終楽章(Coda)
フウロ・サク・アサマ
エルネストの孫 明るく心優しい少女であるが、『南の帝国』による細菌兵器の後遺症により、短命を医者から宣告されている 姉のライクと希望がかなうという伝説の『黄金の泉』をさがす旅に出る
ライク・R・アサマ
エルネストの養女、ふうろを実の妹のように愛している 『南の帝国』による侵攻時にエルネストの開発した次世代オートメタビースト『シルバー』をヴォーカンソン重工業社より強奪する
レイブン・ベルフラワー
『北の楽園』軍オートメタビースト部隊長 『シルバー』奪還の任を負う
ペイバック・K・オーガスト
元ヴォーカンソン重工業社技術開発部門職員 この世界の秘密を知る一人
ロジオン・ヴァーベナ
『北の楽園』軍第一特務部隊所属 レイブンの古くからの友人
オルミガ・ダンデリオン
オートメタビーストのパイロット ベルフラワー隊に所属する
エリック・ダチュラ
オートメタビーストのパイロット ベルフラワー隊に所属する
ユウ・シャラット・ガーベラ
オートメタビーストのパイロット ベルフラワー隊に所属していた
エスターテ・ニクス
瞳に悲しみの色が浮かぶ、この世界を取り巻く全ての秘密を知る少年
ソマリ
ゴブが製作した子猫型ロボットでフウロのペット
終楽章 (九)
(なぜ、帝国の首都がこんなに静かなんだ)
国境を越えた時から、帝国軍の動きが鈍くなっていたことにニックは気付いていた。
圧倒的な武力を背景に帝国の圧勝は、ほぼ確実なものであったが、あまりにも人の動きが感じられなかった。
(小猫は井戸の奥底に……)
少女のようなおぼつかなく童謡を歌う声がニックの心のどこかで響いた。
帝国首都の防空圏内に侵入しても、地上からの攻撃は無く、行き過ぎる街全体が静まりかえっていた。地下や建物内にかすかに生命反応が見られるのだが、あまりにも弱々しいものであった。
ニックは、はるか記憶の奥に残るその衝撃の瞬間を思い出していた。
(ここに『歌』が流れたのか……誰だ……)
巨大生物もこの白亜の大宮殿がそびえ立つ首都には一匹も存在せず、防衛するために配備されている人型兵器『カリヨノイド』は、地に頭を深々と下げるようにして跪き稼働する気配さえも見せない
「白イ空飛ブ猫ヨ、我ノ誘イニ従エ」
無機質な合成音声が帝国の軍事通信の周波数で送られてきた。ニックの返事を待つまでもなく、眼下の宮殿前に広がる中庭の一角に設置されたヘリポートの誘導灯が青く光る。
ニックは神経を研ぎ澄ませながら自機の大きな翼をゆっくりとたたみ、コンクリート製の床に機体を着地させた。
内壁に設置された鋼鉄製の扉の一つが、するすると開き今度は赤い光で宮殿のどこまでも伸びているかのような廊下へとニックを誘う。
廊下の両壁には人の背丈ほどもある糸のからんだ像が整然と並び、床は絹糸の絨毯が延々と敷かれていた。
像の一部に手を触れ、中に存在するものを確かめたニックは、予想していたとおりの結果に、悲しいため息をついた。
この宮殿の中の命の時間は止まっていた。
光に案内されながら、いくつもの階段と部屋を通っていくニックの周囲には、屍臭に似た臭いだけが渦巻いている。装飾の施された扉を開け、大広間に立ち入ると、膝ほどもある糸の塊が大理石の床全面を覆い隠していた。
「控えなさい」
少女の声が正面のベールに覆われたひな壇の奧から聞こえた。
ニックは、少女の制止する言葉に耳を傾けることなく、からみつく糸に阻まれながらも、広間の中央を通り、段の直下まで近付いた。
「まさか、この帝国を統べる者が赤い星の手引き者であったとは、僕にも読めなかった、それが……」
ニックの足下には死んだように目を開けたまま動かない侍女の身体が転がっている。
「この人たちのような多くの犠牲者をまた増やしてしまった」
ニックの視線は壇上に移された。
「私も予定外の『オートメタ・ビースト』の出現には驚かされました、古の兵器が、まだ残っていたのですから、強い力を手に入れた者は自ら滅びの道を選ぶ……この世の摂理をくずしたのは、私の知っている限りではあなただけ」
「人類の力や可能性をみくびってほしくない」
「あなただって私たちの血を受け継いでいるのでしょう?数少ない標本の一人として……あなたの仲間の虫たちによって、全ての大地が燃やし尽くされ砂漠となるはずだったのに……醜き心をもつ生命が増えし時、全てを焦土と化し天の使者によって神聖なる再生の芽を根付かせる、これは世の大いなる意思の流れです、『歌』によってここに眠っている者たちは、主への大切な捧げものです、そのために私は帝国という粗末な鶏小屋をこの地につくりあげました」
「捧げもの?」
「その通り」
壇上に駆け上がったニックは少女のいる玉座前のベールに手をかけ、横に力を込めて引き裂いた。
色とりどりの宝石で装飾された椅子には、深紅のドレス姿の少女が座り、ニックに微笑みかけていた。
「!」
名前を出しかけたニックは息をのんだ。彼女は記憶にすり込まれた少女の顔にあまりにも似ていた。
「オウガスティヌ皇帝、帝国に君臨するお前も……僕と同じオリジナルの一人だったなんて……いや、違う……」
その記憶の中の少女はもうこの世にはいない。
「クローン?」
「クローン……過去の言葉で言えば、あなたのおっしゃる通り、私たち一族はその命さえも実験材料として産み落とされた者です、培養装置の中で生まれ、天の使者のDNAを組み込まれ、そして廃棄処分される……私たち一族は、人類という名の獣に生きていく価値さえも否定されていました」
少女は立ち上がり、ニックの目の前でドレスをするりと脱ぎ床に落とした。
背中の巻かれていた羽根が広がり、胸から下半身を覆う短毛に輝く鱗粉が散った。
「あなたと同じ運命を担わされ、復讐の中に生きる者はこの道しか選択することができません」
「復讐……?」
「あなた方が虫の心と同調できる力をもったように、私たちは人類の心を同調させる術を持ち得ました、あなたもご存じの……そう『歌』ですね、ただ、同じ事を皆に施しただけです、人類の意識を統率し、そのまま生け贄として天の遣いに捧げる崇高な儀式は、全ての人類の死を願う私たちの復讐の思いを成就させるものです、ご覧なさい、彼らの顔を、この街で眠る者たちの穏やかな表情は祝福を受けた証」
累々と倒れる人々の顔は皆、顔に笑みを浮かべながら死を待つ眠りについている。
「本来なら寄せ集めの人間のコロニーなどは不要だったのです、あなた方、第一世代が休息している間に私たちは、その機会を静かに待っていました、しかし、全てを手中におさめようとする意に反し、神聖なる行為を阻もうとする兵器まで『楽園』という一区画の餌場の者たちがつくりあげ、増やしたことはたいへん遺憾なことです、少なくとも『楽園』という不浄の地を清めなければなりません」
少女の背中のモルフォ蝶に似た青色に輝く羽根が、小刻みに震える。
「ようやく、私たちの願いはここに成就します、今頃、他の私は……」
ニックは何か強い力にはじきとばされ、少女の座っていた大きな玉座に身体を拘束器具で固定された。
「くっ!」
「過去の最大の裏切りの功労者に、最後までこの地上の浄化を見届けてもらいましょう」
「何をするんだ!」
突然、上空を白い軌跡を引きながら飛ぶミサイルの映像がホールの天井に映し出された。
「言ったはずです……浄化と……あれこそ人間自身が生み出した究極の清浄なる光です」
蝶の羽をもつ少女は、ニックを凝視して言った。
(核兵器!)
