者から宣告されている 姉のライクと希望がかなうという伝説の『黄金の泉』をさがす旅に出る


ライク・R・アサマ      

 エルネストの養女、ふうろを実の妹のように愛している 『南の帝国』による侵攻時にエルネストの開発した次世代オートメタビースト『シルバー』をヴォーカンソン重工業社より強奪する


レイブン・ベルフラワー    

 『北の楽園』軍オートメタビースト部隊長 『シルバー』奪還の任を負う


ゴブ

忘れ去られた霧の森に住む老人


第二楽章(六)


 標高三千メートル級の山々が連なる険しい山岳地帯の裾を縫うように、ライクとフウロを乗せたシルバーは追跡を警戒しながら道無き道を東に進んでいる。

 空を震わせると『ハンター』が集まり、楽園軍や帝国軍の追跡者に自分たちの場所を知らせる原因となる。時間はかかるが、やむを得ない行動であった。

楽園の郊外から続いていた荒れ野を過ぎ、辺りの様相は針葉樹林を植生の中心とした森へと変化していた。

 朝方は雪をのせた頂が川べりからでも見えたが、昼を過ぎた頃から、牛乳を溶かし込んだような深い霧が全てを飲み込んでいた。

「真っ白で何にも見えないね」

「それでもシルバーには波長探知システムが装備されているから大丈夫です」

「アチョーパンチ?シルバーには難しい言葉がいっぱいだね、でも、それってシルバーの頭が良いってことだよね」

「そうかもしれないですね、フウロもそろそろ勉強しておきましょう」

「えぇっ!旅行中はそんなのやらなくても大丈夫だよ、それに教科書もここにはないもんね」

「後ろのモニターに算数の問題が映るから、それを解いてみてごらんなさい」

「シルバーには、そんなのも付いているの?」

「昨日、フウロが寝てからデータを組み込んでおきました」

 ライクに言われるままフウロは渋々、前部座席の後ろに備えられたサブモニターに表示される問題を解き始めた。

 霧はさらに深くなっていく。

 ライクは遠距離レーダーの反応もないことから、森の少しだけ開いた空き地にシルバーを停止させた。空き地といっても大きな岩が地面に転がっているために、そこだけ、樹木が生育していない場である。

「ねぇ、ライク、ちょっと降りてみようよ」

「まだ、機体周囲の安全が確認できていません」

「確認できたらいいってことだよね?」

 表示される周囲のデータには小動物以外の生体反応は見られず、さして身の危険をおびやかすようなものは感知されない。ただ、磁場が平常の場所よりもやや高い数値を示していたが、人体や計器に影響を及ぼす程のものではなかった。

 立て膝をついた姿勢のシルバーはライクとフウロを掌に載せると、胸のコクピットから地面までゆっくりと移動させた。

 湿気の帯びた空気は、フウロの髪を外に出たほんの数秒でしっとりと濡らした。

 地面に降りたフウロの足下に柔らかい苔の感触が伝わる。樹齢を重ねた木々の太い幹はひんやりと冷たく、触ったフウロの指に細かい木肌のかけらが付いた。

「雨が降っていないのに、みんな濡れているけど、どうしてなんだろう?」

「この霧は水の小さな粒です」

「えっ、だって流れていないよ、コップにも入っていないし」

「ほら、シルバーの表面を見てご覧なさい」

 枯葉や小枝がたくさん付いたシルバーの脚部に、小さな水滴が所々集まって大きい水玉となっていた。その一つがつつと下に線を描きながら流れていった。

「本当に水だ……」

 フウロは目の前の全てが不思議な現象でありながら、本で読んだ以上のことが次から次へと起こるのが楽しくてならない。小さなトカゲが苔むした岩の上で鈍い動きを止め、はしゃぐフウロをじっと見つめていた。

「あ……?」

 霧の中にリリーに面影が似た少女が立っているのにフウロはふと気付いた。髪に付いたリボン、それはまさしく仲良しのリリーのものであった。

「リリー?リリーでしょ、何でここにいるの?待って!」

 フウロは拾ったばかりの傘の開いていない松ぼっくりのついた小枝を投げ捨てた。そして消える少女の姿を求め、霧の中を追いかけていった。

「待ちなさい、フウロ!」

 予想していなかったフウロの行動に驚いたライクは、霧に溶け込む彼女の姿をすぐに追った。森の中の悪路に戸惑っていたフウロの元へライクがたどり着くのに、そう時間はかからなかった。

