二日目:二十三日・金曜日──夜 4
山の上、明里は夢を見ているような感覚でいた。
ついさっきまで武装した女性が踊っていたと思えば山を降りて行き、今は桜と名乗る女性に肩を寄せられている。
どうしよう、と明里は思う。こんな夜に和服の女の子が現れて自分に寄り添っている。どうして彼女は自分にこんなことをしているのか。
肩に乗せられた頭。身長は、自分より少し低い。
「あの……」
声をかけても、腕に手が触れてきたり顔が近づくばかりで、口も開かない。こうして女性に好意を抱かれている(のかもしれない)のは嬉しいけど、不気味でもある。
それでも、年頃の少年にとっては願ってもないシチュエーションなのだ。肌の温もりは感じられなくてもこの状況を存分に楽しんでいたい。
少し驚かせてやれ、と明里の心が囁いた。
明里は手袋を外し、ためらいを残しつつ彼女の顔に手を近づける。桜がつうっと顔を動かして、指が額に触れた。夜の息吹に吹かれた肌は雪のように白く冷たくて、明里はすぐに手を引っ込める。
と、桜が腕を上げた。裾に隠れていた小さな左手が出てきて明里の頬に触れる。その手は意外なほどに熱を持ち、すっかり冷えていた明里の顔を温めるのに充分だった。
恐る恐る、明里は再び手を伸ばした。今度は指だけと言わず手のひらで桜の手を覆う。温かい。外気に奪われるはずだった熱を明里の手が吸っていく。桜の手が明里の顔を傾けて、二人の目が合った。
見つめ合ったまま二人はじっと動かない。月の光の中、満たされた静寂が二人を包んでいる。
と、明里が目を逸らした。この状況、耐えられない。ウブだと自分でも思いつつ、しかしもう無理だと手も離してしまう。
桜はそんな明里を不思議そうに見ている。手は明里の頬に触れたまま、むしろさらに身体を近づける。息がかかりそうなほど桜の顔が近づいて、陶磁のような肌に桜色の唇を意識して、明里は顔をそむけてしまった。
間違えた。明里が思った時には手遅れで、桜は寂しそうな顔をして一歩引いていた。軽く下がる彼女を明里は追いかけようと手を伸ばして、空を切った。雲が月を隠した影に彼女は居て、その姿は霞が散るように消え始めていた。
必死になって彼女に触れようとした。消えかけた顔に手が届いた。瞬間、手は動きのままに振り下ろされ転びかけ、顔を上げても桜はどこにもいなかった。
雪が降り始めた。あたりを回っても桜どころか何もいない。諦めた明里は、後ろ髪を引かれつつも階段を降りる。ふと、振り返った。雲の切れ間に切り取られるように夜空に桜が見えた。スマホを出して、写真を撮った。暗くて画質も荒く、見られるものじゃなかった。