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夜桜妖夜  作者: Urs
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一日目:二十二日・木曜日──深夜

 深々と雪が積もっている。白く染まった通りは常夜灯と月の光に照らされ淡く光を反射して、その上に雪が黒い小さな影を落としながらちらちらと舞い降りてゆく。

 窓を開けて身を乗り出し、冬野明里(ふゆのあかり)は空を見上げた。雲間から除く月は膨らみを増して凍てつく空に冷たい光の穴を空け、音一つない街は万生が死に絶えた世界のように静まり返っている。日を超えた夜に家の光はなく、足跡を消して雪はつもり、煌々と照らされる世界は銀の中に沈んでゆく。

 幻想的と言うには不気味な静けさで、明里は身震いをした。朝から降り始めた雪は夜になってもようやくおさまるばかりで、吹雪くことはなくても、寒気を引きずり下ろして地上に留めている。

 しかし、魅了される類の不気味さであることも事実だった。

 彼の視線の先には寒さの中で咲き誇る桜があった。マンションの十階から見える淡い色は決して狂い咲きではない。遅れてやってきた大寒波が街を襲い、季節外れの雪を屋根の上に積もらせ人々を眠りに誘っているのだ。

 しかし桜は眠らない。

 常夜灯で星が消えた寒空から、雪と花びらがはらはらと降る。雲間から薄く光を落とす月に照らされて風に舞い、宙を白に染め上げる。白の中に艶やかに桜色の花びらが舞い、匂い立つような色香がある。

 だから、近くで見たくなった。

 桜はかつての築山の上の鎮座している。元々は大名か殿様か、偉い人が治めていた土地で、この桜のために造ったというから酔狂なことだ。だが、この桜を見たならば彼の気持ちも分かるだろう。

 山の頂上を覆い広がる桜の枝。風に乗れば花びらは裾野どころか街まで流れてくる。現在でこの偉容なのだから、今には劣るとしても、築山だったころでも見事だったに違いない。いくらなんでも長く咲きすぎだという声もあるが、神聖なものと囁く声の方が多い。

 それを裏付けるように山の中腹には小さな神社がある。その加護のもとでここまで大きくなったのだろう、と。所詮は噂に過ぎないけど。

 深夜一時半。家族が寝静まった家を出る。寒さに震えながらマンションの非常階段から降りて裏口に立つ。まっさらな雪を踏みしめるとサクサクと音がする。足跡をつける雪の感触が心地良い。厚着でも足どりは軽く、頬に触れる空気が火照る身体を冷やしていく。

 お山の入り口はマンションから一キロメートルほど。標高は低いが雪で上りにくくなっているだろう。ブーツを持っていてよかった。

 それにしても、こうまで静かだと心細い。照らされているのは月と常夜灯の下だけだ。常夜灯の間は光と光が途切れ闇に沈んでいる。常夜灯の裏は光に隠されて影を結んでいる。その影が動いた気がして振り向いた。しかし、あるのは支柱と塀が結んだ影だけだ。何かがいる気配もない。

 見間違いだろう。そもそも影が動くなどあり得るのか。雪には足跡もないし気が張っているのかもしれない。膨らむ不安と闇への恐怖を押し込めて明里は足を進める。

 少しずつ地面が斜めになってゆく。山は全体が公園で、大きめの公園によくあるように入り口の規制は特に設けられていないから入るのは難しくない。元は山だから、いざとなれば抜け道から入ることもできる。

 そうして山に入った途端、いきなり、ずるりとかかとが宙に浮いた。爪先が踏みとどまれなくて足が滑り、膝をつく。雪と服のクッションで痛みはないがこの先の歩みが不安だ。

 山を登る。いささか大げさな表現でも、雪に足をすくわれながらだと正しいようにも思える。硬いアスファルトの感触が懐かしい。

 道は暗いが登るだけなので迷いはしない。しかし分かれ道はいくつかある。左手に鳥居が見えるのもそうだ。三つ又に分かれる道の中心よりやや左側、真ん中が神社へと繋がる道だ。その道は半ば木々に隠れており昼間でも薄暗く、ましてや夜中だ、正直に言えば怖い。いくら神の住まいとはいえ、何があるか分かったものではない。

