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夜桜妖夜  作者: Urs
4/15

一日目:二十二日・木曜日──夕から夜

 雪が降り始めた。夕方になって気温が下がり、同時に雲も溜まった水分を吐き出し始め、街は再び白く染まっていく。必死になって黒が露にされた道路もすぐに白で覆われ、端に避けられていた雪はその身体を肥えさせていく。

 昼に融けた雪は寒さに身を引き締め固く凍りつき、新たな雪をまとって春を迎えた植物の芽のように大きさを増していく。

 その光景は、幻想的というより昔話のようだ。

 家路を急ぎながら明里はふと思う。写真の一枚でも撮っておけばよかった。そうすれば家でも桜を見ていられる。今夜はそうしよう。

 春分はもう過ぎて日は長い。太陽は雲の上から光を注いで、十八時でも明るいままだ。冬の景色とちぐはぐに明るいままなので、少しだけ別の世界に迷い込んでしまったような、タイムスリップしてしまったような、どこかおかしな気分になる。

 路上の子どもは家に入り、大人たちが帰宅する時間にはまだ早い。自分と同じくらいの年齢の人がちらほらと目に入るくらいの街で夢想するのはそんなことばかり。だが、空想の中くらい現実とは別の世界を考えてもよくないか。そう言うと笑われるんだろうけど──

 頭の中で思いを巡らせているうちに家に着いた。夜に備えて寝ておこう。


   *


 それは微睡の中にいる。四季の移ろいは時の揺り籠、月の満ち欠けに眠りは深く浅く潮のように動いている。ときおりの目覚めも一条の光のようで夢かうつつかはっきりしない。ただ数度の覚醒の想い出を抱いて無明に沈む。

 だが、気まぐれな世界はときに時鳥の声を鳴らす。覚醒の時。雪と月と花が揃ったことで自らの身を散らして月光に身を伸ばし雪に身を震わせる。それは遠い日の誰かとの約定。

 ──あの時、いつか聴いた歌はなんだっただろうか。桜を謳ったものだったのか。長い眠りの忘却の間隙に消えてしまった。唇をすぼめ音を出しても旋律は蘇らない。想いと願い、誰かの言葉と望みだけを残してあとは全て失われてしまった。

 それでも人との想い出は忘れていない。数度の邂逅がもたらしたものを忘れたくない。彼らと過ごした日々を胸に、次に会う誰かを夢見てずっと生きている。

 ある日、冷たく静まった夜に誰かの足音が聞こえた気がした。なぜか意識が揺らいだ。その姿、見覚えがあるような気がした。それを確かめるべく彼女は急ぎ身を起こした。


   *


 二十時。スマートフォンのアラームで目を覚ました遥は眠い顔をこすりながらアプリ通知の確認をする。休講を心配する友人からの連絡に明日は出ると伝え、桜についてや汐音さんからの連絡がないことを確認すると、夕食の準備に取り掛かる。

 土鍋を出して適当に出汁と鍋の素と人参とジャガイモをぶち込み加熱。沸騰したら火を弱めて人参とジャガイモに火が通るまでウェブやSNSを徘徊。柔らかくなったら豚肉を入れ、赤い色が抜けたら豆腐を投入。火が通れば完成である。

 一口汁をすくい味見をして、その温かさが身に染みる。味もちょうどいい。

 机に鍋敷きを置き、鍋を運んで深皿とおたま、はしとポン酢を並べれば準備完了。

「いただきます」

 律儀に一声を出して食べ始める。中身の半分がなくなるまで正味二十分。残りは明日に取っておく。が、〆は別だ。

 ゆで汁半分と具を器に取り、鍋の中に冷やご飯を入れて卵を落とし再び火にかける。二十分もすればおじやの完成だ。肉と野菜に混じる玉子とご飯の匂いに思わず顔がほころんだ。

 もはやおたまは使わず、スプーンで直接鍋から食べていく。いくら『女子大生の食事じゃない』と言われても、こればかりはやめられない。そもそも鍋は面倒くさがりにとって万能なのだ。最低でも二食分にはなるし、煮汁は他の料理に転用できる。水分でお腹も膨れて食べすぎもあまり気にならない。どんな季節でも食べられる万能料理。

