第四話 真実と嘘
“真実と嘘”。
神海の口から出てきた聞きなれないゲームの名前に、景はやや身構える。
「聞いたことないゲームですね。どんなゲームですか?」
椅子に座った景は、目の前の神海に問いかける。
「このゲームは、カテゴライズすると心理戦型のゲームになるかな。ルールは簡単。プレーヤーは質問者と回答者に分かれて、質問者は“はい”か“いいえ”で答えられるような質問を出す。三つ質問を出し、それら全てに正直に答えることができたら回答者の勝ち。どれか一つでも回答者が嘘をついたり、答えられなくなったら質問者の勝ちだ」
「名前通りのシンプルなゲームですね」
「当然。なんたって、ついさっき、僕が考えたゲームだからね。さて、何か質問はないかい?」
神海の説明を聞いた景は呆れた目を向けつつ、一つ質問する。
「どうやって質問者は回答者の嘘を見破るんですか?」
たとえ嘘をつかれたとしても、それを確かめる術がなければ、ゲームが成り立たない。
だが、神海がそんな初歩的なことを忘れているはずもなく、制服の胸ポケットに手をやった。
「それは、この僕のAランク専用アプリ・嘘発見器を使えば問題ない」
神海は胸ポケットから生徒手帳を取り出すと、画面を操作して机に置く。それには、○と×の記号が表示されていた。
「嘘をついた場合、これが判断する。試しに何か言ってみるといい」
神海にそう言われ、景は適当な嘘をついた。
「オレの昨日の夕飯はハンバーグだ」
ブブゥーという電子音が鳴り、画面いっぱいに大きなバツマークが現れる。
「こんなふうに嘘をついたらすぐに分かる。嘘発見器の精度は99%だから、間違いはほとんど起きないと考えてくれ」
「そうですか」
大体の説明が終わったところで、神海は次の段階へと進める。
「じゃあ、質問者と回答者を決めよう。今回は、特別に君に選ぶ権利を上げるよ」
「太っ腹ですね」
「まあ、僕の事情に巻き込んでしまったお詫びとでも思ってくれ」
景は顎に手を当てて、しばし逡巡した後で口を開く。
「質問者にします」
その選択に、後ろで二人を見ていた彗は、少なからず意表を突かれる。
普通に考えてこのゲームは、質問者よりも回答者の方が圧倒的に楽であるため、わざわざ面倒な方を選ぶはずがないと彼女は思っていた。
神海も無表情を装ってはいるが、内心では彼の選択に疑問を抱く。
(僕に嘘をつかせる策でもあるのか? てっきり、回答者を選ぶと思ってたから、それを利用して色々と訊き出すつもりだったのに)
訝しむ神海を余所に、景は気だるそうに背もたれへ体重を預ける。
「質問者でいいんだね?」
「あ~はい」
再度確認を取る神海に対し、景は心底どうでもよさそうな顔をしていた。
「よし。それじゃあ、“真実と嘘”を始め……」
「あ、ちょっと待ってください」
ルール説明を終え、神海がゲーム始めようとしたところで、景が遮った。
「何だい?」
「最初にも言いましたが、このゲームは勝ってもオレにはメリットがないんですよね」
「うむ、確かに」
「だから、オレが勝った時は、先輩がオレの頼みを一つ聞くっていう条件を加えてもらっていいですか?」
景の提案に神海は少し考えてから頷く。
「いいだろう。ただし、金銭や犯罪に関わること以外で頼むよ」
「風紀委員長にそんなこと頼みませんよ」
「僕以外だったら頼むのかい?」
微笑を浮かべて、軽口を叩く神海だったが、
「……ご想像にお任せします」
冗談とも本気ともつかない景の返しに、やや真面目な表情へと変化した。
「それじゃあ、始めようか」
「そうですね」
全ての準備が整い、ようやく“真実と嘘”ゲームが開始された。
(さ~て、お手並み拝見といきますか)
神海は嬉々として、景の質問を待つ。
「では、質問します」
「どうぞ。だが、最初の質問だからといって、甘い質問をすると後々痛い目を見ることになるよ」
自分が用意してきたゲームという余裕からか、アドバイスを与える神海だったが、景は彼の助言を無下にする発言をした。
「いや、オレがする質問は二つで十分です」
「何っ?」
流石にこの発言には驚きを隠せなかったようで、神海は愕然と目を見開く。
「じゃあ、いきますよ」
異様な緊張感が空間を支配していく中で、景だけはどこ吹く風と至って普通の調子で喋り始める。
(どんな質問でくる気だ?)