「どこへ行こうとしたの?」

「リリーがいたから、追っかけたんだよ、あのかわいいリボンは絶対にリリーだよ」

「リリー?」

 ライクの脳裏に浮かんだのは、血の染みができた毛布にくるまれ、警察署に運ばれていく哀れなリリーの遺体であった。

黙ったままのライクを不思議そうに見つめるフウロ、その静寂を溶かすように森の奥からかすかに音楽が流れてきた。革太鼓の音に合わせ、笛と弦楽器が絡みながら陽気な旋律を奏でている。

「ライク、聞こえる?誰かが演奏しているよ」

(街があるのか……まさか)

 シルバーの機器に街の反応はなかった。しかし、音楽の聞こえる方向がガス灯のような柔らかい光によってほんのりと橙色に照らし出されているのを見ると、そこに人の営みがある事実に疑いようはなかった。

「ねぇ、行っても良い?」

(途中にいくつか忘れ去られた街がある、そこで、また、何か情報を得られるだろうよ)

 ペイバックの言葉を思い出したライクは少し考えてからフウロの頼みを承諾した。

 腕時計には、シルバーの制御システムと正常にリンクされている文字が浮かんでいる。何かあってもシルバーを自分たちの所に呼ぶことができる安心感もあった。

「フウロ、私の側から絶対に離れないで」

「うん」

 森と街の境はアスファルトでできた広い道であるが、到る所に断裂や大小の穴があり、幅の細い草が好き放題のびて重なっていた。街灯に浮かぶ街の建物は霧の中に沈んでいるように二人には見えた。風景とは対照的に、音楽に混じって人々の明るいさざめきは次第に大きくなっていく。

「誰?」

 ライクの目前を年老いた夫婦が二人を全く気にすることなく通り過ぎていく。今まで誰もいない街だと思っていたが、それは間違いのようであった。多くの人々が会話をしたり、時計を見て待ち合わせの時間を気にしながら、それぞれが霧から現れ、霧の中に消えていく。

「人がこんなにいっぱいいたんだ、お店とかもあるのかな」

(人がいるように見えるが生気が感じられない)

 一歩、建物の建ち並ぶ路地に入ると、乗用車が通ることのできないくらいの道が細かく入りくんでいた。住居の全ての窓には花が咲く鉢植えが整然と並べられているが、霧の中、どの花も元気なくうつむき、花弁に露をまとわらせている。

 音楽は路地を突き当たった先の小さな広場から流れていた。広場の中心に細い白樺の木が三本植えられており、その周りを木製のベンチが囲んでいた。革太鼓のバウロンを叩いていた老人は、フウロの姿を見ると、それまでの舞踊曲ジグをやめ、傍らに楽器を置いた。そして、左手側にある小型のハープを手に取り、柔らかな前奏を弾きはじめた。

