第四十六話 嵐の前
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七月十九日、深夜。
人気がなく、ひっそりと静まり返ったとある街の一角で、一人の男が不敵な笑みを浮かべながら立っていた。
彼の目の前にあるのは、血に染まった夥しい数の同じ顔を持つ人間の死体。
「くくっ、弱ぇ」
街灯の下で、あざ笑う男。
その背後から、ひっそりと人影が近づき、油断しきった男の頭めがけて、伸縮性の警棒を振り下ろす。
だが、
「っ!?」
「バレてんだよ。バーカ。」
警棒が頭にぶち当たる寸前、男の足元から黒い剣が飛び出し、人影を刺し貫く。
「がっ……」
咄嗟に退くことで、辛うじて急所は免れたものの、脇腹をえぐられ、血がボタボタと零れ落ちる。
「おっ、避けたか。エライ、エライ」
パチパチと拍手する男は、うずくまる人影を小馬鹿にする。
「まあ、実際大したもんだぜ。薬に頼ったとはいえ、Cランクごときが、Aランクである俺様を十分も足止め出来たんだからよ」
「ふざ、けろ」
血の滴る脇腹を手で押さえながら、ホープの一人、梅宮修吾はキッと睨んだ。
「あ? 何だよ、その目は」
「俺は、お前を……許さねえぞ。峰村」
ストレートな怨嗟の感情をぶつける梅宮に、峰村と呼ばれた男はチッ、と舌打ちする。
「“先輩”をつけろよ。後輩」
不愉快だと言わんばかりに峰村は、梅宮を蹴り飛ばす。
「がぁっ!」
「さ~て、そろそろ終わりにするか」
道路にうずくまる梅宮を見下ろす峰村の周りには、いつの間にか白く光る数十もの剣が浮かび上がっていた。
「あばよ」
その言葉と共に、光る短剣は一斉に梅宮へと襲いかかってくる。
(くそっ)
梅宮は心の中で毒づいた。血が多く流れていったせいか、うまく足に力が入らず、立つことすらままならない。
絶体絶命の窮地に追いやられた梅宮は、悔しさを滲ませた表情を浮かべる。
(こんな、こんなところで……)
光の剣が迫り、死を覚悟する梅宮。そんな彼の前に突如、地面から一人の少年がすり抜けるようにして現れる。
「ん? …………っ!! やべぇ!!」
優越感に浸っていた峰村は、現れた少年を確認するや否や、焦ったように光剣の向きを変える。
結果、梅宮へと飛来した数十の光剣は、全て彼を避けるように地面へと突き刺さった。
(危ね~。流石に、今のはちょっとビビったな)
一瞬とはいえ危機感を抱いた峰村は、目の前にいる少年の能力を思い返す。
「……だから、待ってろって言ったのに」
梅宮をかばうように立ちはだかったのは、彼と同じホープの一人。
食らったダメージを全て本人にも与える、因果応報の能力者、佐藤大。
「久しぶりだな。”引き分け師”」
「…………」
峰村は気安く声をかけるが、佐藤は無視して、梅宮のそばに駆け寄る。
「大丈夫か」
「ギリギリ……」
そう答える梅宮に、佐藤は彼の斬りつけられた脇腹と、そこからとめどなく溢れ出る血に目を向ける。
今すぐ命に係わるようなものではないが、重傷であることに変わりはない。
「シャドー。頼む」
「はいは~い」
佐藤の影からぬぅ、と現れたシャドーは軽快に返事をすると、梅宮を自分ごと影の中へ沈めていく。
その間、峰村が攻撃してこないよう、佐藤は自分の身を盾にして二人を守る。
「はっ、涙ぐましいね。ザコ同士のかばい合いってのはよう」
「っ!! この……」
せせら笑う峰村に、梅宮はカッとなり言い返そうとするが、それをシャドーが抑え込む。
「はいはい。いちいち反応しないで下さいよ。大けがしてるんですから」
梅宮が変な気を起こさないよう、シャドーは手で制し、二人揃って影の中に消えていく
それを見届けた佐藤は峰村に背を向けると、スタスタと歩き始めた。
「おいおい、何だよ。お前、もしかして逃げる気か?」
「だったら、何だ」
立ち去ろうとする彼に、峰村は再度声をかける。
それに対し、佐藤は険のある声と態度で応えた。
「いいのか。お前にとっても、俺は敵のはずだろ。あっ! もしかして、怖気ついちゃったのかな~?」
ニヤニヤしながら、峰村は煽ってくるが、肝心の佐藤は顔色一つ変えなかった。
「俺は修吾とは違う」
「……チッ。つまんねえ奴」
挑発に乗らない佐藤に、いやらしい笑みを浮かべていた峰村は一転、ひどく不満げな表情へと変わる。
腹いせに道路に残った梅宮の分身体を蹴り飛ばそうとしたが、直前で跡形もなく消え、つま先が空を切った。
「クソっ!」
イライラが募る峰村を尻目に、佐藤は今度こそ立ち去ろうと足を踏み出した。
その時。
「―――――っ!!?」
ゾワッ、と身の毛もよだつ不気味な何かを、佐藤は感じ取った。
(な、何だ!?)