 上への道を進む。登るにつれて常夜灯は少なくなり、上弦の月明かりだけが道の便りとなる。雪に照り返す月光は木々に妖しく影を作り異様な気配を感じさせる。今更ながら、よくも山へと入ったものだと自分でも思う。これも月と桜の魔力だろうか。

 歩き続けて二十分。ただでさえ滑りやすい階段を最大限の注意で上がってようやく頂上にたどり着く。頂上は広場となっており、中央に大きな桜の樹が一つあるのがすぐに見える。他にはトイレと休憩小屋と自販機と──要するに何もない。

 だが、桜があればそれでいい。むしろそれ以外は邪魔になってしまう。

 例年通りならば、夜にもかかわらずあたり一面のブルーシートで地面が見えなくなっているだろう。昼間ならば数百の人が笑っているだろう。しかし、一昨日からの雪と寒さで花見もそこまでやっておらず、平日ということも手伝って、桜以外のものは雪しか無い。

 ここに来るのはいつぶりだろうか。なぜか子供のころの淡い記憶よりも大きく見える。夜桜は自然界の光を得て滔々と照らし出され、目が離せない。一度心がとらわれれば言葉もなくて、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

 美しい。

 それ以外は頭から消えていた。

 ふと、かじかんだ手をポケットに突っ込む。手袋があっても寒さは末端から沁みわたる。帽子を深くかぶり耳を隠すと、静寂が身を包み込む。風に揺れる枝葉、落ちる花びら、雪を踏む足、それらが生んだ音は消えて、代わりに心臓の鼓動が身体を騒がせる。

 それを消そうとしてか足を動かす。

 桜の周囲をぐるり、大きな幹は大人が十人がかりでも抱えきれないほどの太さがある。その樹が支えるのは広がる枝だ。公園の中心から広場の半分以上を覆い、無数にかさなり重さにしなっている。分かれた枝の根本は通常の桜の樹の幹と同じほどもあろうか。

 そこに咲く花の数も尋常ではない。今は雪と同化しているが、去年など一夜にして広場が桜色に染まったという話だ。花見の後始末よりもそちらの方が大変かもしれない。これだけ散っても二週間は花が残っているのだから、その数はいかほどか。そのあいだ、咲いては散ってを繰り返し、人々の目を喜ばせる。

 それを自分は独占しているのだ。

 誰もいない桜の周囲を歩いている。夢見心地のままに足が止まり、また動かしを繰り返す。

 足跡が円形になり、本格的に寒さが身体の芯にまで届いてきた。そろそろ桜よりも布団の魔力が恋しくなっている。また明日、来よう。名残惜しいが仕方がない。

 道を逆にたどって階段を降りる。ここで足を滑らせ倒れたら身体ごと凍って綺麗なまま死ぬのだろうか。桜の花の死に化粧も悪くない。かもしれない。

 帰るまでにもう一度、桜を見上げる。どうしてこうも心惹かれるのだろうか。日本人は昔から桜を見ていたと言うし自然なことなのかもしれない。いや梅だっけ? まあいいか。

 山を振り返り振り返り降りていく。足下にも注意を怠らずに歩く。まだ夜闇は暗い。だから、道を間違えた。

 どこでどう横道に入ったのだろう。降りていくばかりだから間違えないと思っていた。これでは朝帰りになってしまう。時間を確認すると三時。この寒い中で三十分も桜を見ていた。そう思うと、余計に布団が恋しくなる。

 来た道を戻る。端末のライトで道を照らすと足跡が残っている。それを逆にたどれば元の道に出られるということだ。まだ慌てるような時間じゃない。

 と、思っていた。雪に消えた足跡はまばらな常夜灯とライトだけじゃ見分けがつかない。仕方がないので道が分かれていたら重力に従い降りていく。これくらいの山ならば遭難はしないだろう。きっと。

