表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

今日も棚上げ

 弱肉強食の話の続きです。


 クモでもヤモリでも、近寄ると怖がって隠れたりします。「怖い」「痛い」という感覚は多分多くの生き物にありますね。


「怖い」「痛い」とか感じるのは心があるということだと思います。カマキリなどちょっと何考えているのか分かりづらい生き物もいますが、多分何か考えているんだと思います。


 鳥や虫は飛ぶ。人間は二足歩行する。


 それぞれの生物の生き方って、誰が決めたんでしょうね~……。

 虫が脱皮したりサナギになったりするのも、そういうものだと言えばそれまでですが、誰が生物の構造とかシステムを考えたのだろうといつも不思議に思います。


 人間のシステムも、人間だけで考えているわけじゃない気がしますよね。物理学にせよ医学にせよ(詳しくないのでまったく分かりませんが)、既にあったものを研究・解明しているのであって、すべてを一から作ってはいないですよね。


 すべてを一から作った人はいないと思います。人も生物も、体の構造とかは本人が考え出したわけじゃないはずです。物の性質とか、システムも。


 色々なものが組合わさってシステム化したり生態ができたりしているみたいですが……

 なぜそこにそれがあったのか? なぜそうしようと思ったのか? どうしてそうなったのか? と思うことがいっぱいですね。

 すべての人を納得させる完璧な答えはなさそうです。


 多くの生き物は他の生き物からエネルギーを得ているようですが、生き物以外からエネルギーを得ることはできないですかね~……。食べるシステムってやっぱり可哀想です。


 ……私は二回ベジタリアンを目指して、どちらも数日で断念したのでもう何も言えませんけど……(汗)。

 意思薄弱ですね。意思の強い人を尊敬します。


 えー、「死ぬために生まれる命などない」と信じたいのですが、実際には絶対犠牲を必要とするシステムとなっております。

 ここでいくつか疑問が……。


「捕食される動物」は、なぜもっと激しく反撃しないのでしょうか?


 生き物は進化ができるんですよね。そんな簡単なことじゃないとは思いますけど……。普通の草だった生物が、進化の過程で虫を捕らえる能力を身につけて食虫植物になったりするんですよね。


 実際そうなっている生き物がいて、可能なんだったら……なんでみんなもっと強くならないんでしょうか。毒やトゲを持つとか知能を高くするとか体を大きくするとか、方法はあるはずです。


 けどあまりに激しく進化すると莫大なエネルギーを必要とするから生き残るには非効率だとか、度を過ぎた能力は邪魔だとか、食べられることも含めて戦略だとか、なんか色々あるんでしょうね。


 でも、食べられてくれる生き物がいないと生態系が回らないから、捕食者のためにわざわざ犠牲になってくれている生物がいるように感じてならないです。

 一応抵抗はしているはずですけど……なんか見えない関係性がある気がしますね。


 そもそもすべての生物の祖先は同じで、生物は皆兄弟なんですよね? 何のためにこんなにもバリエーション豊かになって、それで食べ合っているんですかね。

「私たちはこういう役割をする」

「OK,私たちはこっちを演じるね」

 みたいな話し合いでもあったんですかね……。


「自然は同種同士の無駄な争いを避けさせる」とかいう話も時々聞きますが、「自然」ってホントに誰なんですかね。どこかに意思を持つ何かがいて、それが人間も含めすべてをコントロールしている管理人のような気がしますが……。


 さて、次の疑問に移ります。

 食われる生物は必要ですが、その割には一匹一匹の生物が丁寧に作られていますよね?


 昆虫の姿も植物の姿も美しいです。生物学とかよく分かりませんが、一種類ずつ作り込まれているなぁと感じるし、設定やシステムがしっかりしており、それぞれの個性もある気がします。


 一匹一匹が、自然が心を込めて作った芸術品のように見えるんです。みんな細部まで手の込んだ作りになっています。多様な生物が生み出す情景は美しく、よく言われますが、確かに自然はアーティストだと感じます。種類を増やしたのは芸術のためだと思えてなりません。


 人間に「美しさ」を感じる心があるのは、自然が美しさという概念を持っているからだと思います。動物も自らの美しさを知っているようです。


 ……しかし、作りは精巧なのに扱いが雑すぎません?