やる気はなさそうだが、いい加減なことを言っているわけではないのは景の表情からよく分かる。たった二回の質問で、どうやって自分に嘘をつかせるのか神海は大いに興味がわいた。
(さあ、見せてもらおうか。君のやり方を)
神海は景の口から発せられる言葉に耳を傾ける。
「神海先輩は、オレの次の質問に“はい”と答えますか?」
「……」
景の最初の質問が終わった後、長い沈黙が訪れ、それから神海はハァ~と息を吐いた。
「……僕の負けだよ」
神海はあっさりと負けを認める。
景の質問によって、このゲームの勝敗はすでに決定していた。
神海がこの質問に“はい”と答えようが“いいえ”と答えようが、景は次で確実にその答えに合わない質問をすればいいだけで、例えば神海が“はい”と答えた後に「あなたは女性ですか?」と聞けば勝利となる。
神海は最初の方こそ、何とか穴を見つけようとあれこれ考えていたが、いくら考えても打開策は思いつかなかったため、潔く諦めた。
「じゃあ、今度こそオレは帰らせてもらいます」
金科玉条から解放された景は用は済んだとばかりに、すくっと椅子から立ち上がって、まっすぐ出口を目指した。
その背中に、またも神海は話しかける。
「何というか、ここまで思い通りにいかなかったのは生まれて初めてだよ。君はどうやら、”いい意味で”空気を読めない人みたいだね」
「……できるなら、合理的と言ってもらいたいもんですけどね」
振り向くことなく景はそれだけ言うと、第3準備室から出て行った。
◇◇◇◇◇◇
景が出て行った後に残された神海と彗は、お互いしばらく黙っていたが、神海が室内の静寂を破り始めるかのように口を開いた。
「あ~あ、振られちゃった」
「そうですね」
うっ~と大きく伸びをしながら言う神海に、彗は淡白な返事をする。
「委員長。一つ聞きたいことがあります」
「ん、何だい?」
「どうして彼、早房景をあそこまで風紀委員に入れたかったのですか? アイツの他力本願とか言う能力がどれだけすごいのかは知りませんが、風紀委員の戦力は十分足りています」
彗の言う通り、現在、風紀委員の人数は二十一人。そのうち、Aランクは彗と神海を含めて四人もいる。
今更彼を入れたところで、そんなに変わるとは思えないし、最悪足でまといが増えるだけだと彗は考えていた。
「確かに戦力的には問題ないだろうけど、さっきも言った通り、僕は彼の能力に興味があるからね」
「……興味ですか」
「ああ、君だって少なからず気にはなっているはずだろ。なんせ彼はこの学校で唯一、順位もランクもない生徒だからね」
神海の言葉に、彗はわずかばかり表情を変えるが、すぐに元に戻した。
「別に私は気になってませんけど」
「そう。まあ、もう一つ別の理由もあるにはあったんだけどさ」
「何ですか?」
神海は景を引き入れたかったもう一つの理由、というかこっちの方がメイン、を語り始める。
「彼なら、君の抑止力になってくれるんじゃないかと思ってね」
「抑止力?」
「……何でそこで、意外そうな表情になるのかな」
神海はフリではなく本気で疑問符を浮かべている彗の反応を見て、困ったように頭を抱える。
「君がこの風紀委員に入ってから、確かに犯罪を犯す生徒の検挙率は上がった。だけど、君が捕まえた生徒は例外なくひどい傷だらけの状態になっていることに、生徒会と先生方から苦情がちらほら来てるのさ」
「でも、それは彼らが抵抗するから……」