恐る恐る振り向くと、峰村がマズイ、というような顔で上空を見上げている。
その視線を追った先にあったのは、黒い霧か靄のようなものの塊だった。
(何なんだ、あれは!?)
佐藤はその場で硬直し、その奇怪な物体から目を離せずにいた。
その間に、その黒い塊は一気に地上に降りてくると一瞬のうちに形を変える。
黒い塊が変化したのは、暗闇に溶け込んでしまいそうなほど黒いセーラー服を着た、服に負けないくらい黒く長い髪を持つ長身の女性。
その顔は人形のように整っており、人形のように熱を感じさせない冷たさがあった。
「まさか、あんたがお出ましとはな。夜鳥」
峰村が幾分緊張した面持ちで彼女の名を呼ぶ。
「一体、俺に何の用だ?」
「あら、そんなの、決まってるでしょ。約束の時間を過ぎてるのに、招集に応じない貴方を迎えに来たのよ」
「まだ、たった二、三分程度じゃねえか。どんだけ神経質なんだよ」
「遅刻には変わりないわ」
峰村の抗議を淡々と受け流し、夜鳥は無表情のまま彼の近くに移動する。
「行くわよ」
「……チッ、わーったよ」
渋々といった感じで峰村が了承すると、夜鳥は再び体を霧状に変えると彼を包み込んで、夜の空へ飛んでいく。
「…………はーっ」
二人の姿が闇に紛れて見えなくなると、佐藤は大きく息を吐き、ドサッと地面へ崩れ落ちる。
「何だったんだっ!? あいつは」
佐藤の全身から尋常じゃないくらいの冷や汗が流れた。
人の形をとっているとはいえ、得体の知れない恐怖が直接本能を刺激するあの感覚は、間違いなく生物が持つものではない。
何度か深呼吸をして心を落ち着かせると、佐藤は自身の影に向かって呼びかけた。
「おい、シャドー。いるんだろ」
「何ですか?」
呼び出されたシャドーは、影から頭だけを出して佐藤と向かい合う。
「ていうか、汗すごいですね。そんなに怖かったんですか? あの黒い女の人」
「ああ、あれは人間じゃない。何て言うか、悪霊みたいに感じた」
「悪霊?」
いまいちピンとこない様子のシャドーだったが、佐藤は構わず話を進める。
「そんなことより、シャドー。今すぐ遠峰さんに伝えてくれ」
二人が飛んで行った方を見ながら、佐藤は憂鬱そうに言った。
「“ヤバい敵が現れた”ってな」
◇◇◇◇◇◇
カラッと晴れ渡った青空には、白く沸き立つ入道雲。
三十度近い気温はアスファルトの道路に陽炎を作り出し、そこら中で蝉の音がやかましく響き渡っている。
ついに迎えた夏本番。
暑い中、登校した光輪の生徒たちはクーラーの効いた教室内で、明日から始まる夏休みの予定を話していた。
「海に行こう!」
「いきなり、どうした」
希初の元気な声が、すぐ傍で聞こえてきたため、景は読んでいたライトノベルを一旦閉じる。
「いや、だって明日から夏休みでしょ。だから、みんなで海に行きたいな~、って」
「ああ、いいんじゃない」
「でしょでしょ」
「オレは行かないけど」
「何でっ!?」
まさか断られるとは思っていなかった希初は、ダンッ、と机に手をつき、景に迫る。
「いや、だって面倒だし」
「正気なの! 景君」
「そこまで言うか。たかが、海ごときで」
「……どうしたの? 二人とも」
二人が騒いでるのを聞きつけ、豊満な胸を揺らしながら、ライラがやって来る。