ニックはその忘れられない忌まわしい弾頭付きの形状を記憶にとどめていた。
「やめろ……やめろ……やめろぉー!」
ニックが叫んだ瞬間、ミサイルは閃光を発し、直径数十キロ圏内の全てを巻き込みながら灼熱地獄の中に北の楽園の一都市を消滅させた。
大空に、何本ものキノコ雲が立ち上っていく。
少女の聖なる儀式は、たった数秒で、生命が生息できない呪われた大地を大量にこの世界に産み落としていった。
ニックの叫びに反応した白い機体は、ライフルをニックが捕らわれている部屋に照準を向けた。
(駄目だ、君は彼を早く迎えに行って)
誰も乗っていないニックの機体は、ライフルを背部に収納し、空中に飛んだ。
「よく調教されていること、でも自動操縦の人形に何ができるというのかしら」
少女はニックに近付いて彼の頬を優しく撫で、そのまま彼の耳に口をあてた。
「本当は一番、自信が無く、いつも迷っていたのは……あなたでしょ……」
そう言って少女は、彼の耳たぶを優しく噛んだ。
捕らえられたニックの前に何本もの太い蝋燭の立った台が床からせり上がった。
一本の蝋燭が消えると蝋でできた糸を伝わり、次の蝋燭に火が移るような単純な仕掛けとなっていた。
「ここにある全ての蝋燭が消え、この部屋が闇に包まれた時、あなたの身体は天の使者の清らかな光に焼かれ、この世から消え去ることでしょう。エスターテ・ニクス、いえ……前は違う名前でしたね、いくらあなたが過去の名前を捨て去ろうとも、あなたの罪はこの全宇宙が潰えても消えることがない」
ニックは、金属製の拘束具に固定された両の手足を何とか外そうともがいている。
「あと、数日もすれば、この地全てが焼かれます。この大地から奏でられる交響曲は赤い星による指揮で終演となり、人類という多くの聴衆は去っていくのです」
「僕はあきらめない……」
「あなたの考えていることはわかっています、しかし、あなたが乗っていないあの人形で何ができるというのでしょう」
一つの蝋燭の火が消え、ホログラムで新しいキノコ雲の上る情景が天井に映し出された。画面が切り替わり、白い機体が翼を左右に広げ空を飛ぶ様子があらわれた。
「あの『白猫』の人形は最終型の『バステト』ですね……あの子も悲しい運命を背負わされています……全て、あなたの未熟な行いがそうさせたのです……」
少女は、ニックへ悲しげな視線をおくった。
ニックは、彼女を見ることなく静かに目を閉じ、最後の希望にすがった。
(頼むユウ……頼むペイバック……頼むライク……)
引力によって、地上の風は次第に強く吹き荒れ、空の赤さは増していく。
天へと徐々に高度を上げていく白い機体は、行き場の無くなった巡礼者のように、あまりにもみすぼらしく、そして見ている者に孤独を誘った。
「さぁ、面白い道化をご覧なさい」
モニターの中に、北の戦闘車両群と一台の戦闘を続ける『カリヨノイド』が映った。勝利に酔いしれるかのように機敏な動きを見せていたその機体が、突然、周囲の物を巻き込み爆発した。
「命の華の火、忠実な者たちに面白い仕掛けを施しました」
「奴らにとっての餌がなくなるんじゃないのか」
「地上にはまだ、多くの餌がうごめいています」
少女は心からこの殺戮劇を楽しんでいる。スクリーンに投影される映像で爆発が起こる度に甲高く短い嬌声を上げ、触覚を震わせた。
ニックは、やっていることの重大さと真逆のその様子が、あまりにも無邪気にそして一層残忍さを増幅させているように見えた。
(幼稚な……)
「ねぇ、ご覧なさい、とても美しい」
(みんな……すまない)
拘束されているニックの腕から流れる血は止まることなく、大理石の床を赤く彩っていった。
終楽章 (十)
谷間から吹き上がってきた新しい風が一面に広がっていた霧を飛ばす。高山帯の植物が針葉樹林帯へと変わる地点をシルバーは進む。
「空をずうっと飛べるってはやいんだねぇ、ハンターさんとも仲良しだし、もう全然、おっかなくないよ、やっぱり虫さんたちも本当は、もっともっと前からシルバーとお友達になりたかったのかなぁ?」
フウロの言葉通り、いつも数匹のハンターがシルバーの周囲を警護するように飛んでいる。そして、時折、シルバーの腕や翼を長い脚で抱え、機体が飛行するのを補助していた。
「ゴブのお家にこれから寄ることはできるの」
「今は先を急ぎます、でもいつか必ず行きましょう、ソマリも友達に会いたいはずですから」
「うん、ゴブ様にいっぱい伝えることがあるよ、僕も話すことをとても楽しみしているんだ」
ソマリの猫の鳴き声のような声はいつにも増してはずんでいた。
黄金の泉の青年から教えられた地には、大きく深い縦穴が口を開けている。表層の樹林帯と岩盤があるその下は、工場のような体を成していた。
「これも遺跡なのか」
一番底は黒く延焼した跡が目立つ三機分のカタパルトがつい最近まで主のいた証拠を残していた。
「あれ、人がいる」
フウロの視界に人影がよぎった。
しかし、そこには誰もおらず、地上の樹木から舞い落ちる葉が見えるだけであった。
ライクは弱くこの場所に流れている周波数に機体の通信波長を同調させ、数種類のコードを聞いていた順番通りに打ち込んだ。
最後のキーを押した時、鉄の壁が音を立て横に回転をはじめた。
「ライク、何が起きるの」
「あの人たちからのプレゼントです」
「えっ、プレゼント?わーい、もしかして大きなケーキかなぁ!」
現れたのは床と壁に固定された直立するELV(使い捨て型ロケット)であった。
(これが空へ飛ぶ装置……)
ELVのシステムは自動的にシルバーのシステムと同期をはじめていく。サイドモニターに映し出された全身図には接続具の装着位置が赤い点滅で示された。格納庫には、他にもミサイルポッドや電磁投射ライフルが側壁のカバー内部に固定されていた。調べてみると、長い年月を経ていることを感じさせない真新しい状態であった。
(ELVの燃料は四分の三か……あの星の位置まで届くのだろうか)
ライクの視界に幾筋ものノイズが横に走った。
(まだ止まる時じゃない……私の身体)
「見てソマリ!ケーキじゃなくて大きなロウソクが出てきたよ」
フウロは口をぽかんと開けたまま、下部までのぞき込もうとシートベルトを外し、身体を乗り出した。
「ねぇ、ライク、この大きなロウソク何に使うの」
「ずっと空のさらにもっと高い空の上に行くための乗り物のようです、フウロはお星様を近くで見たいですか?」
「見たい、見たい、ピノッキオのブルーフェアリーさんに会えるかもしれない、そしたらね……」
興奮しながらもフウロは慌てて自分の口を押さえた。
「危ないかもしれません、それでもいいの?」
「ライクとシルバーとソマリが一緒なら、どこだって行っちゃうもんね」
嬉しそうにソマリがフウロを見上げて一声鳴き声を上げた。
「ねぇ、外で遊んでいい?」
「まだ、だめです」
「だって、まだいっぱい部屋がありそうだよ」
「だめです」
フウロはダメだと言われるのを知っていながらも、わざとふざけるようにしてライクとの会話を楽しんでいた。
その時間は彼女にとって何にも代え難い幸福の時間であった。
フウロはライクが安全を確かめ終わったのを確認すると、添えてあるシルバーの手の上へ転がるようにして機体のコクピットから飛び出した。
「わーい」
格納庫を眺めることができる制御室は、締め切られた年数を感じさせることなく、塵一つ落ちていなかった。むしろいくつかの計器は時折、光を点滅させていて、まだ機能していることを示していた。
さらに施設の奥へ続く扉があったが、そこは施錠がされていて、フウロが押したり、引いたりしても全く反応がなかった。
「ん?」
リリーが窓の外から覗いているように見えた。
「リリー、何でここにいるの?あっ、待ってよ」
「フウロ、何言ってるの?」
猫のソマリは部屋から飛び出すフウロを慌てて追いかけた。
「わっ!お爺ちゃんもいる!」
片膝をついて座るシルバーの周囲に、祖父のエルネストやリリーの家族が並びフウロに優しく微笑みかけていた。そして、そこにいる者たちは皆、シルバーの勇姿を見上げ、空を指さした。
「みんな、ここにいたんだ!わぁい!」
彼らの所へ駆け寄ろうとしたフウロは、床に並ぶケーブルに足をとられ前のめりに転んだ。
「痛ぁ」
顔を上げると、そこには誰もいず、シルバーのコクピットでシステムを調整中のライクの姿があるだけであった。
「どうしたんだよぉ、フウロ!」
「ソマリ、お爺ちゃんどっかで見なかった!」
「ここには僕たち以外、誰もいないよ」
「さがそう!」
「えっ、誰を?」
フウロはソマリを抱き上げ、まだ足を踏み入れていない部屋の一つ一つを覗いて回った。しかし、あれほどはっきり見えていた祖父やリリーの姿はどこにもなかった。
「夢でもいいのに……お爺ちゃん、いるならいるって言ってよ……」
フウロの目に涙がにじんだ。
肩を落とすフウロは、ソマリを床へと静かにおろした。
「フウロ、大丈夫?」
その時、空を貫く轟音が霧の森に響いた。
(何の音だ)
今まで垂れ込めていた霧が晴れ、雲の間から青空が垣間見える。
コクピットから身を乗り出したライクのノイズがかった視界に、白い軌跡が空に真一文字に引かれていく。
(ニック?)
