二日目・二十三日:金曜──昼から放課後3
廊下を抜けて階段を上り二階から出る。山の斜面に建てられているので階差があり、場所によっては一階から入って階段を使ってないのに二階から出るなど複雑な造りになっている。鬼ごっこでもしたら楽しそうだし、文化祭の企画でも似たようなものはあった。
二階を出ると体育館は道路を挟んだ目の前だ。雪かきがされているアスファルトを超えて体育館に入る。
中は熱気に満ちていた。大体育館は中心をネットで区切られ二つのコートに分けられていて、それぞれバドミントンとバレーボールの練習が行われていた。その左側、バレーボール側へと移動する。バレーボールは練習試合中で、選手の動きが目まぐるしい。
千夏自身はこういうのを見るのが楽しい。選手がどのように動き勝利を掴むため試合を運んでいくか。その流れの作り方や一人ひとりの立ち位置など、連携と関係性が動いていく様が好きだ。
でも、明里はどうだろう。スポーツに興味はなさそうだけど、つまらなくはないだろうか。
横目で明里を見る。一応、試合は見ているようだけど、ボールを追ってたり点数を確認したりと、それだけだ。
「明里は、スポーツやるの?」
「やらないし、見るのもほとんど無いよ」
「じゃあ、もう行こうか?」
「千夏は見たいんでしょ。あ、でも千夏は陸上だよね。こういうのも好きなんだ」
「短距離は、最終的には一人だからねー。チームプレーは少し憧れるよ」
本当は、やりたくてもやれないのだけれど。
「ふぅん。ぼくは、一人の方がいいかなぁ」
「そうだね。明里は人に合わせるの向いてなさそうだし。一人でやった方がうまくいきそう」
本当は、どうだか分からないけど。自分と同じだと意識させたい。だから少しずつ、自分と明里の距離を縮める言葉を並べていく。
「そう? まあ、友達もそんなにいないけどさ」
「私がいるじゃない」
「千夏もだよ、友達」
千夏としては、それだけで終わらせたくないのだけれど。
「そうだねえ。友達」
無邪気の仮面の裏側で、彼を自分のものにしようと言葉を巡らす。それが拙いものだとしても。うまく行っているか分からなくても、もはややめる段階は見失って、想いのままに進むだけだ。
「そろそろ次行こうか?」
「分かった」
体育館を出てアスファルトの上を歩く。寒さに震えながら、傾いてきた陽光に二つの影を重ねて次の建物へと足早に移動した。
視聴覚ラウンジは、視聴覚と名がついてはいるけれど一番の用途はxR体験だ。VRとARと、色々楽しむことができる。今日は軽く見るだけだけど、第三高校の生徒なら実際に体験もできる。
行ってみると、そこでは大画面にゲームの様子が映し出されていた。武器でドラゴンを倒すゲームのようだ。プレイヤーはプレイエリアにいて頭にHMDを被り、外にはちらほら観客がいる。その中にもHMDを被っている人もいて周囲を歩き回っている。
「千夏はここ来たことあるの?」
「無いけど、先輩が面白いって言ってたから。明里が好きそうだと思って」
観客に混じってゲームを見る。さっきとは逆に、明里が夢中になる番だ。千夏としてはゲームにあまり興味はないが、実際に人が動き回っているのは面白いと思った。
画面の中ではドラゴンがビルの間を飛び回り、地上のプレイヤーに火を吹いている。その身体にミサイルが当たった。爆発とともに画面が切り替わり、ビルの中で筒を構えているプレイヤーが映る。次の一撃でミサイルが翼を撃ち抜いてドラゴンが落下し、観客から歓声が上がる。プレイエリアでは腰を落としたプレイヤーがガッツポーズ。
「あれ、簡単なの?」
「難しいよ。本当は、何人かで落とすんだけど、一人って」
明里も興奮しているようで画面から目を逸らさず話す。
「下で囮になってる人がいて、誘導してるんだ。一つ間違えれば自分がリタイアするのに。ミサイルは誘導型といってもダメージが通る場所を狙うのは難しいし、風の動きも考えられてるんだよ!」
それよりも、千夏は現実の方の人の動きが気になった。移動する時の動作は小さいが、銃を撃ったり顔を振り向いたりする動きはリアルというよりも大げさで、余計に現実感のなさを感じさせる。
「あれ、どうやって進んでるの」
階段を降りる、道を進む、それは身体とは違う指示の出し方のようで。自分がやっていればすぐにプレイエリアから飛び出してしまうだろう。
