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夜桜妖夜  作者: Urs
7/15

二日目:二十三日・金曜日──夜 3

 巨大な熊だ。黒茶の身体は高さが二メートルもあり、小さな目は血走って赤く、地を踏みしめる四肢は太く大きく木の幹のようだ。

 雄叫び一つ、《熊》は突進してきた。巨体は地を揺らすように進み、雪を踏み潰し遥へと猛進する。その質量だけでも兵器となりうる存在だ。

 とても相手ができるものではない。遥は逃げた。補助()器具()により生み出された脚力で森へと向かい──そこには《猫》がいた。微かな音しか立てずに木々の間を走り身を隠し、森に入れば襲ってくるだろう。かといって階段には《狼》が先回りしている。どのみち、こいつらを倒さなければいけないようだ。遥は決断とともに速度を上げる。

 正面に《狼》を見据え、背後に《熊》を感じつつ、刀を振り上げる。口を閉じて姿勢を低くした《狼》に、一歩の強い踏み込みで速度を落とした。消えたエネルギーは身体に伝わり、振り下ろす腕の勢いを加速させる。その腕の下に、《狼》の頭が入った。《狼》はその身体自体が武器。突進は攻撃と同じ動きの中にあり、口を開いて遥の腕を喰らいにかかる。

 遥は脚を曲げた。補助()器具()を操作して、身体を無理矢理連続した動きから外し左後方へとひねる。左手は柄から離してバランスを取り、右手は刀を持ったまま、身体が沈む勢いで右へと払うように振り下ろす。

 手には一瞬の抵抗があって。神速の一刀は《狼》の頭を叩き割った。勢いで刀は遠心力を生じ背後へ、それに乗って遥は後退。目の前を、止まれなかった《熊》が通過する。

 残る《狼》が桜の側から駆けてくる。遥は脚の鈍痛から意識を逸らし、目の前の妖邪に集中する。止まれなかった《熊》は森に上半身を突っ込みつつも抜け出して、静かに重々しく歩いてくる。

 ジグザグに《狼》が走る。背後には《熊》がいて、さらには《猫》も控えている。

 右から左から交互に噛みついてくる《狼》に、遥は動きに合わせて刀を出しつつ下がる。右から来れば左足を引き、左からくれば右足を引き。決して止まらない。

 背後から来た《熊》が前足をふるい遥を吹き飛ばそうとするのを、遥はヘッドセットの視界の中で見る。数秒の余裕を残して出る映像に、遥は大きく身体を引いて両足を曲げ、身体を低くして刀は刃を横にし肘を曲げて引き寄せる。

 細剣のような構えは動作が変わることの徵。上下から前後へと一瞬のうちに軸を変え、全身をバネにして、口を開けたまま頭を下げた《狼》の正面に突き込んだ。

 すぐ後ろを衝撃が風となって横切る。爆発のように雪が噴き上がり、それを追い風として、遥は《狼》とともに吹き飛んだ。勢いは《狼》ののどを貫いて手が口の中に埋まるほどで、《狼》は仰向けになって落ちる。雪面に刺さった刀を横に引けば頭が割れて塵が舞う。

 これで《狼》は倒した。しかしあと一体、最大の獣が待っている。


 少女が踊るように動くのを明里は見ていた。刀を抜いて、雪が散る中を、何かと戦っているかのように走って跳ねている。近づいてきて刀を振ったときは驚いたが、当たる距離でもなかったし怖くはなかった。

「あれは、何?」

『大丈夫よ』

 桜は隣でじっと自分を見ている。声をかけても、ヴェールで隔てられているかのように薄い反応しかない。が、たまに、桜の目が動く。明里も同じ方に目をやるが何もない。いや、かすかに雪が舞っている。

 刀を振り回している少女に注目すると雪の動きがよく見えた。彼女の周囲でぱっぱっと雪が舞うのだ。そして、刀は何かを斬ろうとするかのように動いている。芝居がかった台詞も出るし、この時間、この場所でなかったら演劇かと思っただろう。しかし、歯を食い縛った表情も、服に走る裂け目も人離れした動きも真に迫っていて、とても芝居とは思えない。だが現実である感覚もない。