「ライク、シルバーが……ううんシルバーの兄弟かなぁ?」
フウロは気が沈んでいたことも忘れ、雲にぽかりと開いた空を見ていた時、轟音が響いた。
シルバーのレーダーには、ここから僅かな距離しか離れていない地点に大きな反応があらわれた。
「フウロ、乗って」
ライクはフウロとソマリをコクピットに引き入れ、機体から小さな監視装置を飛ばした。
モニターにはダミーの地表が割れたカタパルトが、二本の翼と尾翼を備えた飛行物体が離陸を始めている様子が映った。
「何、これ?翼にお馬さんの絵が描いてあるよ」
後ろからのぞき込んでいたフウロは見たことのない形をした物にすぐに興味をもった。
「これもこの周辺に眠っている遺跡から出てきたようです」
ライクは上空を横切っていったシルバーに似た飛行物体と関係しているのではないかと直感した。
「大丈夫だよ、これ、神様の乗り物だよ、迎えに行くって」
ソマリは驚くこともなく嬉しそうに言った。
「どうして、そんなことが分かるの?誰を迎えに行くの?」
「神様と仲良しの友達さ、僕たちの神様はもう行けないけれど、友達が誘ってくれたんだって、フウロたちには聞こえないの?」
瞳を黄色く点灯させたソマリは自慢げに言った。
フウロは全く気付いていないが、何か普段とは違うかすかな暗号通信をライクは感じていた。今までは聞こえていなかったものが、あの『黄金の泉』で修理されてからかすかな葉ずれの音のように聞こえている。
(このノイズ音が『歌』とは違う、ソマリたちのいう神様との会話なの?……)
「あっ、わかった、それならあれはソマリたちの神様の特別の『馬車』なんだよ」
フウロがモニターの中を指さしたと同時に、その物体は一層、噴射音を高くし、白い筋だけを残して空に消えた。
「ねぇ、ライク、追いかけなくていいの?」
「今は、ここでやらなくちゃいけないことがあるの、もう少し待ってね」
「うん、ここは色々なことがあって、悲しくて楽しいから」
「悲しくて、楽しい?」
「さっき、おじいちゃんやリリーがいたような気がしたの、でも誰もいなかった、みんなお空を指さしていたよ」
ライクはコクピットカバーを再びスライドさせて上空を見た。
もう、青空が見えていたあの穴は流れる白い霧にすっぽりと隠されていた。
それから数刻、長い銃身を短く収縮させた電磁投射ライフルの燃料ゲージは、シルバーからの充填がほぼ終わったことを告げる信号を発した。
シルバーには、弾薬の詰まったポッド、射撃用武器が翼の裏面にまでびっしりと装着されている。
「シルバーは重くないの」
「重さを感じさせない世界に行きますから平気です」
「?」
「フウロ、六十分後に発射です、これで昼のお星様を見に行けます」
「ええっ、昼にもお星様が見えるの?」
喜ぶフウロはゴブから贈られたヘルメットをかぶり、ソマリを再び抱き上げてシルバーに近付いた。
(フウロ……お前には明るい未来を……)
シルバーから祖父の声が聞こえたようにフウロは思ったが、コクピットにはライク以外誰もいない。
ただ、フウロはもうそれ以上、祖父の姿をさがすのを止めた。
再び幻となって消えてしまうのが嫌だったこともその理由の一つだが、シルバーの姿を借りる祖父が大きく手を広げて自分を温かく迎えてくれるように感じたからである。
(お爺ちゃん、行ってきます、ライクが人間になれますようにってブルーフェアリーさんにお祈りしてくるね)
ライクは『黄金の泉』の青年に教わった通り、大口径ライフルとミサイルランチャーを装備し、ELVの格納スペースの接続具にシルバーを固定した。
「このローソクの中、まるで鯨のお腹の中みたいだね」
「準備はいい?」
「うん、ソマリも準備できたよ」
猫のソマリもフウロの足元にある自分の専用スペースに身体を固定させている。
「それなら、もう口を閉じておきなさい、十秒前……七……四……」
穴の周囲が強く発光し、ELVがそこから飛び出すように上昇を開始していく。噴き出す白煙は、円く霧の森の木々を覆い隠しながら広がっていった。
終楽章 (十一)
ペイバックの機体を破壊したレイブンとユウの前に『カリヨノイド』を中心とした帝国軍の小隊が接触した。レイブンは遠距離からの砲撃を楽々とかわし、先に戦闘車両をリモコンのおもちゃでも潰すように破壊した。
レイブンとユウにとって、操縦になれていないパイロットが搭乗する三体の『カリヨノイド』は敵ではなかった。
レイブンは二体を撃墜し、最後の一体を廃墟となった崩れたビルの一角に追い詰めていく。最後の一体は武器を捨て無抵抗の意味を示した。
だが、レイブンは無情にも憎しみの言葉を吐き、敵機のコクピットに銃口を向けた。
「少尉、やめてください、もう勝敗は決しています」
レイブンは制止するユウの言葉に引き金を引く指の動きを止めた。
「お前は何を言っているのだ……分かっているのだろう?この者たちをここで破壊しておかなければ、私たちを……そして人民を殺戮に来るのだ……それとも、お前はベルフラワー隊の名誉を汚す卑怯な裏切り者なのか」
「違います、しかし……」
「私はこの者を殺す……それが兵士としての礼儀であろう」
「この者を殺したところで戦局は変わりません、第一、相手には戦う意志がありません」
「それがどうしたというのだ、ライク・ロイドは私の部下を生きながらにして焼いた、彼女は甘い認識であった私にそう教えてくれた」
「違います、彼女は……」
「彼女……?」
ユウが発した言葉に対してレイブンの反応は早かった。
「彼女は戦いを望んでいませんでした、もちろん博士の孫娘のフウロでさえ、そして、私にこの機体を預けた者だって、少尉も彼らと話せば必ず分かります、今、我々自身が仲違いしている場合では……」
「誰の受け売りだ?ユウ……」
「誰のって……」
「お前は純粋すぎるのだ……」
レイブンの放った弾がカリヨノイドのコクピットを潰した。
ユウは反射的にレイブンの機体へ自機のライフルの銃口を向けた。
「私を撃つのか、ならば……」
レイブンの言葉が終わる前に、ユウは殺気を感じ機体を建物の陰に高速で移動した。ライフルの弾丸が空を切った。プラズマ系のライフルであれば、ユウの機体の一部は間違いなく被害を生じていた。
レイブンは明らかに自分を殺そうとしているとユウは思った。
「私は少尉と戦うつもりなど……」
哀願するように叫ぶユウの言葉にレイブンの返事はなかった。
しかし、機体性能はユウの方が凌駕している。攻撃は一方的であったが、ユウは回避を続け、この場からの離脱を試みていた。
戦闘の場所に集まるのはもうハンターだけではない。戦いの匂いを嗅ぎ付けた天使の姿を模した巨大生物の接近を、両機レーダーのサーチ音が告げた。
レイブンの攻撃を何とかかわしながら、ユウは相手との距離を広げていく。それは迫ってくる天使との距離を近付けていることでもあった。
「少尉……私はあなたを……」
ユウは一度、静かに言葉を切り、自分を殺そうと追ってくるレイブンを見た。
「人として尊敬し、愛していました……」