「聞いてよ、不破さん。景君が海行かないって言うんだよ」
「……景、正気?」
「お前もかい」
ライラにまで正気を疑われた景は、机に突っ伏して白旗を上げた。
「分かった、分かった。オレも行くよ」
「やった! じゃあ、日にちを決めるから、終業式終わったら、近くのファミレスに集合だよ」
「はいはい」
適当に返事をする景は、結局いつも通りのパターンになったとため息をつく。
「あ、終業式と言えば、景君」
「何?」
「知ってる? 終業式になんか生徒会が、サプライズイベントをやるんだって」
「へ~、そうか。でも、今知った以上、もうサプライズにはならねえけどな」
「あっ……だ、大丈夫だよ。みんな、知ってることだもん」
「それ、もうサプライズでも何でもないだろ」
明らかにしまった、という顔をする希初に、景は呆れてため息をつく。
(そもそもサプライズなら、情報を漏らすなよ。生徒会)
そうこうしてる内に、終業式の時間が迫り、生徒は皆教室を出て、体育館も兼ねた講堂に移動し始めた。
当然、景たちも例にもれず、人の波に流されるように講堂に入っていき、学年及びクラスごとに分かれて列に並ぶ。
マイクの設置された壇上には、生徒会会計の星笠桃と書記の虎江文子の二人が端の方でパイプ椅子に座っていた。
(……二人?)
少な過ぎる、と景は思った。
(いや、生徒会だけじゃない。よく見てみたら、こっちも結構……)
不審に思って周りをよく見渡してみれば、いつもより生徒の数が少ないことに気付く。
一年生は全員揃っているようだが、二、三年生が全体の三分の二くらいしかいない。
「希初。何か上級生がやたら少ない気がするんだけど……」
「昨日、緊急のクエストが入ったからね。それで、AランクとBランクの半分以上が出払っちゃったんだよ」
景の疑問は、いつも通り隣にいる希初が速攻で答えてくれた。
「へ~、それはまた随分な戦力を投じたもんだな。魔王でも倒しに行くみたいじゃねえか」
「あはは、それ言えてる」
「だな。…………ところで、しれっと会話に混ざってるけど、何でお前がここにいるんだ、祐」
途中から話に加わった祐を見ながら、景はついでのように訊く。
すると、祐は意味ありげな笑みを浮かべた。
「ああ、実は今日、生徒会が―――」
「サプライズのことか」
「……なんだ、知ってたのか」
途端に、祐はがっくりと肩を落とす。
「まあ、そっちには希初がいるからな。知っててもおかしくは無いか」
「へへん。何せ、光輪の情報庫ですから」
鼻を高くする希初を、景は「はい、はい」とぞんざいに流しながら、改めて祐に問いかける。
「で、お前の用件はそれだけか?」
「え、まあ、そうだけど……」
「なら、もう戻った方がいいぞ」
そう言って、景は前にある時計を指し示す。
「時間だし」
「あ、やべっ」
祐が急いで離れて少しした後、時計の針が動き、ようやく終業式の開始時刻となった。
しかし、時間が来たというのに終業式は一向に始まる気配がない。
(……どういうことだ?)
何かおかしいと思い、景は再度周りを見渡すと、突然、派手にガラスの割れる音と悲鳴が講堂内に響き渡った。
―――――――彼らの一学期は、まだまだ続く。