 いつの間にか明里は桜から彼女へと目を移していた。

 そして木が揺れた。雪が爆発したかと思うほどに弾け飛び、雪面に穴が開いていく。それは少女を追っており、少女もまたおかしな動きをして穴の進路から身を外す。

 一体何が起こっているのだろう──。桜のことも忘れて見入っていた。

 

 遥には明里のように悠長にしている暇はない。全力でこの場を去ろうとしていたが、《熊》はやはり強かった。

 雪が破裂した。自らが巻き上げた雪煙の中を《熊》の巨体が割って出る。瞬間的な速度は向こうが上で、こちらは足に不具合を抱えている。そして、森に近づくと《猫》が動き出した。

 まともに向き合ったら死ぬ。刀を中段に構えて遥は走り出す。

 ジグザグに走り《熊》の進路を乱して、桜の枝から飛び降りる《猫》を突進に巻き込む。《熊》の背を蹴って反動で跳んできた《猫》には身体を捻って右手のみで刃一閃、胴体を断ち切る。捻った動作に加速を入れて腕の遠心力で《熊》の進路から外れ、止まれずすれ違う《熊》の左前脚に刀を叩き込む。

 しかし一刀は《熊》の前脚を浅く傷つけたのみ。逆に腕へと返った衝撃は遥の姿勢を崩す。

 振り向いた《熊》は、体勢を立て直したばかりの遥へと殴りかかる。鈍重だが範囲も広く威力のあるパンチは到底受け止められるものではない。飛びすさり距離を取る。

 正面、互いに向かい合った遥と《熊》は、睨み合ってすぐに動いた。《熊》が突進をかけ遥は右に避ける。追う《熊》と逃げる遥は右へ右へと回る。遥は常に自らの右側、つまり《熊》の左側へと動いている。

(前脚の傷に当てれば、あるいは──)

 完全に倒さなくていい。山から出るまで追い付かれなければ。

(いや、妖邪が山から出られないという保証はどこにもない)

 流石に桜はここから動かないだろう。だが桜が喚んだと思われる妖邪は、どこまで動けるのだ? 桜の樹からエネルギーを得ているなら離れればいいかもしれないが、独立しているなら離れても強さは変わらない。桜がこれ以上の妖邪を出さないのも気になる。

 それを確かめるためにも、まずはここを離れる。

 遥の動きが変わった。回転から後ろへと下がる動きにしたのだ。向かう先は階段。逃げる手段は、一つ思いついた。

 いつの間にか桜の目が少年から自分に向いている。その顔に、かすかに表情が浮かんでいた。怒り──あるいは嫉妬か。その眼に狂おしいものが輝いたのを見た気がした。

 それは感情なのか。しかし、真相を知る暇はない。下がりながら全力で《熊》の攻撃をかわす。残っている《猫》の気配を背後に感じるが、数は増えていないはずだ。

 足が公園の端へと触れた。あと数歩下がれば階段から足を踏み外す。ここだ。

 遥は反転した。背中を晒して《熊》から逃走する。いくら背後が見えるとはいえ怖い。案の定、猛るように《熊》が追ってきた。

 遥が階段を五段降りた。《熊》が階段を二段降りた。瞬間、遥は振り替える。

 右の森へと右半身を突っ込みながら居合いにも似た回転の勢いを乗せ、《熊》の左前脚の傷を目指し、その上をなぞるように刀を走らせる。

 《熊》の身体が大地にくずおれた。勢いはそのままに、頭部左側、下顎から地面に激突して土を抉る。階段を十段ほど滑り落ちて止まる。

 しかし散りはしない。左足を引きずりながら起き上がり、反対側へと向いて

「ぃゃあーっっっ!」

 掛け声とともに飛び込んできた遥が頭と鼻っ面を蹴り飛ばした。ついでにと目を切られ、耐えきれず痛みの咆哮を上げる。だが、足と目を損傷し頭がふらついてさえ《熊》の闘志に衰えは見られない。

