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夜桜妖夜  作者: Urs
10/15

二日目・二十三日:金曜──昼から放課後1

 今日も睡魔と戦いながらの登校だ。起きるのが遅くなって学校には遅刻ギリギリに着く。ああ、でも、明日は休日だ。好きなだけ夜更かしして好きなだけ寝ていられる。

 そのために寝ておこうとする身体の判断は正直だ。席に着くなり頭が下がって上半身が揺れ始める。すぐに始まった授業も、パスワードを何とか入れてタブレットの電源をつけ、終わり。ノートすら起動させていない。

 授業は途切れ途切れに目を覚ます。休み時間や説明の合間。何かを話していることは分かるけど、一切は記憶に残らない。

 夢もそうだ。

 桜の樹を見ている夢。自分は子供の姿で満開の桜の下にいる。

 風が吹けば白が舞い、その中で立っている。親とはぐれたんだろうか。たった一人でそこにいた。

 それで、何が起きたのか。たださくらを見ていた気もするしすぐに親が来た気もする。

 だが、それも起きたときには休み時間の喧騒にかき消されて忘れてしまう。残るのは、白の吹雪とかすかな桜の香りだけ。

 いつもの春なら学校の桜も咲いていただろうに。今年は山の上であの桜だけが世界に花開いている。街には雪とともに花びらが落ちている。窓から入る風がその香りを届けたのかもしれない。

 腕を上げてのびをする。座ったままで寝ていたからか肩が重い。その手が何かに触れた。

「今日もぐっすりだな。いったい何やってるんだ」

「善治。夜更かし、かな」

「面白いものでもあったか?」

「うん」

 頭が働かなくて変なことを口走ってしまいそうだ。

「何があったんだ?」

「ちょっと、散歩」

「寒いのによくやるなあ」

「誰もいない街も面白いよ」

 ふうん、と善治は鼻を鳴らした。

「ほどほどにしとけよ。自分のノートの方が見やすいだろ」

「さすが善治」

「そう何回も見せてやらんぞ」

「明日は土曜だから大丈夫だよ」

「待て。それは、遅くまで起きていられるってことじゃないだろうな」

「昼間は堂々と寝られるってことだよ」

 そうやって話していると少しは目も覚めてきた。そうすると腹具合も自覚する。

「何か買ってくる」

「おう。午後は寝るなよ」

 善治に見送られて教室を出る。歩けばふらついて人に当たりそうで、早くも動いたことを後悔しそうになる。しかし腹が減れば物を食べるのは道理。夜になる前に倒れてしまっては元も子も無い。

 歩いていると、意識が一瞬途切れた。上半身が倒れそうになるのを首が上下に動いてロック。危うく転ぶところだった。善治には悪いがこれは午後も快眠コースかもしれない。夜に備えておかねば。

 やっとの思いで購買に着いたが、昼休みも半分を回った時間に残っているのはジャムパンが二つ。マーマレードを選んでお金を出す。

 歩きながらパンを口に押し込む。べったりと塗られたバターに挟まれたマーマレードがパンからはみ出して口の中に広がった。コッペパンのかすかな塩味が一瞬にして甘酸っぱさに上書きされる。それを口の中で混ぜながら咀嚼する。まあ、悪くない。

 すぐに食べ終わって眠気が襲ってきた。教室まではまだなのに、身体が。

 今度は踏みとどまれなかった。まぶたが落ちたと認識した時には腰から上が傾いて、足を踏ん張る間もなくかかとが宙に浮いていた。

 手を伸ばした。前に出した。それが何かを掴んだ。

「大丈夫か?」

「あ……えと、」

「立てるか? だいぶふらついていたようだが」

 ゆっくりと手を引っ張られて身体を支えてもらえる。

 背の高い男だ。かっちりと無改造の制服を着こなし落ち着いた雰囲気を漂わせている。

「大丈夫です」

「そうか……保健室、行かなくていいか?」

 体調が悪いわけではない。ただ、寝不足で眠いだけで。これで保健室を利用するのは無理があるし仮病も気が引ける。実際、出席は取らないから寝ててもいいのだが。

「いえ」

「まあ、無理するなよ」

「……」

 ひとつ頷くと、彼は去っていった。ありがたや。心の中でその背中を拝む。

 しかし、教室に戻ると自分の席は埋まっていた。今日も千夏の襲来だ。思わず、げぇと声が出る。ここ最近、来る回数が多くなっていやしないか。そんなに面白いことでもあるのか。

 しかし、当の本人はこちらを見て手を振って、それだけ。席から離れることもせず手を振り続けている。もしかして、手招きしている。

 面倒くさい。そんな気持ちから出る行動は一つ。

「……」

 扉を閉めて反転。保健室へ行こう。

 数歩を歩いて駆け出した。後ろで扉の開く音が聞こえた気がしたが、足を止めるわけにはいかない。安眠を手に入れるんだ。


  放課後*


 今日も桜のもとへ行く。午後は全て休んで頭はすっきり。やっぱ布団で寝ると気持ちがいい。

 雪が固まった道を昨日にも増して恐る恐る歩く。ブーツはもう履き慣れてきて昨日よりは確かな足取りで道を行く。

 住宅街を子供が走りながら雪玉を投げ合っている。子供がひとり道路を横断し走ってきて、そのすぐ後ろから雪玉が飛んできた。当たると思った瞬間に腹に命中して雪が弾け飛ぶ。えげ、と口から変な声が出た。