 かぶるように、白い髭を生やしたもう一人の老人はうっすらと錆の浮いた金属製の小笛で、もの哀しくも美しい三拍子の旋律を歌い出した。

 小さな帽子をかぶり、大きな鼻の上に丸いフレームの眼鏡をかけたフィドルを持つ老人は、眼を細めその曲に聞き入っていた。

 広場には、いつの間にか多くの老若男女が集まり、その曲にあわせ身体をゆっくり揺らしたり、時には涙を浮かべていた。

「哀しいけど良い曲だね、ライク、この曲、私どっかで聴いたことがあるような気がする」

 曲が終わり、聴衆からの拍手に演奏していた老人たちは頭を下げた。開いていた楽器ケースに小銭や小さく折り曲げられた紙幣が投げ込まれていった。

 フウロは拍手しながら老人に近付き、親しげに曲名を聞いた。

「『ラグランロード』もう失われてしまった私たちの遠い故郷の歌だ……あんたたち、どこから来たんだね……あまり見たことのない顔だな」

 ケースからこぼれた小銭を拾いながら、フィドルを演奏していた老人がフウロに声をかけた。

「北の楽園ってところ」

 フウロは、小銭拾いを手伝いながら老人に明るい声で答えた。他の老人たちはいつの間にかその場から消えていた。

「北の楽園……んっ……ああ、聞いたことがないな……あっ、ありがとよ」

 老人が少し言葉を詰まらせた様子にライクは気付いた。

 フウロから小銭を受け取った老人は、ポケットから取り出した白い布の袋に一枚一枚数えながら丁寧に入れて行った。

「あんたたち、その知らない街から来て、これからどこへ行こうとしているのかね」

 老人はよれよれの背広の上着ポケットの内側に自分の笛をしまった。

「黄金の泉だよ」

 フウロは少し自慢げに目的地を老人に教えた。

「ほう、それは私も一度行ってみたい場所だった、我々にとって遠いようで近く、近いようで遠い場所だ」

「?」

 笑うことも驚くこともしない老人の暗号めいた返事にフウロは首をかしげた。

「このことについて詳しい友人が市場の近くに住んでいるよ、買い物ついでに顔を出して見るが良い、名前は『ゴブ』という元道化だ」

「市場」

「ほら、あそこに木の看板を掲げた家があるね、そこを曲がった後、真っ直ぐ行ったところに市場があるよ。あまり、新鮮な物はないがね」

 ライクの何気なくもらした言葉に、もう一人のバウロンの老人は路地の奥を指さした。

「いつかまた、私たちの演奏を聴きに来ておくれ」

「うん、約束するね」

その場を辞した二人は、一層濃くなってきた霧の中、老人の教えてくれた石畳のゆるい坂道を下っていった。

広場から市場までの距離はさほどなく、十分程歩くと野菜や果物、穀物を並べた屋台が狭い通りを挟んで軒を連ねていた。

「あれ?ライク、お店の人、誰もいないよ」

 商品は豊富にあるのだが、肝心の売り子や客が誰もいない妙な雰囲気が市場全体を霧と共におおっていた。二人が歩いて行くと、霧の奥から店があらわれ、また通り過ぎていくと霧の奥に消えていく。

二人の石畳を歩く音はとても湿っていた。



第二楽章(七)


「ねぇ、ライク、これかわいい」

 しなびた果実を売っている店の隣に、木彫りの人形や操り人形が、長方形の木製の台上に何体も並べられている。様々な表情をした木人形は、カラフルな衣装に身を包んでいた。

 フウロが近付くと、椅子の上に置いてあった手回しオルガンが汽笛のような音色を突然騒々しく奏ではじめた。

「うわっ!」

 すぐにフウロはライクの後ろに隠れ、その様子を眺めていた。

 華やかなワルツのリズムは霧の街に時には大きく、そして波が引くように小さく不安定なまま響いていく。

 真ん中の一番大きい木人形が、むくりと上半身だけ起き上がり、時折瞬きをさせながら甲高い声を上げた。

「ヨウコソ、久シブリノ客人ダ、僕ラハ君タチヲ心カラ歓迎シヨウ」

「ソコノ小サナ嬢チャン、驚カナクテイイヨ、ココハ全テ忘レ去ラレタ街、ダカラ全テ自分タチデツクル街、待ッテイタンダ君タチノヨウナ客人ガ来ルノヲ」

「ヤァヤァ、キレイナオ姉サン、君モ僕モ同ジダネ、ダカラコンナニ嬉シインダ」

 カチャカチャとした音をたてて木人形たちはそれぞれ台の上に立ち上がり、手足や首を振りながら音楽にあわせて踊り出した。

 ある人形はラッパの口まねをしながら、ある人形は首をクルクルと回転させて楽しそうに思い思いのダンスを続けた。

「怖いよ……」

 ライクの腰にフウロがぎゅっとしがみついた。

「ミスターゴブですね、歓迎の挨拶はもう結構です、この子が怖がっています、早く姿を見せてください」

 ライクは不思議な光景にも表情を変えず、ハンドルがゆっくりと回り続けるオルガンの方へ声を上げた。

「怖がっていると?楽しんでもらえたと思ったのだが」

 大きなボロ切れを頭からすっぽりとかぶり、鼻と口だけを覗かせた男が霧の中から姿を見せた。

「最後に客人が訪れてから何年たったのだろう、それも妙齢のお嬢さんとかわいい女の子、この人形たちも喜んでいる、最近は異国の物騒な鉄馬しか見回りに来ないからな」

「ソウダ、俺タチハ客人ヲ喜ンデイル」

「人ガ来ルノヲ待ッテイタ、デモ、怖イ怖イ鉄馬怖イ」

 男の声に人形たちがカタカタと音を上げて笑った。

「寂しいのなら、もっと人間を出してあげようか?さっきみたいに」

 急に市場が賑やかになった。店の売り子と値段を交渉している男、大きな買い物袋を引きずって歩いている少年、散歩中の犬の鳴き声、オルガンの音が大きくなるにつれ、人がざわざわと生活する音が広がってきた。先ほどの太鼓を叩き、笛を吹いていた老人らも演奏の輪に加わり、辺りはさながら祭りのような雰囲気をかもしだしていた。