 しかし遥には相手が動かないことが重要で、背中を見せて逃げてもすぐさま追って来ないだけでありがたかった。

 刀を収め、階段を飛ぶように駆け降りる。《猫》が落ちてきてもそのまま走り、身体を四体の《猫》に噛みつかれながら下界へと戻って行く。道に出て一瞬速度が落ちると、重いものが地を叩くような音が聞こえてくる。

(追ってきている……)

 下界へと降りる道へ駆け込んで、無理やり《猫》をむしりとって木に叩きつけながら進む。血が吹き出るが気にしてはいられない。木が折れる音を後ろに、ひた走る。

 遥は山の入り口まで山頂から五分も経たずにたどり着いた。何かが降りてくる音は段々と近づいてくる。暗がりの中にじっと潜む遥はその瞬間を待ち構える。そして、木を揺らし地を抉り《熊》は飛び出した。

 その左前脚が寸断された。

 出口は一つ。遥はその脇に隠れ待ち構えていた。刀を当てた時、向かい合った時。既にどこが斬れるのかは算出されていた。あとは、ヘッドセットが弾き出した角度と速度で腕を振ればいいだけだった。

 一瞬の内に伸びきった腕は刀とともに一つの線となり、空気を裂く音を残して止まった。《熊》の前脚が消えるのを視界の隅で確認しつつ、遥は腕を上げて《熊》へと身体を向ける。

 突進の勢いのままに地へと激突し前脚を片方失ってなお、《熊》は起き上がろうとしていた。しかし巨体を支えるだけのバランスは取れず、塵と消えていく断面を地に打ち付けるのみ。わずかに持ち上がった首を、その付け根を遥は斬り落とした。

 かつて《熊》であったものが虚空へと消える。ただ疲れたと遥は思う。

 暗闇に沈む街は山の騒ぎを知らずに眠っている。それでいい。非日常に侵される必要はない。

『お疲れさま』

 汐音から通信が入った。心配の声音には、かすかに疲労が混じっている。

 これまでの経緯はヘッドセットを通じて神社ネットワークに転送されている。それを最初から見ていたのだろう。時間は30分も経っていないが、命の危険は常にあった。

『状況終了よ。事後処理はこちらで何とかするから──といっても上は手出しできる雰囲気じゃなさそうだけど──そこにいて。医療班を向かわせてるから』

 遥の身体は既に傷だらけである。擦過切創打撲と外傷は並び、身体の内側は靭帯や筋肉の疲労は勿論のこと、骨にまで影響があるかもしれない。

「分かりました」

 言って、遥はその場にへたり込んだ。補助()器具()の力を抜いて、本来の身体にコントロールを戻したのだ。

 身体の調子を確かめるように、脚から補助()器具()を外してゆく。自由になった脚が力無く雪に埋もれるのを見て、人体は不自由だと思う。身体に合わない動きを無理矢理行わせていたのだ。しかし、肉体が発揮できない可能性を引き出してくれることも事実。

 残った腕と腰と肩の補助()器具()を外して、最後にヘッドセットを取って積もった雪に倒れ込む。雪の冷たさが服や靴下を通して火照った身体に沁みる。ゆったりと痛みが溶けていく感覚が心地よい。このまま意識も溶けてしまいそうだ。

 思っていると誰かがやってきた。二人、知らない人だが神社ネットワークのマークをつけた服を着ている。一人は大きな箱を背負い、一人は担架を運んでいる。

 遥は身体を起こそうと思った。しかし、力が入らなかった。

 首が動いたのを見て箱を背負った男が言った。

「大丈夫……ではなさそうだな。家まで運ぶか」

「お願いします」

 遥の口は、それだけを言うので精一杯だった。

 男は落ちている補助()器具()とヘッドセットを回収し箱に収めていく。その後、二人の手で遥は担架に乗せられた。人がいないとはいえこの姿で街中を移動するのは恥ずかしいと思っていたら、道を降りた先に自動車が待っていて、後部座席に乗せられた。

 遥を乗せた自動車はほどなくして遥の住まいに到着した。担架のまま家の中へと運ばれる。

 布団へ寝かせられると、遥は意識を失った。


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