 器の中身を鍋に戻しコンロに置く。ついでに翌日の炊飯器の仕込みをして、一時休憩。

 XRヘッドセットと、追加でXRグローブを取り出した。ヘッドセットだけでも作業は可能だが、より細かい作業になるとトラッキングが追い付かないのでグローブを使うのである。両者をVRモードで装着し、ヘッドセットでVR-SNSのWhispelを起動した。

 途端に視界が変化する。

 目の前に広がるのはこことは違う別の世界。電脳上に創られたもう一つの居場所。ここでは誰もが思い通りの自分になることができ、好きなものを創造し破壊できる。仮想とは言われているが、実際は『実質的現実』と言うのが正しいと思う。

 遥は“自分”の姿を見る。現実の姿をスキャンして作成したものなので女性なのは変わらないが、理想の自分になれるよう少し背を伸ばしたり服を変えたりと改造を施した3Dアバターである。頭の狐の面は自分で作ったものだ。

 ログイン空間からコミュニティ空間を覗くが、知り合いは二人しかログインしていない。まだ二十一時だ、人が集まるにはちょっと早い。

 二人の会話はオープンにはなっていたが入りにくかったため、邪魔をしないように挨拶のメッセージを残すだけにする。一人で作業をしようとパーソナルスペースに入った。

 作業の途中で止めていたグラフィックを起動し、描き途中の絵に取り掛かる。とはいっても紙のような平面があるわけではない。見えている空間そのものがキャンバスであり、三次元の認識でものを描くのである。手を動かし描画する様は粘土をこねているようにも見えるが、やはり絵なのだ。

 空間に指を滑らせる。軌道は少し揺れているが補正が入り、わずかに反った綺麗な曲線となる。それを二つ、上下に重ね端を繋ぎ、間を塗り潰して埋める。幅を少しずつ広げていって厚みを加えると、立体となって出現する。片方を尖らせ片方に柄をつけ、刀身に小さな穴を開け、各部を調整するよう手を動かし、何回も回転させて微調整をして、その出来栄えを見る。

 できあがったのは一本の日本刀。だが、通常の日本刀とは違って鍔はなく、わずかに刃の方へと反っており、柄頭は穴の空いた円である。また、刀身の根元には小さな穴がある。

 布都御魂。魔を祓い、神を退けるという、古来より日本に伝わる刀である。

 何度も作っているしモデルと比較しても遜色ない出来栄えだとは思う。

 だが、何か違うのである。

 モデルは実物をスキャンしたもので質量補正もつけてあり、実物を握っているのと同じ感覚。自分で作ったものに質量補正をかけて手に持ってみても変わらない。

 しかし、汐音さんはモデルではいけないと言うのだ。実際に作らなければいけない、その行為に意味があると。何らかの神の力が必要だと言われたが、なんとも融通の利かない話である。

 何が違うのだろうか。さすがに触ることはできなかったが実物は見たことがある。それでも、どうにもモデルと本物に差異があるように思えない。完全に同じものである必要はないのだし、モデルを使ってはいけないのだろうか。

 とはいえいくども作っているうちに愛着も湧いてきている。自分のアバターも作れたのだし刀一本は完成させたい、という思いもある。もとから何かを作ることは好きなのだ。

 だから、違和感があると自分が納得できない。承認も得られてないのに、とも思うが、この数週間ずっと悩み続けている。

 それとも製造工程や構造を反映しなければならないのだろうか。だとしたらお手上げである。

 この日本刀は、製造工程をそのまま反映させることは不可能である。なんといっても神武天皇の時代からあったというのだから。それが本当かどうかは不明にしても、千五百年以上も前の非常に古いものであり、構造解析もおいそれとできやしない。

 グラフィックから別のファイルを開く。そこには書きかけの布都御魂があった。だが、ファイル名には"複製"とある。

 もう一つ考えていたのは複製の方をもとにすることである。布都御魂には明治に製作された複製があり、そちらは構造も作り方も分かっている。これなら簡単に作れるだろう、そう思って手掛けたものの早々に使えないと言われたけど。