「手の中にコントローラーがあって、あと視線かな。動きたい方向を見てコントローラーで速さや階段なんかを調節して」
「銃を撃つのは?」
「ポーズを取ればいいんだよ。それでコマンドが発動するの」
説明してもらっても、あまり面白そうには感じない。自分がやるなら、もっと自由に動けるものがいい。
「……そろそろ行こうか?」
「そうだね」
気を遣われたような感じになってしまったけど、このままゲームを見ているのも退屈なだけ。二人でいたところで独りと同じだ。
ラウンジを出て中央棟へ戻る。今度は来た道と別の道を使う。
「あ!」
「あとで、でしょ」
途中で図書館があったが通り過ぎる。足を止めたそうな明里の手を引っ張って進む。
中央棟の四階まで上がる。正面から右側に学食や生協が入っていて、その中の一つにカフェがある。アフタヌーン・ティーには遅い時間でもいくらかケーキは残っていて、ショーケースの中に彩り豊かに並んでいる。
カフェの中を見ると他にも高校生はいた。自分たちのようにデートっぽい雰囲気の組み合わせもあって、二人でいてもあまり目立たない。少し残念。
「何がいい?」
ショーケースを見ている明里は、ベリー系と柑橘系のタルトの間で目をふらつかせている。自分はまだ決めてなかったけど、これなら。
「まだ迷ってる」
「これと、これ?」
「そう。二つはちょっと多いし、値段も……」
「じゃあ、二人で両方頼もうよ」
「千夏はいいの?」
「大丈夫。他に食べたいものがあったらまた来ればいいし」
また二人で。そう心の中で付け加える。
タルトとお金をその場で交換し、タルトをトレーで机まで持って行く。紅茶とセットで五百円は高校生には強い味方で、大学ならではだ。
明里は柑橘系のフルーツが乗ったタルトを、自分はベリーが沢山乗ったタルトを持って席に座る。
「じゃ、ちょうだい」
手早くフォークを手に取って、柑橘タルトへ手を伸ばした。それを明里が皿を引いてブロック。むう。
「自分で切るから。千夏も分けてよ」
「はいはーい」
だいたい半分に切る。しかし明里が切ったのを見ると、自分が切ったものよりも大きいし明らかに半分以上ある。それをこちらに寄せてくる
「ちょっと大きくない?」
「いいよ。連れ回してくれたし、楽しかったし」
「言い方にトゲが無い?」
「そう?」
連れ回す、はいい意味で使わないと思う。それを言うなら連れて行ってくれた、だろうか。でも、楽しんでくれたなら嬉しい。自分も明里と一緒にいられて楽しかった。
タルトを口に運ぶ。甘酸っぱさと少しの苦みが鼻をついて、食べ進めるにつれて甘さの種類も変わってくる。酸味が強く味も濃かったものが、チーズと混じった甘みが大きくなり、最後には乾燥した生地の中に残り香が消えていく。
柑橘系の方も口に入れる。こちらは果実を包んでいるゼリーの中に匂いが閉じ込められていて、酸っぱさと甘さが同時に口の中に広がる。それをタルトの生地が和らげて、ちょうどいい味わいになっている。
「どう?」
「美味しいよ」
タルトを食べ終えて紅茶を飲む。明里は食べるのが遅い。少しずつ切り分けて一つ一つ口に運んでいるからだ。もう少し手を早くするか一気に食べればいいのに。紅茶を飲み終えたところでようやく二つ目のタルトの半分だ。
「明里は、図書館に何の用?」
食べる速度が遅くなると知っていても沈黙に耐えられなかった。だいたい、こういうのは話しながら食べるものなのに、黙っているなんて我慢できるのだろうか。
「えっと、図書館だよ。それだけで行きたくならない?」
「……」
そういう人もいるのだろう。
「あと、桜のことも調べたかったし」
「桜って、あの山の上の?」
「そう。気になるんだよね」
なんとなく、その反応が気に入らなかった。手を止めて、どこか遠くを見るようにして熱を帯びた声音で、口の端を少し持ち上げて、まるで恋でもしているかのように。たしかに引き込まれるようなものがあった。でも。
「ふぅん」
言葉にトゲが乗る。明里は丁寧にタルトと紅茶を交互に口に入れて、最後に紅茶でしめる。ふう、と息をついて、満足した様子だ。
「待たせちゃったね。じゃあ、行こうか」
明里が先に出て自分はそれに続く。足取りは少し重く、掴もうとした手は一瞬触れて離れて。
夕陽が傾く中、伸びた影を引きずって歩く。日が落ちてきたからか、さっき通った道のはずなのに冷え込んで、図書館に着く頃には山の上にも似た寒気を感じていた。