「だったら、他の仲間に任せればいいだけのことじゃないか。なのに、君は誰一人寄せ付けず、全て自分の力でなし得ようとする。それが君らしさなのは分かっているけど、僕としてはもっと仲間を頼ることを君に覚えて欲しいね」
神海は真っ直ぐ彗の目を見て、自分の胸中を語った。
「で、でも」
「まあ、一年でAランクで一桁順位なんて肩書きを持っているせいで、周りと打ち解けない気持ちも分からなくはないけどさ」
納得できない様子の彗に、神海がズバリ彼女の心中を言い当てる。神海も風紀委員長として、今の風紀委員の内情は当然知っていた。
一年生でいきなり一桁順位になった彗は、その肩書きと堅物な性格が相まって、周りと上手く馴染めず、風紀委員に入ってからも、自分より格上の後輩にいい顔をしない先輩や距離を置く同級生などの存在が彼女を孤立させていた。
「だから、同級生で無神経な彼となら、いいコンビになれると思ったんだけどね」
「無理です。アイツとは上手くやれる気がしません、生理的に」
「そこまで言うのかい。可哀そうな、早房君」
クスクスと笑いながら言う委員長を見下ろしながら彗は半眼で睨む。
そんな時、神海のポケットからマナーモードにしてある携帯のバイブ音が鳴り出した。神海はこんな時間に誰だろうと思いつつ、携帯を取り出す。
「おやおや、噂をすれば」
神海は携帯の画面に目をやると、面白そうに呟いた。
「彼からですか。一体何用で?」
尋ねる彗に、神海は景から届いたメールを読み上げる。
「『ゲームの賞品であるオレの頼みは、後日伝えます』だって。というか、何で彼は僕のメアドを知ってたのかな?」
「そう言えば、何も言わずに帰ってしまいましたね」
「あれ、メアドの件は無視?」
自分で付け加えた条件なのに、それを提示することなく去っていった景に、彗は首をかしげた。
「あの場で今すぐ言えばいいのに、何を考えているんでしょうか?」
「さあ。何か考えがあるんじゃないのかな」
実はゲームの質問を考えるのに必死で忘れていただけなのだが、そんな事情を知らない二人はそろって頭を悩ませた。
「それにしても、委員長がそこまで関心を持つ彼は、一体何者なんですか?」
「あ、やっぱり気になるのかい。彼のこと」
「っ!? 気になるのは彼ではなく、彼の能力です!!」
茶化すように言った神海の言葉に、彗は真っ赤になって否定する。
「ははっ、ごめんごめん」
笑いながら神海は、目の前の後輩に謝る。
「彼の能力について話をしてもいいけど、そろそろ時間がきてるから、それはまた今度ってことで」
「そうですか。では、私もそろそろ授業なので、これで失礼します」
淡々と告げて去っていく彗。その姿に過去の自分を重ね合わせた神海は、思わずため息をつく。
(僕も2年前に風紀委員に入った頃はこんな感じだったな)
風紀委員に入りたての神海は、彗ほどではなかったが一年生にしては高すぎる能力を持っており、そのせいで周りとそりが合わず、今の彗と同様に単独で取り締まり活動をしていたのだった。
しみじみと過去に思いを馳せる神海の頭の中では、そんな過去の自分を変えてくれた、とある人物が浮かんでいた。彼のおかげで自分は道を誤らずここまで来ることができたと、一人感慨に耽る。
(何の根拠も無いけれど、彼と同じ肩書きを持つ彼なら彼女を救ってくれるかもしれない)
神海は振り返って、窓の外を見ながらふっと微笑む。どんよりと曇っていた空は、いつの間にか青く晴れ渡っていた。
「期待してるよ。“ロストナンバー”の早房君」