「ミスターは、私たちと出会った時のようにフィドルを演奏しないのですか?」

 ライクにそう言われた男は、大声で笑いながらゆっくりと頭にかぶせていた布をまくった。

「さっきのお爺ちゃん」

 驚くフウロを前に、丸い眼鏡をかけた老人が眼を細めながら、ゆっくりとした口調で言った。

「ゴブの『古くて新しい人形街』へあらためて、ようこそ、わしの家に来て茶でも飲まぬか?」

「お茶ヘドウゾ!」

「ゴブ様ノ街デ、美味シイオ茶ハイカガカシラ?」

「何モ殺シハシナイ、殺シハシナイヨ」

「何モ騙シハシナイ、騙シハシナイサ」

 老人の言葉の後に、木人形たちが早口でキイキイとまくしたてた。



第二楽章(八)


 ゴブの石造りの家は窓がとても小さく造られている。それでもしっとりした外気が部屋の中の隅々まで流れ込んでいた。

古い家具に囲まれた広く薄暗い部屋にガラクタがいっぱい載ったままの木製のテーブルときしむ音をたてる木製の椅子、本棚以外の壁沿いには糸の切れた操り人形やセルロイド製の人形が山と積まれている。

「お人形さんがこんなにいっぱい、全部お爺ちゃんがつくったの?」

「わしの作ったものもあるし、わしの壊したものもある……そして……」

 並んで椅子に座るフウロとライクの前に、紅茶の入ったアルミ製のカップを持ったゴブが奥の部屋から現れた。

「見つけたものもある」

「すごいんだねぇ」

「毒などは入っておらんよ、うちのお茶は年代物だ、合成物なんで香りはしないがな」

 置かれたカップの上だけに薄い湯気が立ちのぼった。

「あの大きな銀人形はいったいどうしたのだね?」

 向かい合うように座ったゴブは、鼻に下がった眼鏡を右手の人差し指と中指で押し上げながら、ライクの顔を見て言った。

「その質問には答えることができません」

 目の前に出された紅茶へ手を伸ばすことなく、ライクはきっぱりとした口調で断った。

「答えるようにプログラムされてないか……ふふふ……冗談だよ、私は人様の物を盗む趣味はない……本当に欲しかったら創るさ……ただ、素直な趣味の気持ちから質問させてもらった」

 投げかけた言葉へのライクの反応を楽しむかのように、眼鏡の奥のゴブの目は冷ややかに輝いている。

「ねぇねぇ、お爺ちゃん、この街に人が増えたり、減ったり、消えちゃったり、出てきたりするのはなぜなの?」

 テーブルの上の子犬の模型を触りながら、フウロは何気なく聞いた。その質問をされた時、ゴブは目の力をほんの少し和らいだ。

「彼らか……皆この街に住んでいた者たちだよ」

 ゴブはカップの紅茶を一口すすり、人形の間のわずかな隙間にカップを置いた。

「お嬢さん、聞いてみたいかい?」

「うん、本当に魔法みたいだった!」

 黙って彼を見つめるライクと違い、フウロは興味津々で椅子から身を乗り出していた。

「今から六十年程前のことだった……」

 久しぶりの無垢な客人を前に、ゴブの口調は滑らかであった。


『巨大な虫が徘徊する世界の秘密』その課題を解くべく私は、上司から命令を受け、この忘れ去られた地の調査に派遣された一人だった。

遙か昔、空を自由に人間が飛べた時代から、幾多の戦乱によりいつしか全ての人々の記憶の部屋の扉が閉ざされた。私たちはこの世界に埋まった記憶の断片を見つけるための、国を挙げての大きなプロジェクトに参加しているという自負をもって、その任にあたったのだ。

この地のように深い森、凍てついた大地、止むことのない砂嵐、消える湖、特に様々な人種の顔を刻み込んだ大岩の遺跡はどこの地域でも確認できた。なぜ、そのようなモニュメントが存在しているのか……それは、理解しがたいものであり、その彫刻の美しさに我々、調査隊は誰もが圧倒された。

