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ロストナンバー  作者: 宇野 宙人
第二章 転校生編
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第四十三話 真相心理

 一言で言えば“デカい”というのが、そいつの第一印象だった。

 十字架の二倍近い巨体を持ち、褐色の皮膚に覆われた手足はまるで丸太のように太く、引き締まっている。

 頭には立派な二本の角をつけた牛の頭蓋骨のようなものが見え、背中にはおおよそ飛ぶのには向いてなさそうなデザインの黒い羽が生えていた。

 その姿を見て、景は総合的な感想を漏らす。


「…………なんつーか、痛いな」


 前にナイトが描いていた闇夜の黒騎士(ナイト・ザ・ナイト)の側近、七夜衛士(セブンスエクリプス)の一人にこんな感じの奴がいたような気がするが、いい年した大人が中二病全開の高校生と同じセンスというのは、いかがなものだろうか。


「一応、聞いとくけどさ、そのフォルムチェンジに意味ってあんの?」

「ええ、ありますよ。この姿は、私と貴方の力の差を表したものです」


 外見は変わっても、中身は変わらないのか、ハーネスは今まで通りの口調で話す。


「見てくれだけの、ハッタリじゃねえ、ってことか」

「その通りです。まあ、信じてもらえずとも結構ですよ。すぐに、思い知ることになりますから、ね」


 自負心に満ち溢れた台詞で、ハーネスは景を嘲笑う。


「……まあ、お前がどんな姿だろうとオレは正直興味はねえ」

「何?」

「御託はもういいから、さっさと始めようぜ。こんな下らないもん、とっとと終わらせてやる」


 いつになく好戦的で、相手を射抜くような視線を向ける景。

 元々、目つきは鋭い方だが、こんな風に相手を見据えるのは極めて稀なことだった。


「フハハ、勇ましいですね。ですが、貴方ごときが、まさかこの私に勝てると思っているのですか?」


 その視線に怯むことなく、ハーネスは嗤笑する。それを見て、景は面倒そうにため息を一つつく。


「だから、御託はもういいつったろ。いつまで、グダグダ言ってるつもりだ」

「ええ、そうですね。では、そろそろ……」


 不意に景の足元から、ボコボコと液体が沸騰するような音が聞こえてきた。


「……始めましょうか。処刑(たたかい)を、ね」


 途端、間欠泉の如く、黒いネトッとした液体が地面から噴き出し、景の体に絡みつく。

 そのまま勢いにより、かなり上空まで運ばれた景の体はある地点を境に止まった。


「油断しましたね! 言ったでしょう。ここは私の支配する世界。ここにある全ての空間は、私の意のままに操ることが出来るのですよ」


 粘性のある黒い液体に拘束され、身動きが取れない景。

 ハーネスはその姿を眺めることで、支配欲を満たす。


「さぁ、ここからが本番ですよ。せいぜい、耐えて下さい、ね!」


 ハーネスは巨大な腕を振るった。迫る拳は自分の体の半分以上あり、その勢いは風圧だけで全てを吹き飛ばしてしまいそうな程、強い。

 そんな拳を叩きつけられた景は、液体の中から弾き出され、一直線に地面へ墜落する。


「やれやれ、一撃でお終いですか。もっと楽しませて下さいよ」


 蜘蛛の巣状のヒビを作り、ややへこんだ地面の上で仰向けになって倒れている景を見下ろし、ハーネスはのっしのっしと近づいていく。


「まあ、この世界ではどんなに痛めつけられたところで、死ぬことはないんですけどね。もっとも、死んだ方がましな苦痛を永遠に味わうことになりますが」


 よろよろと起き上り、覚束ない足取りで地面に立つ景に、ハーネスは再び無慈悲な一撃を放つ。

 放たれた拳は先程のよりも遥かに強く、既に面前へと迫り、回避は不可能。

 そんな豪拳を前にして景は、怯えと悔しさがない交ぜになった表情―――――を浮かべることなく、ニヤリと嗤う。


「……!!?」

「お前、フラグ建て過ぎだろ」


 絶大な破壊力を備えた巨大なハーネスの拳を、景は無造作に突き出した片手で受け止めた。


「ば、バカなっ!? こんな、こんなことが……」

「有り得ない、とでも言いたいのか。だが、目を逸らしても、現実は変わらないぜ」

「くっ……」


 ハーネスは全身を力ませ、拳を押し込もうとするが、全くもって微動だにしない。