 その前をチャリチャリとチェーンの音をさせて自動車が通りすぎた。

 目が覚めた。全身に警報が走り心臓が大きく鼓動する。しかし脚は硬直して、風圧で身体がよろけてたたらを踏むと、いつの間にか背中に隠れていた子供にぶつかった。

「あれ、明里じゃない」

 突然の声が来た。同時に、今度は胸に雪玉が命中する。勢いでよろめきながら声の主を見た。

「千夏、部活はいいの」

 息を整えながら言う。まさか、学校の外でまで会うとは思わなかった。家までは知らないし、こっちだったとは。

「雪でできないってさ。グラウンドの整備で日が暮れちゃうの」

「だから雪遊び?」

「そ。楽しいよ」

 明日もだね、と楽し気に笑う。体力が有り余っているのはいいな、と去ろうとし一歩を踏んだ、その肩を掴まれた。

「どこ行くの?」

 一瞬の間に道を渡った千夏が好奇の目で自分を止めている。

「どこでもいいだろ。」

 振りほどこうとした手が、離せない。右手はがっちりと骨を掴み左手はこちらの手首を握っている。下手に動いたら握りつぶされそうだ。それは大袈裟にしても、運動部のパワーをどうこうできる力はない。

 答えなければいつまでもこのままだ。

「……桜を見に行くんだよ」

 嘘をつける余裕もない。素直に白状すると、千夏は満足したように笑って手を緩めた。

「離してくれない?」

「一緒に行こう?」

「遊んでればいいじゃないか」

「こっちの方が面白そう」

 こちらは面白くない。でも、選択肢はない。千夏と善治にはいつも振り回されてばかりで、逆らえたことがない。勢いに押し流されるか押し切られるか。諦めて腕を引いた。

 千夏はバイバーイと子供たちに声をかけて歩き出す。すると肩を離してくれる。でも、手首は掴んだままだ。少し歩きづらい。

「手、離して」

「いやだ」

「どうして」

「逃げるから」

 意気消沈して山までの道を行く。どうせ逃げても追いつかれるのに。

 それにしても千夏は足が速い。急いでいないと追いつかれそうだ。片手がふさがれているから足が滑りそうだし、足も遅くなっているから追い抜かれてしまう。雪道でもしっかり歩けるバランスが羨ましい。

 住宅街を進んで道が上り坂になってくると、千夏も行き先が分かったようだった。

「この道って、山?」

「そうだよ」

「お花見でもするの?」

「……そうだよ」

 ここまでくれば誰でも分かるだろう。そうと知れれば千夏の行動は早い。

「するとあの桜ですな」

「うん。あの桜だよ」

 山への道を引っ張られるように歩く。一瞬手首を握る力が緩んだすきに振りほどこうとしたら、手を掴まれて逃げることもできない。自分より強いだろう握力に先導されるがままだ。

 しかし、なんとなく恥ずかしい。まるで手を繋いでいるようではないか。それに二人っきりでお花見なんて、花火ほどではないけどデートに思えてしまう。だが、千夏に風情を求めてはいけないし期待するだけ無駄だろう。そんな風に意識しても、駄目だったから。

 山に入れば、あとは引きずられるように桜の元まで連れて行かれた。滑っても転んでもすぐに支えてくれる。とんだ身体補助だ。疲れていても強制的に身体を動かされる。

「見えてきたよ」

 階段を上っていると花びらが落ちてきた。顔を上げれば見慣れた桜の木。今日も美しい姿で咲き誇っている。千夏がいなければ静かに見られたのに。

 だが、その偉容は誰にでも等しく降り注ぐ。

「わーお!」

 感嘆の声も大きく、頂上まで上りきると千夏は手を掴んでいることも忘れて走り出した。勢いで手が抜けて、手袋を持って行かれて風が冷たい。

 今日、桜を見ているのは自分たちを含めて六人。その中には神社の人もいて、じっと桜を見たまま動かない。

 桜に見惚れているのだろうか。確かに桜には魔力があると言う。いつの世の人も桜のことを幾度も歌にした。それだけの魅力があるのだろう。この桜には、特に。

 それは自分も同じだ。むしろ、この中で一番かもしれない。何と言っても夜中に見に来るくらいなのだから。でも、それほど桜に魅了されて──あるいは狂って──いることが少し誇らしい。自分はこの桜を誰よりも知っている。月影に映える艶やかさ、風に舞う甘い匂い、雪の上に散る儚さ。それに、桜の下の出逢い。

 でも、彼女は消えてしまった。きっと自分のせいだ。

 あの時どうするのが良かったのだろう。

 桜に嫌われてしまったのか。もう会うことはできないのか。そう思ってしまうとため息をつきたくなる。ずっと上ばかり見ているのも疲れて樹の幹に目が行ってしまう。

 そうしていると後悔ばかりが浮かんでくる。でも、女性の、しかもあんな桜に、何が正解か分からない。そもそも女の人とあそこまで近しくなったことの無い人生だ。確かに千夏とは親しいけど、千夏はあんな感じだから。

 それでも桜にまた会いたい。会って話がしたい。それで──。それで、そしたら、いったい自分はどうするというのだ?

 頭に冷たいものが落ちてきた。空を見ると灰色の雲が流れている。空は風が強くなってきたみたいだ。

「明里、雪が降ってきたよ」

 千夏が駆け寄って来る。

「ああ、そうだね」

 今日くらい、千夏がいていいかもしれない。


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