ユウのコクピットに短くアラートが響いた。
「私もだよ……でもそれ以上に私には愛する人がいる……」
操縦桿を最大限に引き上げてかわすユウに無表情の天使が迫る。
レイブンの放った弾丸は天使の身体を貫いた。それが彼の本意の行動か、偶然なのか、まだユウには分からなかった。
「羽のある異性物よ、私の制裁の邪魔をするな」
「くうっ!」
ユウは自分の持てる全神経を研ぎ澄ませ、逃げることにだけ専念した。
レイブンは降下してくるもう一体の天使を狙撃しながら、さらにユウとの距離を詰めようとした。
だが、天使の繰り出す攻撃がレイブンの機体の動きを制していた。
レイブンの持つ旧式武器の有効射程から離れたことをユウの機体のシステムは声で教えた。
残された方のレイブンは、ユウの消えていった方向を見つめている。
「私はこの通り、一時の感情さえもコントロールできないみじめな男なのだよ、お前のような純粋な者に愛される資格は無い……彼女がお前に与えた任務を自由に遂行するがよい、それが私の優越だった頃の心をわずかになごませる」
廃墟の向こうから天使が接近してきていたのを見たレイブンは、自分が墜とした『カリヨノイド』のライフルを拾い上げ射撃した.
その動きは、先ほどとはまるで異なる冷静な振る舞いであった。
終楽章 (十二)
ペイバックは、まだ動かなくなった機体のコクピットに座っていた。
正面モニターの警告文が、機動不能の文字を激しく点滅させ、自機の炉心に直結した全機能が使えなくなったことを知らせた。
「お前も俺の馬鹿さかげんを笑っているのか、まだ北の都さえ陥落させていない俺ののろまな仕事ぶりを見て……シルバーから鳴狐を盗んでおけば良かったか」
自嘲しながらペイバックは夕焼けの空をハンターの群れから逃げるシルバーの飛翔する姿を脳裏に浮かべた。
(なぜ、奴らはとどめを刺さなかったのだ……それほど人間というのは馬鹿な存在なのか……)
システムが発するエラー信号の点滅は、シートにうなだれるペイバックの姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。
(欲のために争いを好み、欲のために階級を分類し、欲のためにその生命さえ奪う……そのような生物は本当に守る価値があるものなのか?)
辛うじて作動しているモニターに、白いキノコ雲がぐんぐんとその高さを増していく様子が映る。拾われる音は外部マイクから全てをさらっていく乾いた風のぶつかる音だけであった。
(浄化……たしかに浄化だな……だが、禍々しい古代の核兵器を使うなど……女王……お前も俺が思っていた以上に十分愚かだ)
ペイバックの頬に血がつたう。
(人を死滅させても、この星を死の世界にすることまでは、俺は同意しかねる)
エラー信号の点滅は繰り返される。
ペイバックは安全装置を外し、自機のコクピットカバーを吹き飛ばした。むんとした埃と煙の臭いが鼻の奥に広がっていく。
彼は機体のコクピット部を自爆させた。
潰れた乗用車の前には主のない血だらけの右腕だけが転がっている。
(それでも僕は人類の可能性を信じている)
ニックの叫び声がどこかで聞こえたようにペイバックは感じた。
近くの建物の残骸にペイバックは人の動きを認めた。そこには震える幼い兄妹の姿があった。
(こいつらは、あの中を生きていたのか……)
ペイバックの視界は白く薄れていく、それはまさに遺伝子の奥に忘れていた涙であった。
「今は付いてこい……その妹を守りたかったらな……」
放心した妹の横で少年は、ペイバックのさしのべた手に、おずおずと細い腕をのばしていった。
終楽章 (十三)
ベルフラワー隊の東部及び中央都市の働きは、すぐに楽園軍臨時地下司令部にも報告された。
「やはりあの者らは我々の期待を裏切らない」
それまでの態度から一変し、彼らの活躍と戦果は軍で喧伝された。
「まもなく南部戦線に散っている各『セーブルフェネック』隊も戻ってくる」
暗い地下の一室に集まった多くの将校は、そう自分らに言い聞かせて、保障のない希望にすがっていた。
しかし、それはぬか喜びに過ぎなかった。
「緊急入電、帝国より打ち上げられた大型ミサイルがビアンカ市街地に着弾……」
「聞こえない、何があった?」
「ビアンカ及びその周辺都市……消滅しました……」
「!」
オペレータの短い報告は、そこに居合わせる将校の顔を、巨大生物のような無表情に変貌させるのに十分な重みをもっていた。
「ハンターはいなかったのか」
「浮遊生物は現在の所、確認できません、空を飛ぶ弾道型兵器は想定外です!」
「馬鹿な、この期に及んでハンターに邪魔にされない兵器を帝国は開発を終えていたというのか……その後の発射の形跡は……」
「まだ、捕捉不能です」
「対空兵器の配備を、配備を早くしろ」
(ハンター相手の対空兵器で何ができるんだ……)
将校の無茶な要求をオペレータは各司令部に苦い顔をしながら伝えた。
ベルフラワー隊は、避難民が集中している場所を中心に巨大生物を駆逐することを繰り返している。
主力部隊は南部のビアンカでだいぶ失われてしまったが、各地の残存部隊は帝国軍との交戦を一時中断させ、巨大生物からの防衛戦へと作戦を変更していた。
一方の帝国軍のカリヨノイド部隊は知らされていない弾道兵器がいつ落ちてくるか、わからない恐怖と帝都からの連絡が途絶えていることを理由に戦場から退却をはじめている。
だが、この退却時に悲劇が起こった。
一部のカリヨノイドがそれぞれ自爆をはじめた。その破壊力は弾道兵器に劣らぬほどであり、楽園に残された爆撃をかろうじて免れた南部地域も、ことごとく塵や瓦礫へと化した。
既に国境地帯に帰還していた数機も火柱の中に沈んでいる。
「帝国軍の兵器が自爆だと……」
部隊と合流しようとしていたレイブンは報告の内容を聞き愕然とした。
「ただの自爆ではありません、それ自体が大型爆弾に匹敵するほどの威力を持っています、全ての機体ではありませんが、自軍も巻き込む見境の無い状態です」
報告を聞いたレイブンは帝国軍が殺戮そのものを楽しんでいるのではないかと思った。
「我が隊は帝国軍の追撃を一時中止、巨大生物の攻撃から、郊外に避難する人民の保護優先を継続する」
レイブンは、追撃に転じた楽園軍の他の部隊に伝えるよう命令した。
ベルフラワー隊は、破壊された蟻の巣の中のように、避難民であふれかえるキャンプを遠巻きに防衛していた。
「レイブン少尉、臨時司令部より入電です、変更を認めず、ベルフラワー隊は委員会が避難している北部特別シェルターの警護にあたれ、位置を確認後、急行されたしとのこと」
「我が部隊がここを離れたら、この数えきれるぬほどの人民は間違いなく命を落とすのだぞ」
「しかし、少尉……」
通信兵にも事情はわかっていたが、上官の命令は古来より絶対的なものである。
「エリック、オルミガ、この場は耐えられそうか、半分も守備兵を残せないが」
レイブンは独断で部隊を分けるように考えた。
「少尉のいつもの言葉を借りるとそれは『無粋』ですぜ、守れと命令されれば俺たちは守りきります」