「何故だ! さっきまで、貴方は私に手も足も出なかったはず。それを、いきなり……」


 自身の力が通じないことに、ハーネスは驚きを隠せず、喚き散らす。

 そんな無様な姿をさらす彼に、景はつまらないものを見るような目を向ける。


「ま、さっきのも防ごうと思えば防げたんだが……」


 景は片手にやや力を込める。

 ただそれだけで押し返されそうになったハーネスは、必死の形相で何とか持ちこたえようとあらん限りの力を振り絞った。


「ぐおおおおおおおぉぉぉっ!」

「……お前には、何事にも代えがたき絶望を刻んでやりたくてね」


 直後、ハーネスの体は景が片手を押し込んだことによって、後方に吹っ飛ばされた。


「ぐっ、このっ……」


 すかさず体勢を立て直し、再度、ハーネスは拳を振り上げようとする。

 だが、それよりも速くハーネスに接近した景は、一振りの剣を顕現させると振り下ろし、高く上げられた片腕を根元から切断した。


「ぎぃぃぃやああああぁぁぁぁっっ!!」


 激痛に叫ぶハーネス。切り口から血の代わりに黒い瘴気が溢れ出し、斬られた腕は重力に引かれ、地面へと落下。その衝撃で、空間が揺れる。


「あああああっ、くそぉ……こんな、こんなバカなことがぁ」

「有り得るんだよ、これが」


 無事な方の腕で斬られた部分を押さえ、うずくまるハーネスを、景はその場に留まり、見上げていた。


「所詮、お前は井の中の蛙。だから、海を知らずに泳いで溺れてる」

「ぐっ……黙れぇぇ!」


 怒鳴るハーネスは顔を上げ…………そのまま固まった。

 目の前にあったのは何百、何千という数の剣、剣、剣。

 ハーネスの周りの空間を埋め尽くすかのようにして現れた夥しい数の剣は、鋒を全て自分に向け、いつでも刺し殺せるように取り囲んでいる。


「なっ、なっ……」

「勝負は決したな。ま、安心しろ。この世界じゃ、どんなに痛めつけても死にはしないんだろ」


 すっ、と右手を上げると、「ひぃぃ」とハーネスは情けない悲鳴を上げる。


「ま、待ちなさい! 貴方は本当にそれでよろしいのですか?」

「ん? 別にいいけど」

「貴方は事の重大さをまるで理解していない。御存じないでしょうが、我々の組織は実はこの国の中枢にも影響を及ぼせるほど強大なのですよ」

「ふ~ん、それで?」

「それで!? 貴方は正気ですかっ! 我々に敵対するということは、すなわち国を敵に回すのと同じということなんですよ!」

「だから、何だよ」


 本気で首をかしげる景に、ハーネスはついに絶句する。


「つーか、お前らこそ分かってんのか? オレを敵に回したということは、つまり……あ~、まあ、いいや。どうせ、すぐに思い知ることになるだろうし」


 話してる途中でどうでもよくなってきた景は、そこで言葉を切る。


「くっ……何故だ! 何故だ、何故だ、何故だぁ! 何故、私がこんなガキに負けるんだぁぁぁ!」


 最後の悪足掻きとばかりに喚きだしたハーネスに対して、景は何の気もなく一言で断じた。


「“格”の差だろ」

「がああああああっ!」


 怒りのあまり、最早言葉にすらなっていない、獣の唸り声にも似た叫びを放つハーネス。

 そんな彼を、景は無関心な目で眺めつつ、上げた手を地面と水平になるように下ろす。


「終わりだ」


 その声を契機に、数え切れないほどの剣が一斉に襲いかかり、褐色の巨体を串刺しにする。

 体中のありとあらゆる所を剣に貫かれたハーネスは断末魔の絶叫を上げると、最後には黒い瘴気となって、この世界から消滅したのだった。




 ◇◇◇◇◇◇




 ――――――自分は、一体どうすれば良かったのだろうか。

 

 ハーネスに体を乗っ取られてから、ライラはまどろむ意識の中で、答えの出ない問いをずっと繰り返し続けていた。

 

 彼女は幼い頃から、絵を描くことが好きだった。

 引っ込み思案で、勉強も運動もパッとせず、友達もそう多くはなかったライラが唯一、夢中になれたモノ。それが絵だったのだ。

 きっかけは六歳の頃。妹の似顔絵を描いていたら母親に「上手ね」と褒められ、それから絵を描くことにのめり込み、小五の時には市のコンクールで入賞する程にまで上達した。

 もっとも、それ以降、彼女の絵が日の目を見ることは無かったのだが、ライラは絵を描くこと自体に満足していたため、賞や評価が得られなくても特に落ち込んだりはしなかった。

