満月の森
「はぁ、はぁ。がはっ、けほげほけほっ、けほっ」
見張りのいなくなった城を、飛び出した。
薄暗い森を駆け抜ける。視界はとっくに霞んでいるし、ドレスもびりびり。でも、それでも走った。ふらふらし動かない足を動かして、血がにじむ体を叱咤して、唇を噛み締めて。走る、走る。
早く、逃げなきゃ。戦士達のいないところに。反乱軍が来る前に。
いつの間にか暗くなり、道も碌に見えなくなった。
木々が風で揺れる音と、カラスの鳴き声、それに自分の荒い息しか聞こえない。
お城の賑やかさはどこにもなく、冷たい風が傷口に染み、痛い。
泣きたくなかったけど、自然と顔が歪んでいく。鼻がツーンとして、噛み締めた口から嗚咽が漏れた。
裸足に石が食い込み、痛い。足もとても痛い。冷えた体に流れ落ちる涙の暖かさが変に目立つ。
それでも、それだからこそ、何も考えず暗闇の中を無我夢中に走る。
もう周りは真っ暗で、手を伸ばしたらもう自分の手が見えない。
この道があってるのか、この道でいいのか、この道は安全なのか、わからない。
「キャッ!?」
突然、地面がなくなり、足を滑らした。下に、下に、転がっていく。
木の根っこや、岩が身体中に当たって傷が増えていく。
声も出ない。
回る視界に、少しだけ見えた空。満月が浮かんでいた。
ーーーーーーーーー痛いよ、助けて。お父様。
自分が何を思ったのかも分からず、意識が途切れた。
「……………ん。」
眩しい。
目を開けて、まず映ったのは太陽だった。気持ちいいぐらいの明るさ。
あまりに明るすぎて、思わず顔を背ける。
「ブッ、ゴホ、ガボガボ」
水が鼻に入ってきた。ゲホッ、辛い。
どうやら私は川にいるみたい。背中にゴツゴツした岩が当たって痛い。
とりあえず、起き上がろう。背中を起こして座ったら楽になった。
見れば昨日傷だらけだった体は、今は傷だらけという程でもなくなっている。
人間のお父様の体では、私はもう死んでいた、確実に。
「ーーーお母様のおかげだわ」
神秘の種族、エルフ。人間の肉体よりはるかに強く、美しい。
天使の次に神に近い種族であり、私のお母様の種族でもある。
その血をお母様が私にくれたから、私が今生きていている。
お母様は私が小さな頃に死んでしまったけど、忘れていない。
美しい金髪碧眼、エルフ一と謳われた美しい容姿、清らかな心。本当お父様にはもったいない……
あ、お父様といえば
「あの子、今どうなったのかな」
今までボケっとしていたのに、急に思い出した。
お父様に剣を突き立てたあの貴族の子。私と同じ金髪碧眼なあの子。
ーーーーーーーーーおそらく、私の代わりに捕まった。
面識も一切なくて、ドレスを着ていたから貴族だとわかった、そんな知らない子。
なんで残ってくれたかすらもわからない、なのに私はあの子を置いて逃げてしまった。残ってくれたのに。一人だけ、たった一人だけ。
「なんてことをしちゃったの、私」
何してるんだろう、私。他人を犠牲にして、自分だけ生き残って、お父様と一緒じゃない。
罪悪感に押しつぶされそうになる。
「泣いてどうするのよ」
泣いてもどうにもならない。分かってるはずなのに、涙が目に溢れる。顔が歪む。
辛くて辛くて、目を閉じた。それでも、まぶたの裏にいろんな人の顔が浮かぶ。皆、もう死んだ人だ。ーーーーーー私のせいで。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ」
何かから逃げるように走り出した。
昨日目指していた目的地に向かって。
走って、走って、ひたすら東に向かって走ったら、古びた家とガラクタでできた町のようなものに辿り着いた。
スラム街。
死臭と腐臭が鼻を突く。全体的に活気がなく、どんよりとしている。泣き声と罵声、カラスの鳴く音しか聞こえない。ここはこの国の貧民や孤児が集まり、いつしか無法地帯となった場所。私が唯一来れる場所。歩き出す。路地裏で少年たちが虚ろな目をして座り込んでいるのが見えた。
しばらくふらふら歩いていたら、後ろから突然ガサッと音が。
「もがっ!?」
「捕まえたぞーーー!!!」
いきなりゴツゴツした手が口を覆う。嫌!何これ、動けない。
「ふへへっ、エルフの上玉がこんなところに落ちてるなんてなぁっ!」
後ろから、いやらしい笑い声と、男の喋り声が聞こえた。
必死に暴れたけど、体を掴まれて、上手く動けない。
「なぁ、こいつ、いくらで売れると思う?俺ぁ百万ギルにかけるぜ!」
「百二十万!」
「百五十万!」
「いや、洗って小綺麗な服を着せりゃあ二百は超えんだろ!」
「うっはぁ、まじかよ!!!」
こいつら、私を売る気!?怖い、怖い、やめて!
いくら暴れても、離されない。どんどん引きずられて、男たちの馬車に着いた。
馬車の積荷のところに放り投げられ、閉じ込められる。助けて、お願い出して。
叫んでも反応はない。暴れても出されない。絶望して座り込んだ私の手に、ナイフの柄があたった。