 歩き続けて三十分。足の感覚が鈍くなってきたころ、ようやく覚えのある道へと出た。真ん中に神社があった三叉路だ。今度は横からの道。随分と遠回りをしていたようだ。だが、無事に帰れると分かっただけでもありがたい。ほっと息をついて山を降りた。

 市街地は、山に比べれば昼間のような明るさだ。行くときは気づかなかったがこれほど常夜灯の存在が心強いものだとは思わなかった。文明の利器に感謝だ。

 それでも人っ子一人いない世界を独り歩いているのは心細い。何かないか、誰かいないか、視線は雪の上をさまよっている。そして思い出したように後ろを向く。遠くから見ると月が桜の上にあり、雪月花といったおもむきだ。この場合、想う相手は誰になるのだろうか。恋などしたこともないくせに。

 ああ、いつまでもこの景色を、などと願うのは少々夢想に浸りすぎだろう。それでも美しいことには変わらない。それに、この情景を独り占めしている気分もなかなかよいものである。

 ただ、寒さにはかなわない。惜しみながら速足になってマンションへと入りそっと家に戻った。目覚まし時計は三時半を指していた。ギリギリ朝起きられるだろう。布団に潜り込み温かさを尊いと思う。明日も学校だ。意識はすぐに闇へと落ちた。


 未だ降りやまぬ雪と桜の花が足跡を消してゆく。そこに薄く影が差した。目を凝らしても、ともすれば見逃してしまうわずかなもの。沈みかける月に照らされて、それはゆっくりと雪の上を進む。足跡はない。しかし雪も花びらもその影の中へと落ちてゆく。

 影が動いている。現象としてはそれだけである。だが、影を落としている物体が視認できないのだ。虚空をすり抜け雪と花は落ちる。しかし月光だけが通らない。そして、影はゆっくりと、残された足跡をなぞるように移動する。

 秋月(あきづき)(はるか)はそれを暗がりから見ていた。影は明里が残した足跡をたどっていた。まず一周。逆回りにまた一周。それから桜の樹へと向かい、地上に出た木の根と重なる。その様子は消えてゆく足跡をじっと見続けている──ように見えた。影だけがそこにある、何をしているかはその影の持ち主にしか分からない。

 スマホを取り出しカメラを起動して向ける。影しか映っていない。次に、鳥居のアイコンをしたアプリを起動しそのビデオ機能で撮影する。その中には、うっすらとだが虚空にも影があった。ぼんやりとだが、月の光を通さない何かがそこにいた。さらに光学補正がかかり陰影が自動で修正され、月の下といえど夜なのに綺麗に映っている。さすが最新機器。

 と──唐突に影が消えた。時計を見ると四時を回っている。東からはまだ光が昇っていないが月は消えていく。もう日の出が近い。

 だが、まだ異常がないとは限らない。十五分にわたり周囲を仔細に確認し、アプリのカメラ機能とただのカメラを使って肉眼と見比べる。双方一致、問題はない。ほっとしてあくび混じりの息が出た。この任務、眠いのが一番の問題である。

「ふあ……」

 このことをどう報告したらいいものか。

 異常は明らかだ。事象も簡単である。しかし一般人が関わっている。その対処を含めて上に報告するとなると今の頭では正気度が足りない。

 忘れないうちにメモを取る。同じアプリのメモ帳を開き音声入力モードにして、

「四月十三日水曜日、四時二十三分、記録開始」

 このところ妖邪の気配が濃くなっていること。街の見回りをしていたら少年を見かけたこと。後を追ったら桜にやって来たこと。桜に魅入られたようだったこと。桜の周囲を一周したこと。三十七分滞在したこと。帰り道で迷ったこと。その後、桜の周辺で謎の影が出たこと。物体は透過するが月光で影になっていること。通常の電子機器には映らないこと。周囲の足跡をたどっていたこと。

「──記録終了」

 口述していったん保存。編集中のタグをつける。

 報告書にするのは起きたらでいいや、と遥は帰り道に足を向けた。大学は、サボる。


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