 

 そんな彼女が中学に入ってしばらくした頃、ふとしたきっかけで、自分に描いた絵を実体化する能力が備わっていることに気づいた。

 後に”画竜点睛”という名前で管理局に登録されることとなるその能力を、初めて目にした時の驚きと興奮は、今でも鮮明に記憶に残っている。

 後天的能力者が能力に目覚める条件は、強い”想い”。

 何年も報われず、ただ好きというだけで描き続けたライラの絵には、能力を発現させるほどの”想い”が詰まっていたのだ。

 

  ……だが、その日からライラの人生はゆっくりと狂い出す。


 ある日、ライラの父の友人が莫大な借金を背負ったまま、突然行方を眩ませてしまい、その友人の連帯保証人になっていた父の下へ借金取りが押し掛けるようになった。

 毎日のように無茶な取り立てをしてくる借金取りに、父は心労で倒れ、代わりに母がパートで働きだしたが、全て借金の返済に消えていくため、まともに生活することもままならない日々。

 そんな絶望の淵に立たされた毎日を送る家族の前に、タイミングよく一人の男が現れる。

 その男は母に、借金を肩代わりすることと引き換えに、ライラの能力を我々のために貸して欲しい、という話を持ちかけてきた。

 母は「自分の娘を売るような真似は出来ない」と反対したが、これ以上追いつめられていく家族を見ていられなかったライラは、その話を受け入れることにした。

 

 それから、今の“組織”に連れてかれたライラは、まず初めに画竜点睛を武器として使えるようにする技術を叩きこまれた。

 最初は大好きな絵で人を傷つけることに躊躇していたが、やらなければ痛い目に遭わされる上に、”組織”は人質として妹を手中に収めていたので、逃げることは出来ず、助けも呼べない。

 自分の”のうりょく”が段々凶器に変わっていく嫌悪感に心をすり減らされ、ライラは徐々に感情が希薄となり、いつしかその顔から一切の表情が出てこなくなった。

 実はあの借金自体、自分を引き入れるために“組織”が仕組んだものだったということを後で偶然知った時も、ライラは何も感じることが出来ず、ただひたすらに絵を描き続けた。

   

