大切なもの
いきなり何かが飛び出してきた。地面に広がる赤い水たまりが、じわじわと広がる。口に広がった鉄の味が鼻を刺し、その時初めてそれが血溜まりだと気付いた。
「え……え?」
もう涙も引っ込んで、止まった馬車に尻餅をつく。
「ひ、人……」
震える声が唇から零れた。だって、あれは、明らかに。
「死んでる……の?」
悲鳴混じりの質問には、誰も答えなかった。静かな空間にスラムの喧騒がやけに小さく聞こえる。
「……誰か、誰か!」
『……!』『……?』『……』
恐怖で絞り出した声に、ドアの奥が、騒ついた?
「誰かいるの!?」
引きつる声。何も返ってこない。
「いるんでしょう?返事をしなさい!」
じりじり血溜まりが迫ってきて、怖くて、苛立って、つい命令してしまう。
チャリーン
「え!?」
返事はなかった。でも、あの音は!
『金貨3』
ボソッと聞こえたその声が、その音の正体を小さく教えた。
「私のお金よ!」
奪われてしまう!そう思って慌てて立ち上がる。慌ててフードを被り急いで走り行く。
滑ってよろけながらも、必死だった。倒れたドアを超えて、音のした馬車の操縦席の部屋に飛び込む。
そこに見えたのは。そこで向かい合ったのは。
「子供……たち?」
「子供……だね?」
わらわらと、暗闇の中に潜む子供達だった。きょとんとした声が重なる。
「なんで、子供が……じゃなくて、金貨を返しなさい!」
まだ幼い顔に大量の血をつけた子供達に、立ったまま言い放った。無垢そうな顔が睨んでくる。金貨を渡すつもりはないみたい。
こいつらは敵よね。殺されるかもしれない。でも、それでも。
「私のものよ!」
……金貨を取り返さないといけないの!
「やだよ!殺すぞ!」「死んじゃえ!」「ぶっ殺す!」「とっとと殺す!」「今すぐ殺す!」「さっさと殺す!」「今殺す!」
叫んだ言葉に、帰ってきたのは殺意。バッと近づく刃を避けるため身構えた。
こいつらぐらいなら、行ける。武器があっても遅れは取らない。武術を習ったことぐらいある。
あの子のためなら、私は━━━━
「やめろ!」
その時前から聞こえた凛々しい少年の声に、場が固まった。
「お兄ちゃん!」「にいに!」
「お前ら!仕事はそいつじゃねぇぞ!」
「だ、誰よ……」
突然現れた同い年ぐらいの少年に、戸惑って質問を漏らす。
とても慕われている、薄茶の髪の少年。
子供たちだけだったら、どうにかなる、そう思ったのに……。
無理かもしれない。
髪まで売ったのに、全部取られる?忌々しくて、フードを握りしめた。ギッと睨む。子供達に睨まれる。
睨み返した子供の目をふさいで、少年が言う。
「お前こそ?」
「ロアよ」
小首を傾げて聞かれて、反射的に答えた。もちろん偽名。だって、私が私だとバレたら……考えるだけで恐ろしい事。何をされるかわからないわ!
「怪しいものじゃないわ、さぁ、金貨を返しなさい!」
「俺はキセル、だけど金貨?は返さない。つーかここにいる時点で全員怪しいよな?」
「ばっかじゃん!お兄ちゃん!こいつばっかじゃん!」
「ばっかだね!ばっかだねー!」
手を広げて言い放ったら、馬鹿にしたように笑われた。そして馬鹿にされた。むかっとしてキッと睨むと、子供とは思えないすごい顔で睨み返され……思わず一歩下がる。
「……ってことだから、諦めて帰れよ。お前さ、俺たちに救われただろ?」
「ぐっ……だからって、金貨三枚はダメでしょう。せめて一枚にしなさい!」
「断るね、三枚!」
「くっ……」
さん、と指を立て宣言される。
こんな屈辱は初めてだった。ギリギリ歯を噛みしめると、べーと舌を出され、ますます……。
「金貨三枚ごときで何をぎゃあぎゃあ言ってるのかしら!」
「それ自虐だな?」
ゲラゲラと笑われる。ああああああああああああ!
「もう!馬鹿じゃないの!?」
「馬鹿はそっちだよなぁ?」
「早く消えなさいよ!」
「お前早く消えそうだよなー」
言葉を投げつけるたびにヒョイっと投げ返される。言葉の当たる位置はあまりにも的確だった。
「煩いわね!」
「今のお前の叫び声」「煩いー」「うるせー」
「あなたたち……!」
ビキビキと青筋の経つ心。怒りで真っ赤になる顔。
ギリギリと歯を噛みしめると、嘲笑が耳に刺さった。無礼者!と叫びたい。
「つーか、フード取らねぇと。失礼だぜ?」
「いやよ!」
「えー、なんでー」「傷跡?」「やけど!」「キスマーク?」
「ばっ……!私があなたたち如きにフードを外すわけがないでしょう!」
「ハッ、フードがそんなに重要か?何か面白い秘密があるのかね?」
「そんなのない!」
「じゃあさ、これあげるからさ、フード取れよ」
「それは……」
そいつが突然懐から取り出したものは、綺麗な、青い、あのナイフだった。
馬車で見つけて、命を救ってお金を稼いだ、あのナイフ。
「それも私のものよ!」
「やっぱり。いるのか?」
「いる!返しなさい!」
「なら!外しなさい!」
ドッと巻き起る笑いが本当に忌々しい。でも、フードは外すもんですか!絶対に外せないわ。
素直に返せばいいのに。だって、このフードに隠されているのは……。
「おっと手が滑ったー」
「キャ!?」
いきなりフードめがけて手が飛んできた。慌ててフードを握る。子供の一人が強硬手段に出た!
膝をつくと、下から取られそうになる。うざったいわ。子供なんて嫌いよ、大嫌い!
「おっと足がー」
「うっかり腕がー」
「あはははは、いいぞいいぞー!」
周りみんなに笑われて、恥かしくて、悔しくて。
金貨は返してもらえなさそうで、ナイフさえも奪われた。
そんなことを考えると、疲れ切った神経から思わず涙が滲む。視界が濁る。
その一瞬の隙に━━━━
「おっと手が滑ったー!」
「しまっ」
ぱさり、とフードが取れた。
風が耳に当たる。━━━━尖ったエルフの耳に。
「え……エルフ!?」
バッと耳を隠す。周りの目が大きく見開かれた。
「エルフだ!」「エルフだね」「エルフー!?」「えるふ?」「えるふっ!」
「……ーーーっ!」
バレた。さあっと血の気が引いていく。
慌ててフードを被り直し、馬車を飛び出す私……の手をキセル、が握りしめた。
「お前、金貨返すからさ、仲間にならねぇ?」
バレたらこうなる。わかってたから、逃げたのに。嫌だったのに。掴まれた手はあまりにも冷たい。
仲間になれば売り払われるのに、仲間になるしか道はない。首に当たった刃がそれを冷たく物語っていた。