だが、美しさや感動的な出来事ばかりではない、全ての自然の猛威が前へ前へと進む我々に対し、するどい牙を向けてきた。

中でも『クリッカー』と我々が名付けた巨大な肉食の昆虫の襲撃には、そのチームのほとんどが命を落としていった。幸いなことに私は命を落とすことはなかったが、代償として左足は彼らにくれてやった。

長い歳月をかけて、我々の集めることができたモノ……それはほんのわずかな人間が生存していた街の場所と生を営んでいた痕跡だけであった。お嬢さんの探し求めている『黄金の泉』の場所まで、我々がたどり着くことはできなかったが、時間に置き去りにされた民の口から、それは本当に存在しているという噂は聞くことができた。全ての生を受ける者たちにとって遠いようで近く、近いようで遠い場所……彼らはそう話していた。

 燃料や食料が尽きかける中、私はこの近くの森の中で足の傷からくる病にかかり、とうとう歩くことが困難になってきた。私は生き残ったチームの者たちに懇願した。私を置いて行けと……彼らは私の言葉を受け入れた。そのことを私は恨むこともなかったし、私が彼らの立場であったら迷わず同じようにしたはずだ。

 霧の中に一人取り残された私は、しずくに濡れる葉の生い茂る灌木の横に身を寄せ、止むことのない痛みの中に自分の最後の時を待っていた。

 そして、私は見たのだ。

かすむ視界の中に、亡くなった仲間たちの姿がどこかへ向かおうとしているのを。私は自分もその列の最後尾に加わりたいと心から願った。

 その時だ。自分の耳元で機械のモーターが動く音が飛び込んできた。白い虚空を見ていた私の視界にからくり人形共が何体も飛び込んできた。彼らは何かに命じられるままに、動けなくなった私を壊れた木製の扉の上に載せ運んだ。私はその時もまだ夢の一部だと思っていた。

 彼らはこの部屋に私を連れてきた。今みたいに荷物は無く、ベッドが二台、揺り椅子も二脚あった。私は空いていたかび臭いベッドに寝かされた。と言っても転がされたと言う方が適当だろう。彼らは薬こそくれなかったが、部屋を火で暖めてくれたり、熱でほてった私の身体をボロ切れでまめに拭いてくれた。

 私も若かったのだろう、三、四日たち意識がはっきりと戻った時、私の横のベッドには白骨化した遺体が静かに毛布に包まれていた。彼らの本当の主人だったのだろう。驚く私の足下におもちゃのようなこのからくり人形が集まっていた。

 今は音があまり聞こえないが、朝、晩にこの地域は風が吹く、小さな風力発電用の風車、そして近くの沢を流れる所には小さな水力発電用の水車が、彼らの小さなエネルギー、いや、命をつなぎ止めていたことに気付いた。

 ここに住んでいた彼らの本当の主人は、このような素晴らしい技術を持ちながらなぜ、この地に、それもたった一人で暮らしていたのだろう。私の疑問を解くのにそう時間はかからなかった。残された書物や資料、それは本当に目を見張る物ばかりであった。何よりお嬢さんも見ただろう、あの霧のスクリーンに投影された立体映像を、私も記録だけでしか目にしたことない衣装、果物、とうの昔に失われた音楽。この街に霧が降りた時だけ、自然にプログラムされた映像が映し出されていた。

 忘れたくなかった記憶……あまりにも単純でありながら、いや単純であるからこそ真実であるのかもしれない。

いつしか私自身もこの静寂な街に魂をとらわれてしまった。

しかし、それだけではなかった。後で気付いたことだが、この愛しいからくり人形たちはあるものを……この街の地下に永遠に眠る自分たちのもう一体の創造主を守り続けていたのだよ。彼ら小さなメモリーしかもたない『からくり人形』共を、誰もいなくなったこの街に置いていくことはできなかった。

後悔などはしていない。

故郷に残してきた家族はいても、既に私は死んでいることになっている……任務の落伍者に私の国は一筋の栄光を与えることは決してない……かえって殉死としておいた方が家族を路頭に迷わせることはないだろう。

 私は彼らにとって、本当の主人ではない、ただの道化だよ。ただ、道化は道化らしく彼らと楽しい時間を過ごしていきたいと思ったのさ。これでも残された道具や機械で本当の主人の真似事くらいはできるようになったけれどな。