 そうして、二年が過ぎた頃、ライラに組織から初めて外の任務が下される。

 仕事の内容は、とある政治家の孫の誘拐。

 標的は、能力者ばかりを集めた光輪高校の生徒で、ライラの役目は彼に近付き、誘拐の手筈を整え、その後の偽装工作をすること。

 そして、この任務を無事に終えることが出来れば、妹をここから解放してくれることを組織はライラに約束してくれた。

 何が何でも、失敗は出来ない。そんな思い胸に、ライラは光輪高校へ足を踏み入れた――――――







 目を開けると、見るからに暇そうな顔をした景が真正面で座り込んでいた。


「おっ、目ぇ覚めたか」

「…………」


 ライラは体を動かそうとしたが、十字架に手足を拘束されているせいで上手く動けない。


「……ハーネスは?」

「剣でぶっ刺したら、消えた。多分、本体のところに強制送還されたんじゃね」

「……そう」


 ライラはあまり驚いた様子を見せず、視線を景に向けたまま言った。


「……早房」

「何だ?」

「……あなたは、ひどい」

「また、それか」


 やれやれ、と景は肩をすくめる。


「つーかさ、一体オレの何がひどいんだよ?」

「……全てを知ってたのに、知らないふりして騙してた」

「騙したことに関しちゃ、お互い様だろ」

「…………」


 ライラは口をつぐむと、気まずそうに顔を逸らす。


「ま、別にいいんだけどさ」


 景は立ち上ると、ライラに視線を合わせる。五m程あった十字架も、今や二m以下にまで縮小し、軽く首を傾けるくらいで済んだ。


「……解放してやろうか」

「えっ」

「十字架から」

「……ああ、そっち」


 一瞬、期待してしまった自分を恥じるように、ライラは俯く。


「まあ、組織の方でもいいけど」

「!?」


 唐突に放たれた素っ気ない言葉に、ライラは意表を突かれたような顔をするも、すぐに険しい表情に変わった。


「……いい。助けなんていらない」


 口をついて出たのは拒絶の言葉。もちろん、本心ではなかったが、そう言うより他なかった。


「ま、そう言うとは思ってたけど……」


 半ば予想してた感じで、景は困ったように頭をかく。


「確かに、加害者であるお前が被害者であるオレに助けを求めるなんて図々しいことだと思うし、そもそもオレじゃ助けらんねえし、何か面倒だし……」

「……助ける気ないでしょ」

「いや、助ける気はあるよ。ただ、それが行動に移せないだけだ」


 堂々と言い切った景に、ライラは呆れた顔を向ける。


「……一体、あなたは何がしたいの?」

「お前を助けたい、と言ったら」

「……信じられないし、そんなことは不可能」

「はっきり言うね。でも、お前はそれでいいのかよ。どうせここじゃ、オレ以外誰もいないんだし、本音の一つでも吐いたらどうだ?」

「…………」

「大声で助けを求めても、手を差し伸べてくれる人がいるとは限らない。だけど、少なくとも言葉にしなきゃ、助けを求めてること自体伝わらないぜ」


 景の言葉に、ライラの心が揺れる。


「……でも、あなたは助けてくれないんでしょ」

「まあな。だって、オレには不可能だもん」


 景は肯定する。それを聞いて、やはり、とライラは肩を落とした。


「……だが、オレ以外なら助けられる奴らがいるかもしれない」

「えっ」

「オレはお前を助けることは出来ないけど、お前を助けてくれるよう人に説得することなら力になれる」


 ポン、と軽く胸を叩く景。何とも格好つかない言い回しだが、彼らしいといえば彼らしい。


「…………無理」

「は?」

「……そんなの無理に決まってる!」


 だが、それでもライラは否定の言葉を連ねる。


「……あなたは組織の本当の恐ろしさを知らない。どんな人を連れて来たって、敵うわけがない」

「勝手に決めつけんなよ。そんなのやってみなきゃ分からんだろ」

「……分かる。だって、私は組織の力をこの二年の間に嫌というほど味わったから」


 過去の恐怖を思い出したのか、ライラの体が震える。


「……私のせいで他の人がこれ以上犠牲になるのは耐えられない」

「不破」

「……だからいいよ。無理しなくて」


 もういい。諦めてくれ。それが運命(さだめ)だ。そんな想いを乗せた言葉を、景は鼻で笑う。


「ハッ、お前んとこの組織がどれだけ凄いのかは知らんが、所詮、組織なんて人の集まりだ。そして人が人に勝つのに“不可能”なんてもんは絶対にない」

「……で、でも」

「それに、無理すんのはオレじゃねえし」

「…………」


 ジト目を向けるライラに、景は平然とした態度で十字架に近付く。


「ってか、いい加減、本音を聞かせろ。お前は一体、どうしたいんだ?」


 できないからとか、巻きこみたくないからとかいう建前じゃない。混じりっ気なしの本音をさらけ出せ、と。

 真っ直ぐに問いかけた景の言葉に、ライラは再び顔を俯かせる。


「……私は」


 ライラの口から、震える声がこぼれる。同時に、ピシリと十字架にヒビが入った。


「…………私は」


 ピシッ、ピシッとヒビはどんどん増え続ける。


「………………私はっ!」


 ついに、十字架全体に亀裂が走る。そして、ライラは顔を上げ、


「自由になりたい!」


 心の奥底に二年間押し殺した己の願いを口にする。

 その瞬間、彼女を縛っていた十字架は砕け散り、内側から目も眩むような光が溢れ出した。







 目を開けると、景が縦に引き裂かれた人形をいじくりまわしながら、真正面に立っていた。


「…………」

「よう。おかえり」


 精神世界から現実へと戻ったライラに、景は人形を投げ捨てると何事もなかったかのように、いつも通りの調子で話す。


「……早房」


 突如、周りの景色に放射状の亀裂が走る。能力によって描かれた偽りの世界がまるでガラスのように砕け、崩れていく中、ライラは口の端をほんの少しだけつり上げた。


「……ちゃんと、責任はとってよ」

「善処します」


 彼女がようやく見つけた一筋の光。

 それが希望となって世界を照らすか、はたまた絶望に塗りつぶされて消えるのかは、まだ分からない。

 だが、今の彼女にとっては、闇しかなかったこの場所で光が現れた、ただその事実だけで十分な安らぎを得られたのだった。





精神無双な景の回でした。


次回は、いよいよ黒幕の登場です。

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