近付く巨大生物を撃ち落としながらオルミガは豪快に笑った。
巨大生物は、餌となる人間を意識してか、プラズマ砲を放ってはいない。
「私たちのことは心配せず、少尉、どうぞ先に行ってください、私たちは少尉の命によりここを死守します、他の奴らも少尉の後をすぐに追わせます、ところで……聞き逃していたのですが、もう一人の愛しい者とは誰なのですか?」
レイブンの脳裏にライクとシルバーの幻影が一瞬だけよぎった。
「その者は途中、名誉の戦死を遂げた」
「そうですか、余計なことを聞いてしまいました」
「気にすることはない」
「少尉のご武運を」
エリックの声にレイブンはうなずき、委員会が避難している特別避難地域のシェルターへと向かった。
終楽章 (十四)
ユウは自分の進むべき道を何もできないまま、まだ迷っていた。キノコ雲はサイドのモニターの中で空高く白い茎を伸ばしていく。
自分の部隊を歩道に溢れんばかりに見送ってくれた人々の姿は廃墟の黒煙の中に消えている。喪失感だけが彼の心を支配していた。
(何という兵器を使っているんだ帝国は、繭が落ちる前に大地が無くなってしまう……全て更地にでもしてしまうつもりなのか?)
ニックから教えられた最終戦争の一節がふいに心をよぎった。
(帝国も過去の兵器を使用しているというのか……)
レーダーに反応があったことを告げるアラートが鳴った。
「また来る?」
着弾地点は西地区とユウの機体のシステムが予想をはじき出した。
(都市への直撃が回避できれば……)
ユウは機体の翼を広げた。
空中を高速で移動しながら、ユウは長距離スナイパーライフルのターゲットマーカーをシステムとリンクさせた。
上空にミサイルの軌跡を捉えることに成功すると、モニターには着弾までの予想時間が残りの数値で示された。
「六十秒前……やれるだけ、やれということだろニック……弾頭に当てたらこっちも巻き込まれるか……だけど!」
ライフルが火を噴くと、ミサイルの推進装置が破壊され大きくコースを外れていった。
「やったか」
だが、地平線の砂漠上でそのミサイルは閃光と共に爆発した。
空にはキノコ雲から広がった白い雲が黒色に変色し、大地に雨を降らせる。
ユウの機体のシステムは放射能濃度が高くなっていることを告げるメッセージをモニター上に流した。
「あぁっ!」
ユウはのしかかる後悔の念に思わず悲鳴を上げた。だが、そのように自戒している時間はなかった。
モニターには巨大生物を示す赤いマーカーが昼の星のように空に広がっていく。
(ニック、いつまでこんなことを俺にやらせるんだ……どこにも行き場の無いこの俺に……まさか……俺は強いお前になんかなれないぞ)
心の中で毒突きながらも、ユウは引き金を引き続けた。
終楽章 (十五)
ペイバックは幼い兄妹と人気の消えた廃墟にのびる道路上に置き捨てられた車の中にいた。放射能を含む黒い雨の中にこの兄妹を残すことはできなかった。
楽園軍のセーブルフェネックの残骸でできた墓標は、初陣の華々しい姿を過去へ置き去りにしたことを無言で語っている。
(近くなってきたな……)
遠い雲の中で閃光が光った。各地に落とされる帝国の核兵器が、また一つ、生きとし生けるものの命を根こそぎさらっていった。
碁盤の目を一つ一つ潰すようにして、徐々にその煉獄の範囲は広がっていく。
「!」
雲を引き裂き、白い機体『バステト』がペイバックの眼前に降り立った。
「ニック……お前……なぜ、俺がここにいることを……」
開いたコクピットにニックの姿はない。
(奴に何かあった……もしや……南に行ったか)
ニックの機体は掌を彼の前にゆっくりと差しだした。
「俺に手伝え……か……」
雨のあたる白色の機体のノズルは、蒸発音の中に金属の焼けた臭いを辺りに漂わせた。
ペイバックは車に積んであった服を兄と妹に頭から厚くかぶせ、機体まで走らせた。
後部にある補助シートを引き出し、二人を座らせると機体を動かした。
「!」
ELVが起動され、たった今、空へ射出されたことを告げるメッセージが数あるモニターの一つに流れた。また、ユウの乗る『リカオン』が、巨大生物と戦闘しながら都市に落ちるミサイルを撃ち落としていることもわかった。
(あのガキもニックに押しつけられたな)
「ど……どこに行くの……」
微笑するペイバックに少年が後ろから、おずおずと尋ねた。
「安全な場所に一度お前たちをおろす、心配するな、そこには食料も飲料水もある」
「おじさんはどうするの……」
それまで黙っていた少女も小さい声で質問した。
「心配するな、必ず迎えに来る奴がいる、お前らの友達になりそうなかわいい娘を連れてな」
「友達……」
「フウロという優しい子だ、ほら、馬も迎えに来たぞ、『ロシナンテ』お前も無理矢理起こされたようだな」
馬の紋章が大きな翼に描かれた輸送戦闘機が垂直降下を始める。
ペイバックは、スロットルを握り、ニックから預かった白い機体の翼を広げ、大型輸送戦闘機の背面へ騎士が馬上に乗るように搭乗させた。
終楽章 (十六)
「何だ……ニック、戻ってきたのか、帝国の方はどうだったんだ、その大きな鳥のような機械は何なんだ」
ニックの白い機体を乗せた機体がレーダーに映ったのを見て、ユウはほっと息をつき、素直に喜んだ。
「おあいにくだな」
「ペイバック、お前生きていたのか……」
あれほど憎んでいたニックがとどめをさしていなかったことに、そして白い機体に乗っているのがペイバックであることにユウは二重の驚きを見せた。
「どこにいくんだ!ニックはどうした!」
「上まで散歩、間違って俺を撃つなよ」
「待て、ペイバック!」
「その言葉は聞き飽きた」
「何を!」
「シルバーがあの繭を大気圏外で粉砕する、お前は、ダラダラと墜ちてくる残党を駆逐しろ、最後に大物が落ちてくるかもしれない、その破片をそのライフルの先が焼け落ちるまで発砲を続けろ」
「お前は何をするんだ」
「俺はお前の元上官のように彼女のケツを追いかけさせてもらう」
「シルバー……シルバーがいるのか!」
「お嬢さんはたった一機で奴らと戯れている、けなげだと思わないか」
「フウロも……」
「当然だろう、シルバーは彼女の家族だ……ああ、それと今、位置データを送信した、戦いが終わったらこの場所にいるガキを迎えに行ってやってくれ」
「ガキって……」
「俺の罪滅ぼしの足しにもならないがな」
「お、おい、待てよ」
ペイバックとの通信はそこで途切れた。
白い機体を乗せた輸送戦闘機は、上昇していく。
空は水色から紺色へと徐々に変色し、地平線は空気の帯を光らせ丸みを帯びていく。
ペイバックは失われた過去の旋律を歌いながら、天使の放った光弾を避け、さらに上昇を続けた。
終楽章 (十七)
特別避難地域は広大な北部都市『クレシダ』郊外、奇しくも『セーブルフェネック』開発に重要な役割を果たした実験場の中にある。外輪山に連なる低い山間の谷には、トーチカや戦闘車両がその小高い山の至る所に展開していた。