 ゴブの入れてくれたお茶は冷めていた。

「私たちを招いたのは何のためですか?なぜ、フウロにリボンを付けた少女の幻影を見せたのですか?」

 ライクの質問にゴブは簡単に答えた。

「まず、一つ目の質問の答え、仲間が来た……そう、こいつらが教えてくれたのだ、わしにその理由は分からない、このからくり人形たちには嘘の言えない心が存在している、わしはいつでもそう思っているよ、二つ目の答え、それも私にはわからない、幻影も街の外まで映し出すことはない……だが、霧は自分の心を正直に写し出す鏡だ、周囲が見えなくなることで見えるものもある」

(ゴブも死の間際に亡くなった友人の幻影を見ていた……)

 ライクはゴブの落ち着いた様子から偽りを語っているようには感じなかった。ただ、心の中がかすかにさざめきたった。

「からくり人形たちが喜んでいるのは本当のことだ」

「うん、私もこんなお人形さんがいっぱいいてとても嬉しいな」

 ゴブの話を聞きながら床に降りたフウロは、集まりだした人形たちと遊び始めた。フウロの動きを小さな人形が真似をしている。その度にフウロは明るい笑い声をたて、人形たちは自分の身体の各所を様々な色で輝かせた。

「あの銀の人形は北の楽園でつくられたものです」

「そういえば昔そのような国があったな……」

 ライクの突然の言葉を聞いても、今のゴブはたいして驚きはしなかった。『北の楽園』という言葉にほんの少し白くなった眉毛を動かしたが、それ以上のことを聞く風でもない。一人過ぎ去った長い時間を心の中で振り返っているだけのようであった。

「お嬢さん、人形は好きかい?」

「うん、大好き、この子たちとってもかわいいね」

「そうだろう、そうだろう」

 ゴブは楽しそうに遊ぶフウロを見て、眼を細めた。

「ねぇ、ライク、この子たちが街を案内してくれるって!行ってきて良い?」

「私も行きます」

「大丈夫だってば、行ってきまぁす!」

 カチャカチャと身体を揺らしながら歩いて行く人形たちの後を追って、フウロは部屋から飛び出していった。

「フウロ!」

「元気で良い、大丈夫、彼らとの会話は本当に楽しい、もし何かあったら遠慮無く、君の腰の物騒な武器で、わしやあの子たちを撃てば良いだけだ、どれ、わしの方もお前を案内してやろう、もう一つ特別に見せたいものがある、さっき話したろう、もう一体の創造主を……あの銀人形を生み出した者がまだ生きているのなら、伝えてほしい、彼らもそれを望んでいる……」


 霧が流れていく。

窓から下がった蔦の葉の間から苔むした石段が垣間見える。小さな人形たちはよくしゃべった。だが、ほとんどが機械のビープ音で、フウロは彼らがどんな会話をしているのかわからなかった。ただ、きれいな景色は蒼い光と楽しいメロディー、危ないところは赤い光を点滅させ、不協和音を鳴らした。

 ゴブの家の裏から続く石段を登りつめた先に、花が植えられた一角があった。紫色の花は霧に濡れ固く花びらを閉じている。

「お花がいっぱいだね」

「ココ……キレイ、ゴブ様ツクッタ……前ノ主人オネンネシテイル」

「花キレイ……オネンネ喜ブ……フウロモ喜ブ……」

「みんなの大好きな人が、眠っているんだね」

 フウロはしゃがみ、花を自分の小さい指先でつついた。花は首を振っているかのように揺れ、たたえていた露を地面に二滴落とした。花の揺れる音に合わせ、一体の人形は鈴の音を鳴らした。フウロは花の一つ一つを鍵盤に見立て、指を使って花を揺らした。はじめ、鈴の音を出していた人形は、笛の音やグロッケンの音などをたてて、さながら霧の中の合奏団と化した。

「主人ハオネンネ夢見テル」

「夢ハ記憶ノノイズダヨ」

「ダカラ気ニスルコトハナイ」

「オ花ガイッパイ霧ノ中、ミンナオネンネ夢ノ国」


「聞こえるだろう?あの子らの歌を……彼らの微小のメモリーチップもわしのような古びた脳もたいして変わらない、故人を偲ぶことに機械と人間の隔たりはないものだ」

 ゴブは杖を突きながら地下に通じる鉄製の長い螺旋階段を下りて行った。ゴブが足を進めるごとに数メートル先のランプが淡い光をたたえていく。外の空気と違い、この地下に続く空間の空気はとても乾燥していた。

(大規模な空調設備でも存在しているのか?)

 暗い螺旋階段はまるで知ってはいけない過去の記憶を掘り進んでいくような感覚にライクはとらわれた。


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