二度目の絶望、聞こえた希望
「さて、これからどうしよう」
スラム街の、冷えて朽ちかけた椅子に座る。途方にくれた呟きが、スラムの汚れた虚空に溶けて行った。
「綺麗な、だけ?」
金貨三枚を太陽に翳し、呟く。
三百シードも手に入れたけど……流石に、お墓にはこれだけじゃ足りないだろう。
それに、あの子の亡骸だってまだ手に入ってない。……そういえば、どうすれば手に入るのかしら?
……一番手っ取り早いのは新たな権力者に取り入る方法よね。きっと、亡骸の所有権はそいつが持ってる。
でも、取り入るためには……うーん……貴族か……商店の、偉い立場、例えば社長とか……そういう人になる必要がある。
「商店、商店、商売……商売ねぇ……」
商売って言えど、心当たりがない。売る物の入手方法も、そもそも何を売ればいいのかもわからない。
「!」
そういえば!……たしか、女はミズショウバイ?をすれば手っ取り早いって昔、メイドが話していた!
……ん?それって、どんな商売なのかしら。水を売るの?ミズショウバイ、みずしょうばい……
東北の島国に「水茶屋」っていう。『街路などで茶や菓子を供し、人々の休憩所となる』店があったってこの前学んだけれど……それかしら。店でもあれば確認できるんだけど…………えっと、どこかに……。
「あ」
しまった。
キョロキョロ辺りを見回して、初めて周りの目が全部こっちに向いているのに気がついた。
……金を持っているって、気がつかれたわね。このままじゃ取られそう。視線に、鳥肌がたった。
真っ暗な無表情の瞳が、全部こっちに向いてる。周り全部がお化けみたいに見えて、身震いする。
……絶望にまみれた、真っ黒な目に見つめられるのは好きじゃない。
「………っ!」
とりあえず、さっきの路地裏に戻りましょう。一夜を明かせられるぐらいには安全なはず!
方向転換して、たっと駆け出した。やせ細った奴らは、幸いにも追って来れなかったみたい。
やっと着いた。これで安心。
金貨を持っている以上、大金を持っている以上、安全な場所はどこにもないのにそう思ってしまった。
その所為で、私は━━━━
「はぁ、はぁ……キャ!?」
路地裏に入った瞬間、頭を殴られて気を失った。
━━━━お父様、痛いよ……やめて……!
「ん……」
ふと気がつくと、カタカタ揺れる冷えた地面で倒れていた。
ぶるっと身震いして、目が覚めたらしい。見れば、ローブが何故か脱げていて、少し寒い。
「ここ、どこかしら」
キョロキョロと辺りを見回す。
クリーム色のごわごわした皮が周りに貼ってあって……木材とか、古ぼけた花瓶だとかが大量に積まれている。私は、片面に貼られた木で出来た見すぼらしい壁のドアにもたれ掛かっていた。頭がヒリヒリするところを見ると、思いっきり投げられたらしい。……なんだか、とっても見覚えがある光景ね。
恐らく、ここは馬車の積荷。それも、昨日のとは別の!
私は二日連続で何者かに攫われたみたい。
またか、とうんざりする思いに体が重くなった。さすがスラム、呆れるぐらい治安が悪い。
「……あれ!?……ナイフがない!」
もう一回ナイフで逃げよう……と懐を漁った。でも何にも手に当たら無い。慌てて体全体、そこら中を探す。
「やだ!金貨もない……」
身体中を探られたらしい。大切なものは何も残されていなかった。
せっかく手に入れたのに、と涙が出そうになる。
「……どうしよう……」
逃げる術を一気に失い、寝ぼけて呑気になっていた頭が覚醒した。
ひんやりした焦りが背筋を凍らせる。心臓の音が少しずつ大きくなって、お腹が昨日の様にキリキリ傷んだ。
「……どうやって逃げれば……」
そこら中の壁を、皮を、押しまくる。ピクリともしない。
焦って、だんだん!と壁を叩いても、案の定反応なし。
ぐっと、天井と貼られた皮の隙間に手をかけて体重をかけた……壁は微動だにしなかった。
「う、ぅ」
蹴破れるかと思いドアを二、三回どんどん!と蹴った。
ガチャッと鍵が当たる音がし嬉しくなり、ドアノブをガチャガチャ回す。
外れない。体重をかけて押したり乗ったり引いたり、あの手この手で弄り回す。
「あ、あかない……」
叫んでも反応はない。暴れても出されない。弄くっても何もない。
絶望して座り込んだ私の手にも、何も当たらなくて。
「う……」
まだ10歳、とみんなは馬鹿にするけど……自分では大人だと思っていた。
お父様にいくら利用されても、泣いたことはなかった、それなのに。……それなのに。
「ふっ……うぅ……ふぅっ……」
なんで今こんなに涙が出そうなんだろう。
静かな馬車の冷たい音は初めてで、怖くて。また泣きそうになって、でも泣きたくなくて。
ボロボロで壊れそうな心。見苦しい涙。あの子の方が怖い思いをしたって、知ってるのに。分かってるのに。
やめて、まだ壊れないで。諦めたくない。誓ったのに。
……代わりに扉を壊せばいい。早く壊れればいい!
「……壊れなさいよ!」
どんっと、思いっきり扉を叩いた。音は響かずに、虚空に吸い込まれ、消える。
シーンと静まり返る幌の中。積荷に混ざると自分も壊れかけの積荷みたいに感じてくる。
……怖い。誰か……誰かに、会いたい。
「怖いよ……ごめんなさい、ごめんなさい……」
弱くて、気持ち悪い自分の心。立つ鳥肌も、震えも憎くて、でも怖くて……それが何より、情けないくて。
「誰か、助けて……」
小さく漏らした、消えて欲しい言葉。きっと誰にも届かないと、涙が溢れた、その瞬間。
『…か…いで』
声が聞こえた。優しい声。安心を求めて思わず顔を上げた、その時…………
「おらっ!」
「お前!?」
「死ね!」
「ガッ」
「てめえ!」
バコン!ドコン!ガッタン、ドーン!
何かの争う音が突然響いた。扉越しに衝撃が走る。扉の向こうは、多分、操縦席。
私を攫った奴らがいるところだ。向こうで、何が……!?
「何……?何が起きてるの……!?」
びっくりして、後ずさりする。皮が背に当たった、と思うが早いが。
バッコーン!
「きゃっ!?」
私の視界の真ん中に、真っ赤な何が扉を割って飛び込んできた。……人の形をしている?
周りに飛び散る赤い滴。驚いた私の顔に飛んだ液体は、鉄の味がした。
扉に大きな穴が開き、鍵は吹っ飛んだ。
扉は錆び付いた鈍い音を立て、ゆっくりと倒れて、私は助かった……のかしら?