この基地は、弾道兵器や巨大生物の被害はまだ及んでなく、その噂を耳にした避難民の車両の列は都市部から軍事基地方面へ延々と続いている。
追跡してくる巨大生物を全て撃破したレイブンは、そこで異様な光景を目にした。
それはおびただしい数の犠牲者の身体であった。
「何でやられたのだ……」
その要因を彼はすぐに理解した。
警護している自軍が、次々に逃げてくる避難民を老若男女に関係なく、トーチカからの掃射や戦闘車両の砲撃で殺戮していたのである。
「少尉、ベルフラワー隊の他の者はどうした」
「現在、確認されている避難民キャンプを巨大生物の攻撃から守備、防衛するように命令しています」
「そのような命令は下しておらぬぞ!」
顔を赤くして怒る上官がいる場所、臨時司令部の一室もこの地の地下シェルター内にある。
「この犠牲者は」
「一般人をこの場所に入れるわけにはいかぬ、ここには楽園の未来のため、必要な者だけに入る権利が与えられている。くだらぬ質問はこれで終わりだ」
「我々は何のための軍なのですか」
レイブンはあまりの怒りに我を忘れ、軍規にふさわしくない言葉を口から滑らせた。
「軍は委員会と、我々、楽園の指導層を守るために存在する」
この言葉を耳にし、レイブンはなぜ自分がライクを、あれほど執拗に追いかけていたのか、その理由がわかったような気がした。
(絡んでいた鎖からただ自分は逃れたかっただけなのだ……)
レイブン機の移動を上空から見ていた巨大生物は、そこに自分たちが求める餌が豊富にあることに気付いた。狙いを付けた彼らは、エリックらの守る避難民キャンプで飛翔する数をゆうに超えている。
少年の頃の全裸の自分をなぶる老人たちの姿がありありとよみがえってきた。
血塗られた肛門に老人の爪の伸びた指が突き立てられる。
苦悶にゆがむ少年レイブンの顔を老人は奇声を発し、喜んでいた。
(僕はただのモノ……僕はモノ……ただの入れ物……遊ばれる物)
時にはロジオンとからむ様子を見て裸の老人たちは拍手をして楽しんでいた。四つん這いの姿勢で痛がるロジオンの身体の中に、後ろから突いていた自分のモノから精液がはじけた。
「私は人間ではない、気付いた頃から彼らの玩具だったのだ……四方全て敵……ライク……君の置かれた立場が少しわかったような気がするよ……モノである私はやはり美しい人間の君にふさわしくない……」
巨大生物の動きに気付いた避難民は、逃げ場のない山間で混乱している。中には幼い子どもの姿も見られた。
上半身裸の傷を負った少年が泣き叫びながら人の波に潰されていくのをレイブンは目の当たりにした。
彼はそこに自分の過去を見たような気がした。
「司令部に告ぐ、すぐに正面扉を開けて避難民を一時収容しろ、行わなければ、奴らよりも前にシェルターの入口を破壊する」
「少尉、お前は狂ったのか」
「いや、狂わされたのだ……地下でくつろぐ老人たちにな……」
施設周辺で警備する軍隊は、押し寄せる避難民への射撃の手を休めることはなかった。
レイブンはその兵や戦闘車両を自機の足で踏みつぶしていった。
「何をするのだ!」
「楽園のため必要な者を守っているのですよ」
施設の扉めがけてレイブンはプラズマライフルを放った。地面が警備兵ごとえぐられ、シェルター入口の一部がむき出しになった。
進入を阻止していた兵を失った施設に、避難民は怒濤のようになだれ込んでいく。暴徒と化した民衆の勢いに対し、警備を任されていた兵は発砲を繰り返したが、その波を押さえることはできなかった。
「さぁ、醜い人を模した生物よ、この私が貴様らに死への花をたむけよう」
自機のライフルの銃口を、自軍の戦闘車両から降下する巨大生物へとレイブンは変えた。
終楽章 (十八)
大気圏外でシルバーを搭載したELVは最後のブースターを切り離した。衛星軌道上に到達した信号を合図に、無音の世界の中、格納庫の扉がゆっくりと開いた。
「ふぅわー!」
どこまでも広がる宇宙に驚いたフウロはモニター越しに明るく輝く星を見た。
「あっ、『ブルーフェアリー』さんだ!」
それはおおいぬ座のシリウスであったが、地上で見るものとは違い一際青く、そして大きく見えた。
フウロは願い事をかなえてくれた妖精の放つ光だと思っている。ピノッキオの話に出てくるブルーフェアリーもまばゆいばかりの輝きをまとっているとフウロは勝手に想像していた。フウロは両手を胸の前で組み、小声でライクを人間にしてもらうように何度も何度も願いごとを唱えた。
その声はライクにも聞こえていたが、彼女は嬉しそうに一度だけ微笑んだが後は真顔となり、ターゲットマーカーをモニターに散らした。
(本体の外殻をどこまで破壊できるか……でも始めは……)
はがれた外郭の一部が地球の引力でより急接近をしている。
ELVから離脱したシルバーは翼の下のバーニアを細かく多方向に噴射させながら、無重力下で姿勢を制御させていく。そして、格納庫に搭載していた多弾ミサイルランチャーを両腕に構えた。
黄土色の大地とわずかな海、白色の雲がシルバーの足下に丸く広がっている。時々おこるきらめきの下では、多くの命が今まさに失われようとしている。
シルバーは、その消えようとするかすかな蝋燭の炎を少しでも残そうと、機体の輝きと出力を増していった。
ミサイルが絡みながら外郭のかけらに命中した。大きく二つに分かれたかけらにライクはさらに残りのミサイルを撃ち込む。
音の無い世界で、かけらが光の中に粉砕されていく。
「第一目標を撃破、シルバー、次は奥を狙います」
シルバーは流れてくる破片を避けながら、多弾ランチャーの全てのミサイルを赤い星に向けて発射した。
破片の一部があたったELVは、地球に落下をはじめていた。
「まずい」
シルバーは空になったランチャーを投げ捨て、ライフルの照準を向けた。
撃つ前に、地上からの狙撃によりELVが破壊された。
その時、地上から急接近する物体の存在にライクは気付いた。
「やっと、再開できたなお嬢さん方、ライク、お前はあいかわらずしかめ面だな」
「ペイバック!」
「あっ、この人、!」
モニターに映ったペイバックの顔を見て、フウロは思わず声を上げた。
「シルバーもアサマお嬢さんも元気そうだな、疲れているのは俺とお前だけだ」
ペイバックは、ライクをからかいながらも天使の泡をライフルとソードで、墜としていく。
外気圏で墜とされた巨大生物は泡ごと電子エネルギーの帯の中で散った。
「もうすぐ合流する」
ペイバックは輸送戦闘機『ロシナンテ』から離脱し、上昇を続けた。
「邪魔をしに来たのか?」
「そうかもな」
「おじさん、助けに来てくれたんだよね、その乗り物、王子様みたいだよ」
フウロの声は無邪気だった。
「そうだよ、お嬢さん、この乗り物は俺たちの本当の王子様の乗り物だ、悪いキツネの俺も魔法にかけられちまった」
「違うよ、悪い魔法から解けたんだよ」
ペイバックはフウロの言葉に笑った。
「嬉しいが、それは惜しいな、敵の敵は味方、今はそれだけだ」
ミサイルがようやく赤い星に着弾した。
(この程度では、やはり無理か)