 刀としては問題ないが、妖邪を相手にすることを考えれば本物の写しがいい、と。

 何時になったら完成するのだろうか。これを使う機会はすぐそばまで迫っているかもしれないというのに。

 ため息をついてファイルを閉じ、前のファイルを手元に戻す。悪戦苦闘の履歴を見て嘆息。現代の製法でやろうとしたりあえてパラメータを低くしたり。調べ得ることを調べ、思いつく限りのことをつぎ込んだ。だが、一度だけ見た本物の布都御魂に、そのスキャンモデルにすら追い付いていない。

 それとも画力の問題だろうか──

 そうだとしたら、非常に深刻で残念な問題である。

 気分を変えようとWhispelの投稿作品を覗く。画像から絵のみが自動抽出されて目の前に並ぶ。ビュー数が少ないものから見ても自分が追いつかないものがいくらでもある。こうして見るまでもなく自分の画力は分かっているのだ。絵としての質は関係ないと言われたけど余計に気分が沈む。

 神社ネットワークで布都御魂を使っている人は他にいないが、聖剣魔剣妖剣邪剣の類を使っている人は他にもいる。その人たちも同じように剣を作ったのだろうか。後で訊いてみよう。

 と、一応結論が出たところで、飽きたので徘徊に回る。

 Whispelは三次元空間に情報が目に見える形で垂れ流されている。そのうちアクセスやビューや会話などのログから判定されて、自分の興味がありそうなものが色濃く残り、他のものは薄くなって時間とともに消えていく。面白いのは、それが距離にも適用されることだ。興味のあるものほど近くに、ないものは遠くにと、直感的に把握しやすいように配置される。また、空中も同じで、時には頭の上に落ちてくることもある。だから、たまには遠出するのも面白い。いつも同じ情報ばかりでは思考が偏ったり硬直したりしてしまう。

 とはいえやはり不要なものばかりだ。スポーツ──放り投げる。必要ない。金融――投げ捨てる。いらない。仏壇──削除。縁起でもない。

 見るも見ないも自由。だが見たくもない情報は削除してしまった方が気楽だ。今後一切の直接的な干渉を禁じれば見ないで済む。

 また探索に戻る。適当に進んで、手に取って、捨てて。砂の山から宝石を探すようなものだが、それが宝石かどうかは自分の判断で決まることだ。一握りの砂を宝石に変えるもゴミとして処分するもその手の持ち主しだいである。

 また、同じコミュニティのメンバーが好きそうなものも集めてみる。いくつかを広い、半分を自分のストレージに追加して、残りをコミュニティ空間に放り込んでおく。メンバーがログインすれば自然と寄って行ったり離れたりするし、人ごとに濃淡も変わるからこれで大丈夫である。

 と、そろそろ時間である。これから日の出まで白楽公園で桜を見ていなければならない。

 昼の内に櫻嶺神社が動いて日中の調査と監視カメラの設置をしておいたそうだが、夜間はさすがに彼らに任せられない。管轄内の出来事とはいえ彼らは何も知らないのだ。何かが起これば自分が対処するしかない。

 一度ログイン画面に戻り設定を確認して、ログアウト。目の前が人工の暗闇に包まれると、次に部屋の明かりが目に飛び込んでくる。ヘッドセットとグローブを外すとそれだけで身体が重く感じる。VR空間にいた時は何も感じなかったのに、こうして意識すると現実は不自由だ。

 スマートフォンを確認すると連絡が来ていた。神社ネットワークならびに関連機関からあの桜に関する資料が転送されている。しかし、ざっと目を通してみたが量も少なく異変には関係がない。精々が来歴くらいだ。これは、明日どこかで探さなければならない。

 図書館にあるだろうか、と考えながら外に出る準備をする。

 服を着替え装備を確認する。身体の運動を人の限界を超えさせる器具――補助(エンハンスド)器具(アーマメント)を腕と脚に装着する。ヘッドセットを頭に装着して、頭の後ろと上と、さらにのどの下にもバンドを回して位置がずれないように固定する。最後に布都御魂の複製を携えて立ち上がった。

 また、長い夜が来る。


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