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夜桜妖夜  作者: Urs
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三日目・二十四日:土曜──夜

 明里は今夜も山に昇る。桜を見る、既に使命のように感じているそのために。

 昨夜、桜は消えてしまった。しかし、また会いたいという気持ちは止められない。だから心のままに行くだけだ。

 山頂は風が強かった。桜の下にいても、積もったばかりの雪が吹き込んで、散る花と嵐のように舞っている。

 月は丸く、光は鮮やかに桜を照らし出している。

 コンビニで買ったホットコーヒーを飲みながら明里は白い息を吐く。

 今夜もいい風景だ。

 だが、桜がいない。それだけで色も匂いも物足りなく感じてしまう。

 君に会いたい。もし会えたら昨日のような失態はおかさない。だから、どうか出てきて欲しい。

 ぼうっと夜空を見上げれば、星明かりが瞬いて吸い込まれそう。天に光と地に花と。美しいものは、重ねても美しい。

 星ぞ降る、を最後に持ってきて、と考える。それなら雪が降るのも入れたい。当然桜もだ。だとすると最初は、

「雪積もる、花の降りたる寒空に」

 そういえば昨日は、上の句を読んだら桜が現れた。ならば今日も、そうかもしれない。

 期待して数分待った。じっと息を飲んで、風の音の中にわずかな足音も聞き漏らさぬように、身動きに服の擦れる音もさせじと動かないでいた。

 しかし、何もない。身体が冷えてきてコーヒーを口に運ぶ。

 どうやったら彼女に会えるのだろう。

 ──そういえば。図書館で手に入れた資料には、この山の最初の持ち主のことも書いてあった。彼がここにあった桜に魅了されて築山にしたという。それが千年も前のこと。桜は千年もここにいたのに、そんな噂は聞いたことがない。

 ──そういえば。なぜ、歌に反応したのだろう。上の句を歌ったら下の句を返してきた。そこには知識がある。桜は和歌を知っている。

 それを誰から聞いたのか。この山に来た人々からだろう。この桜を見られるなんて貴族や公家の人だろう。だったら、自分の歌が上手ければ、振り向いてくれるのだろうか。

「雪積もる、花の降りたる寒空に」

 続きは、どうしよう。雪、花ときたら一つしか思い付かない。でも、咲き誇る姿も美しい桜にそれは使いたくない。なんだか不吉だし。

 だったら逆の言葉を使おうか。

「あなた……咲く……」

 君、の方がいいかもしれない。

「君と見たいな……」

 いやいや、それではただ心の内をさらけ出しているだけだ。もっとこう、叙情的に、かつ端的に、表現しなくては。

「君を……見る……」

 見る、垣間見。君の姿は見えない、でも花ははっきりと見えている。こんな感じか。

「雪積もる、花の降りたる寒空に、君かくれども、花さやかなり」

 ちょっと捻りが無いだろうか。もっと、掛詞や修飾をして。あと、花が二回出ている。どちらかをまとめて別の言葉を入れたい。前の方をさやかへと変えて、小夜でも入れて。

「雪積もる、花さやかなる、寒空に。

 かくるる君の……」

 夜をどうしよう。月が綺麗? 意味が被る。君が隠れて、にどう繋げよう。

 スマホをいじる。対訳サイトにアクセスして言葉を探す。昔の人は、これを歌の方から探していたのだろうか。共通の理解として歌や漢詩があった。だから、こんなにも広まった。

 ああ、いいものが見つかった。夜が明けてしまう、だ。君が隠れていたら夜が明けて、会えなくなってしまう。雪が積もって寒い、花は目に見えているけど君は隠れたまま夜は明けてしまう。

「雪積もる、花さやかなる、寒空に

 君かくるまま、小夜明けぬべし」

 それとも、会いたいというのは自分だけなのだろうか。桜とはあれきりなのか。

 こうして立っているのがきつくなってきた。休憩小屋を使おう。足を雪から抜いた。

 風がごうと吹いた。舞い上がった雪が粉のようにさらさらと宙を落ちていく。月光が反射して砕けた宝石のように光っていた。

 それを追って視線を上げると、木の枝に桜が座っていた。

 目が合うと身体を宙へ踊らせる。重そうな着物を着ているのに、水中を沈むようにふわりと降りてくる。

「桜……」

 出てきてくれた。嬉しいという熱が全身を駆け巡り寒さなんて忘れてしまいそうだ。

 駆け寄るまでもない。金魚のように服をはためかせて目の前に着地した桜は、目を合わせたまま微笑んだ。微笑み返すと桜はさらに笑う。つぼみが花開くように笑顔は大きくなっていく。

 そんな桜を見て自分も笑う。

 互いに笑顔を作り見つめ合っている。それだけなのに、心が満たされていくこの感覚は何だろう。やはり恋なのか。そう思うと改めて顔が熱くなる。

 赤い顔に冷たいものが触れた。桜が手を伸ばしてきたのだ。

 昨日と同じだ。失敗はしないと決めた。桜を受け入れるのだ。

 桜の手に自分の手を重ねた。脈と温もりが桜から感じられる。

 その姿勢のまま時間が過ぎた。

 ごう、と風が唸る。枝が揺れてざあっと花びらが吹き飛んだ。上がる風に乗って、月の下、輝きと華やぎが交差する。

 雲が動いて月が傾いた。桜の姿が消えていく。

 顔に触れていた手が、自分の手を掴んだ。

 それに合わせて桜が月の下へと足を出す。ゆっくりと、しかし影の歩みよりは速く、桜は雪へ足跡をつける。

 桜の歩みに連れて、手を引かれて風の中へ踏み出した。びゅうと吹く風は寒いけれども花びらが飛び交っているからか温かく感じる。風もなんだか花と雪を舞い上げてばかりで少し変だ。

 でも、いまは桜が気になる。

 夜天を照らす眼の下、どちらからともなく回りだす。

 互いに手と手が触れ合う距離を、指先を触れて離してまた触れて、袖を擦ってはためかせ、くるりくるりと舞い踊る。

 この光景を見ているのはたった一つ、月だけだ。

 月の光が当たる所を通して桜が見える。時折、桜が樹の影に隠れて姿が消える。ゆらゆら、ちらちら、月影で明滅する蜃気楼のような不思議で幻想的な光景。自分もその一部だ。

 この光景を表すならなんだろう。不意を突いて言葉が出る。

「春色の、雪のしじまに影二つ」

 少し目を細めて、桜が口を開いた。

『小夜のとばりに君招くとは』

 言葉が雪に沈んで消えて、二人笑う。

 今度は桜から口を開いた。

『如月の、雪の逢瀬を誰ぞ知る』

「ただ月のみが見下ろしている」

 上の句と下の句を交互に読み合って。心のままに歌い身体のままに舞う。

 風が二人の間に割って入る。花びらは嵐のように舞っている。明里はその中に手を突っ込んだ。小さな手が握り返してきて、引っ張ると自分に飛び込んでくる。

 そうして身体を寄せ合って踊る。 

 この光景をずっと君と作っていたい。今は余計なことを考えず、それだけを思っていたい。この瞬間を、いつまでも雪に閉じ込めて月のランプで輝かせていたい。

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