「やっぱり駄目だったの?」
「フウロ、シルバーが戦っている時は口を閉じておきなさい」
シルバーが放ったミサイルは、正面の外殻をわずかに吹き飛ばしたが、かえって、その隙間から天使の詰まった泡の放出が増していった。
シルバーは電磁投射ライフルの銃身を前方へ伸ばした。
「長い鉄砲!釣りの竿みたいだよ、ねぇソマリも見て!」
「だめだよ、フウロ、今、ライクに注意受けたばかりじゃない」
弾を撃ち出すための強力なエネルギーを長い銃身全体まで充填するのには、まだ時間を要した。
宇宙空間での巨大生物は泡が割れると同時に命を落とす。が、それでも彼らは逃走本能にかられるまま、泡の内側からシルバーへプラズマ兵器による攻撃を行った。
(照準が定まらない……)
無重力下での機体運動は、ライクにとっても至難なことであった。各所のバーニアを小刻みに噴射しつつ、射撃姿勢を保とうとするが、矢のように際限なく飛んでくる光球がそれを邪魔した。
「!」
「電磁投射ライフルか、良い玩具を用意したな、ここは俺が引きつける、銃身を熱くするだけ熱くしておけ」
「なぜ、お前が……復讐をやめたのか」
「復讐、そうだ、俺がこの星を今でも一番……」
ペイバックの白い機体は宇宙空間に到達した頃にはノズルが焼け、塗装もはがれ落ち、人間で言えば見るからに瀕死な状態であった。それでもペイバックは自機を泡の渦巻く星の中心部へと直線上に飛ばし続けた。
当然のごとく、それまでシルバーを襲っていた巨大生物の攻撃は、ペイバック機へと自然に集中していった。
「いったいどれだけ詰まってるんだか」
赤く大きな繭から開く口からは、巣を守る蜂のように際限なく生き物が吐き出されていく。閃光を伴った近距離からのペイバックの弾は、巨大生物を巻き込みながら、繭の口を大きく引き裂いた。
ペイバックはさらに開けた穴の周辺を連続射撃し、外殻を剥いでいく。破片は繭の外側を転がりながら後方の暗闇の中に吸い込まれていった。
「ペイバック!何するつもりだ!」
「幸運が笑うのは一度だ、そのタイミングだけは外すなよ、心配するな、お前さんには小さい女神が付いている」
美しい翼がもがれても、勢いを全く落とさないまま、ペイバックは機体を繭の中に深く食い込ませた。
彼はすかさず機体融合炉の圧力を上昇させる指示をメインシステムに送ると同時に射撃支援ビーコンを発した。
この信号通りに射撃すればライクの狙いが外れることはない。
「おじさん!」
「心配するな、俺は死なない、そのかわりに黄金の泉に俺の無事を願ってくれるかい」
「うん、私の病気だって治ったんだから約束するね、それとブルーフェアリーさんにも!」
ペイバックは一瞬驚いたがすぐに今までに見せたことのないほどの柔和な表情になった。
「約束か……撃て、ライク、お前がその子供の未来を願うのなら!」
シルバーのコクピットに電磁投射ライフルの発射が可能になったことを告げる信号音が響き渡る。
太陽からの直接光がシルバーの身体に反射し、数多の光の粒を深淵の闇にこぼしていった。
終楽章 (十九)
降下する巨大生物の数は激減しているが、機体を半壊させつつも戦闘を続けるレイブンは気付いていない。
度重なる戦闘で、既に左手はもげ落ち、間接部の装甲はほとんどが剥がされ、黒いオイルを流していた。レイブン自身もショックアブソーバーの機能が衰えたコクピットの中で、負傷した体のまま、終わりの見えない戦いに没頭していた。
「少尉!敵の数は減っています、そちらにまもなくエリック機が合流します、それまでもう少し……」
ベルフラワー隊の通信兵は、リアルタイムで入手した情報を読み上げていく。
「支援の必要なし、お前たちは避難民の警護を最優先、その命令を変えるつもりはない」
レイブン機の気迫に押され、巨大生物もうかつに近付かなくなっていた。プラズマライフルの残弾は三発、周囲を徘徊する巨大生物も三体であった。
「『ベルフラワー隊』の偉大さと貴高さを、お前たちにも教えてあげよう」
一匹目は、首から上を吹き飛ばされ、体を地面の上で痙攣させた。
二匹目は、背中の中央に大穴を開け、地面に墜ちた。
三匹目に照準を合わせようとした時、先に敵の光弾がレイブン機の頭部を直撃した。メインカメラを破壊されたレイブンはすぐさま、広く視界を確保するため、コクピットの前面カバーを開けた。
乾いた山の砂がつむじを巻いて上っていく。
戦場の風はこんなに冷たかったのかとレイブンはあらためて認識した。
「終わりだ……」
レイブンの最後に撃った弾は空に飛び上がろうと羽を広げた巨大生物の胸を貫いた。巨大生物の身体は山の斜面を滑り落ちていった。
その活躍の様子を施設の陰から見ていた避難民は、皆驚喜し、レイブン機の孤高の活躍と彼の勇気ある行動を心の底から褒め称えた。
思わぬ民衆の賞賛の声の嵐に彼は耳を疑った。
(ライク……これが私の求めていた答えなのかもしれない……私は……)
半壊してもなお仁王立ちの『セーブルフェネック』の周囲には、安堵の表情をした人々が集まってきた。
谷間に一発の銃弾の音が響き渡る。
どこからか放たれたライフル弾がコクピットに座るレイブンの額に血の刻印を刻みつけた。赤黒い血しぶきがシートの背に散った。
民衆の叛意から逃れていた兵の放った銃弾であった。
人々の声を耳の片隅に残したままレイブンは満足そうな表情をたたえ静かにこと切れた。
終楽章 (二十)
全てが銀色に輝いた時間が夢であったかのように、暗闇のベールが再びシルバーの機体を包んだ。
内部から破壊された赤い星は無音の空間に残骸を拡散していく。大きな塊のいくつかは、重力にひかれ、辺りの屑を巻き込みながら、まとまって厚い大気の層に落下をはじめた。
フウロは大気圏の中で燃え尽きていく一つ一つの輝きをペイバックが見せてくれているマジックだと思った。
「おじさんは?おじさんはどこにいるの……?」
「フウロ、あなたは約束したでしょ、彼もあなたとの再会をこの世界のどこかで待ち望んでいると思う」
シルバーは機体の翼を拡げ、この星の全ての様子を見届けるように、ゆっくりと外周を滑るように飛んでいる。
「フウロ……聞こえる?」
「うん」
「シルバーはあなたの行きたいところ、知りたいところ、まだ見たことのない明日にも連れて行ってくれる……いつまでもあなたの笑顔がある限り……」
「笑顔……うん、そうだね、悲しい顔してたらみんな悲しくなっちゃうもんね」
「フウロ……私、少し眠っていいですか……操縦はオートにしておきますから」
「ライク、疲れたんだね、ソマリとシルバーとお話しているからお休みしていいよ、時間になったら私が起こしてあげるね」
「ありがとう……」
ライクはモニターに映るフウロの笑顔を愛おしそうに見ながら瞼を落とした。彼女の記憶は最後に地平線の輝きとフウロの嬉しそうな笑い声を刻みこみ、ノイズの海の中へと沈んでいった。
終楽章 (二十一)
「嘘よ……どうして、どうして消えてしまうの」
少女から表情が消え、口からは小さなため息が漏れた。