 作品同士をぶつけあって破壊するのが最高のアートだとでも思っているんでしょうか? 何考えてんだか知りませんけど、ちょっと異議ありです。一作品として意見・要望を提出したいところです。


 ……戦いにばっかり目を当てているから、成り立っていること・継続していること・守られていることが見えてこないんだよ、って反論されそうですが……。


 ……もし、綺麗な絵や小物を渡されて「それ壊しといて」と言われたら、「えっ? 壊しちゃっていいの? なんか分からないけどコレ大事なものじゃないの?」と思いますよね。


 弱肉強食に対してもなんかそんな感じがするんです。そもそも破壊活動によって生命を維持するって非生産的ですし。生物=食べ物でいいんでしょうか? 生物のエネルギー源が生物である必要はあるでしょうか?


 食べ物を芸術品のように美しく作る方もいますし、それは尊敬します。美しく作り美味しく食べるのは素敵なことだと思います。


 けどやっぱり、生物は元々食べ物じゃない気がするんですよね~……。歯や消化器官がありますし、確かに食べるための構造をしていますけど、元は食べるために作られたものじゃない気がします。


 そろそろ弱肉強食制廃止してもいいんじゃないですか……ね?


 えー、最後の疑問です。

 食べられる側に恐怖や痛みがあるのはおかしいです。


 みんな食うか食われるかしなきゃいけなくて、食われることを回避する防衛本能(?)として痛みや恐怖があるのも当然ですが……


 やっぱり食べられる側が恐怖や痛みを感じるのは可哀想です。


 豚には犬と同じくらいの知能があると聞きましたし、牛は殺される直前に涙を流すことがあるそうです。ペットは可愛がられて家畜は食べられるというのもなんだか気の毒です。


 とにかく食べたり食べられたりしなきゃいけないなら、痛みとか恐怖とかいう感覚を取り去ってほしいです。


 それとも可哀想とか、食物連鎖に違和感を感じる方がおかしいんですかね……?


 けど無駄がないはずの自然において、動物の本能に逆らうような余計な感情が人間の中に芽生えたのはなぜでしょう? 「可哀想」という感覚はどこから来たんでしょうか。


 そして、食う者と食われる者の関係を越えて、違う種類の生き物たちが仲良くなることがあるそうですが、そんなことはどうして起きるんでしょう?


 違う種類の生き物たちが仲良くしている画像とか動画を見ると、何かを感じます。

 人がそこに感動を覚えるのは、「天国」とか別世界の記憶がみんなの中にあるため懐かしさを感じるからじゃないですかね……?

 生き物たちにも、本能とは別の何かがある気がします。


 違和感や悲しみ、「可哀想」という気持ちが沸くことが、別世界がある証拠だと思います。別の世界の感覚を持っているから、違和感が発生するんだと思うんです。


 人間には理性があるから他の動物とは違う、って説がありますが、大差ない気がします。「可哀想」って感覚はどちらかというと理性ではなく、どこかから来た本能じゃないですかね……。


 ……畜産農家の方には日々間接的にお世話になっていますし、とても感謝しています。畜産を批判する意図はありません。


 また、食を追求する方を批判したいのでもないです。

 私も食欲旺盛ですし、ゴチャゴチャ言う資格はありません。美味しく食べるのはいいことだと思います。


 システムの変化によって誰かに迷惑がかかるのなら、とても難しいことですが……


 誰にも迷惑がかからず、誰もが幸せになるような「天変地異」が起これば嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
現在ノベリズムで投稿中です。よろしくお願いします。
↓画像リンクです。押すと作品一覧に飛びます。

月澄狸 ☆ マンガ投稿中 月澄狸 ☆ マンガ投稿中 月澄狸 ☆ マンガ投稿中 



― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