「これでお前たちの望む世界が今は潰えた……本当の神様はもう一度、僕たちに考える時間を与えてくれたのだ」
「天使はこの世界を再生させるとお伝えくださったのに」
ニックは身体を固定されたままの状態で、少女の呆然とする姿に言葉をかけた。
「復讐は心から消えることはない……ただ……時の雨に身をさらせばいつかは薄らぐ時がくる」
「待てない、いいえ、私は待ちました、この日まで……このような姿に一生を捧げてまでも……」
「それは君だけに限ったことじゃない……」
その大きさゆえ大気圏内で燃え尽きずに残った星の残骸が、帝国首都の上空に迫った。雲が渦巻き、吹き荒れる風が、人々の生活の痕跡を破壊していく。
「僕たちは人類の贖罪を背負わなければならない……」
「贖罪……あなたこそ何を……」
少女は一番近い蝋燭の炎をその細い指が焼かれるまま芯をつまみ、そして消した。
沈黙と共に少女の夢の象徴でもある宮殿の大広間が闇と同化した。
帝国の首都に星が落ちた衝撃波は楽園の上空で、巨大生物の泡を狙撃していたユウにも伝わった。
「何が……落ちたのか……」
赤い星はニックの機体信号と同期したかのようにレーダーから消えている。
空一面に尽きることを感じさせないほどの流星群が降り注ぐ。
それに混じって、緑の雨が大地を濡らしていった。
銃身が溶けたライフルを背中に装着させ、ペイバックに教えられたポイントへユウは向かった。
東部地区より離れたその場所には、コンクリート製の馬小屋ほどの小さな建造物が建っていた。周囲からは砂漠で隔絶されていて、放射能の雨もここには降ってはいない。機体から下りたユウは拳銃を構え、その建物へ慎重に歩を進めた。
建物の扉は頑丈であったが、鍵はかかっていなかった。三メートル四方の部屋の中央床にはもう一枚の扉があった。
ユウが近付くと扉が横にスライドし、地下へ下りる階段があらわれた。階下は思ったよりも広く、部屋がいくつもあった。そのうちの一部屋はベッドと殺風景な部屋があり、人がつい最近まで生活していた痕跡も見られた。
(!)
ユウは気配を察し、灯りの付いていない部屋の奥に銃口を向けた。
「撃たないで……撃たないでください」
そこには少女を背にした少年が立っていた。
「お前は……」
「ここで、ペイバックさんに待っていろと言われました、迎えに来るからと……」
少年の声は震えてはいたが、力強さがあった。
「ペイバックが……」
ユウは拳銃を床に落とし、二人の所に駆け寄った。
「あの、優しいおじさんは帰ってくるの?」
少女が寂しそうな表情をしてユウに聞いた。
ニックとペイバックが託したものは、この星の未来そのものであるとユウはこの時になってようやく気付いた。そして、少年と少女を柔らかく腕にかい抱いた。
「大丈夫、奴は殺しても死なない図々しい奴だ」
(ニックもペイバックも、お前らは本当にずるい男だ……)
ユウは涙を流した。
外から吹き込んで来る空気が部屋の中を冷たくする。
三人は連れだって小屋の外に出た。夕焼け空は大気に散った塵の濃さを表すかのように、見たことのないほど赤い色をしていた。
「星……」
流星群の降り注ぐ空に少年が一際明るく輝く星を見付けた。
少年の指し示す方向を見てユウは「あっ」と一声あげたまま声を詰まらせた。
(銀の滴降る降るまわりに……)
ユウは翼を広げ舞い降りてくる銀色の機体が、いつかどこかで聞いたことのある神謡の中に出てきた神の鳥の化身のように見えた。
終楽章 (二十二)
いくつかの季節が行き過ぎ、緑と戯れる子供たちの声が溢れる公園の青年将校の銅像には、鳩が羽を休めていた。ここが一度廃墟となった都市とは誰もが想像できないだろう。
「レイブン、そこから見える景色はどうだ」
青年将校の銅像を見ながらスーツ姿の青年は煙草の吸い殻を携帯用の灰皿へ捨てた。
ビルに掲げられたパブリックビューイングには、エリック中尉率いる第四次ベルフラワー隊東征のニュースが流れている。
(軍人の意地か……今は復興が先だと言っても彼らはやめないだろう)
時計を見ると待ち合わせの時間となっていた。
公園脇の道路に自家用車が止まった。運転席から下りた青年は車の助手席側に周り、後部座席のドアを開けた。
「お待たせしました、ロジオン補佐官」
「ここまで迎えに来させてすまなかったね」
「いえ、補佐官がこの場所を好まれていることは前々からお聞きしていました」
「そうか」
ロジオンは小さく笑った。
青年は運転席に座ると、車をゆっくり発進させた。
「この後は首相と南との平和協定調印式、そして晩餐会と続きますが、まだ時間はあります。その前にどこかへお寄りしましょうか」
「ありがとう、特に私的な用事はない……つかぬことを聞くが、君は協定の効力を信じることができるか」
「私ですか……前回の戦闘と巨大生物で母を亡くしましたので、信じたいところです」
この国が楽園と呼ばれていた頃より、明らかに緑が増えていたことに人々は不思議がった。その要因として巨大生物の体液が大地に再生の力を与えていることまでは科学省で究明できたが、その成分組成の全容はまだ解明できていない。
(身体が自然治癒するかのよう……この大地自体が生物なのか……あの巨大生物は、どこからか与えられたワクチン……)
ロジオンはふと思ったあまりにも馬鹿げた妄想に一人苦笑した。
「どうかしましたか?」
「私も今は君に同意見だ、平和は危ういからこそ貴いものだ……レイブン、君ならどう思う?」
「はっ?何か」
「いや、独り言だ……」
二人を乗せた車は、青年将校の銅像に見送られるように街の喧噪の一つとなった。
終楽章 (二十三)
小鳥たちのさえずりが窓の外から絶え間なく聞こえ、近くの樅の木の枝を揺らす春のそよ風が、彼らの陽気な心をほんの少しだけそぞろかせる。
草花には蝶や蜂が忙しそうに蜜を求め飛び回り、空には鳶が大きく輪を描きながら上昇気流と戯れていた。
湖の見える小さな丘に建つ丸太小屋の一室に彼女は寝ている。開けられた玄関から入った新鮮な空気が、彼女の部屋のカーテンを揺らし、窓からの光を彼女の美しい顔にあてた。
眠っていた彼女は、玄関から入ってきた人の足音に小さく目を開け、顔を横に向けた。
木で作られた部屋に不釣り合いな医療機械が壁の片面をいっぱいに埋めているのが見えた。
全ての動作が羽のように軽く、そして、自分の身体が今までよりもあたたかく感じた。
ベッドから少し離れた扉の前には、癖毛の金髪が印象的な美しい顔立ちの女性が立ち、足下には古びた小さな機械仕掛けの猫がおとなしく座っている。
彼女は傍らに寄り添うと、ベッドに寝る女性の手を優しく取り、自分の両の手で優しく包み、懐かしそうに、そして、つぶらな瞳にうれし涙を輝かせた。
その涙は、いつかどこかで見た銀色の星のようであった。
女性は嗚咽しながら一言だけ彼女へ囁くように言った。
「おはよう……ライク……」
終楽章(Finale. Adagio lamentoso - Andante - Andante non tanto)演奏終了
演奏者退場